空室襲着④







   人の『記憶』って、何だろう?
   人の『キモチ』と、どう違う?


世の中には、自分の記憶にはない事実だって、たくさんある。
同じ経験をしていても、何を『記憶』しておくかは、人それぞれ…
人の数だけ、その人だけの『記憶』が存在する。

事実を知っているか、知らないか。知っていても、どう認識しているのか…
それによっても、記憶されるモノは、大きく違ってくるはずだ。


そして、俺とツッキーのような、いくら多くの記憶を共有する『幼馴染』でも、
互いに全く知らない記憶も、たくさんある…知らない『事実』があるからだ。

例えば、そう…
俺が両親及び月島家との間に結んだ『密約』のことも、ツッキーは知らない。


ツッキーの記憶では、俺達の関係は、何となくズルズル一緒に居る幼馴染…
世間一般的には、ここまで家族ぐるみのお付き合いなのは稀はなずだけど、
これが『当たり前』だというのが、ツッキーの(ややズレズレな)感覚だと思う。

でも本当は、『ずっと一緒』なのは『何となく』でも『当たり前』でもない。
最初は無意識に、そのうち強烈な意思を持って、
俺はツッキーと『ずっと一緒』に居ることを望み、それを選択し続けてきた。


幼い頃から、母さんの大学の研究室で過ごす時間が多かった『異質』な俺は、
引っ込み思案な性格もあり、同年代の友達がなかなかできなかった。

そんな俺を特異な存在とせず、『普通の幼馴染』として接してくれたのは、
ツッキーとその家族…月島家の人達だけだった。

   俺はずっと、ツッキーと一緒がいい!
   ツッキーと同じ中学で、バレーする!


そんな俺の状況も、思春期に入ると随分変化…かなり『普通』になってきた。
目を惹く容姿な反面、過激で扱い辛いツッキーと常に一緒にいることで、
比較対象として、俺自身の異質さはパッと見では全く目立たなくなったのだ。

大きなツッキーの後ろに隠れ、守られることの心地良さに慣れてしまった俺は、
何かを選んだり、行動する際の基準が、全て『ツッキー』に…
それに警鐘を鳴らし、手を差し伸べてくれたのも、両親と月島家の人達だった。

   忠君は蛍に合わせずとも良いのだよ?
   忠ちゃんの好きなことを優先してね?
   蛍も忠も、俺のマネしなくていいよ?


ツッキーに合わせる?明光君のマネ?俺の好きなことは…?
当時の俺は、言われたことの真意などまるでわかってなかったけれど、
必死に考えて出した答えは、最初から思っていたことと変わらなかった。

   俺が好きなのは…ツッキー!
   ツッキーと一緒に居ること!
   だから、同じ高校に行くよ。

海外の大学?とか、研究施設?とかに行くよりも…俺はツッキーと一緒が良い。
大好きな明光君が通ってた烏野で、ツッキーとバレーがしたかった。

俺が出した答えに、両親達がどんな表情をしていたか…
よく見えなかったから、俺はほとんど記憶していないけれど、
「忠のキモチはよくわかった。」と、同じ高校に行くことを認めて貰えた。

でもその代わりに、大きな条件を提示された…それが、『密約』だ。


   蛍君が好きなこと…よくわかった。
   でもそれは、『忠の』キモチだよ。

「人の記憶と同じく、人のキモチも人それぞれ…決して『同じ』ではない。」
「蛍君のキモチが、忠のキモチと同じだとは限らない…
   二人のキモチが重なって、同じ想いを返して貰えるかは、わからないんだ。」

だから、こうしよう。
忠が蛍君を想うキモチ…それがどんなカタチのものであれ、
今から10年後…25歳の誕生日までに、忠のキモチが蛍君に届かなかった時は、
蛍君の影から出て、忠は忠の道を生きること…蛍君には秘密の約束だよ?


この『密約』がどういう意味を持つのか、15歳の俺にはサッパリだった。
とりあえず、ず~っと先…オトナになってもツッキーと一緒に居られる!と、
遠い未来の『25歳』の密約に心底安堵し…ツッキーと楽しい日々を過ごした。

特に高校でバレーを始めてからは、周りに飛び抜けた才能を持つ人が溢れ返り、
『バレーの世界』にいる間は、俺は超地味で平凡な『普通の子』でいられた。
世の中には、度を越して一芸に秀でている人が、ゴロゴロ存在している…
『異質』さとは、つまるところ『強烈な個性』に過ぎないのかもしれない。

大学進学の際も、就職の際も、両親と月島家の皆は俺の『居場所』を準備し、
ツッキーと一緒に居たいという俺の望みを、叶えてくれた。
俺はその代わりに…なっているかどうかはよくわからないけれども、
母さんの研究?月島家の事業?のため、俺の『異質』な部分を提供した。
これだって本当は、俺のため…俺の存在を隠すためなんだろうし、
自分の『やや抜きん出た特技』を生かして仕事をすることも、『普通』だ。


『普通の子』だった俺の異質さに気付いたのは、様々な偶然の積み重ねから、
深い付き合いをするようになった、ごくごく一部の人だけ…
そんな稀有な人達が、俺のことを認め、大事な友人でいてくれていることが、
俺にとってどんなに嬉しいことか…黒尾さんと赤葦さんは、きっと知らない。

そして、この二人とも一緒に居られる、『猫と梟』の場だって、
両親達が用意してくれた、俺の居場所…俺が望んだ『世界』だった。


黒尾さんと、赤葦さん。
この二人が俺にくれたのは、『誰かに認められる幸せ』だけじゃなかった。

どう見てもお互いに同じキモチを抱き、ずっと一緒に居たいと願っているのに、
そのキモチは一方通行のまま…二人の想いは重ならず、未だに届いていない。

自分のキモチは届かないという『思い込み』で、相手の言動を認識し、
その思い込みで見たモノを、事実として記憶し続けている…
仲の良い『猫と梟』という『大枠』を変えられないまま、10年近く経った。

そんな二人を間近で見ているうちに、俺自身のキモチも変化していったのだ。
ツッキーと『ずっと一緒に居たい』の意味と、自分のキモチを自覚…
黒尾さんと赤葦さんが、お互いに抱いているのと同じ…そういう『好き』だ。

あの『密約』を交わした時には、全く予想しなかった(できなかった)けど、
俺が記憶している10年前とは違う『カタチ』に変わってしまったキモチと、
自分が実はとんでもない『密約』を交わしていたという事実、そして、
残りわずかになっていた猶予期間に…今更ながら愕然としてしまった。


『ずっと一緒』を叶えているように見える、あの『猫と梟』でさえ、
お互いのキモチを重ねることもできず、未だに届けられないままなのに、
良くも悪くも俺のことを『特別視』していない、ツッキーが相手だなんて…

   (もう…遅すぎる。)

ツッキーに。両親や月島家に。それに加えて、黒尾さんと赤葦さんに。
俺の世界を…俺の国を造ってくれた、大国主のような優しい人達に守られ、
その影に隠れ、心地良さに安穏とし続けた…ちっぽけな少彦名のままだった。

   どうすれば、このキモチが伝わる?
   俺なんかでも、皆に尽くせるのか?
   俺だけの道など、あるんだろうか?
   俺は一体、何を望めばいいのか…?

いくら考えても、ツッキーとは違う『俺の道』が、全く見えてこない。
俺は自由のはずなのに…好きなことをしていいと言われ続けているのに、
『ツッキーと一緒に好きなことする』以外に好きなことが、見つからないのだ。


   (もしも『打出小槌』があるなら…)

ずっと守ってくれた人達を、逆に俺が守っていけるぐらい、
強く大きく…変えてくれればいいのに。
堂々とキモチを伝えられるぐらい『大きな勇気』を、出してくれればいいのに。
あの『密約』の記憶を、俺の中から消し去ってくれればいいのに…

そのどれもが、『打出小槌』でもなければ、時間的にはもう不可能だ。
たとえ時間が十分あったとしても、俺の記憶は…喪失できないだろうけど。

   (どうしていいか…わからない。)


あともう少しで、約束の…誕生日。
そんな時に訪れたのが、烏野排球部の壮行会だった。

もし俺がお酒に酔えれば、俺の記憶も消せたかもしれないけれど、
それすら俺には許されない…『忘れらない』という異質さから、逃げられない。

   (結局俺は、少彦名のまま…か。)

絶望の淵に立たされた俺の目の前で、何も知らないツッキーは、
穏やかな寝息を立てながら、実に気持ち良さそうに…記憶をトばしている。

この寝顔を見られるのも、あと少し…

変えられないその『事実』に、俺はどうしょうもなく泣きたくなり、
自分でも信じられないような激変…『サプライズ』を起こしてしまった。

   どうせ俺は、ちっぽけなままだ。
   打出小槌を持たない、一寸法師。
   それなら、それらしく、最後は…


「一寸法師に、なってしまおう。」




********************




ツッキーを肩に担いだまま、片足で布団を捲り上げ、そこにまずは座らせる。
皺にならないように、スーツの上着を脱がせてネクタイとベルトを外してから、
そっと体を横たえ…起こさないよう慎重に、ズボンと靴下も取り去っていく。

   (こないだと、ここまでは同じ…)

お酒に酔うと、人はここまで変わってしまうのか…と感心してしまうぐらい、
あの晩のツッキーは前後不覚の泥酔…ぐでんぐでん♪と音を鳴らしながら、
それはそれは、普段の『ツンツン』の対極と言うか…
(月島蛍氏の尊厳保護ため、詳細割愛♪)

…とにかく、ガードのガの字もないユルッユル~♪な姿に、
俺のガマンのガの字が、モノの見事に吹っ飛んでしまい、
一寸法師の類話のように、ヤケクソ心と悪戯心が、六尺ばかりに膨れ上がった。


*****


どうせ『密約』は守れないなら、せめて姿だけでも、この目に焼き付けとこう。
俺は、一度見たものを忘れられない…記憶を喪失することができないんだから、
その異質さをフルに生かして、細部までツッキーを…『記憶』しておこう。

穏やかな寝息を邪魔しないように、顔から眼鏡を外し、ベッド脇へ置く。
そして、さっきよりも更に慎重に、パジャマを着せる代わりにシャツを脱がせ…

   …くしゅん。

小さなツッキーのくしゃみが、小さな俺には暴風に感じてしまった。
驚きで全身を跳ね上げ…慌ててツッキーに布団をかけ、俺も一緒に潜り込んだ。

逸る自分の動悸が、ツッキーの呼吸と完全に同期するまで、息を殺して待ち…
落ち着いてきたところで、俺は痛恨のミスに気が付いた。

   (これじゃあ…見えないじゃん!)

見えないものは、記憶することができない…せっかくここまで脱がせたのに。
自分のミスに呆れ返る反面、見えないことで羞恥心もどこかへ隠れてしまった。

   (視覚的記憶がダメなら…こっち。)


指先だけを下着のゴムに引っ掛け、そのままじっと待機。
ツッキーは定期的かつ頻繁に寝返りをうつ…そのタイミングで、おもむろに。

よかった~、アレとかソレを引っ張らずにヌけたよ~♪とか、
脚長すぎっ!脱がすのに凄い時間が…足首までどんだけあるの!?とか、
余計かつ余裕綽々な感想を抱きながら、俺は妙なテンションに乗っかったまま、
自分の着衣も、一枚ずつ脱いで…布団の外へと放り投げた。

   (感覚的記憶で…覚えとこう。)


人間、追い込まれた状況だと、意外と大胆な行動に出られるのかもしれない。
これが、火事場の何とやら…特に『見えない』と、大胆さにも火が付くのかな。

   どうせ駄目なんだもん。
   ヤりたいようにヤってしまおう。
   ちっぽけな俺のことなんて、誰も…

ツッキーが寝返りをうち、こちら側へ向いた瞬間に、そっと寄り添ってみる。
全神経を触覚に集中させていたせいか、初めて触れた『記憶にない』感触…
温かくて、柔らかくて、滑らかな触り心地に…息も脳も止まってしまった。

   (え、こんな、気持ち、イイって…)


全裸のツッキーとの触れ合いなんて、小さい頃からお風呂で…しょっちゅうだ。
一緒の布団で寝ることだって、風呂以上に当たり前…バッチリ記憶している。

それなのに、『全裸で布団』の感触が、そのどちらの記憶とも全く違う…
未知の感覚と快感に心身が震え、記憶できるほど、脳が上手く動いてくれない。

   (こんなの、覚えちゃ、ダメだ…っ)

ツッキーの全部を、覚えておきたい。
でもこの肌の感触を覚えてしまったら、もう…絶対に離れられないじゃないか。
寝顔だとか、姿だとか、そういうレベルの話じゃない…本能が欲してしまった。

   (もっと、ツッキーと一緒に…!!)


最初に腹に決めたじゃないか。
どうせ駄目なら、俺は…一寸法師になってしまおう、と。
一寸法師が『大事なモノを奪われた』と言って、姫を嵌めたのと同じ作戦で…

   (『事実』がないなら…作ればいい。)


そろり、そろり…布団から頭を出す。
目を閉じたまま、震える手を伸ばし、ツッキーの頬に触れようとした…瞬間。

「やまぐち…」

聴覚記憶にも全く残っていない、甘ったるい寝言で不意に名前を呼ばれ、
全身を硬直させたところで…大きな胸の中に、スッポリ包み込まれてしまった。

「やまぐち、あした、何して、遊ぶ…」

10年前と全く変わらない、無垢で純粋な…ツッキーの声。
その罪も穢れもない声が、勝手に燃え上がっていた俺の頭を急冷却した。

   一寸法師に嵌められた姫は、
   真実を知った時、どう思ったのか…?

   喪失した記憶がウソだと知ったら、
   ツッキーは、どう思うだろうか…?


何も知らないまま、一寸法師の大事なモノを奪ってしまったと思い込み、
罪悪感に苛まれ、卑怯な一寸法師のモノにされてしまった…無実の姫。

自分のことしか考えず、ツッキーのキモチを見ようとしなかった、卑劣な俺。
ずっと俺を守ってくれていた、大好きなツッキーを、俺は騙そうとしていた…

   (そんなこと…赦されるはず、ない。)

たとえこの『一寸法師作戦』が上手くいったとしても、
自分のヤったことを、俺は絶対に忘れることができない…
『記憶喪失(きおくそうしつ)』ならぬ、『嘘つき臆し(うそつきおくし)』と、
ツッキーや家族達への罪の意識を抱え、怯え続けなければならないのだ。

   (臆病で、卑怯で…ゴメン。)


申し訳なさと情けなさと、どうにもならない無力感に絶望しかけていたのに、
それらを丸ごと包み込んでくれる、ツッキーの温かい胸に抱かれた俺は、
全部を帳消しに…忘れさせてくれそうな心地良さに、いつしか眠っていた。

翌朝目が覚めて、自分がヤろうとしたことと、結局寝落ちしてしまったこと…
その両方が恥かしくて堪らず、ツッキーの顔を見ることができなかった。


*****


あの晩と同じように、今もツッキーは穏やかな寝息を立てている。

   (本当に、ゴメンね。)

俺はツッキーにきちんとパジャマを着せると、肩までしっかり布団を掛けた。
眼鏡を取り、いつもの場所へ置くと、こちら側に寝返りをうってきた。

   (騙すつもりは、なかったんだ…)

結局俺は、小さな一寸法師にすら成り切れず、何もできなかった。
でも、ツッキーが状況から誤解してしまい、『一寸法師作戦』は結果的に成功…
もう望んでないのに、一時は望んだ事実が作出されてしまった。

   (混乱させて…悩ませてゴメンね。)


本当は、ツッキーが逃げてくれて、少しだけホッとしていた。
自分もこのまま逃げてしまおうかな、という思いがあったのも…間違いない。

でも、シャワーを浴びてお風呂から戻ると、誰も居なくなった空室の隅に、
俺があちこちに投げ捨てていた上着が、きちんと畳まれて置かれていて…
空っぽの部屋と、空っぽの俺を、上着に残された優しさが満たしてくれた。

こんなに優しくて、純粋なツッキーを、苦しめたまま去ることはできない…
だから俺は、最後の拠り所として、『猫と梟』に依頼したのだ。

それでも俺は、最後まで結局自分の口から自分がヤったことは告げずに、
全部一寸法師と少彦名に押し付けて…考察で誤魔化し、逃げてしまったけれど。

   (最後まで俺は、ちっぽけなまま…)


息を止め、目を閉じて。
見た目よりずっと柔らかい髪に、手を伸ばしかけて…その手を握り締める。
向こう側へ寝返りをうったのと同時に、俺も踵を返し、部屋の扉を閉めた。

「ツッキー…ホントに、ゴメン。」

玄関に鍵をする、ガチャリという音に紛れ込ませながら、
俺は一言だけ、ごく小さく声に出して、ゴメンを言った。

使い終わった鍵を、ポストに入れようとした瞬間…真後ろから声がした。


「こんな夜更けに…どこ行く気だ?」
「外は寒い…上着をお忘れですよ?」




********************




「どこって、ちょっと、やっ夜食を…」

二人にバレないよう、部屋の鍵を手の中に隠し、必死に笑顔を作る。
自分でもわかるぐらい、引き攣って全然笑えていない…酷い顔だろう。
それでも、黒尾さん達は優しい笑顔を返してくれた。

「お夜食なら…一緒にいかがですか?」
「下に戻るか?それか…上に来るか?」

黒尾さんに肩を組まれ、赤葦さんに背後を固められながら、エレベーター前へ。
『▲』と『▼』のどちらかを押せ…と、有無を言わせず背中を押され、
8割の諦観と2割の好奇心で、『▲』の方を俺は選択した。


街の『レトロ感』の一部…このビルの下層階は、大きめの事務所フロアで、
中層は個人事業主等の、小~中規模事務所が、軒を連ねている。
そして上層は、主にここで働く人達が住む居住部…一棟全体が法曹ビルだ。

下層の大フロアを、当ビルのオーナーの弁護士事務所(支店)が占め、
中層の中フロアに、黒尾と山口が勤める士業者合同事務所(支店)がある。
オーナーの月島父と、黒尾達の『上』の明光は、普段は仙台(本社)にいるが、
月島と山口は上層居住部のうち、2DKの広い部屋で同居しており、
黒尾と赤葦はその一つ上の階で、それぞれが一人暮らし(1DK)をしている。

エレベーターで『▼』を選んでいれば、1階まで降りて一旦外へ回り、
裏口から地階のバー『chat et hibou』の寝床(尋問部屋)に逆戻りコースで、
『▲』はおそらく、黒尾の部屋で何か食べさせてくれる…と見せかけて、
アレもコレもソレも、全部吐かされる羽目になるのだろう。

どっちにしても、猫と梟に捕まってしまえば、逃げることなど不可能だ。
たとえそれが一寸しかない存在でも、狡猾なハンターは見逃してはくれない。


「何もねぇとこだが…上がってくれ。」
「お邪魔しま~す。」

逃げられないのなら、腹を括って腹を割るのみ…すっかり諦めがついた俺は、
もうどうにでもなれ!という気持ちで、黒尾家に初めて足を踏み入れ…

「おおおっ、おじゃましみゃ…痛っ!」

何故か尋問する側の赤葦さんが、俺以上にテンパって、舌まで噛みながら、
物凄いキョドりつつ、キョロキョロ辺りを見回す…ド緊張しまくり状態。

「赤葦さん、どうしたんです…?」
「お、俺としたことが、初めてお伺いする、くくっ黒尾さんのご自宅に、
   なななっ、何の手土産も持たず、しかも仕事着のままで…」
「えっ!?そ、そそそ、そんな、気ぃ使わなくて、いいんだからなっ!?
   俺もっ、何も、用意してねぇし…馬鹿っ、緊張すんなよ!」

赤葦さんの緊張っぷりが伝染してしまった黒尾さんまで、玄関先でわたわた…
いい年したデカいオトナが、まるで生娘みたいな初々しさを曝し合う姿に、
一気に緊張も何もかもが解れ、腹の中でとぐろを巻いていたモノも消滅した。


「もう…っ!こっちが恥かしいんですけどっ!さっさと入って下さいっ♪」

俺は『きゅ~ん♪』と音がする、何かあったか~いモノに押されるがまま、
後ろから二人に抱き着き、部屋の中へと押し込んだ。



「うわぁ~♪美味しそうです!」
「黒尾さん…凄すぎですっ!!」

いや、ただの鍋焼きうどん…
冷凍うどんに白だし、ネギとカットわかめを乗せて、卵でとじただけだぞ?
あ、おにぎりの具は梅干しと、高菜明太でいいか?苦手だったら言ってくれ。

あっという間にほっかほか♪な豪華お夜食をテーブルに並べた黒尾さんに、
赤葦さんはキラキラな瞳で感涙…そして今度は、恐縮で小さくなってしまった。

「俺はここに住むようになって、まだ一度もコンロを使ってないんですけど…」
「はぁっ!?お前の食生活、一体どうなって…明日から毎日、ウチで食えっ!」

あっ!いや、そのっ、別に他意はない…ただ単に、お前のカラダが心配で…
ほっ、ほら、さっき山口も言った…お前にちゃんと食わせろって…なぁ!?

「あ~はいはい、言いました~言いました!二人で仲良くご飯食べて下さいね~
   それじゃあ、アツアツのうちに…いただきま~す♪」


あったかいご飯と、ほのぼのとした空気感に、ココロもカラダも、口も緩む。
これがきっと、『取調室で店屋物』効果というやつ…絆されまくりだ。
俺は取り皿に柚子胡椒を溶かしながら、もうアッサリ自分から話を主導した。

「…で、お二人は何でウチの前で張ってたんです?
   てっきり俺は、二人っきりでこうやって『アツアツ晩御飯♪』してると…」

きっと俺が逃げ出すことを見越して、ずっとここで張り込んでいた…
そんなことはわかりきっていたけど、念のために確認した。
でも、俺の予想とはかなり違う回答が返ってきて、俺は正直…驚いてしまった。

「何って、お仕事に決まってんだろ。」
「完遂してない依頼が、残ってます。」

「『ツッキーの依頼を受けて下さい』っていう俺の依頼…完了しましたよね?
   まぁ、結果として黒尾さんちへお泊まりはナシになっちゃいましたけど…」

もしかして、それの集金業務?よし、それなら協議して…まけてもらおう!
両手をパン!と合わせて拝み始めると、それじゃありません、という笑い声。


「一寸先の闇からだと、会話内容は全部はっきりとは聞こえなかったか?」
「月島君は、喪失したモノの責任を、キッチリ取りたいと言ってました。」

確かに、『W喪失事件(仮題)』は、そのどちらも喪失していないという結論で、
『喪失した記憶を取り戻す』という依頼は、なかったことになりました。

問題は、依頼の後半…『再度童貞喪失の儀式を執り行う』ことの方だ。
これも一見すると、童貞喪失してないのなら、無効に思える依頼『内容』だが…

「ツッキーの依頼の『本質』は、喪失したモノを取り戻すことじゃねぇよな。」
「『僕と山口が上手くイくように、何とかして下さい』が、本当の依頼です。」


「そんな依頼を、ツッキーが…?」

いや、おそらくそれも半分くらいは聞こえていたはずだ。
今、脳内リプレイ検証をしてみると…確かに、それっぽい発言が残っている。
だけどあの時の記憶の大半を占めているのは、その後の童貞考察(暴露大会)…
膨大な『記憶』の中に、ツッキーの戯言など、完全に埋没していた。

「たとえ山口でも、明瞭に見聞きしていないモノは…鮮明な記憶にならねぇ。」
「山口君にとって曖昧な記憶など、事実がないのと同じかもしれませんけど…」

お前の記憶にない…お前が知らない事実だって、たくさんあるんだ。
そのうちの一つが、『猫と梟』がついさっき受けた、別の依頼だ。


黒尾が箸を置いたと同時に、赤葦が黒尾の上着をサッと手渡し、
その胸ポケットから封筒を黒尾が抜き取ると、赤葦は上着をハンガーに掛けた。
この二人、本当にココで一緒に住んでないのか?と疑う程の、見事な連携…

山口はそんな『猫と梟』をニヤニヤ眺めていたが、二人から語られる話に、
口をポカンと開き…箸を取り落としてしまった(それも赤葦がちゃんと拾った)。

「依頼主は月島及び山口両家。依頼内容は…『密約』についての伝達、だ。」

10年前に甲(両家)と乙(山口忠)の間で交わした『密約』破棄要請を受諾する。
但し、月島蛍の同意がある場合に限る。

「えっ…は、破棄って…?」


「この『密約』については、俺達も知っていた…かなり前からな。」
「とっくに果たしたと思い込んでましたけど…まさか未だだとは。」

山口の一寸法師作戦を聞いて、何故お前がそんなことをしたのか推理…
どうやらあの『密約』を果たせず、一人で勝手に焦ってんだろうな~って。

そこで、山口君達が帰った後、両家の皆様とお話し合いをさせて頂きました。
『密約』の中で、明確ではない部分を確認したり…イロイロとね。
その結果を山口君にお伝えすることが、俺達が受けた本件最後の依頼です。


「約束の期限は『10年後の誕生日』って言ってたけど…『誰の』だ?」
「えっ!?それは、約束したのがお小遣い日…10月頭だったから、
   時期的に一番近い、ツッキーの…だから、もう過ぎちゃったな~って…」
「おや、俺は山口君のだと思ってましたよ…まだだいぶ先ですよね?」

もうこの時点で、密約の期日は実に曖昧で確定してない…
期限が到来したとは到底言えず、まだ十分『間に合う』んだよ。


「さらに、密約の内容に関しても…随分と認識に差がありました。
   もし期限までに果たせなければ…どうするんでしたっけ?」
「ツッキーの影から出て、俺は俺の道を生きること…」
「山口は山口の道を生きる…お前一人で生きろとは言ってねぇな。
   つまり、ツッキーと『別の道』である必要もない…だろ?」

記憶力が良過ぎる弊害…それは、一旦記憶したものが変化しない、という点だ。
自分が思い込んだだけのものや、事実誤認したものを、そのまま記憶し続ける…
記憶に捕らわれ過ぎてしまい、精確な検証を怠ってしまいがちなのだ。


「いくら記憶力がズバ抜けてても、それだけじゃ…大して意味がないんだ。」

山口は『密約』の文言…会話内容を、一字一句完璧に記憶していただろうが、
その文言が意味することをきちんと考えないまま、ただ単に記憶だけしていた…
文言のウラを読んだり、別の可能性を考慮してこなかったんだ。

「記憶するだけなら、機械の方が正確…補う方法はいくらでもありますよ。」

山口君の本当の凄さは、記憶力ではなく推理洞察力…でも、それを活かすには、
俺が依頼者から話を引き出したり、月島君が裏付けの情報を得て整理したり、
それらを基にして、黒尾さんが相手方等と交渉したり…
そういう力も揃わないと、記憶だけなんて使い途があまりないんですよ。
暗記してテストを受ければいい学生や、資格試験マニアじゃないんですから。


「というわけで、赤葦の誘惑改め『自主的自白強要』と…」
「黒尾さんの『問答無用強談判』で…カタをつけました。」

期限も内容もはっきりしねぇ密約…ただの『口約束』なんか、無効だよ。
大体、『ツッキーの意思』が全く欠如している点が、俺は気にくわねぇし。

ですが、契約としては無効でも、親御さん達が守ろうとしたモノや真意も、
絶対に無視はできない…とても大切で、あたたかい『キモチ』です。

「だから、『ツッキーの同意を得て密約を破棄』…ってことにしといたよ。」
「山口君の誕生日までに、月島君としっかり話し合いをする…いいですね?」

つまり仙台に…『密約』が守れなかったと、両親達に謝りに行く必要はねぇよ。
もう曖昧な口約束…『密約』の記憶に、がんじがらめにならなくてもいいんだ。

焦らず逃げず、ちゃんと自分のキモチに向き合って…月島君に伝えて下さいね。
その上で、二人でどんな道を生きていくのか、一緒に決めればいいんですから。



「黒尾さんっ、赤葦さん…っ!」

感謝という言葉では到底足りない、二人への熱いキモチ…
それを何とか伝えようと、俺は真横にいた赤葦さんに、思い切り抱き着いた。

抱き止めてくれる赤葦さんの腕。頭を撫でてくれる大きな黒尾さんの手。
ツッキーだけじゃなくて、俺はもっとたくさんの人に…守られている。
そのことを痛感した俺は、はばかることなく…思うままに涙を流した。


「記憶の『憶』と言う字は…」

触れた体温を通し、優しい声が体に響いてくる。
その心地良さに身を預けながら、静かに耳を傾ける。

『心』…心臓の象形(立心偏)と、
『意』…取っ手のある刃物と音、そして心臓の象形から、
『言葉になる前の思い』という意味の文字だそうだ。

つまり記憶とは、言葉として未だ出していない、心の中にある思い…
『キモチ』が積み重なったものだということになる。

「『記憶』のままじゃあ、相手に『キモチ』は…伝わらないんだよ。」
「積み重ねてきた思い…ちゃんと言葉にして、相手に伝えましたか?」


二人に指摘されて、俺はようやく…重大なことに気が付いた。
俺の『キモチ』を、ツッキーに伝えたという『記憶』は…一切ない。

「俺、ツッキーに…『好き』って言ったこと…なかったかもっ!!?」
「それでは…伝わるわけないですね。」
「…記憶力云々以前の問題だったな。」

これだけ大騒ぎを起こしておきながら、結局は…こんな初歩的なオチだった。
3人はお互いに顔を見合わせ、脱力と共に腹を抱えて笑い合った。


「あ~ぁ、残った問題と言えば…俺がちゃんと『キモチ』を伝えたとして、
   それがツッキーに届くかどうか…最難関の大問題ですよね~」

相手はあのツッキー…他人のキモチにとことん無関心で、
10年以上『べったり♪』な俺のことも、ただの『幼馴染』としか見てない…
変化を嫌うツッキーに『特別視』してもらうことなんて、できるでしょうか…?

はぁぁぁぁ~~~と、重いため息をつく山口に、黒尾と赤葦はキョトン顔…
そしてポンポンと背を叩き、やや呆れ返った声で答えた。

「『異質』な部分をひっくるめて、山口を『普通の幼馴染』と言い切れる…」
「もうそれだけで十分『特別視』だと…俺達は思ってしまうんですけどね。」


とは言え、長年想いを募らせた相手にキモチを伝える…『告白』するのは、
積み重なった記憶の分だけ、とてつもない勇気が必要でしょうから…

「上手くいく『おまじない』を、山口君に教えてあげましょう。
   方法は実に簡単です。こうやって…」

赤葦はピンと小指を立てて黒尾の前に差し出すと、黒尾もそれを真似し…
赤葦は黒尾の小指に、自分の小指をそっと絡めて、微かに上下させた。

「隣で寝ている相手と『指切り』…あなたと結ばれますように、って。」
「そうすると、翌朝『おはよう』の後にキモチを伝えると…成就する。」


「え…それだけ…?」

あまりに簡単…しかも非科学的な『おまじない』に、山口は半信半疑。
だが黒尾も赤葦も自信満々に「絶対叶うから。」と、胸を張って太鼓判。

「お前らは大国主と少彦名…おまじないを司る『禁厭(きんよう)』コンビだ。」
「それに、今日は山口君の定休日…目覚めた明日の朝は、何曜日でしたっけ?」

俺の定休日は、木曜。明日は…

「うわぁ…何だか叶うような気が…してきちゃいましたよ~!」


山口はスッキリ晴れやかな笑顔で、黒尾達に再度抱き着いた。
そして、二人が絡めていた指に、自分の小指も一緒に絡ませ、大きく振った。

「明日朝『おはよう』の後に、キモチを伝えること…お二人に約束します!」
「おう!…頑張れよ。」
「健闘を…祈ります。」

   本当に…ありがとうございました。
   お二人とも、大好きです!

山口は大きな声で感謝と愛情を伝え、ペコリと頭を下げて部屋から駆け出した。



「見事な…ペテン師ぶりですね。」
「お前も…良い勝負じゃねぇか。」

山口のキモチ…伝わるに決まってる。
ツッキーは俺達にこうも言ってた…
「山口に正式に交際を申し込みたいが、どうしていいか解らない」のだ、と。

それが、3日間帰れなかった理由…月島が悩んでいたモノの『核』である。


謝罪や賠償ではなく、筋を通そうとしている事実を、俺達は知っていた。
結果を知った上での成功確約など…ペテン以外の何物でもない。

例の『おまじない』だって、よく考えてみれば、成功はほぼ確定的なのだ。
隣で寝ている相手と指切り…『隣で寝ている』時点で、ただならぬ関係である。
咄嗟に思い付いたにしても、かなり酷い大嘘…一寸法師の計略が可愛く見える。


「これで、今回の『W喪失事件』も、全て解決…全依頼を完遂致しましたね。」
「寝てる間に…記憶喪失中に全て上手くイった、ツッキーの一人勝ちだよな。」

ま、これはツッキーへの誕生日プレゼントみてぇなもんだから、良しとするか!
山口にこれでもか!ってぐらい好意を寄せられて…羨ましい限りだよな。

「今回も絶妙な裏工作…お疲れさん。」
「華麗な口八丁も…ご苦労様でした。」

絡めていない方の手を高く掲げて、バチン!とハイタッチ…仕事完了だ。
やっぱり俺達『猫と梟』は最強コンビだよな!と、視線を交わして再確認した。



「ところで、この『おまじない』がホントに効くとしたら…どうする?」
「その真偽について、これから一緒に検証してみるのも…アリですよ?」


絡めた小指を微かに引き合いながら、二人は事件の幕を引いた。





- ⑤へGO! -





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※山口→月島のテーマソング
   BONNIE PINK 『Surprise!』


それは甘い20題 『04.おはよう』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。


2017/10/19   

 

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