空室襲着②







今日は予約のお客様もいらっしゃいませんし、梟よりも閑古鳥が鳴く平日…
俺の方は臨時休業にして、猫の特別営業日にしましょう。

そう言うと、梟マスターこと赤葦は、扉向こうの店名が書かれた木札を外し、
黒猫のシルエットに『散歩中』の文字が書かれた、別の札に掛け換えると、
ランタンの光量を落とし、静かに扉の鍵を掛けて戻って来た。

じゃあ、ゆっく~りchat…閑談するか。
猫マスターこと黒尾は、本日の依頼者・月島と強引に肩を組みながら、
猫の『寝床』…密談スペース手前の、小さなソファ席にどっかり腰を沈めた。


月島はソファの奥へ…壁と黒尾に挟まれてしまい、横には動けなくなった。
更には、目の前のローテーブルに、見るからに高そうなグラスと酒が並べられ、
それらを挟んだ向かい側に、ふふふ…と笑顔を湛えた赤葦が陣取った。

「こちらのブランデーは、レミー・マルタン社の最高級品『ルイ13世』です。
   ルイ13世と言えば、9月27日がお誕生日…おや、誰かさんと同じですね。」
「僕のお誕生日祝いですか?それはそれは、わざわざありがとうございます。」
「んなわけねぇだろ。この瓶、バカラ製のクリスタルガラスでできてるんだ。
   素敵なお兄さんやお姉さんがお酌してくれる店だと…100万コース確定。」

ちなみに、当店でも『そこそこ』のお代を頂戴致している逸品ですし、
仕入値も20万は下りませんから、破損等にはくれぐれもご注意下さい。
もし月島君がテーブルを越えて、脱走等の『粗相』を致そうもんなら…ねぇ?

つまりこれは『超高級バリケード』…さすがは狡猾参謀。前にも逃げ場がない。
僕は完全に『袋の鼠』状態で、猫と梟に囲まれてしまったことになる。
これ…とてもじゃないが『お客様』扱いとは言えず、むしろ尋問じゃないか。


「今の月島君には、ブランデーの味なんか、わかりっこないでしょうから…」

代わりと言っては何ですけど、同じバカラ製クリスタルガラスのロックグラス…
(こちらは2万円程度のものです)
これに裸麦を使用した美味しい麦茶を入れて、どうぞお召し上がり下さい。
まるで『ルイ13世』を頂いているような『気分』を味わえるでしょう?

ダウンライトの光を乱反射させる美しいグラスに、透明度の高いロックアイス。
高品質とは言え、ただの麦茶なのに…何だかほろほろと酔いそうな気がする。
酒器とムードも、お酒を美味しくするためには必須の条件なんだろう。

「赤葦さんが真横でお酌して下さると、なお『ムード満点』でしたよね。」
「指名料は絶対にまけてやらねぇぞ?」
「と、ウチの黒服が申しております。」

梟マスターの淫靡な色香にあてられ、ふらふらと誘引されようもんなら、
黒服を着た恐ろしい…黒猫の番犬?に、手痛い『お仕置き』をされてしまう。
『マスター絶対不可侵』…これが、このバーの不文律である。


そしてもう一つの不文律が、『特別顧問に挑むべからず』というものだ。
ガードの固い梟マスターが駄目なら、優しくて可愛い山口クンを…とばかりに、
不埒なオトナが「ご馳走してあげる♪」と、不毛な試みを一度は行うのだが…
『二度目』に挑む者は、今のところ誰一人として現れていない。

そんな不文律を知らない猛者(馬鹿)が、山口に挑み…僕は巻き添えを喰らった。
それが、僕達の現状を引き起こした『元凶』である。

壮行会と言う名のOB会の日、まるで成長していない日向と影山が、競争開始。
僕達は最初、二人からできるだけ離れて関わらないようにしていたのに、
デキ上がっていた西谷さんと田中さんに煽られ、変人コンビに喧嘩を売られ、
流れ的に『同期飲み比べ大会』に発展してしまったのだ。


「完全なる負け戦…あの二人も、あいかわらずお馬鹿さんですね。」
「我らが『特別顧問』殿の正体…あいつら、まさか知らねぇのか?」

かの八岐大蛇も平伏すしかない、酒の神バッカスに寵愛されし存在…
少なくともこの街には、山口君よりお強い人はいません。えぇもう、確実にね。

神レベルの酒の強さに加え、どんな無茶で我儘な依頼者の話も、聞き続ける…
長年の鍛錬(環境)による『聞き上手』の才は、まさに『癒し』の申し子だ。

「さすがはツッキーの幼馴染だよな。」
「我儘と無茶ぶり耐性も、神級です。」
「日向影山と、月島父兄の扱いに関しては、山口の右に出る者はいません。」

我が幼馴染ながら、厄介極まりないウチの父さんや兄ちゃんを上手く操縦し、
日向影山の変人コンビすら、掌の上で軽く転がすとは…なかなかの傑物だ。

…って、何故か僕が得意気になってしまったが、
黒尾さん達も「まぁ、それも…一理あるよな。」と同意してくれたから、
これは山口に対する一致した評価…『共通認識』ということだろう。


「それで、負けず嫌いの月島君も、売られた喧嘩をお買い上げしたんですね。」
「ツッキーもあいかわらず…プライドを持てって、檄を飛ばされたんだっけ?」

そう言えば、そんな青春の1ページもあったような…実に懐かしい記憶だ。
僕の胸倉を掴み、必死に檄を飛ばす山口の姿は、グっとクるぐらい可愛かっ…
ん?ちょっと記憶が改竄(美化?)されてるような…いや、気のせいだ。

今語るべきことは、一生の想ひ出…高校時代の甘酸っぱ~い記憶ではなく、
一瞬でも早く思い出さねばならない、痛辛く失った記憶の方だ。


週3ペースで、美酒や周辺知識の『英才教育』を、心身共に受けているから、
年齢不相応な程、僕自身もお酒には強い方…割と自信があったのに。

「意識をトばすぐらいの泥酔なんて…生まれて初めてでしたよ。」

多種多様な酒を味わい、質量共に訓練を積んでいるはずなのに、
ビールと角ハイとハウスワイン程度で、何故か記憶を失ってしまった。

「赤葦さんに日夜鍛えられているのに…無様な姿を晒して申し訳ありません。」

何となく謝罪してしまったが、赤葦さんは「仕方ありません。」と笑った。
この人は、ただ微笑んだだけでも香り立つ…それも『仕方ない』のだろうか。
いつもはカウンター越しの『真横』から見ているが、今日は『真ん前』から…
常連達が梟マスターの虜になる理由を、本能的に察してしまった。


「俺はプロ…お客様を悪酔いさせるさせるようなことは、絶対にしませんよ。」
「居酒屋と違って、赤葦は良質の酒しか出さねぇ…酒以外には酔わせるがな。」

ココと同じ感覚で、安価な酒を飲んでしまったら…そりゃ悪酔いしますよ。
特にお安いワインには、亜硫酸塩が添加されていて、肝臓に負担が掛かります。
それに、月島君は居酒屋仕様の強い炭酸とは、あまり相性が良くないですから。
しかも、飲み比べ…『利き酒』ではない量だけの競争なんて、愚の骨頂です。
お酒に対する冒涜ですし、そんな教育をした覚えはありませんよ?

「それで、ツッキーはグデグデに酔った勢いで、日頃の隠れた欲望を暴発…
   いつもは絶対にヤらないような激しいプレイを、山口に強要しちまったと。」
「あの柔和で月島家耐性が異常に強い山口君でさえ、参ってしまうプレイ…
   しかも、起きた月島君自身がビビって逃げる程の惨状って、犯罪ですよね。」

泥酔した挙句、無理矢理襲って過激プレイを強要したくせに、
起きたら「全く覚えてません。」どころか、ヤり逃げ…サイテーですね。

「いくら長年連れ添った幼馴染でも、記憶がなくても…到底赦されませんね。」
「よって、山口に代わって俺らが…ツッキーに『お仕置き』させて貰おうか。」


じりじりと笑顔で距離を詰める、黒尾と赤葦。
月島は真っ青な顔で全身を震わせながらも、必死に弁解を始めた。

「ちっ、違いますっ!!著しい『事実誤認』がありますよっ!」
「言い訳は聞きたくありませんね。」
「大人しくお縄を頂戴しとくんだ。」

あぁ黒尾さん、どうせなら『ステキなお縄縛り』の月島君を、山口君に贈呈…
普通の『恋人同士』ではなかなかできないような夜を、お返ししてみますか?

「だからっ、違う…っ!僕と山口は…」
「たとえ夫婦や恋人間でも、DVや強姦罪…強制性交等罪は成立するからな?」
「従順に山口君を待ってたように見えましたが…もしやただの束縛でしたか?」

本物の怒気を孕みながら、満面の笑みで尋問を続ける、マスター達。
このままだと、冗談抜きで『お仕置き』されてしまう…誤解されたままで。
僕が『お仕置き』されるのは仕方ないことだけど、どうせヤられるのなら、
誤認ではなく、正当な罪状と量刑でないと…納得いかないし、反省もできない。

「違うって言ってるでしょっ!僕と山口は、こっ、恋人なんかじゃない…!
   そういう『お付き合い』をしたことなんてない…普通の『幼馴染』です!」


「…は?」
「…へ?」

怒気も何もかも、『ぽかん』と抜けきった表情で、完全に固まるお仕置き部隊。
二人からの圧力が緩んだ機を逃さず、月島は『事実誤認』について論述した。

「何故僕と山口が、こっ恋人…だなんて誤解したのか、理解に苦しむんですが…
   家族ぐるみで仲が良いことは確かですけど、僕達はただの『幼馴染』です。」

だから、大事にすべき恋人を、酔った勢いで無理矢理…というのは、誤りです。
そんな『人でなし』な行為は、断じてヤっていないと言い切れますから。
僕がヤったことは…ヤったと思しきことは、何らかのアクシデント等により、
山口の…童貞?処女?を、奪っちゃったかも???という…可能性です。

本来なら、『一生の想ひ出』になるはずの、『童貞喪失』という儀式なのに、
そのステキな記憶をすっかり忘れてしまったことが、山口に申し訳なくて…
でも、忘れたからといって、ヤってしまったことの責任は、消えはしません。

ですから、山口と僕の童貞(と記憶)を喪失した責任をキッチリ取るべく、
山口に、せっ正式に、こここっ、交際を申し込もうと…思ってるんですが…
ナニをどうすればいいのか解らず、完全にパニックに陥ってしまったため、
衝動的にその場から逃走した…これが正しい『事実』です。


「というわけですので、僕と山口が上手くイくように、何とかして下さい。
   差し当たり、事件名は『W喪失事件~月山編(仮題)』でいかがですか?」

僕が喪失した記憶を取り戻し、再度童貞喪失の儀式を執り行う…
それが、僕からお二人への『依頼』内容ということになります。


ようやく正しい事実と依頼内容を説明できた月島は、安堵のため息をついた。
すっかり暴露して、スッキリ…専門家に相談しただけで、気分が軽くなった。
独りで悩みを抱えず、誰かに(できれば専門家に)相談しろとはよく言うが、
本当にその通り…同性婚&離婚のスペシャリストに話して、ホっとした。

肩の力を抜いて、美しいグラスに入った麦茶を、ゆっくりと飲み干す。
あぁ、本当に高級ブランデーのように、まろやかで美味しい…
月島がのんびり茶をシバいていると、いつの間にか静かになっていた店内に、
マスター達の震える声が、久しぶりに響いてきた。


「確認しますが…月島君達は、本当にただの『幼馴染』だったんですか?」
「そうですけど?どっからどう見ても、それ以外の何物でもないですよね?
   僕と山口に関する誤った認識の下、勝手に判断するなんて…酷いですね。」

「それで、ツッキーは童貞喪失に関する記憶喪失になっちまった…のか?」
「つまり、喪失事件が『強要』か『合意』かは、現時点では不明…
   僕を『お仕置き』するには時期尚早…未だ執行猶予期間ということです。」

全く、依頼人の話もちゃんと聞かずに、一方的に僕をサイテー扱いするとは…
最低限必要な『事実認定』を怠るなんて、プロとしてあるまじき行為ですよ。
自分の勝手な『思い込み』が、さも皆の『共通認識』だと勘違いする…
これがいかに危険なことか、お二人なら十分わかっておいででしょう?


「要するにツッキーは酔った勢いで、恋人ではない山口の童貞を喪失させ…」
「その大切な記憶も同時に喪失し、ヤり逃げした…ということになります。」

   やっぱりお前…サイテーじゃねぇか!
   とりあえず一発ずつ…お仕置きです!

黒尾と赤葦は、ソファでリラックスし始めていた月島からグラスを取り上げ、
「余計に悪いわっ!」と…厳しめの『ツッコミ』を同時に御見舞した。




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ホントーに、信じられませんっ!初めての相手を、ヤり逃げするだなんて…」
「大事な大事な『一生の想ひ出』を…童貞喪失の記憶喪失とか、有り得ねぇ!」


月島が解決を依頼した『W喪失事件』…
その捜査開始直後から、依頼人であるはずの月島は、大説教を喰らい中である。
当然その場に正座…柔らかいが狭いソファの上は、長い脚にはかなりキツい。

「そもそも、そんな大切な『想ひ出』を忘れることなんて…可能なんです?」
「強烈な印象となって残るはずなのに…童貞喪失って、『一大事』だよな?」


『童貞』とは、現在では『性交未経験の男性(またはその状態)』を表すが、
元々はカトリック教会の修道女という意味で、聖母マリアを示す言葉だった。
宗教的意味合いが薄れ、『未経験』を表すようになったのは1920年代からで、
『婦人又は男子が幼児の純潔を保持し、未だ異性と交遊せざること』と定義…
男女の別もなく、人が持つ『所有物』という扱いだった。

「童貞っていう『人』を表すんじゃなくて、童貞という『状態』を示す言葉…」
「だから、まるでモノのように…童貞という状態を『喪失』と言うんですね。」

童貞が『人』を表す言葉になりはじめたのは1950年代以降で、
明確に未経験『男性』だけを指すようになったのは、1970年代からだそうだ。
現在でも広辞苑等は『主として男性』とし、男女双方を指すと定義している。


「童貞は恥かしい、さっさと『捨てる』べきっていう考え方・風潮は、
   この言葉の定義からすると、ちょっと問題アリな気がしますね。」

別に、処女絶対主義だとか、結婚までは貞淑を保て!なんて言いませんけど…
男の『初めて。』が軽視されすぎな点に関しては、少々疑問に感じます。
好きな人との『初めて。』が、特別な一大事なのは…性別関係ありませんよね。

いつの間にか、話は『童貞論』へ…
だが、茶化すような雰囲気は一切なく、至極真面目な考察に突入していた。


「童貞が無価値だって話になったのは、実は…裁判の判決のせいなんだよ。」

性交渉を拒んだ妻に対し、夫が慰謝料請求をした『童貞訴訟』の判決で、
女子の処女喪失と、男子の童貞喪失の社会的価値は、法律上同一に評価不可…
夫の童貞喪失に対する慰謝料請求を、裁判所は認めなかった。
つまり、崇高な純潔に比べて、童貞には法的に一文の価値もないと、
裁判所が認めてしまい…この頃から、処女と童貞の価値が乖離し始めた。

「童貞は『無価値』…まさか、裁判で法的に言われちゃってたなんて…」
「結構ショックですね…ま、現代だと違う判決が出るかもしれませんけど。」


女性に限らず、男性の童貞も、歴史的には『美徳』とされ、
20歳前に童貞でなくなることの方が、醜い恥だとみなされていたそうだ。
カエサルの『ガリア戦記』にも、遅くまで童貞を守る者が賞賛されている。

「童貞を守ると、背が高くなり、体力に優れ、筋肉が強くなると信じられ…」
「バレー部員は『童貞有利』ってことになる…強豪校は『童貞必須』だな。」

春高出場・全国制覇を目指し、日々鍛錬を続ける、バレー部員達…
日常生活と学校生活の大半を犠牲にしてまでも、バレーに情熱を捧げる3年間。
この『犠牲』の中には、他のスポーツと同じく、『恋愛』も含まれることに…

「『バレー推薦』のある梟谷は、入部資格に『童貞』を求められそうですね。」
「梟谷と同等に渡り合おうと、音駒も自主的に『童貞』を保持するだろうな。」
「全国?マジで言ってんですか?っていう烏野あたりは、フクザツですよね。」


恋愛と部活、どっちを取るか?…これも青春物語の重要テーマになるが、
全国捨てるか、童貞捨てるか?…こっちも物語的には、大変オイシイ素材だ。

「将を淫と欲すれば先ず馬並のアレをインさせろ…狡猾参謀が考えそうです。」
「それだと、試合には負けても、全然惜しくねぇな。結果…腹黒智将の勝利。」
「僕は一言も全国イきたいなんて言ってない…と開き直るヒラ部員が、一名。」

こんな風に何だかんだ言っても、結局最後の最後まで守り通すくせに…
3人はお互いの腹を探るように、視線をクリスタルガラスに乱反射させた。


「とにかく、『童貞は大事』という認識は…一致したと言っていいですよね?」

そうすると、やはり問題は…
そんな大切かつ強烈な記憶を、簡単にトばしてしまえるのか?という点です。
そして、ホントは意外とおカタくて真面目な月島君(と俺達)みたいな人間が、
『酔った勢い』で童貞喪失なんていう重大なコトを、ヤってしまえるのか…?

「そもそも童貞が、酔った状態で童貞相手にちゃんと最後までヤれるのか…?」

童貞ということは、カラダが覚えている『手続的記憶』も、当然持っていない…
無意識の内に、『つつがなく』ヤりきってしまうのは、非常に困難だろう。
月島・山口双方が童貞で、『手続』もわからない状態で無理矢理…となると、
翌朝の山口は、心身ともに深刻なダメージを受けてしまったことになる。

「それは…ちょっとおかしいです。恥かしそうにはしていましたけど、
   ツラそうな素振りもなく、むしろ幸せ溢れる空気に包まれてたんで…」

それに僕自身も…山口に対する『意識』には、大変革を起こしてはいたが、
不慣れな性交を行った後?にしては、二日酔い以外の身体的な変化や違和感は、
特に見られなかったような…『事後』がどんなカンジかは、知りませんけど。


「お二人の『初めて。』の時は…どんなカンジだったんです?」

特に他意もなく、参考までに『先人の記憶』を聞いてみただけなのだが、
店内の空気が一瞬で緊張感を帯び、ゴクリと喉を鳴らす音×2人分が響いた。

「そっそれは…記憶に、ありませんっ」
「そんなこと…教えて、やれねぇなっ」

黒尾と赤葦のたどたどしい答えに、月島は顔を歪め…正座を一気に崩すと、
気まずそうにしどろもどろする二人に、ここぞとばかりに反撃し始めた。


「あんなエラそうなこと言っといて、お二人揃って『一生の想ひ出』の記憶を、
   これっぽっちも覚えてない…『童貞は大事』が聞いて呆れますね!」

おやおや、これは実に奇妙ですねぇ~
童貞だったかどうかはともかく、二人ともが同じ記憶を喪失しているなんて…
一体どれだけ飲んだくれた挙句、二人で超ハッスルされたんです?えぇ!?
そうか…赤葦さんも飲んだってことは、『記憶中枢』は仮死状態確定…
黒尾さんは赤葦さんの意識混濁に乗じてイタしちゃった…準強姦ですよね?

「ばっ、馬鹿っ!んなわけあるかっ!」
「いっ、著しい『事実誤認』ですっ!」

真っ赤な顔で慌てふためき、先程の月島と同じような弁解をはじめる二人。
まぁ、僕も聞いて頂きましたから、そちらの言い分も聞きましょうか…と、
踏ん反り返りながら月島が言うと、黒尾からまたも似たような弁解が出てきた。


「なっ、何で俺達が同じ『初めて。』の記憶があるってコトになってんだ?
   俺が『教えてやれねぇ』のは、そもそもそんな記憶なんて…ねぇからだよ。」
「もともと存在しないから、『記憶にない』と、正直に言っただけですよ。
   くくくっ、黒尾さんと俺は、そういうカンケーじゃ…ありませんからっ!!」

この高身長と漲る体力、筋骨隆々としたイイカラダを見りゃぁ、一目瞭然…
カエサルに表彰されていいぐらいの、誉ある…童貞だよ。


「……えぇぇぇぇぇっ!!?」

天地がひっくり返る、とか、青天の霹靂というのは、こういうことだろうか。
まさかこの二人が、童貞…どころか、恋人同士でもなかったなんて…っ!?

「ちょっと待って下さい!童貞のくせにエラそうに…同性婚や離婚のプロ!?」
「病気じゃなくても医者にはなれる!行政書士資格に『実務経験』は不要だ!」

「じゃあ、赤葦さんに色目使って来る連中に、番犬の如く噛み付くのは…」
「はぁ!?番犬はツッキーの方だろ!?山口に妙な虫が付かねぇように…」

僕がいつ、どこで、山口の番犬にっ!?そんな記憶…全くないんですけど。
いや、今は僕のことは、とりあえず置いておいて…

「赤葦さんも、まだ童貞なのに、その卑猥なオーラだだ漏れなんですかっ!?」
「しっ、失礼ですね!純潔を保ってる俺を、猥褻物扱いなんて…酷すぎます!」

「純潔保ってバーのマスター…オトナな恋愛相談受けまくっていいんですか?」
「一滴も飲めなくてもバーテンダーにはなれますから。『未経験者可』です!」


このバーは、経験豊富な猫と梟が、愛に迷う依頼者を導く救いの場…
オトナでアングラで、目一杯『↓方向』な場所ではなかったのか。
猫と梟はラブラブな恋人同士…これが揺るぎない『共通認識』だったからこそ、
客達は腹を割り、『表沙汰』にできない悩みを打ち明け『仕事』を依頼し、
マスター双方を『不可侵』だと…これもただの『思い込み』だったというのか。

月島が呆然としていると、何故か猫と梟が臨戦態勢…腹を探り合っていた。


「心に決めた恋人が居ると…黒尾さんはおっしゃってませんでしたか?」
「言った記憶はねぇな。ただ単に…大絶賛『片想い中』ってだけだよ。」

「赤葦の方こそ、ずっと一緒に居たい人が居るって…常々言ってるよな?」
「その人と今現在も一緒に居るとは…一言も言った覚えはありませんね。」

「黒尾さんも、童貞かつ…フリー?」
「『も』ってことは、お前も…か?」

「………。。。」
「………。。。」

二人は『悲喜こもごも』といった複雑な表情を抱え、
安堵と脱力が混ざり合った、大きなため息を同時につき…顔を伏せた。


「ツッキーと山口が恋人ってのも、『共通認識』じゃなくて…」
「ただの『思い込み』…どんなにそれらしく見えても、です。」
「猫と梟のカンケーも、また然り…」

勝手な『思い込み』を通して見ていた世界…その認識で『記憶』されたことは、
実は『事実』でも何でもない…単なる個人の『思い込みの積み重ね』なのだ。

だからこそ、人に対する感情や、自分自身に変化が起こると、
自分に都合よく整理された『記憶』は、簡単にイメージを変え、改竄される…
人の記憶とは、実に曖昧で不確実なものであり、不変とは対極のものなのだ。
裁判等で『目撃証言』が錯綜し、内容が変遷してしまうのも、道理である。


「俺達、結構長い付き合いになりますけど…すぐ傍に居たにも関わらず、
   お互いのことについて…ほとんど何も知らなかったんですね。」
「『一寸先は闇』…たった3センチの距離でも、見えねぇことだらけだ。
   3センチ以下に見えた、ツッキーと山口も…同じなんだよな。」

そう…その通りだ。
僕も、山口のこと…実はそんなに知らないんじゃないだろうか。
『幼馴染』としての山口は、長い付き合いだから、よく知っているつもりだが、
『幼馴染』以外の山口の顔は…思い出せるほどの『記憶』が、見当たらない。
たとえ3センチ以下の距離に居ても、山口の中は…闇に包まれている。


「もしかすると…こういうケースだって十分考えられるぜ?」

俺達は今まで、『ツッキーが酔った勢いで山口の童貞を奪った』と思い込み、
話をどんどん進めて…誰一人、それが違う可能性を検証しなかった。
だが、山口がココの『特別顧問』に相応しい『経験者』だったとしたら…?

「不慣れかつ前後不覚な月島君相手も…問題ナシ、ですか。」

それどころか、月島君が全く痛み等を感じない程のテクニックにより、
月島君の方が、山口君に美味しく『頂かれた』という場合も…有り得ます。
山口君は帰京後も、普段通り出勤…とても『ヤり逃げ』されたとは思えません。


一寸先は…闇。
猫と梟の言葉に、目の前が真っ暗に…再び意識を失いそうになってしまった。
まさか、そんな…いや、底知れぬ才能を持つ山口なら、もしかすると…

ガクガクと震える月島を、しっかりしろ…と、黒尾は力なく支えた。
赤葦はよろよろと立ち上がると、ソファの隣…『猫の寝床』の扉を指差した。

「一寸は約3.03センチ。平均的な建具(ドア)の厚みと、ほぼ同じです。
   一寸先…ドア一枚隔てた向こう側のことは、全くわからないんですよね。」

ガチャリ…とドアを押し開くと、室内は真っ暗闇…誰もいない空室だった。
ただ入口付近に、誰かに襲われ、剥ぎ取られたかのように…上着が落ちていた。


「勝手な『思い込み』と、それに基づく『記憶』では…事件は解決しません。」
「3センチ先の闇を見て、お互いのことを知る…それしか、方法はねぇんだ。」

誰もいないはずの、一寸先の空室。
押し開いたドアの後ろの『死角』から、ふわりと影が動き…上着を拾い上げた。



「ツッキー…久しぶり。」





- ③へGO! -





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※童貞訴訟 →東京地判昭和26年2月9日
※襲着(襲衣・おそき) →上着のこと。


それは甘い20題 『02.3センチ』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。


2017/10/06   

 

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