結納愛悩







「本日はお忙しいところ、お役目誠にご苦労様でございます。
   目録どおり先様にお届け下さいますよう、何卒よろしくお願い致します。」

山口父は深々と頭を下げ、荷宰領を務める赤葦に、目録と鍵袋を手渡した。
赤葦はそれを恭しく受け取ると、目録に書かれた荷物…
紅白のリボンが掛けられたダンボール3箱を、車に積み込んだ。

それを確認した父は、荷宰領に『祝い膳』代わりの『酒肴料』を差し出した。
赤葦は一瞬ためらう素振りを見せたが、父の強い視線に促され、それを納めた。

「それでは、大切なお荷物…確かに目録どおり、お届け申し上げます。」

赤葦は玄関先に並ぶ山口家の面々に、再度頭を下げると、
荷物を積んだ車の運転席に乗り込んだ。


「…よし、完璧だ。さすがは赤葦君。」
「ひゃぁぁぁ~、キンチョーしたっ!」
「大丈夫!父さんもキマってたよ!」

山口家側の『荷物送り』…その一部始終を、母は撮影していた。
こんな面白いイベントを、山口家だけで楽しむのは勿体無い…
月島家にも是非見せたいし、『日本のしきたり』の資料として保存しておけば、
渡航先での研究(話のタネ)にも役立つはず…とのことだ。

「本来は、私達は荷宰領を送り出すのみだが…」
「『この先』も、めちゃくちゃ気になるんだよね~♪」
「というわけで、俺達も一緒にGO!」

我が家の車の保険は、『家族限定』だから…運転は僕がするよ~
そう言うと、山口父は運転席のドアを開け、赤葦は助手席へと回った。
後部座席に母と息子も乗り込み…全員で月島家へと出発した。


運転すること、5分足らず。
月島家の玄関前には、月島母と黒尾の二人が待ち構え、手を振っていた。
こちらも盛大に振り返し、玄関前に停車すると、山口一家は車から降りて離れ、
赤葦はもう一度運転席に乗り直し…撮影を再開した。

運転席から降りた荷宰領。
玄関前に並ぶ、月島母と仲介人・黒尾の前に立つと、きっちり礼をした。

「本日はお日柄も良く、誠におめでとうございます。
   私が名代として、山口家の荷物をお届けに上がりました。
   お改めの上、どうぞお受け取り下さいませ。」

荷宰領・赤葦は、目録と鍵袋を、仲介人の黒尾に差し出した。
「荷物の目録と、鍵袋でございます。どうぞお納め下さい。」

それらを受け取った黒尾は、赤葦と共に荷物を運び入れ、丁寧に口上を述べた。
「お荷物、確かに目録どおりお受けしました。幾久しく受納致します。
   本日はお役目、誠にご苦労様でございました。」

「それでは、こちらへどうぞ。」
月島母は、役目を終えた荷宰領と仲介人を座敷へ促し、茶菓子を振る舞った。
そして月島母は、仲介人と荷宰領に『祝儀』を手渡し、
二人は揃って「ありがとうございます」とお礼を言った。


「これにて、山口家から月島家への『荷物送り』の儀…全て完了だ。」
「見てるだけでも、何かすっごい…キンチョーしちゃった!」
「私も、手が震えて…お茶を零しちゃいそうだったわよ~」
「黒尾さん赤葦さん…ホントにお疲れさまでした~♪」

無事に儀式も(撮影も)終了し、黒尾と赤葦は顔を見合わせてホっと一息ついた。

「いやまさか、ここまで本格的にヤるとは…俺も予想してなかった。」
「黒尾さんに『衣装』を持って来て頂いて…本当に助かりましたよ。」

今朝、東京から仙台へとやって来た黒尾は、駅で赤葦と落ち合った。
赤葦が頼んでいた、スーツ一式を受け取り、儀式進行の打合せを行うと、
黒尾は月島家へ向かい、赤葦は山口家へと戻った。

黒尾はそこで月島父の依頼…『月島夫妻の仲介』という本来業務を終え、
そのまま月島家側の準備…預かった荷物を置く場所の確保や、茶菓子の購入、
そして家中のお掃除まで…ありとあらゆる『お手伝い』に奔走した。

「黒尾さん、今日は本当に助かったわ~
   ウチのお父さんよりも、ずっと黒尾さんに居て欲しいぐらいよ…?」
「こちらこそ、今日はありがとうございました。
   俺の方も今日一日、奥さんと楽しい時間を過ごせました…」

ウットリと黒尾を見上げる、月島母。
それに爽やかな笑顔で応える、黒尾。

ただならぬ雰囲気(?)を察した赤葦は、
二人の間に割り込んで両腕を広げ、頬をぷっくり膨らませた。
「だっ、ダメです!それじゃあ、月島のおじ様の仕事…失敗ですよっ!?」

「あらあら京治君、ヤキモチかしら?」
「赤葦くん、カワイイ~♪」
「見事なまでの惚気っぷりだな。」
「そうなんだよ~いつも二人はデレッデレで…俺達も見てて恥かしいんだよ~」

周りから盛大に茶化され、黒尾と赤葦は顔を赤らめて俯いた。
そして、黒尾は残ったお茶を一気に飲み干し、立ち上がった。


「お、俺はこの辺で、東京へ戻ります。次は明後日…『結納』本番ですね!」
それじゃあ赤葦…こっちのことは任せたぞっ!

ポンポンと赤葦の背を叩くと、黒尾は玄関へと向かった。
全員が見送る中、月島母が黒尾に何かをそっと手渡した。

「これ…宜しくお願いします。」
「了解しました。お預かりします。」

黒尾は月島母と『意味ありげ』な視線を一瞬だけ交わした。
それに目敏く気付いた赤葦は、「門のとこまで…お送りしますっ!」と、
慌てて靴を履き、黒尾と並んで一同に頭を下げ、玄関をあとにした。


パタン…と玄関扉が閉まった音を確認してから、黒尾と赤葦は門へ向かう…
と見せかけて、庭の方へ回り込んだ。

守秘義務がある以上、歩きながらお喋り…というわけにはいかないため、
二人は大きな松の下に隠れるように立ち、軽めの打合せを開始した。

「月島父の依頼…夫婦の仲介は?」
「預かったコレを渡して…完了。」

「明後日本番…結納のご準備は?」
「購入完了…って連絡があった。」

「明光さんの方は?」
「万事抜かりなし。」

「山口家は、明日渡航先への荷物搬出及び、不用品引取です。」
「明日には『もぬけの殻』になっちまうってことか。早いな。」

「引越手伝い任務完了後は、そのまま山口家仲介人として動きます。」
「頼んだ。山口家と月島母を、できるだけサポートしてやってくれ。」

テキパキと業務連絡を行い、適宜指示を仰ぐ。迅速かつ正確な仕事ぶりだ。
そしてここからは…家庭の連絡。

「明日は古紙・ダンボールの日だが…」
「納戸に雑誌が一束…お願いします。」

「冷凍ストックの豚バラ、使い切ったから…安かった肩ロースを買っといた。」
「助かります。そろそろ牛乳の期限が切れるんで…飲み干して来て下さいね。」

「他に何か必要なものがあれば、持って来るが…」
「俺の『コレクション』から、こちらのお酒を…」


赤葦は黒尾の胸ポケットに、折り畳んだ紙片を入れると、
その手を少しだけずらして、わずかに緩んだ黒尾のネクタイを直した。
「あっちこっちへ飛び回って、大変でしょうが…頑張って下さいね。」

黒尾も赤葦に手を伸ばし、肩に付いていた微々たる埃を、取り払った。
「お前も肉体労働続きだからな。無理しない程度に…気を付けろよ?」

ごく小さく、赤葦は黒尾のネクタイを引き、上を向いて目を閉じた。
黒尾は赤葦の肩を掃う振りをしながら、ほんのちょっと自分の方へ引き寄せ…

すぐにバっ!と引き離し、「よーし、ゴミは取れたぞっ!」と大声を出した。
その大声に飛び上がって驚いた赤葦…声も出せない内に、
黒尾は「じゃあ、また明後日な!」と、庭から全力で走り去って行った。


静かに振り向くと、庭に面した縁側のガラスに、月島母&山口一家…
ニヤニヤ笑いながら、張り付いていた。

「おしいっ!あとちょっとだったわ!」
「安心しろ赤葦君。『ラブロマンス風』にちゃんと撮れている。」
「僕と忠で、『それっぽい』アテレコを入れといてあげたから♪」
「荷宰領も仲介人も良かったけど、今のもなかなか『演技派』でしたよ~♪
   さっすが、『ごっこ遊び』のハマりっぷりは、熟練の技ですね~?」

何でこの人達は、人生の『一大イベント』を、ここまで暢気に…
『本題』すらやや忘れかけて、本気で楽しみまくっているんだろうか。
大マジに尽力しているのは、実は外野の黒尾さんと自分だけなんじゃ…?

どう考えたって、自分達の働きは、割に合わない気がする。
少なくとも、夫婦のイチャイチャを覗き見(撮影)されたり、
ネタにされまくって遊ばれるのは、任務『外』…絶対おかしいですよねっ!?


「それ…あとで俺に下さいねっ!」

恥かしさを誤魔化すため、赤葦は真っ赤な顔でそう凄んでみたが、
その姿すら、バッチリ撮られてしまい…顔を覆ってその場に小さくなった。


『あぁ、恥かしい…穴があったら、入れて欲しい…です。』
『頬を染めながら、京治は誰に言うでもなく、小さく呟いたのであった。』






***************





「黒尾君!見てくれたまえ、この…素晴らしい結納品の数々をっ!」
「父さんは、金出しただけじゃん。それよりも…俺の成果を見てよ~」
「兄ちゃんは口出しただけでしょ。一番頑張ったのは、僕なんだから。」


新幹線の中で仮眠したとは言え、移動の連続と肉体労働、そして軽い緊張…
疲労困憊で帰宅した黒尾は、玄関を開けた途端、猛烈な歓待を受けた。

私が俺が僕がと、我先に黒尾へ「見て見て!」と張り合う月島父兄弟…
黒尾は盛大に溜息を付き、「あーはいはい、わかったから!」とあしらい、
ずんずんと居間へ入り、どっかり腰を下ろした。

「3人共、ちゃんとイイ子してたか?」
「勿論だ。私はイイ子に決まってる。」
「父さんはワガママ三昧じゃん。」
「兄ちゃんがそれ言うの?」

何故だ…自分の家に帰ってきたはずなのに、物凄~く疲れるんだが。
いつから俺は、3人の子持ち…じゃねぇや、幼稚園の先生になったんだろうか。
とりあえず、言うべきことは…

「帰って来た人に、言うべきことは?」
「…靴はちゃんと揃えたまえ。」
「手洗いとうがい、してないよ~」
「お土産は?」

あーもうっ!違うだろっ!
手に持っていた紙袋とビニール袋(いわゆるお土産)を次男坊に渡すと、
「靴揃えて、手洗うがいして、風呂も浴びてくるから…晩酌の準備してろ!
   帰って来た人に、一番最初に言う『ごあいさつ』…もう一回!」

3人の『おかえりなさい!』の大合唱を背に受けながら、
重い脚を引き摺って、居間から出た。


黒尾が風呂から上がるのを、ちゃんとお行儀良く待っていた3人。
座布団に座ると、冷えたビールや、各種おつまみが座卓に並び、
「今日もお疲れさまでした!乾杯!」と明光が音頭…全員でグラスを鳴らした。

あぁ…染み渡る。
ようやく一息ついた黒尾が、一気に飲み干したグラスを置くと、
すぐさま月島父がお酌をしてくれた。
兄は兄で、お惣菜を取り分けてくれたり、弟はお土産を開けて配ったり。
若干のたどたどしさはあるものの、懸命に『お手伝い』する姿…微笑ましい。

何かこういうの…悪くねぇな。
黒尾はこっそり頬を緩め、『今日のできごと』を順番に聞き始めた。

「まずは…結納品の準備は?」
「衣装含め、全て買い揃えました。」
「家族書と親族書も、この通り…見てくれたまえ。」

月島父は、得意満面に家族書を広げ、黒尾にお披露目した。
家族(親族)書は、家族の氏名・年齢・住所・職業が記されているもので、
結納の際、結納品と同時に、両家が互いに交換する習わしとなっている。

几帳面に整った、素晴らしい文字。そして、羅列された華々しい…職業。
とても『ごめんなさい。』の反省文と、同じ人物が書いたとは思えない。

「次は…財産目録と遺言、養子縁組の書類は?」
「目録と遺言は概要のみだけど、今回はこれで十分だよね。
   養子縁組の方は、仙台戻り次第、ウチと忠の戸籍謄本を取ればOKだよ。」

この短時間で、これだけの書類を準備するとは…恐ろしいまでの仕事ぶりだ。
あとは、山口が縁組に承諾すれば、この書類に『証人2人』が署名して完成。

すっかり忘れかけていたが、この人達は本来、『とんでもなく』凄い人々だ。
家族・親族書に並ぶ、弁護士、検事、行政書士…目も眩むような法曹一家。
黙っていれば、長身イケメン。財産も地位も能力も高い、超ハイソな方々だ。

「黒尾君。私の頑張りを…正当に評価すべきではないのか?」
「そんなの、俺のが一番大変じゃん!まずは俺が褒められるべきでしょ~?」
「僕だって…僕だって精一杯やりましたから!負けてませんから!!」

その実態が…ただの幼稚園児×3とは。
いや、こんなのを上手く回す月島母と山口…こっちの方が『とんでもない』か?


まぁそれはいいとして、3人がちゃんと頑張ったことは間違いない。
そこはちゃんと、評価すべきだ。

「凄ぇじゃねぇか。冗談もお世辞も抜きで、完璧に『宿題』ができてるぞ。
   さすがは月島家の男達…『ヤるときゃヤる』トコは、カッコイイな!」

よ~し、偉いぞっ!よく頑張った!
黒尾が順番に『イイ子イイ子♪』と頭を撫でると、3人は満面の笑みを見せた。

口ばっかり達者で、不器用…そんなツッキーが可愛いなぁ~とは思っていたが、
今や、その兄と父までが、ちょっと可愛く見えてきた。

あぁ…間違いなく、疲れてるな。
疲れと共に、妙な思考も飛ばしてしまおうと、グイグイ杯を重ねるが、
疲れ故に、いつもより酔いが回り…このメンツが、何だか楽しくなってきた。
調子に乗って、どんどん新たな酒を開けてしまう。


「実は僕、『結納』のこと…あまり知らなかったんで、調べてみました。」
「ドゥ ユー ノゥ ユィノゥ?」
「アイ ノゥ ユー ノー!」
「オォ!ユー ノー ユィノゥ!」

何が何だかわからないが、とにかくひたすら楽しい。それだけは間違いない。
『奥様連中』が居ないと、ここまで男は箍が外れてしまう…という、
古今東西問わず、世の旦那様達にあまねく当てはまる状態が、コレである。

「うぇ~い♪」と、普段はおカタい職の4人が盛り上がる…
もしやこれが、ウワサのパリピ…いや、ただの酔っぱらいか。


「確か結納は、中国から伝わったしきたり…だったっけ?」
「『礼記』…四書五経の一つ、『礼経』の注釈書だ。」
「その中にある、『六礼(りくれい)』が由来だと言われてるんだ。」

西周の時代(紀元前11世紀~同8世紀)には、既に厳格な婚姻儀式があり、
漢の時代(紀元前3世紀~)頃に、6段階の婚礼手続として、六礼が完成された。

六礼は『礼記』の中の『昏義』という、婚姻に関する専門の章にあり、
納采、問名、納吉、納徴、請期、親迎の6段階が定められている。

「このうち、『納采(のうさい)』が、日本に取り入れられ、『結納』に…」
「皇室では今でも、『納采の儀』ってのがあったな。」

納采は、男性側が仲人を介して、女性側に礼物を贈り、求婚することだ。
女性側がそれを受け取ると、求婚承諾となる。
つまり、この納采即ち結納は、本来『婚約』のための儀式であるが、
両家では昨夏既に婚約…結納を以って、正式な結婚に代えることにしたのだ。


「待て。その『納采』が手続の『一番最初』なのか?」
「そうなんだよ。この後の流れは…」

・吉凶を占うために、女性の名や生辰(詳しい誕生日)を尋ねる『聞名』
・男性側が自宅の先祖位牌の前で占い、結果を女性側に伝える『納吉』
・占いの卦が良ければ、女性側に礼物を贈り正式婚約する『納徴』
・男性側が結婚式の日程を決め、女性の承諾を待つ『請期』
・新郎と仲人が女性宅へ出向き、花嫁の親と先祖祠堂に排謁。
   花嫁を花車に乗せて、男性宅へ迎え入れる『親迎』

「新郎新婦本人が出てくるの…最後の『親迎』だけじゃん。」
「婚姻は元々、『親主体』の儀式だったんだな。」

このように聞くと、『親が口を出す』のは仕方ない…とも受け取れるが、
現代の恋愛主体の婚姻システムには、六礼はそぐわないだろう。
だが、この儀式が全くの『時代遅れ』かと言えば、そうとも言い切れない。

特に結納金は、「相手方にお金を渡すなんて、『金で買う』みたい…」等、
極端に言えば、人身売買や男尊女卑のイメージで、嫌悪感を抱く人もいる。
愛し合う二人が、ずっと一緒に居たいと願って結婚するのに、
そこに親がしゃしゃり出て来て、相手方に大金を渡すという風習は、
二人の愛に『水を差す』ようにも、感じてしまう。

しかし、元々は白無垢や袴等、婚姻衣装を作るための生地を贈っていた。
それが後世になると、『小袖料』等の名目で金一封へ…
祝い膳の代わりに『酒肴料』をお渡しするのと、実質的には同じシステムで、
決して『嫁を金で貰う』等というものではないのだ。


こうして結納の歴史を紐解いてみると、
「大事なお子さんを我が家に嫁がせて頂き、ありがとうございます。」
「これで婚姻衣装を調えて、我が家にいらして下さい。」という、
相手方への感謝と思いやり…それが結納の本質であるとわかる。

「まさに、『誠意』…これが結納だ。」
「親が『結納したい!』って言う理由…俺、やっと納得できたかも。」
「結納は感謝の意…だから『礼記』に書かれた、大切な儀礼なんだね。」

昔からの『しきたり』だから。
それが『当たり前』だから。

そう言って思考停止することで、物事の『元々』や『本質』が見えなくなる。
『酒屋談義』の中で、何度も語り合ってきたことは、結納にも当てはまる。

「礼を尽くして、山口家への感謝…きっちり伝えよう。」
「月島家の全員で、忠(まごころ)をもって、忠を迎え入れなきゃね。」
「当日はビシっと…決めるから。」

一致団結する、月島父兄弟。
これなら大丈夫…きっと、上手くいく。


真の意味で『結納』を理解し、結束した月島一家。
それを眩しそうに眺めながら、黒尾は静かに日本酒を傾けた。
本当に、今宵は酒が…特別旨い。





***************





「これが、君達が愛してやまない『酒屋談義』か…」
「旨い酒を飲みながら、小さな疑問を追究し、考察を愉しむ…最高だよね。」

いやはや、この家は酒屋か?というぐらい、とんでもない酒の量だな。
まさか居間に業務用冷蔵庫や、ロックアイス専用冷凍庫まで…驚いたぞ。

赤葦君が『酒溺愛』なのは知ってたけど…酒器の数も半端じゃないね~
食器棚の8割が、グラスとぐい呑みとお猪口で占められてるんだけど。
君達ホントに、フツーの食事してる?飲んだくれてばっかりじゃないよね?

「俺、日本酒はあんまり得意じゃないんだけど、これなんか最高に旨いし♪」
さっすが赤葦君…セレクトが完璧だよ!もうすぐ、一升空いちゃうよ~?

「今日のは特に美味しいよ。僕にもおかわり頂戴。」
「私ももう一杯、頂こう。」


俺にも注いでくれ…とグラスを差し出しながら、黒尾はふと我に返った。

いつから俺達は、日本酒を飲んで…?
最初はビールで乾杯してなかったか?

黒尾は明光が小脇に抱える瓶を取り上げ、ラベルを確認…
その銘柄を見た瞬間、酔いも何もかも、全部吹っ飛んでしまった。

「おおおおっおい!この酒…」
「美酒と言うに相応しいな。」
「いっぱいありすぎて、どれがいいのかよくわかんなかったから、
   一番目に付くところにあった、『ピッタリ』な名前のを選んだよ~♪」
「どうぞこちらを…と言わんばかりの場所に、これ見よがしにありましたから…
   きっと僕達用に、赤葦さんが準備してくれてたんですね。感謝しきりです。」

月島家の言い分は、間違っていない。
この酒は、月島と山口のために、赤葦が前々から用意しておいたもの…
『持って来て下さい』と黒尾にメモを渡した、まさにその酒なのだ。
わかりやすいように、目立つ所に置いておきましたから…と言っていた。


黒尾は真っ青な顔で立ち上がると、声を震わせて3人に告げた。
「緊急事態だ。このままだと俺ら全員…赤葦に燃やされる。」

お前らの結納決裂どころか、俺らの婚姻破綻すら…充分あり得るぞ。
明日中に、何としてでも、同じ酒を手に入れなければ…っ!!

この世の終わりとでも言うような、黒尾の狼狽ぶりに、
冗談抜きで『危機的状況』だと察した3人も、一瞬で酔いが覚めた。

「え、まさかこれ…赤葦君の『とっておき』…だったりする?」
「まっ…マズいよそれは!兄ちゃん…僕達『終わり。』かもしれないよっ!」
「何だ何だ、京治君はそんなに…怒ると怖いのか!?母さんより怖いかっ!?」

慌てふためく3人に、黒尾は「それはちょっと違う。」と首を横に振った。
「怒られるから怖い、じゃねぇだろ。」

赤葦は、ツッキー達が正式に結ばれた時のために…って、
ずっと前からこの酒を準備し、これを振る舞う日を、心待ちにしてたんだ。
その場に相応しいお酒を出すことが、赤葦の喜びであり、生き甲斐なんだ。

「それを、俺の不注意で…またしても『台無し』にしてしまいそうなんだ。」

誕生日を教えていなかったばかりに、俺の『成人祝』を台無しに…
その時の赤葦の落胆ぶりといったら、今思い出しても肝が冷えるぞ。

「俺の失策で、俺が怒られるのは当たり前だ。燃やされても文句は言えない。
   心からの誠を捧げ、謝罪するのも、当たり前のこと…問題はそこじゃない。」

人が怒る理由の裏には、悲しみがある。
赤葦が大事にしてきた、ツッキーと山口への想いをズタズタにしてしまう。
俺は赤葦を…大切な人を、悲しませてしまうかもしれないんだ。

「相手を怒らせ、喧嘩する…仲直りするには、相手の悲しみを癒すしなかい。」
月島父には、俺の言ってること…痛い程わかるだろ?

そう言うと、黒尾は月島母から預かった手紙を渡した。
その手紙を読んだ父は、グっと喉を詰まらせ…深く深く頷いた。
「明日はギリギリまで、我々全員で手分けして、この酒を探し出すんだ。
   明光は仙台に先行し捜索…蛍は『メイン』の傍ら、都内で探すんだ。」


「万が一のことを考えて…これから『作文』するぞ!」

作文って、まさか…
燃やされた時のために、とか?

ゴクリと喉を鳴らす、月島家の面々。
だが黒尾は、「そうじゃねぇよ!」と言いながら、紙と鉛筆を取り出した。


「全員で…『反省文』の準備だ!」





***************





「ツッキー、今日もお疲れさま~」
『やっ、山口も…お疲れさま。』


昨夜はツッキーの方から電話をくれた。
一緒に住んでいると、『電話』することなんてほとんどない…
用事は大抵、メールで済ませてしまうから、何だか新鮮な気分だった。

電話越しのツッキーの声は、いつもより近くて、あったかい気がする。
本当は遠くにいるのに、耳のすぐ傍から…ずっと近くから声がするし、
その耳もスマホをあてている分、熱が籠ってあったかいんだろう。

でも、そういう理由だけじゃなくて、電話越しのツッキーは…ちょっと違う。
顔の見えない俺に対し、言葉を選びながら、真意を伝えようとする…
そのあったかい気持ちが、優しい声に現れてる気がする。
だから俺は、ツッキーと電話するのが、実は大好きだ。

こんなチャンスは滅多にない。
明日はツッキーもこっちに来るから、もう今晩しか…できないのだ。

きっと忙しくて、疲れ果てている。
それは十分わかっているけど、どうしてもツッキーの声が聞きたかった。


部屋に入り、机に向かう。
もうほとんど何も残っていない部屋を、できるだけ目に入れないように、
電気は点けず、壁だけを凝視しながら、スマホを手に取った。

電話のコール音が、真っ暗な部屋に大きく響き渡る。
その音が、ここを『がらんどう』だと実感させ…俺はギュっと目を閉じた。

『もっ、もしもしっ!?』
ようやく待ちわびた、ツッキーの声。
でも、その『もしもし』の一言で、俺は『違和感』に気が付いた。


「…何かあった?」
『えっ!?い、いや、何もないよ!実にスムースに事が回ってるから!』

スムース回っているのは、ツッキーの舌と…恐らく酔いだ。
それだけなら、月島父兄弟+黒尾さんの4人で『酒屋談義』を楽しんだ…
ちょっと(かなり)羨ましいな~という話で終わるんだけど…明らかに違う。

酔い以上に、目が回る程に、気が動転しまくっているのが、
電話越しとは思えないほど、ややハウリング気味にビシビシ伝わってくる。

『だだだっ、大丈夫だから!明後日の結納は…必ず、成功させるから。』

そんなに慌てふためいてるのに、大丈夫と言われても…無茶言わないでよ。
何があったんだろ?って、悪い想像がぐるぐる頭の中を回っちゃうじゃん。

何があったか、教えてよ。
そう言おうとした瞬間、あったかい声が聞こえてきた。

『僕を信じて…待ってて。』

山口を待たせるのは、これが『最後』だから。あと一日だけ、待って。


ツッキーの言葉に、どう答えるべきか。
正直俺は、迷ってしまった。
これまでも延々待たされ続けたし、ツッキーを信じるのは当たり前だ。

ツッキーは今、二人の幸せのために、(色んな意味で)走り回ってくれている。
それに、ツッキーを信じて待ち続けるなんて、俺は慣れているはずなのに。

それでも俺は、ここ数日の『激変』と、空しさが漂う部屋の空気に、
素直に「わかった。」と言えず…返事を躊躇ってしまった。

何も言えないまま黙っていると、さっきまでとはまた違う、軽やかな声がした。


『ねぇ、明日の夕方…駅まで迎えに来て貰える?』
「え?それは…勿論いいけど…」

突然の話題転換に、ぐるぐるとした悩みが遮断され、すんなり言葉が出てきた。
ツッキーも、電話の声から俺の心情を察知…機転をきかせてくれたんだろう。
そのちょっとした優しさが、空っぽになりかけていた心に、じんわり響いた。

『僕達二人で準備しなきゃいけないものがあるから…
   駅で待ち合わせて、買い物して、晩御飯食べようよ。』

そのっ、つまりっ、これはっ…
『恋人』としては最後の、でででっ、デートのお誘い…なんだけど。

『来て…貰える?』
「もももっ勿論!喜んで!!」

間髪入れず俺が「大歓迎!」を絶叫すると、ツッキーの笑い声…
つられてこっちからも、自然と笑みと…何故か涙が零れてきた。


「それじゃあ、また明日…おやすみ!」
『あぁ…おやすみ、山口。』

涙声を悟られないように、俺はすぐに電話を切って、時間を確認した。
もうすぐ日付が変わる…今日はもうダメだ。明日待ち合わせ前に、何とか…


「デートで着る服…買わなきゃ!!」




- 続 -




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※黒尾の成人祝を台無しに →『王子覚醒



2017/05/31

 

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