結便配達







「嘘、でしょ…?」

実家に帰省したのは、正月以来。
あの時は、そんな兆候なんて、何一つなかったのに…
たった5か月で変わり果てた姿に、山口は愕然…言葉を失って立ちつくした。
まるで、廃墟のような静けさ…一体山口家に、何があったというのだろうか。

「山口君、しっかり…」
同じように隣で息を飲んでいた赤葦は、真横で立ち竦む山口の手を引いたが、
山口はそれを振り払い、玄関に飛び込んで行った。

「父さん…母さんっ!!」
切羽詰まった声が、家中に響き渡る。
その震える山口の叫びに、赤葦は自分の心臓が共振するのを感じたが、
次の瞬間、その心臓が止まりかけた。


「あれ?君は…赤葦くん?」
「ひっ!!?」

自分も山口を追って入るべきか…と、真っ暗な玄関を覗き込んでいたら、
真後ろからいきなりポンと肩を叩かれ、場違いなまでの暢気な声を掛けられた。

「あっ、その…夜分恐れ入ります…」
「いらっしゃい~♪ゴメンね、ものすっごい散らかってるけど…」
あ、ちょっと待ってて。裏庭に先生がいるから、呼んでくるね~

「せんせぇ~!赤葦くんが来てくれたから…今日はもう終わりにしようよ~♪」

その声を聞きつけたのか、二階から転げ落ちるように山口が下りて来て、
グレーの作業服がやたら可愛い…山口父(相変わらず年齢不詳)に飛びついた。

「父さんっ!!父さんっ!!」
「あ、忠お帰り~♪」
どうしたの?今日は何だかすごい『甘えたさん』になってるじゃん。
もしかして、ホームシックになっちゃったのかな?
ゴメンね~そんな忠の『ホーム』が、こんなことになっちゃってて…

大混乱の山口は、父に抱き付いたまま…何から聞けばいいかもわからない状態。
とりあえず父の無事を確認し、涙を滲ませて安堵のため息を付いた。


「忠。赤葦君が見ている。」
「母さんっ!!」
「おかえり。」
「た…ただいまっ!母さん、これ…どうしたのっ!?」

またしても真後ろから音もなく現れ、違う意味で場にそぐわない冷静な声…
赤葦は再度、息の塊をひゅっと飲み込んで、ぎこちなく振り返って頭を下げた。

月島家の爆音交じりの乱入も困るが、無音で現れる山口家も…心臓破りだ。

「よく来てくれた、赤葦君。」
「あ、いえ…ご指名ありがとう、ございます…?」

この挨拶は、ちょっと違う…のか?
赤葦は自分で自分にツッコミを入れ、どうにか平常心を取り戻そうとした。
山口母は、そんな赤葦に表情一つ変えないまま、スリッパを出して中へ促した。


「客間は現在閉鎖中のため、こんな場所で申し訳ない。」
「今日も働いたぁ~冷たいの飲もうよ。あ、赤葦くんはお酒ダメなんだっけ?」
僕達はビールで、赤葦くんはお茶だね。
それじゃあ…カンパ~イ♪

通された場所は、台所。
おそらくダイニングテーブルがあったと思われる場所には、みかん箱が4つ。
座布団代わりに敷かれたダンボールに、どかりと足を伸ばして座り、
唯一残った家電…冷蔵庫から出した冷え冷えの缶を片手に、乾杯した。

「ぷっはぁ~、労働の後のビールは最高に美味しいよね♪」
「ホント、このために生きてる!って思っちゃうよね♪」

イェ~イ♪と、缶をぶつけ合う、父と息子…その途中で、息子は我に返った。


「そうじゃなくて、この惨状は…一体どういうことなのっ!?」
「見たまんまだ。」
「どう見ても、これは『引越準備』とお見受けしますが…?」
「そうなんだよ!もう大変でさ~」

先生は物欲とは無縁だから、引越先で不要なものはどんどん処分…
仕事はすっごい早いんだけど、なんにせよ一家族分だから、量が多くて。
っていうか、一番多いのは先生の蔵書…書斎と裏庭の倉庫だけで膨大じゃん?

「書籍の要不要の仕分けだけで、一週間…これから梱包作業に入る所だ。」
「それはそれは、お疲れ様です。」
昨夏、自分一人が引越すのだけなのに、蔵書の整理が大変だった赤葦は、
山口母の激務を心から労い…自分が指名された理由を、即時理解した。

「では、明日から俺は、その梱包を主にお手伝いすれば宜しいんですね?」
「あぁ。指令書はこれ…大変だろうが、どうか宜しく頼む。
   そして、忠への指令書はこっちだ。忠は自室の整理を最優先に。」
「了解であります、隊長っ!」

幼い頃からのクセ…『秘密部隊ごっこ』のノリで、恭しく指令書を受け取る。
山口母は、蛍と忠に楽しくお手伝いさせるため、
戦隊モノの隊長として、『任務』を与えていたのだが…
どうやらこの『ごっこ』は、『参謀』の心をギュっ!と鷲掴みしたらしく、
赤葦も山口と並んで、ビシっ!!と隊長に敬礼してみせた。

その姿に、山口隊長は満足気に頷き、横でニコニコ笑う父に視線を送った。

「じゃあ、僕から今回の任務について、ざっと説明しちゃうね~」

戦隊モノやゲームに、こういうふわふわしたキャラ…『妖精さん』がいたな。
ひょこひょこと揺れ動く触覚…もとい、クセ毛に触れたい衝動を抑えながら、
赤葦は静かに『妖精さん』こと、山口父の話に耳を傾けた。


「本件は、我々のアジト移転…山口家引越という、最重要極秘任務だよ。」
「訂正だ。極秘ではない。まぁ…忠にとってはそれに近かったかもしれんが。」

我々の隊長は、『もっとウエ』からの指令により、派遣先が変更されました。
というわけで、引越します~♪以上!

要するに、山口母の転勤に伴う引越…ということだろうが、
本当に『ざっと』しか説明しなかった妖精さん…赤葦は先生に説明を求めた。

「突然だが、転勤することになった。場所は現勤務先大学の姉妹校になる。」
前任者の退任により、急遽私に話が回ってきたのだが…快諾した。

「この話、本当は忠がデキる直前に来てたんだけど…その時は辞退したの。
   母さんの代わりに着任した人が、この度退任…今度こそ、母さんにって。」
「これは、私が長年望んでいたこと…ついにその機会が訪れた。」
だから、私は心から喜び、招聘を受けることにした。

「それは…おめでとうございます。」
「母さん、よかったね~♪」

自分のために、母は一度、夢を諦めた…そのことを敏感に感じ取った息子は、
母の夢が叶う機会が再来したことが、嬉しくてたまらず、
赤葦と父と共に、盛大な拍手を贈った。

「それで、任期はいつまで?どこまで行くの?東京に近い?」
もし首都圏なら、いつでも会えるね~
山口はそう笑って缶をあおったが、
返ってきた答えに、思いっきりビールを吹き出してしまった。


「任期は無期限。東京…成田経由。行先は北欧・スウェーデンだ。」

「えっ…はぁぁぁぁぁっ!!?」
「まさかの…海外ですかっ!?」





***************





「スウェーデン…ムーミンの国…?」
「それはお隣のデンマーク…スウェーデンは『ニルスの不思議な旅』です。」

完全に意識が北極圏まで飛んでしまった山口の代わりに、赤葦は詳細を尋ねた。

この度、山口先生念願の、海外の研究所への赴任が決まった。
任期は不定…少なくとも3年は確実で、いつ帰って来れるかは、全くの不明。
当然ながら、父も一緒に渡欧…息子も既に家を出ていることから、
自宅と土地は、明光に近い不動産屋に依頼し、処分することにしたそうだ。

着任はあちらの会計年度に合わせ、7月からなのだが、
この話が決まったのは、5月の連休前…非常に急な話であった。

おそらくゴールデンウイークには、蛍&忠は『イイ話』を持って帰省するはず…
そう思って悠長に構えていたら、その予想は外れ、音沙汰無しだった。
突然来た話に、膨大な諸手続に追われ、なかなか息子に話す機会もなく、
ギリギリになって、こうしてやむなく緊急招集をかけた…ということらしい。

「本来なら、連休中にしっかり忠と話し合っておきたかったのだが…」
「こんなにギリギリになっちゃって…ホントにゴメンね。」

乱入してきた月島父が、言っていた。
『いつまでも、親が居るとは…思わないでくれ。』…と。
その時の妙に重々しい空気と、明光の『らしくない』真剣さの理由は、
この山口家に生じた『特別な事情』があったからだろう。


「法的な手続は、明光君に手伝って貰っているのだが、
   大学の研究室と、自宅の引越作業に必要な『手』が足りなくてな。」
「赤葦くんには、事前に何も言わず本当に突然で…ごめんなさい。
   でも、赤葦くんになら、お任せできるかなって、僕達は思ったんだ。」
「いえ、お役に立てて光栄です。間違いなく俺が…適任です。」

こういった裏方作業には、かなり自信がある…まさに『本領』と言っていい。
山口夫妻がその任務に自分を指名してくれたことが、心から嬉しかった。

「実は、赤葦くんが『適任』なのは…引越作業だけじゃないんだよ。」
「むしろ本題は、こちら…『荷宰領』を赤葦君にお願いしたいんだ。」


聞き慣れない言葉の登場に、ふわついていた山口の意識も戻って来た。

「にさいりょう?って…何?」

この辺りの打たれ強さというか、精神的タフさは、さすが山口である。
その点を密かに感心しながら、赤葦も山口夫妻の話に傾注した。


「いくら私に物欲が乏しくとも、『棄てられないモノ』はある。」

それらの一部は、ずっと手元に置いておきたいから、あちらに持って行くが、
その全てを引っ提げて行く程の余裕もない…どうすべきか迷っていた。

この点を月島さんに相談したところ、月島家にて保管してくれることになった。
幸いあのお宅には、物置と言うのも憚られる、大容量の土蔵もあるし、
使用頻度の低い部屋も多い…有り難く使わせて貰うことにした。

「山口家にとって、大切なもの…アルバムなんかの『思い出』を、
   月島さんのところに、お願いしようと思ってるんだ。」
「それは正直、ホントに助かるね。
   俺の大事な『思い出』も…一緒に入れといて貰おうかな。」

俺のは、ツッキーの部屋の押入にでも、突っ込ませて貰えばいいや。
家族との思い出の他には、ツッキーとの思い出がほとんどだし。

そういうことなら、俺は俺で…置きっぱなしで上京以降使わなかった不用品は、
これを機にアッサリ処分しちゃうね。
どうしても大事なものだけを、ツッキーのところへ…その荷造りをするね~

オッケ~!万事了解だよ!
ニッコリと微笑む忠を、母と父は真剣な表情で見つめた。

「忠…これの意味、わかっているか?」
「忠が生まれ育った『実家』は、なくなっちゃう…
   忠が『帰る場所』としての『山口家』は、もう…なくなっちゃうんだよ?」

山口夫妻の言葉に、外野であるはずの赤葦が、グっと喉を詰まらせた。
自分の実家や、親が居なくなってしまうなんて…考えたことがなかったからだ。

もし自分が山口の立場だったら、自分の出自…拠り所が失われるように感じ、
とても「はいそうですか。いってらっしゃい。」と、すんなり言えない。
勿論、自分は既に結婚し、黒尾さんという『家族』がちゃんといるが、
それとこれとは、話が別…実家も両親も、自分にとっては大切なものだ。

赤葦はチラリと山口を見ると、山口はギュっと拳を握り締めていた。
そして、努めて明るい声で、はっきりと答えた。


「家も土地も…そんなもの、大した問題じゃないよ。
   実家がなくても、父さん達が外国に行っても…『山口家』はなくならない。」

俺が『帰る場所』は、山口家の『思い出』がしまってある…月島の家。
月島家だって、俺にとっては山口家と同じぐらい、『実家』っぽい場所だしね。

「これからは月島の家も、俺の実家で…俺が帰って良い場所ってことだね!」

山口の言葉に、赤葦は心を打たれた。
帰省した実家が、たった数ヶ月でがらんどうのような姿になり、
しかもあと少しで、『自分の実家』ではなくなってしまう。
それだけではなく、両親までも遠く北欧の地へ行ってしまうなんて…
外野であるはずなのに、赤葦は自分の方が泣きそうになってしまった。

こんな話、普通はすぐに受け入れられるはずはない…
それでも、両親を悲しませまいと、爪が食い込むほど拳を握りしめながら、
笑顔を見せる…なんて強く、なんて優しい子なんだろうか。

山口のために、自分ができることは何でもしてやりたい…
箱詰め作業から荷物運びまで、精一杯お手伝いをしよう。
赤葦がそう心に誓っていると、あることを思い出し…山口夫妻に向き直った。


「そうか、『荷宰領』…っ!成程、そういう『意味』…なんですね?」

夫妻は赤葦の確認に、コクリと頷いた。
赤葦は首を傾げる山口に、山口夫妻の意図するところを、丁寧に説明した。

「荷宰領(にさいりょう)は、ある大切な『引越』の儀式を仲介する人です。」

それが、『荷物送り』…
新婦の嫁入り道具を、新郎の家に運びこむ儀式である。
結婚式の前に、荷宰領は荷物目録と、鍵袋を預かり、新郎宅へ送り届けるのだ。

「山口家の『大切なもの』を、月島家にお送りする…
   これはまさに、『荷物送り』に他なりません。」
そして今後は、月島家が山口君の『家』となる…わかりますね?

「え…あ…っ!」

これは『両親が持って行けない荷物を預かってもらう』というだけの、
単なる『海外赴任&お引越』という話ではない。
その本質は、忠が『月島家』の人間になる…両親はそう言っているのだ。


「日本を出るにあたって、唯一の懸案事項は…忠のことだ。」
「去年婚約したとはいえ、まだ確約じゃない…『宙ぶらりん』だよね?」
僕達の勝手な事情で、急かしてしまうのは本当に申し訳ないんだけど、
どうか僕達を安心させて…送りだして欲しいんだ。

「安心って…つまり…?」
両親が何を求めているか、もうわかっている。
それでも、聞かずにはいられなかった。

山口母は、頬を染めて声を震わせる息子に向かい、親としての要望を伝えた。

「二人の結婚確定…これが望みだ。」

さすがに挙式をしろとは言わない。
それに代えて、両家で『結納』を執り行いたい…そう考えている。





***************





「そういうこと…だったのか。」
「山口の家が…なくなる…っ!?」


山口と赤葦が仙台に発った後、東京に残った月島と黒尾は、
月島父と明光から、山口家に起こった『特別な事情』について教わった。

全く予想していなかった話の内容に、月島は衝撃を受け…激しく動揺した。

「山口家が…そんな…」
「蛍がそんなに動揺してどうすんの。案外、忠の方がケロっとしてるかもね~」
「そうでなくとも、冷静な京治君が傍に居るから、忠君の方は安心だな。」

当事務所のメンツで、精神力(と酒の強さ)では右に出る者がいない、山口…
だとしても、目に見えない部分で、相当堪えているだろう。
そのショックを実感する暇がない程、引越作業に追われるという状況は、
実は精神的にはプラスに働く…多忙が悲しみを忘れさせてくれるのだ。

このことは当然、月島にも当てはまる。
自他ともに認める、障子紙より脆いメンタル…考える隙を与えてはいけない。

瞬時に策を練った黒尾は、茫然とする月島の背中を、やや強めに叩いた。

「こういう切迫した状況なら、俺達ものんびりしてらんねぇな!」


まずは月島父…あなたは今晩中に、『反省文』の書き直しだ。
そんなしょーもない夫婦喧嘩にかまけてるヒマなんて、これっぽっちもない。

「ここで下手打ったら、取り返しがつかない…山口家には、時間がないんだ。
   ツッキーも父と一緒に、山口家への誠意をどう示すか…必死に考えろ。」

『反省文』が出来上がったら、俺は明日の朝、仙台の月島家へ向かう。
そこで月島母と面談し…父との仲裁の件を、キッチリ片付ける。
そして夕方、月島家の仲介人として、山口家からの『荷物』を受け取る。

「黒尾君と赤葦君の二人で…『荷物送り』をしてくれるってことだね?」

明光の確認に、黒尾は「そうだ。」と頷き、話を続けた。


「『荷物送り』が終わったら、俺はすぐにこっちへ戻って来る。
   今度は、山口本人を月島家に迎え入れる準備に取り掛かる。」

明光さんは、俺が仙台に行っている間、
月島父の財産目録作成及び、遺言書の内容検討…一家の取りまとめを。

「正式なものは、後日ゆっくり作成すればいい…今回は、骨格だけで十分だ。」
「了解。それから…俺は養子縁組の準備も、進めておくよ。」

その間、父とツッキーの二人は、都内のデパートで必要なものを揃えるんだ。

「デパートで?何か買うものでも…?」
「『結納』の準備だよ。山口家にお贈りする結納品…セットで売ってる。」

結納で贈る品については、地域によってかなり差があるから、
父としっかり相談して、相応しいものを用意してくれ。
後は、結納時に山口家にお渡しする、『家族書』も書いておくこと。
それから、結納時に着る服…略礼装でいいから、なければそれも購入な。

次々に出される指示を、月島は慌ててメモに取り、天を仰いだ。
「凄い…やることが山積みだよ。」
「これでも少ない方だよ。挙式するわけじゃないんだから…」

何か質問は?と黒尾が尋ねると、月島父が挙手をした。


「黒尾君の計画は、よくわかった。私も精一杯力を尽くそう。
   だが…『蛍と二人きりの行動』に、若干不安があるのだが。」
「確かに!できれば黒尾さんも同行か…せめて兄ちゃんも一緒がいいです。」

月島父子の要請に、黒尾は目も眩むほどの輝く笑顔を見せた。

「そうか、そうか。山口忠は、俺と赤葦の養子にしよう。それでいいんだな?」

いくら仕事とは言え、お前らのために俺が東京-仙台間を何往復すると思う?
くっだらねぇ月島父子の戯言に、これ以上振り回されてたまるかよ。
そもそも、そんなガキみたいなこと言ってるような奴らの家に、
ウチの可愛いスタッフは…山口は絶対にやれねぇな。諦めろ。

「つーか、『月島父子の仲介』については、依頼を受けた覚えはねぇよ。
   そんな委任状は、入ってなかった…そうだよな?」

黒尾の言い分には、金箔すら差し挟む余地もない…何一つ言い返せない。
そして、闇の濃さを如実に表す、目映い笑顔に…喉が引き攣り、声が出ない。


「今晩より、月島の野郎3人衆は、3階の黒尾・赤葦家和室にて…合宿。
   3人で布団を並べて、山口の受け入れ態勢について話し合うんだ。」
俺はその間、2階の月島・山口家を使わせてもらう。異議は認めない。

「全ては可愛い忠のために。
   …この言葉を片時も忘れるな。」

黒尾の気迫に圧された3人は、『良いお返事』を返すしかなかった。
素直な『はい!』の合唱に満足した黒尾は、3人の頭を年齢順に撫でた。

「今から順に、入浴を済ませろ。その間に俺が…晩飯作っとくから。」
黒尾はそう言うと、ニカっと優しい笑顔を見せ、颯爽と事務所を出て行った。


「わ…黒尾君、カッコ良くないっ!?」
「この私も痺れるような…イイ男だ。」
「これぞ…『人タラシ』の真骨頂っ!」

月島家の野郎3人衆は顔を見合わせ、
「くろおせんせいのいうことは、ちゃんとききましょう。」と、
幼稚園児よろしく指切りをし、『おやくそく』し合った。





***************





「もしもし、僕だけど。」
『あ、ツッキー!お疲れ様~』


晩御飯の後、父さんは3階の黒尾さん宅で、ミッチリしごかれ中。
兄ちゃんは兄ちゃんで、やる事が山積みだからと、1階事務所に篭って作業中。
僕は黒尾さんが泊まる準備をするべく、休憩がてら2階の自宅に戻ってきた。

「ただいま。」

その言葉には、何も返ってこない。
おかえりっおかえりっ♪と、尻尾を振りながら走ってくる姿もなければ、
腕に飛び込み、頭を擦り付け…歓迎のキスも、勿論貰えない。
たった数時間で、ここまで状況が変わってしまうなんて…信じられない。


冷蔵庫のブーンという音だけが響く、真っ暗なリビングに入る。
何となく電気も点けずに、手脚を広げてラグに寝そべり、グーっと伸び…
ギシギシと悲鳴を上げる節々に、自分の疲れと強張りを自覚する。
ふぅ…と息を吐くと、その溜息が部屋中にこだまし、さらに疲労を痛感した。

  (こんなに広い部屋…だったっけ?)

広い上に、何だか寒々しくて、酸素濃度も薄いような気もするし、
寝転がっているせいか、いつもよりずっとずっと天井が遠く感じる。

カチ、カチ、カチ…

壁掛け時計の秒針が、部屋に響き渡る。
あの時計に秒針なんてあったのか…という、非常識な感想を抱いてしまうほど、
この部屋の静けさは、今まで経験したことがなかった。

  (あぁ、そうか。初めて…なんだ。)

この家に住み始めてから、いつも傍に山口がいた。
別々の部屋に居たり、事務所に居たとしても、同じ『家』の中…
山口の気配を、すぐ近くに感じていた。

「ただいま。」に、「おかえり。」がないだけで。気配が感じられないだけで。
こんなにも、ぽっかりと穴が空いたような空虚感…痛い程に『独り』を感じる。

山口の居ない家。
僕は今まで、どうやって『独り』を過ごしていたのだろうか?
どうやって…呼吸、していた?

息が詰まりそうになった僕は、思わず電話を手に取っていた。


『もしも~し?ツッキー?』
「…あぁごめん。聞こえてるよ。」

耳元に届く、いつもの明るい声。
『ツッキー』と、名を呼ばれただけで、全身から力が抜けてくる。
山口には聞こえないように、電話を少し離して、大きく深呼吸…
あぁ、もう…大丈夫。息の仕方は、とりあえず思い出せた。


『そっちはどう?おじさん達と、仲良くやってる?』
「今、黒尾さんの『御指導』受けてるとこだよ。僕はちょっとだけ休憩中。」

『俺も休憩中だよ~さすがに疲れちゃった、かな。』

っていうか、母さんの蔵書に感激した赤葦さん…意気投合しちゃってさ。
工学の話に花を咲かせてたら、途中から父さんとも『美しい配管図』だとか…
建築・工学3人組が、マニアックな話で大フィーバーしてるんだよ。
俺だけ『畑違い』で、全然話に付いていけなくて…部屋に上がってきたとこ。

「賑やかで…楽しそうだね。」
『うん。おかげさまで…』


…会話が途切れてしまった。

言うべきことは、たくさんある。
明るく振舞ってはいるけど、いつもより半音高く、ちょっとだけ早口だ。
隠し切れない…いや、『自覚未満』の山口の動揺が、僕には声だけでわかった。

それなのに、僕は山口に何と声を掛けたらいいのか、わからなかった。
僕が傍に居て、山口の支えになりたいけど…今それはできない。
ならばせめて、気の利いた言葉を掛け、山口を元気付けたいのに、
それすらも僕はできなくて…自分が情けなくなった。

山口の力になれなくて、本当にごめん。
そう謝ろうとした瞬間、向こうから声が聞こえてきた。


『ツッキー…ごめん。』

山口の『ごめん』ほど、耳慣れた言葉はないはずなのに、
僕は初めて聞いたかのように、その言葉の意味がわからなかった。

返す言葉を見つけられないうちに、山口はさっきよりも早口で、喋り続けた。

『山口家の事情に、月島家を巻き込んじゃって…ごめん。』

月島のおじさんが、俺を養子に…って突然言い出したのも、
全ては俺のため…俺が寂しい思いをしないようにって、考えてくれたから。
それがあまりにも急だったから、おじさんとおばさんがケンカしちゃったし。

それに、『荷物送り』だとか、『結納』だとか…いつの間にか決まってた。

『ウチの親の、勝手な希望なのに…ツッキーを振り回して、ごめん。』


山口の『ごめん』の理由を聞いても、僕には全く納得がいかなかった。
それどころか、怒りにも似た、熱を持った何かが沸き上がってきた。

僕はその熱の勢いを抑え切れないまま、電話口に捲し立てた。


「謝る必要なんて、ない。」

確かに、去年の夏に引き続いて、親達が勝手に話をグイグイ進めている。
僕達の意思はそっちのけ…流されるままに、『予約』が『確約』されそうだ。
でも、今回に限っては、それが悪いとは思わない。

「渡欧する山口の両親の希望を叶えたい…僕だって、それは同じ気持ちだよ。
   山口のおじさんおばさんは、僕にとっても『家族』同然なんだからね。」

結婚は、当人だけでするものじゃない…
特に結婚に関わる儀式には、『家族のため』という一面があると思う。
家族の意見や希望も尊重するのは、ごく自然のこと…謝る必要は、ないよ。
勿論、言いなりになるつもりはない…あくまでも『尊重』だけどね。

「僕は、大切な山口家のおじさんおばさんのために…急いでいいと思う。
   二人を安心させて、気持ち良く送り出してあげたいんだ。」


電話口に向かって…山口に向かって言っていたはずなのに、
自分が口に出した言葉に、自分の中で何かがストンと収まっていた。
まるで、憑物が落ちたように…悶々としたものが、スッキリ晴れていた。

周りの勝手な都合に流される?それでも…いいじゃないか。
今の幸せな毎日だって、去年の夏に流された結果なのだ。

親達が起こした渦だと思うと、その流れに逆らいたくなるけれど、
これはまたとないチャンス…二度とこない絶好の機会とも言えるのだ。

親への反抗心なんていう、くだらないものに囚われて、
大事なことを見失っちゃいけない。

山口とずっと一緒に居たい。
同じ家で…『家族』でありたい。
僕は僕の『家族』を、大切にしたい。

そのために、僕は…動かなきゃ。


「山口家と月島家、そして僕達自身のために…頑張るから。」

おやすみ、山口。

僕は最後にそれだけ言って、静かに電話を切った。
そして、自分がなすべきことをするために、リビングから駆け出した。




- 続 -




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※山口隊長との『秘密部隊ごっこ』 →『心悸亢進
※去年の夏のゴタゴタ →『五輪』シリーズ



2017/05/25

 

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