方形之地







(ん…お、重い…?)

少し腫れぼったい目蓋を押し上げると、ベランダから射し込む西陽に、
せっかくこじ開けた目を、また閉じかけてしまった。

(もう…夕方、ですか?)


一昨日は、一日中買い物を楽しみ、大量の『おつかい』を抱えて、ここに来た。

それから、まぁ…イロイロとあり、昨日の晩は、4人で『酒屋談義』を楽しんだ。
その後は、いつも通りここ(月島宅)に泊まり…昼前に一度起きたものの、
比較的『のんびり』と入浴及び発汗…案の定のぼせ上がってしまい、
風呂上りにバタンと布団に逆戻りしてしまった。

そんなこんなで、気付いたら日はかなり傾いていた…というのが、
三日前から現在に至る、ざっくりとしたあらましである。


(まさに文字通り…『食っちゃ寝』の生活ですね。)
…いや、正確には『食われちゃ寝』か。

この三日間、我が身に起きたことは、まさに『激動』というに相応しく、
きっと定年後に自叙伝を執筆した際には、『あの時が人生の転換点だった』と、
間違いなく書くことになるだろう。


そんな自分の人生を大転換させた張本人…起き抜けに感じた『重さ』の原因は、
上半身まるごと俺に覆い被さったまま、未だ起きる気配がない。
俺の頬と枕の間に顔を埋めて、気持ち良さそうに寝息を立てている。

(これだと…いつもとちょっと違う髪型になりそうですね。)
名付けるとすれば…『極楽昇天系無重力ヘア~feat.KEI-G 赤葦』か。

…自分で言っていて、少々恥ずかしくなってきた。

重さと羞恥から逃れるように身を捩ると(よくこれで寝れたものだ)、
その動きでようやく、目を覚ましてくれたらしい。

よしよしと頭を撫でると、薄く瞼を開け…やっと俺に焦点が合った。


「黒尾さん、おはようございます…といっても、もう夕方なんですが。」
「ん…赤葦、おはよう…もうそんな時間か…」

頭の横に手をつき、腕立て伏せの要領で起き上がる。
半分ほど上体を起こしたところで、黒尾はピタリと動きを止め…
まじまじと見下ろして来た。

「いやはや…絶景かな。」

白いシーツに横たわる、均整の取れた白い肌。
陽の目にも人の目にも曝されないはずの『白い』部分に、
少しだけ残された…自分が残した『紅い』痕。
そして、こちらを上目使いに見つめてくる、艶に潤んだ瞳…

後光のように照る西陽と相まって、まさに『極楽浄土』な光景だった。


「悦に浸っていらっしゃるところ、大変申し訳ないのですが…どいて下さい。」
「最初に謝っときゃあ、後からキツいこと言っていい…ってワケはねぇだろ。」

「重いです邪魔です暑苦しいです…立ち退いて頂けると幸いです。」
「後から丁寧にオネガイしても、最初がキツすぎは…アウトだな。」

以上により、赤葦の請求は棄却だな。
そう言うと黒尾は、上半身どころか全身で赤葦に圧し掛かり、
重くて邪魔で暑苦しい体勢を取り直した。

「あぁもう…このまま、もう一泊してしまうってのは…どうだ?」
「動きたくない気持ちはわかりますが…さすがにマズい…かも?」

黒尾さん以上に、俺は『動きたくても動けない』状態なんですよ。
それはもう、筆舌尽くしがたいというか…書くのを憚るようなモロモロの理由で。

赤葦は黒尾の腰に腕を回すと、そこからゆっくりと撫で下ろした。
この辺から下に、上手く力が入らなくて…と。

「その『理由』だと…俺をどかせるには『逆効果』になるって思わねぇか?」
「えぇ…『ムダに力が入らなくてむしろ好都合』って顔に書いてあります。」

これが、いわゆる『睦言』とか『寝物語』だとか、
『ピロートーク』と分類される…酒屋談義ならぬ、盛り夜談義だろう。
世の中に、こんなに糖分過多な『談義』が存在するとは…


「黒尾さん、実は俺の事…めちゃくちゃ好きでしょ?」
「そこまでバレてんなら…もう開き直るしかねぇな。」

バカップルだと言いたければ、言えばいいさ。
『付き合い始めてから三日間』…馬鹿になるなという方が、そもそも無理だ。
俺達の邪魔ができるものなら、やってみやがれ。

この時期にありがちな、根拠のない万能感と無敵感に包まれながら、
黒尾と赤葦は、トロンとした瞳で見つめあい、徐々に頬を…



    ピンポーン。


二人の動きを止めたのは、無情な機械音だった。

「誰だ…イイとこで邪魔しやがって。」
「俺達は家主じゃない…無視ですね。」

居留守を決め込み、『続き』を始めようとするが、
今度はけたたましく、ピピピピピピンポーンと、激しく連打してきた。
この無遠慮さ…『見知らぬ他人』の家に対しては、絶対にしないだろう。
ということは、『見知った誰か』の…緊急事態か。

「ったく、しょうがねぇな…」

黒尾は渋々起き上がり、下着と短パンだけを履くと、玄関に向かった。



「はいはい、どちらさん…」

大あくびしながら玄関扉を開けると、外側から強引に開かれ…
黒尾の『見知らぬ他人』が飛び込んで来た。

「ちょっと、どういうことっ!!?」
「うぉっ!!?な、何なんだ、いきなり!」

飛び込んだ勢いで黒尾の肩を掴み、怒号をとばしてきた男は、
部屋から出て来たのが『見知らぬ他人』だと気付くと、目を瞬かせた。

「え…ここ…月島家じゃ…?」
「あー、そうなんですけど…」

今ちょっと、家主は…と黒尾が部屋の中にチラリと視線を送ると、
乱入者はポカンと口を開け、そして…再度激昂した。

「そうか、お前の…せいで…っ!!」

男は拳を掲げると、黒尾の頬に一発…殴ると見せかけ、
顔をガードしたためガラ空きだった腹部に、肘鉄を喰らわせた。

「!!?ぐっ…!!」

不意打ち攻撃をモロに受け、その場に膝を付く黒尾。
その横をドカドカと走り抜け、男は室内に突入した。


「どういうことか、説明してもらうからね…けいっ!!!」

部屋の中で、頭から布団を被っている人物に、
男は怒りを迸らせながら、その布団を引き剥がそうとした。

だが、無理矢理剥がす前に、スっと布団が下ろされ…
男にとっては二人目の『見知らぬ他人』が現れた。


「『けい』は『けい』ですが…『字』も違うし、『じ』も追加です。」

「え…っと…どちら、さま?」




***************





「ホンッッットーーーにすみませんっ!!」
「いや、まぁ…こちらこそ…」

突然の闖入者に暫く待ってもらい、身支度や部屋をざっと整え…
三人は改めて顔を合わせ、闖入者は深々と頭を下げた。

赤葦は冷えた麦茶と茶菓子をテーブルに並べると、
黒尾は痛む腹を擦りながら、ごくごくと喉を潤した。


「それで、お宅様は…?」
「申し遅れました。俺は月島明光…月島蛍の兄です。」

「つ…ツッキーの、お兄さん…!?」

全然似てねぇっ!!…という言葉を寸でのところで飲み込み、
黒尾と赤葦は月島兄に、それぞれ自己紹介を行った。


「君達が、『黒尾さん』と『赤葦さん』だったのか…
   いつも激可愛くない蛍と、超可愛い忠がお世話になってます!!
   っていうよりも、君達が『実在』したとは…ビックリだね。」

いやぁ~、『頼りになる黒尾さん』と、『賢い参謀の赤葦さん』…
そんな人達が、あの蛍と忠の『親しい友人』なんて…信じられないでしょ。
しかも、一緒に酒飲んで面倒極まりない『考察』を楽しんでるとか…
てっきり俺ら家族を心配させないようにっていう『作り話』だと思ってたよ。

「まさか本当に、そんな『ド変態』がいるとはねぇ~心底驚いたわ。」

あはははは~♪と、膝を叩いて笑う、月島兄。
この遠慮のカケラもない言いたい放題ぶり…間違いなく『月島』兄だ。

「あの…そんな『ド変態』の『親しい友人』の『お兄様』は…
   どういうご用件で、『過激に可愛い弟』宅へ襲撃されたんでしょうか?」

こちらも言いたい放題な赤葦の言葉に、月島兄はハっと表情を引き締め、
再び黒尾達に対し、深く深く頭を下げた。

「頼む…力を貸してくれないかっ!!」




「山口が…」
「家出…?」

今日の午後…昼寝時間が終わる頃、突然山口が実家に帰省したらしい。
当然、『二人一緒』だと思ったら、何故か一人だけ…
今まで一度だって『単品』で帰省したこともなかったし、
事前の連絡もなく帰省してきたことだって、前例がなかった。

驚いた母親が、「蛍君はどうした?」と聞いたところ、
「ツッキーは…今、ツッキーの話は、したくない。」と、顔を背けて呟いた。
そしてそのまま…部屋に引きこもってしまったそうだ。

幼い頃から、『ツッキー♪』の話しかしなかった我が息子が…まさか。

相当な衝撃を受けた山口母は、慌てて月島母に連絡。
同じように驚いた母が、たまたま東京出張中だった兄に連絡し、
兄は真相を確かめようと、すっ飛んで弟宅へ来た…ということらしい。


慌てて蛍んとこに来てみたら、惚れ惚れするようなイイカラダした男が、
見るからに『情事の最中です!』って格好で出てくるもんだから…
蛍がコイツと浮気しちゃったせいで、忠が…って、勘違いしちゃったんだよね~
勝手に誤解して殴っちゃうし、『お邪魔』までしちゃうし…ホントにごめんね!

ペロリと舌を出し、謝罪する兄だが…気持ち良いぐらい、悪気を感じない。
悪気がないからといって、それが良いかどうかは、全くの別問題だが。


「そんなわけで、山口家も月島家も、ちょっとしたパニック状態だよ。
   蛍と忠が仲違いだなんて、天地開闢以来有り得なかったからね…」

月島兄の話は、黒尾と赤葦にとっても衝撃的だった。
だって…昨日の晩は、通常通り『超仲良し』だったではないか。
それどころか、やっと長年の『ズルズル』から脱却したはずでは…?

「あの後、二人がそんな大喧嘩だなんて…俺には信じられません。」
「しかも『実家に帰らせて頂きます』級だろ…わけわかんねぇな。」

昨夜の流れからすれば、今日はコチラと同様に、
それはそれはステキな時間を…というのが、相応しい因果の流れである。
一体あの二人に、何があったと…ツッキーは何をやらかしたというのか。


「確認のためにお伺いしますが、お兄さんはその…あの二人のこと…」

言いにくそうに赤葦が尋ねると、俺の事は明光でいいよと言いながら、
兄は実にアッサリ「勿論だよ!」と、力強く頷いた。

「君達の前ではどうだったか知らないけど、あの二人の『セットぶり』は、
   そりゃあもう、実の家族が『そういうもんだ』って思い込むレベルで…」

何をやるにも全て一緒。世界は『蛍と忠』で完結してそうな勢い…
ある程度大きくなったら、『他の友達』ができて変わるかと思いきや、
高校の部活を始めるまで、普通に話す知人すらおらず、二人っきりのまま。
いつまで経ってもお互い『べったり』…それをすぐ傍で見続けた家族は、
もうそれが『当たり前』だって思っちゃうでしょ。

「ま、蛍が出雲大社の注連縄級に捻くれちゃった原因の半分程度と、
   二人が『組んず解れつ』になった原因の数パーセントは…俺なんだけど。」

俺の教育、間違ってなかったと思うんだけど…参っちゃったよね~
そんなこんなで、蛍達に『お互い以外』の親しい友人ができたことに、
兄ちゃんとしては、ちょっと感無量というか…あ、ティッシュありがとう。

赤葦に手渡されたティッシュで、滲み出た涙を拭くと、
呆然とする黒尾達に気を止めることもなく、兄は『状況説明』を続けた。


「この歳までこうなら、もうずっと一緒でいいじゃないか…」

月島家と山口家では、半ば諦め、半ば喜びの気持ちで、
二人がこの先も仲良く幸せに…『セット』でいるものだと思っていた。

本当は、上京をきっかけに二人がちゃんと『けじめ』を付けて、
『二人暮らし』するもんだと…てっきり家族はそう考えていた。
だからこそ、東京の大学を受験し、実家を出ることを了承したはずなのに。
未だにズルズルと、態度をはっきりさせないなど…理解不能だった。

「『いい加減くっつけ』…これが、月島・山口両家の『総意』なんだよ。」

月島家としては、可愛い忠ちゃんを(一家総出で)囲ってしまった責任がある。
山口家としても、蛍君程のイイ男を忠が独り占めしてしまった負い目がある。

一日も早く、二人がきちんと『御挨拶』に来る日を…心待ちにしていたのだ。
それなのに、まさかの『仲違い』…パニックになって当然だった。

「この現状は、両家にとって『論外』なんだ。
   というわけで、この真相を探って『上手いコト収める』という任務…
   黒尾君達に手伝ってもらえると、すっごい助かるんだけど。」


月島兄は、両手で柏手を打ち…きっちり二礼二拍手して黒尾達を拝んだ。





***************





「ざっくりとした状況と、月島・山口両家の総意については…わかりました。
   ですが、これをどうやって『上手く収める』おつもりでしょうか?」
「それを俺達に手伝えって…何をどう手伝えばいいのやら。」

月島兄の話を聞いた黒尾と赤葦…その感想は、一言で言うと『困惑』だった。
当事者たる山口と月島の状況がはっきりしない現時点では、
『手伝え』と言われて『お任せ下さい』と…即答できるはずもない。

とは言え、あの二人を『上手いコトしてやりたい』と願っているのは、
黒尾と赤葦も同じ気持ちだった。
散々二人を焚き付けてきた経緯もあるし、昨夜の流れを知っている以上、
単純な『仲違い』ではないのでは?…という、淡いながらも確信があった。

山口の行動には、きっと何か理由があるはず…
それを知りたい『好奇心』だけで、手伝うには十分な理由になるのだが、
そんなに簡単に利用されてしまっては適わない。
自分達を使おうとする月島兄の『真意』…それこそが重要だった。


黒尾がチラリと赤葦に視線を送ると、赤葦はごく僅かに瞬きを返した。
赤葦の『同意』を得た黒尾は、姿勢を正して兄に向き直った。


「とりあえず、俺達ができそうなことは…ツッキーの話を聞くことだな。
   徒歩一分のトコ…山口宅に居るはずだから、今すぐ行ってみるか?」

当然の提案をしてみると、兄は首を横に振って却下した…予想通り。

「それは駄目。俺が関わってるってわかった瞬間…
   蛍は絶対、頑なに『嫌だね』って動こうとしないだろうし。」
「明光さんが表立って関わると、事態は悪い方にしか進まない…と。」
「可愛い弟さんから、これっぽっちも信用されてないんですね。」

言いたい放題の明光には、これぐらい言っても大丈夫…
そう判断した黒尾達は、早速『遠慮』というオプションを除外した。
兄の方も、そっちの方がやりやすかったらしく、
ヘラヘラ笑いながら「そうなんだよね~、切ないよね~」と麦茶を飲み干した。

「ですが、実の兄よりは信用されているとはいえ、
   未だ黒尾さんも月島君の『警戒対象』には違いありませんよね。」
「あ、やっぱりそうなの?何か黒尾君は…裏がありそうだもんね!」
「…うるせぇな。ちょっと俺も切ない気持ちになっちまったぜ。」

兄は論外、黒尾も駄目…ということは、取り得る手段は限られてくる。


「どう考えても、俺が『月島君担当』になるのが…ベストですね。」
俺が上手く月島君をコントロールできるかどうかは…未知数ですが。
あからさまに『面倒臭い』という表情で、赤葦はため息をついてみせた。

月島と山口の二人に『上手くいってほしい』と思う気持ちに、偽りはない。
だが、何だかんだいって『第三者』の自分達が、しゃしゃり出ていいものか…
もし彼らの間に『修復し難い何か』があったなら、余計なお世話になってしまう。
それに、正直言って、『月島担当』は…相当厄介だろう。
要するに、赤葦達が粉骨砕身して動く『理由』…モチベーションがないのだ。

そんな赤葦の正当な意見に、明光は「その通りだ。」と頷いた。

「もし俺が君達の立場だったら…ソッコーでお断りだよ。
   あんな面倒な蛍の相手なんて、それこそ忠ぐらいじゃなきゃ無理だし。」
やっぱり、君達が自主的に手伝いたくなる『動機』が…必要だよね。

兄はそう言うと、突然質問を投げて来た。

「ところで、二人は『五大』っていうと…何を思い浮かべる?」



「ご…五大、ですか?」

突拍子もない質問に、黒尾と赤葦は面喰った。
そんな二人にはお構いなし、兄は楽しそうに五指を広げた。

「そのまま素直に『五大』と言えば…地・水・火・風・空の『五大要素』だな。」
「宇宙と、あらゆる世界を構成する、五つの要素…ですね。
   同じ理由で、俺は『五輪』を思い浮かべましたが。」

『五大』は、中国の五行思想に似てはいるが、全く違うものだ。
古代インド哲学に端を発し、様々な形で仏教の思想体系に取り込まれ、
東アジア一帯に広まった思想である。
密教ではこの『五大』を『五輪』とし、卒塔婆として五輪塔を造立している。

「宮本武蔵の『五輪書』も、これが元になってるんだよね。」
地の巻、水の巻、火の巻、風の巻に空の巻…この『五輪書』から、
五輪旗を掲げるオリンピックを、五輪と訳すようになったそうだ。

「ということは、来るべき東京五輪の観戦チケットが『報酬』…とか?」

それは少々魅力的ですが、そんな出世払い的なものでは…『弱い』です。
赤葦は「残念でしたね。」と言わんばかりに、含み笑いをしてみせた。
だが、次の明光の言葉で、一瞬にして表情を変えた。

「五輪じゃなくて、元の五大…『五大の地』ならどうかな?
   その『地』が『シャトー』だったとしたら…?」

鞄からチラリと、瓶らしきものを見せる明光…
意味不明だと首を傾げる黒尾の横で、赤葦が興奮気味の声を上げた。

「シャトーっていうと、『お城』だっけか?」
「五大シャトー…フランスのボルドー・メドック地区の格付けで、
   『第一級』の称号を得た、世界最高峰のシャトー…ワイン醸造所です!!」

シャトー・ラフィット・ロートシルト。シャトー・マルゴー。
シャトー・ラトゥールに、シャトー・オー・ブリオン。
そして…シャトー・ムートン・ロートシルトの5つだ。
ワイン好きなら一度は是非ともお目に掛かりたい『五大』である。

「ここにあるのは、その筆頭…ラフィット・ロートシルトだ。
   これは『手付金』で、成功時に『五大』全てを譲渡…これでどうかな?」
「お任せ下さい!この赤葦京治が必ずや…『任務』完遂致します!!」

まるで神から下賜されるかのように、恭しくワインを受け取ると、
赤葦は明光とガッチリ握手をし、輝くような笑顔を見せた。


「おい赤葦…お前、ワインぐらいで…チョロすぎねぇか?」
「コレの価値がわからない人は、黙ってて下さい。」

ピシャリとはね付け、恍惚とした表情で瓶のラベルを眺める赤葦…
駄目だ。もうすっかり…手玉に取られてしまった。

黒尾は盛大に嘆息すると、しょうがねぇな…と苦笑いした。
「赤葦が手伝うなら、俺がスルーってわけにはいかねぇ…だろ。」

降参だ、と両手を広げた黒尾の手を取り、明光はぶんぶんと握手した。
「ありがとうっ!!そう言ってくれると信じてたよ~」


そうと決まれば、早速行動開始だね。
明光は鞄から茶封筒を取り出し、赤葦に手渡した。

「赤葦君は、この後すぐに、『蛍対応班』として動いて欲しい。
   主な任務は、蛍から状況を聞くことと…蛍自身のフォローだね。」
「了解しました。月島君も相当…参ってるでしょうからね。」

当面の活動には、ここから費用を使って欲しい。
できれば経費計上したいから…領収証等の管理もよろしく頼むね。
足りなくなったら、その都度申請してもらえばいいから。

「俺達の意思統一は確実に図りたいから…連絡は黒尾君の方に。
   俺には黒尾君から、一括で報告・連絡・相談を。」

イエッサー!と最敬礼する赤葦。
どうやら、こういう『闇の組織』的なノリ…『陰の参謀』の血が騒ぐらしい。
実に輝かしい…イキイキとした表情である。


「それで、俺はどうすれば…?」
黒尾の問いに、明光は腕時計を確認した。

「黒尾君には、これから俺と一緒に来てもらいたい…仙台まで。」
「仙台って…『山口対応班』ですか?」

当然それもあるけど、まぁ…説明は追々ね。
赤葦に渡したのと同じ茶封筒を黒尾にも持たせ、明光は指示を出した。

「今から黒尾君は一旦帰宅…約3時間後の午後9時までに、東京駅に集合。
   9時半過ぎの最終便新幹線に乗って、仙台へ向かおう。」

新幹線の切符や宿は、俺が準備しておくから。
スーツ着用、着替えは向こうでの洗濯も考えて…二回分かな。
あればでいいけど、作業用ノートパソコンと、印鑑は必須ね。
もし時間に余裕があれば…戸籍謄本か住民票があると最高。

「は、はぁ…駅前に役場の出張所があるんで、多分イケると思いますが…」

何だか、想像以上に…大仰な『出張』になりそうだ。
言われるがまま、黒尾は明光と連絡先を交換し、帰宅準備を整えた。


「それじゃあ、二人には苦労を掛けると思うけど…宜しくお願いします!
   三人でこのミッション…必ず成功させようね!!」

明光の掛け声で、三人は一斉に任務を開始した。





***************





「カンパ~イ!」
「乾杯!」

新幹線に乗った明光と黒尾は、早速缶ビールを開け、
チーズかまぼこや柿ピーとともに乾杯をした。

「いやぁ…新幹線でコレが美味い!!って知った瞬間…」
「俺もオッサンになったなぁ~って思ったぜ…まさに至福!!」

スーツの上着をフックに掛け、ネクタイを緩め、靴を脱いでビール…
出張帰りの終電新幹線での、ほんの小さな幸せである。

「それにしても、東京駅って凄いよね~。各地の地ビールが買えるんだもん。」
「俺は酒コレクターじゃねぇし、こういう『庶民派』な方が…たまんねぇわ。」

すっかり打ち解けた二人は、貝ひもやビーフジャーキーをしゃぶりつつ、
長身でも割とゆったりしたグリーン車で、のんびり脚を伸ばした。
終電でグリーン車内もほとんど貸切状態…全く、とんでもない贅沢だ。


「ところで、君達4人は飲みながら雑学考察…『酒屋談義』してるんだって?
   それ…ものすっごい羨ましいよ~美味い酒に旨い肴…最高じゃん。」

蛍と忠の『雑学考察』…この俺が『師匠』になるんだけど、
本当に最高のカタチで楽しんでくれて…兄ちゃん、また泣きそうだわ。

「ホント、冗談抜きで感謝しきりだぜ…お師匠サン。」
イェ~イ!と缶をぶつけ合い、黒尾は素直に感謝の言葉を述べた。


明光の存在が、月島達にとってイロイロな『元凶』な面もあるだろうが、
この『考察』という趣味に関してだけは、『元祖』と言っていいだろう。
これがなかったら、今こうして二人で乾杯など…絶対に有り得なかった。

「せっかくの機会だし…明光さんと俺で『酒屋談義』なんてのは…?」
「大賛成だよ!テーマはそうだね…『地』なんてどう?」

美味い『地』ビールに、五大の『地』…黒尾にも異論はなかった。

「それじゃあ、『考察』の出だしはコレだね…『地』とは何か?」

明光君の『考察』は、すっごいワクワクするんですよ!
…いつか山口が言っていたセリフ通り、黒尾もその第一声から、心が躍った。


「黒尾君は、『地』と言ったら…何を想像する?」
「まずは、地面や大地、土地だな。天空に対する地上、水面に対する陸地。」

「『範囲』といった意味では、領土や地区・地域・地帯…『地ビール』だね。」
「『身分や立場』の地位、『状態』を表す…窮地や死地ってのもあるか。」

「その『状態』で言えば、『あるがままの状態』で…地が出る、なんて言うね。」
「似た意味で、もともと備わってる生まれつきの性格…地力もそうか。」

世界を構成する基本的要素というだけあって、
それが表すものも、多岐にわたり…考察対象としては広すぎる。

「今日話題に上った、五大の『地』は…大地・地球の意味だな。」
「性質としては、固い物や…『動きや変化に対して抵抗するもの』だよ。」

これだって、ざっくりしすぎの概念だ。
もう少し、テーマを絞っていくとすると…


「そう言えば、大地の神様って意味で…『地祇(ちぎ)』ってのがあるな。」
「天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)…日本書紀の、神様分類だね。」

アマテラスやその孫・ニニギ等、高天原の神が天津神で、
ニニギの天孫降臨以前からこの国にいた『土着の神』…地神が、
国津神すなわち『地祇』である。

「代表としては、出雲の神…大国主や、その子孫の事代主とか建御名方神。
   高天原を追放された、素戔嗚尊(すさのおのみこと)も国津神。」
「『もともといた神』という意味で、『地神』ってことか。
   じゃあ、持統天皇に封印された、饒速日尊・瀬織津姫も、当然国津神…」

え、そんな面白いネタまで、考察してんの!?超羨ましい~っ!!
キラキラした目で「いいなぁ~!」を連呼する明光に、
黒尾は七夕に関する『酒屋談義』の考察内容を、掻い摘んで話した。

「俺が教えた『運命の赤い糸』…大国主と玉依姫を、そこまで深く追究して…
   いやホント、お兄ちゃん冥利に尽きるわ!」

明光は鼻水を啜ると、メモ帳に大きく『地』の文字を書いた。


「この字の構成を見ると、すぐに納得すると思うんだけど…
   偏の『土』は、『土の神を祭る為に柱状に固めた土』の象形で、
   旁の『也』は、そのものずばり…『蛇』の象形なんだよね。」
「え…っ!!?大国主なんかが『大蛇の神』ってのは…
   『地』って漢字を見りゃあ、一目瞭然だったってことか!!」

何だよそれ…答えなんか、初めから目の前にあったってことか。
古来から日本に『もともといた神』は、地祇…蛇だったのだ。



「『元』は何だったか…物事を考察する時には、忘れちゃならない点だな。
   漢字の構成や語源なんかは、特に注目すべきかもしれないな…」
「ちなみに、蛇は古語で『カガチ』『ハハ』『カ』と言ってた…つまり、
   神は『カ(蛇)+ミ(身)』だし、鏡餅は蛇の体を表してるんだって。」

鏡餅なんかは、モロに蛇がとぐろを巻いた姿である。
カガチはホオズキの別名…形が蛇の頭部に似ているからだ。
八岐大蛇を切った刀の名前は『天羽々斬(あめのはばきり)』で、
羽衣伝説は龍…つまり蛇の神の衣である『羽衣』の話だ。

「さっき出て来た大国主の子孫・建御名方神(たけみなかた)は、
   御柱祭で有名な諏訪大社の主祭神だけど…『元々の土着の神』は、
   蛇神のソソウ神とミシャグジ神…みんな大蛇だよ。」
「あの御柱だって…暴れ狂う大蛇に見えるじゃねぇか…」

社伝によると、あの御柱はミシャグジ神の依代(よりしろ)…とのことだ。
奇妙に見える神社の祭事や儀式も、『元』の意味を辿ると、理由が見えてくる。

愛する『酒屋談義』の、『元祖』による雑学考察。
その『ワクワク感』に、黒尾は痺れるような快感を覚えた。


柿よりもピーばかりが多めに残った乾き物を、袋ごとザーっと口に流し入れると、
明光は「大地の神様ありがとう!!」と地ビールを飲み干した。

「そうそう、『元』と言えば、黒尾君がココにいる『元々の理由』だけどね…」

…すっかり忘れていた。
咥えていた貝ひもを飲み込むと、黒尾は背筋を伸ばして明光の『本題』に傾注した。




「…というわけ。
   君には、『元々の理由』…言うなれば『五輪の地』の方を、手伝って欲しい。」


明光の話は、黒尾が全く予想だにしていなかったものだった。
しかしながら、その話は黒尾にとって『願ってもないもの』でもあった。

「理由はよくわかった。率直に言うと…『すげぇオイシイ!』んだが…」
「成功すれば、黒尾君にとってマイナス要素は…まるでないでしょ?」
「むしろ、この任務自体が『報酬』と言ってもいいぐらいだな。」

本心では、今すぐに「やります!」と即答したいのだが、
本当にそれで…こんなにオイシイ話があっても、いいのだろうか。

「この任務成功の鍵は…間違いなく『忠』の存在だよ。
   だから黒尾君は必然的に、蛍と忠を『上手いコト収め』ないといけない。」
「俺が動くことで、月島・山口両家もオイシイ…ってことか。」

「俺の予想では、蛍と忠は別に『仲違い』してるわけじゃないだろうから…
   アイツら二人にとっても、『またとない機会』になるだろ?」
「誰にとっても、不利益など一切ない…奇跡的な『策』だな。」


明光の言う通り、コトが上手くいけば…文字通りの大団円だ。
逆に言えば、一つ間違えば全てが水泡に帰すかもしれないのだが…

「ちなみにこの任務、忠の存在で…完成日数が一週間から三日に減るよ。
   そう言えば、さっきは黒尾君のことを蛍の浮気相手って勘違いしたけど…」

話してみると、明らかに…赤葦君の方が『蛍の好み』にドンピシャだよね~
忠がいなくて不安なところ、献身的な赤葦さん…蛍がよろめかないか、心配だね。


黒尾はサッと顔色を変え、チーズかまぼこを握る明光の手を、グっと鷲掴みした。

「その任務…俺に是非やらせてください!!
   必ずや…三日で完遂して、ソッコーで帰京してみせます!」



- 続 -



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※明光による『元祖・雑学考察』→『お兄ちゃんと一緒』シリーズ
※(不安な時に)よろめく →『朔月有無

※キューピッドは語る5題『1.いい加減くっつけ』


2016/07/14(P)  :  2016/09/25 加筆修正

 

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