林檎王子







「俺と、ひと夏の思い出…作らねぇか?」


初夏の兆しが見え始めた頃、黒尾から件名のないメールが届いた。

文面はたったの2行。
最初の1行に、3名は困惑したが、次の2行目で、興味を引かれた。

2行目には、それぞれ、こう記してあった。

「勿論、ツッキーも一緒だ。」
「ナウマンゾウの化石発見地に、近い場所なんだが。」
「メルヘンチックな森…相応しい酒、知ってるか?」


程なく返ってきた、詳細を問う返信。
黒尾の2通目…『詳細』に対する3人からの返事は、
概ね『前向き』なものであった。



「いい天気で、本当に良かったですね。」
「まだ『夏』とは言えませんが…暑すぎなくて助かります。」
「この4人で遠出なんて…井の頭公園以来だね!」

大型連休も過ぎ去り、雨の季節まではもう少し…
爽やかな初夏の陽気の中、赤葦、月島、山口の3人は、
迎えに来た黒尾の車で、スムースに流れる高速道路の風を満喫していた。

黒尾が所属するゼミでは、『来るべき夏』を楽しむべく、
キャンプを行う計画が持ちあがっていた。
それを実現するには、まず下見が必要…とのことで、
ゼミ長である黒尾が、その役を買って出たらしい。

「どこに行っても、『長』やってるんですね。ゴクロウサマです。」
「そのおかげで、お前らも『リゾートキャンプ』に行けるんだろうが。」

見事なまでの『棒読み』な、労いの言葉。
黒尾はルームミラーの中の月島に、笑いながら突っ込んだ。
そんな黒尾に、赤葦が蓋を取ったコーヒーのボトルを手渡した。

「赤葦さんも、どこに居ても…『助手』やってますよね。」
「この場所…『助手席』こそ、俺に相応しい席だと自認してますよ。」

山口は、黒尾に頼まれた仕事…『気付きメモ』に、
『助手席には相応しい相手を座らせるべし』と書き記した。


黒尾からの誘いとは、つまるところ、
『ひと夏の思い出』作りの、『予行演習』に付き合え…だった。


「ちょっと小腹が減ってきたんで…
   トイレ休憩も兼ねて、次のジャンクションで…」
「いいですね、それじゃ…んックション!!」

赤葦がカーナビを見ながら提案していると、
後部座席の月島が、大きなくしゃみをした。

「風邪か?それとも…お寒いギャグ?」
「あ、確かに!『ジャンクション』って、『くしゃみ』っぽいですね!」
「今日の目的地…『僻地!』も、『くしゃみ』っぽく聞こえますね。」
「悔しいですが…お上手です。…『拍手!』」

月島のきれいな『まとめ』に、全員が拍手を贈った。


ジャンクションの売店で、おやつ代わりの名産品を購入し、
再び快調に車は走り出したが、月島のくしゃみは止まらなかった。

「ツッキー、お前もしかして…花粉症か?」
「いえ、そんな覚えはないですし…時期も遅いでしょ。
   ただの『寝冷え』ですよ。」

赤葦に渡されたティッシュで鼻をかみ、月島はりんごジュースを飲んだ。

「スギやヒノキは終わったけど…場所と時期からすると、
   シラカバ花粉に反応してる可能性は、捨てきれないですよね。」

高速道路も、かなり樹々が生い茂る場所に差し掛かっている。
普段はあまり見慣れない、白い樹皮…シラカバの森だ。

「ツッキー、今…唇とか舌がピリピリするか?
   今じゃなくても、桃とか梨、サクランボやイチゴを食べた時とか…」

りんごジャムが挟まったクッキーを咀嚼しながら、
月島は「そんなことはない」と、首を横に振った。

「そう言えば、ジャムの成分…『ペクチン』も、くしゃみっぽいね。
   …じゃなくて、別にツッキー、果物にアレルギーはないよね。」
「そうだね。このりんごでも、特に何も異常は感じないし。」

何故そんなことを訊くのか?という視線をミラー越しに送ると、
黒尾は口にクッキーを入れてもらいながら、もそもそと説明した。


「果物アレルギーと、特定の花粉症には、関連があるらしいんだ。
   特にシラカバ花粉症の人の約半数は、バラ科の果物…りんごや梨、
   マタタビ科のキウイに、アレルギー反応を示すみたいだぜ。」
「同じように、ラテックス…ゴム製品にアレルギー反応のある約半数に、
   果物アレルギー…『ラテックス・フルーツ症候群』があるそうです。」

これらの果物には、花粉とよく似た構造のたんぱく質が含まれている。
そのため、それらを食べた際に、似たような症状が出るのだ。
ただし、果物を煮たり焼いたりすると、たんぱく質が変質するため、
『生』の場合にのみ、アレルギー反応が起こるそうだ。

「ということは、もしツッキーがシラカバ花粉症だったら…」
「『生』のりんごにもアレルギーがあるかもしれませんし、
   ラテックス製の『ゴム製品』を使用する際は、注意が必要ですね。」

ラテックス製のゴム製品…大変お世話になっている、アレである。

「で、でも、その辺で売ってるのとか…主流はラテックスですよね?
   もしアレルギーだった場合は…どうしたら、いいでしょうか?」

心配そうに呟く山口に、赤葦は真面目に答えた。

「そういう場合は、『生』で…なんてのは、大間違いです。
   アレルギーを口実に、それを強要する不届者もいるそうですが…
   少々お高いですが、ポリウレタン製の『常備』をお薦めします。」

赤葦は鞄から小さな箱を取り出すと、注意書きを読み上げた。

「ゴム特有のにおいが全くありません。
   熱伝導性に優れ、肌のぬくもりを瞬時に伝えます。
   表面がなめらかなので…」
「ら、ラテックスに比べて、強度が高い…薄くできるってことですね。」

赤葦から小箱を恭しく受け取った山口は、その箱の宣伝文句…
『人生が変わる!0.02㎜』と、ごく薄い字で『気付きメモ』に書いた。

それにしても、赤葦の鞄からは、色んなものが出てくる。
箱ティッシュに、ウエットティッシュ、それにゴム製品…
一体『ナニ』を想定して、これほどまでに『準備万端』なんだろうか。
さすが、優秀な参謀は違うな…と、山口はそれ以上考えないことにした。


「まぁ、アレルギーだろうとなかろうと、まだ真夏じゃねぇから…
   お腹『等』を出したまま寝るのは、気を付た方がいいぞ?」

気遣う振りをしつつ、ニヤニヤと笑う黒尾。
生々しい話を転換しようと、月島はわざとらしく『くしゃみ』をした。

「リアルな話題はさておき、『りんご』にまつわる童話…
   『フィクション!』の話をしませんか?」




***************





「りんごと言えば、白雪姫ですね。
   彼女の『死因』が『りんごアレルギー』…という説もあるそうですね。」

白雪姫の美貌を嫉む王妃(継母もしくは実母)は、
自らが実行犯となり、3度の『白雪姫殺人事件』を起こしている。
胸紐による絞殺、毒付きの櫛による刺殺、そして『毒りんご』だ。

「最初の2件については、7人の小人が凶器を取り除いたことで、
   白雪姫は息を吹き返したから…殺人未遂事件だね。」
「だが、3度目では小人達は『凶器』を発見できず、蘇生に失敗…
   白雪姫殺人計画は、遂に完成したかに見えた。」

月島はりんごキャンディを口に入れると、
コロコロと転がしながら、疑問を呈した。


「3度目の事件…『毒りんご事件』ですが、この事件の凶器は…」
「もちろん、『毒りんご』だよね。」
「では、『死因』は…?」
「まず考えられるのは『毒』による中毒死だが…これは無理だな。」

一般道への出口に向かってハンドルを切りながら、
黒尾は『当たり前のこと』を消去する説明を始めた。

「りんごに含まれる毒と言えば、エチレン…
   不凍液にも使用されるジエチレングリコールがあるが、
   これは甘味を含むし、ワインの添加物にも使用されてるから、
   『混入』を察知しがたいという点で、『毒りんご』には適してるな。」
「種にはアミグダリンが含まれていますが、これは加水分解すると、
   シアン化水素を発生…すなわち、『青酸』ですね。」

シアン化水素自体の毒性は非常に高いが、
種を大量かつ噛み砕いて摂取しない限り、中毒を起こす可能性は低い。

「どんな『毒』が使われたにしろ、中毒死はありえない…ですよね。
   中毒の典型的症状は、猛烈な嘔吐・下痢ですから…」
「白雪姫にそんな症状が出た時点で、小人達は『原因』を特定でき、
   適切な対処も可能…『未遂』で終わったはずだよね。」

小人達は『植物の研究』のために、森で生活していた…という設定もある。
そうでなくとも、森で生活する以上、一般的な中毒症状への対処法は、
当然知っているはずである。

「そこで登場したのが、『白雪姫りんごアレルギー』説です。
   彼女は、重篤なアレルギー反応…アナフィラキシーを起こし、
   そのために、ショック死したというものですが…」
「アレルギー反応の90%に、皮膚症状…蕁麻疹が現れるよな。
   呼吸器・消化器にも症状が出るから、これも…『わかりやすい』な。」

もしりんごアレルギーだったならば、
過去に食べた時の経験から、白雪姫は食べるのを躊躇ったはずだ。
『りんご』の存在を知らなかった可能性もあるが、その場合には、
見ず知らずの老婆から貰っても、やはり食べるのを躊躇うだろう。
そもそも、シラカバの木がある森には…住めないはずだ。


りんごクッキーをジュースで流し込みながら、山口は窓を少し上げた。
辺りはすっかり、奥深い森…少し、風が冷たく感じる。

「中毒やアレルギーではないとすると…窒息でしょうか。」

童話の中でも、白雪姫の喉に詰まっていたりんごが出て…蘇生した。
この死因が、一番状況として当てはまるような気もするが…

「窒息の場合、もっと『不自然』…蘇生が困難です。
   山口…窒息の場合の、顕著な法医学的特徴は?」
「鬱血及び、早期に死斑が、全身の広範囲に現れる。
   意識の消失・昏睡状態・仮死状態には、窒息からわずか60~90秒後…
   これより進行すると、もはや回復は望めない…ね。」

発見が遅れると、蘇生の可能性はほぼゼロである。
早い場合にも、非常に『原因』はわかりやすいし、対処もしやすい。


「通りすがりの王子様は、ガラスの棺に眠る美しい姫を見て、
   『死体でもいいから譲ってくれ』って…持ち帰ったんだよな?」
「死因と考えられるケースは、とても『美しい』とは言えない状況です。」
「『美しい』ままで、かつ『ある程度の時間経過後も蘇生可能』で、
   更には『植物学に詳しい者でも特定困難』な死因…
   そんなに都合の良い『仮死状態』は、存在し得るでしょうか。」

しかも、軽度の衝撃で仮死…『眠り』から覚めるのだ。
これが推理小説であれば、アンフェアも甚だしい。

「つーか、そもそも『眠らせる』ために『りんご』は…矛盾してるよな。」

りんごの皮には、コーヒーよりも強度のカフェインが含有されている。
りんごの『丸かじり』こそ、即効性の高い『眠気覚まし』なのだ。


国道を外れ、ほとんど林道のような狭い道を行く。
対向車がどうか来ませんように…と、黒尾は内心祈りながら、
制限速度をわずかに超える安全運転で、車を走らせた。
目的地まで…あと少し、のはずだ。

思考を邪魔しないように、緩やかにカーブを曲がりながら、
黒尾は積年の謎について口にした。

「白雪姫は、王妃に追われ、2度も殺されかけてんのに…
   何であからさまに怪しい老婆から貰ったりんごを、食っちまったんだ?」

『何故白雪姫は、三度も殺害されたのか?』
それだけ、王妃の殺意と執念が大きかったとも言えるが、
あまりにも白雪姫は無防備…危機意識が欠如してはいないだろうか。


「もし僕が『小人』なら…『知らない人が来ても絶対扉を開けるな』と、
   過去の苦い経験から、厳しく躾けるはずですね。」
「匿ってもらってるんなら、普通は小人達の言うことは聞くよね。
   それ以前に、俺だったら怖くて…小屋に引きこもっちゃうけど。」

月島と山口の言う通り、普通の感覚であれば、
白雪姫は王妃の恐怖から逃れられない…危機感を持って生きているはずだ。

「白雪姫からは、危機意識や絶望といった、マイナスの意思は感じない…
   状況にそぐわない程、『前向き』で『ポジティブ』なお姫様です。」

どんな苦境に立たされても、明るく美しいお姫様…?
それにしては、シンデレラ程『苦しい現状』を描いていない。
白雪姫の心情が…あまりはっきりと見えてこないのだ。


窓から入る冷たい空気。
黒尾はパワーウィンドを上げると、静かに言った。

「『王妃に命を狙われている』『実際に2度も殺されそうになった』
   もしこれらが全部、『虚偽』であったならば…?」

「ま、まさか…自作自演?」
「もしくは、共犯者がいる…」
「それならば、必ず『蘇生』できたことも、危機意識がなかったことも、
   全て、アッサリ説明が付きますね…」

この物語は、『推理小説』ではない。アンフェアが大前提の『童話』だ。
不自然な死因や蘇生方法には、この際目をつぶるとしよう。
だとしても、いや、だからこそ…お姫様の『心情』は、
最も重要な『物語の肝』…『考察ポイント』ではなかろうか。


「もしこれが、『自作自演』だった場合、その動機は…
   自分を虐げた王妃への復讐、でしょうか。」
「何も知らない小人達と、隣国の王子を利用…ブラック極まりないね。」
「ですが、これではあまりにも確実性に欠けます。
   シンデレラ以上に…『王子様頼み』になってしまいます。」

「共犯者がいた場合…その共犯者が『小人』もしくは『王子様』なら、
   さっきの『王妃への復讐』っていうのも、現実味を帯びてくるね。」
「逆に、『王妃』が共犯者だった場合、その目的は…
   王子と婚姻することで、『隣国を内部から掌握』…ですか。」
「結局王妃は、裏切られることになるんだがな。」

白雪姫の証言が虚偽、つまり『他殺』ではなかった場合には、
非常に『毒々しい』話になってしまうのだ。

「筋は通るかもしれないけど…俺、やっぱりそんな白雪姫は、嫌だな。
   何としてでも、『白雪姫犯人説』だけは、避けたいよ…」

山口の痛切な呟きに、3人は同意を示した。


キャンプ場への看板が見えた。
その指示に従い、黒尾はウィンカーを出し、更に山奥へと分け入る。
本当に、ちゃんと目的地へ…美しい場所へ辿り着けるのだろうか。


既に生ぬるくなったりんごジュースを飲み干すと、
月島は重々しい雰囲気で口を開いた。

「白雪姫が『罪なき者』である可能性を示す、一つの事実があります。
   ですが、これは、白雪姫が『目覚めた後』に、
   これまでとは全く違う『大問題』を提起するんですが…」

井の頭公園で話したこと…赤葦さんは覚えていらっしゃいますか?
月島の問い掛けに、赤葦は瞬時に息を飲み、かぶりを振った。

「白雪姫が、王妃に追われたのが…『7歳』の時、でした…」
「な…何だって…?」
「彼女が毒りんごを食べたのは、その3年後です。」
「たったの…10歳…っ!!?」

白雪姫が、何度も何度も陳腐な手に引っ掛かった理由。
置かれた状況にも関わらず、明るく無垢であった理由。
殺されかけても、危機意識を十分に持てなかった理由。

全ては、彼女が…『幼過ぎた』からだ。


既に夕闇の香りがする、閑散としたキャンプ場。
到着した場所は、その闇をも包み込む、深い深い森だった。





***************





「さ…寒っ!!?」
「じょ、冗談、だろ…」

車から降りた4人は、あまりの寒さに身震いし、
降りたはずの車の中に、再び戻ってしまった。

「ちょっと黒尾さん…『爽やかな高原リゾート』はどこ行ったんですか。」
「俺だって、こんな寒いなんて…全くの予想外だぜ。」
「真夏でも涼しい、イコール…初夏はまだ、寒い、ですね。」
「東京出た時は、真夏日だったのに…」

山口は『気付きメモ』に、『真夏でも防寒対策のこと!』と、
真っ赤なボールペンで大きく書いた。

黒尾の誘い文句…『ひと夏の思い出』のイメージから、
真夏のリゾートを思い描いていた4人。
長ズボンこそ履いていたものの、上は全員半袖だった。

慌てて鞄から、『念のために…』と赤葦に言われて持って来ていた、
長袖のジャージやパーカーを取り出し、上から羽織った。

「赤葦さんの『準備万端』っぷり…
   今日ほど有り難く思ったことはことはありませんね…」
「いえ、最低限ですよ。本当は事前にこの気温を予測できたはず…
   心から申し訳なく思っていますよ。」

俺としたことが、『リゾート』に浮かれてたみたいですね…
赤葦は心底申し訳なさそうに、深々と頭を下げた。

「ま、来ちまったもんはしょうがねぇ。思う存分楽しむぞ。
   受付してくるから…ちょっとここで待っててくれ。」

黒尾はそう言うと、車の暖房を付け、
受付のあるログハウスへと走って行った。



テントやバーベキューセットを借り、指定された場所へと車を止める。
管理人さんの厚意により、車の傍にテントを張れることになり、
さらには、防寒用のマットや毛布も多めに貸して貰えた。

早々に火を起こし、バーベキューを始めると、
ようやくその火の温もりに、4人は人心地ついた。

「バーベキューには、絶対ビールだと思って大量に持ってきたけど、
   全然飲む気になれねぇな…」
「雰囲気は合わないけど、熱燗とかお湯割りが欲しいですよね…」

「わかりました。では…お望みの物をご用意しますね。」

それを言ってくれるのを待ってました!とばかりに、
赤葦はいそいそと車に戻り、嬉々として例の鞄を持って来た。

「ここはりんごの名産地。そして、メルヘンチックな森の中…
   『本日の一本』は、コレしかありませんね。」

赤葦が取り出したのは、黄金色に輝く洋酒の瓶だった。


「『ポム・ド・イヴ』…イヴのりんご、か。」
「瓶の中に、りんごが…丸々1個、入ってますね!」

どこからともなく取り出した、アルミ製のマグカップ2つに、
赤葦はそのお酒を注ぐと、沸かしておいたお湯で割った。

「これは、りんごのブランデー…『カルヴァドス』です。」

りんごの醸造酒がシードルで、それを蒸留して、カルヴァドスは作られる。
ぶどうの醸造酒がワイン、それを蒸留するとブランデー…と同様だ。

「瓶の中のりんご…どうやって入れたと思います?」

瓶の口よりも、はるかに大きなりんごが、無傷のまま、丸々1個…
「りんごを入れて、後から…瓶を溶接した?」
「いや…その熱で焼けたり焦げたりした跡はないな。」

ヒントは…『ドウケツエビ』ですね。
以前4人で話した、『カイロウドウケツ』の中に棲む、つがいのエビだ。

「あ…わかった!まだ小さな実のうちに、瓶の中に閉じ込めて、
   その瓶の中で…りんごを成長させたんですね。」

大正解した山口に、赤葦は一番最初にカップを手渡した。
温かい湯気とともに、フルーティな香りが鼻をくすぐる。


「そして、こちらは俺と…風邪気味な月島君用です。
   アップルサイダーを温めたホットシードル…『ヴァン・ショー』です。」
りんごの発泡酒・シードル(cidre)は、イギリスではサイダーと呼ばれる。
ホットシードルは、寒い時期や風邪の時に、好んで飲まれている。

「今回は、ノンアルコールのものですが…こちらも温まりますよ。」
赤葦は小鍋で沸騰させていたヴァン・ショーを、
残り2つのマグカップに、ゆっくりと注いだ。

「それじゃあ、酒が揃ったところで…乾杯!」
黒尾の音頭で、ようやく『酒屋談義』がスタートした。



「車中で考察したのは、白雪姫が『幼過ぎた』ということだったな。
   ツッキーが示唆した、『目覚めた後の大問題』ってのは…」
「それは勿論…『王子様との結婚』、ですよね。」

相変わらずのハイペースで、山口はお湯割りのおかわりを所望した。

「白雪姫と『隣国』の王子様との結婚は、『国際結婚』になる。
   法的に二人の婚姻を成立させるには、二人がそれぞれの国で、
   『結婚成立の条件』を満たしていなきゃいけねぇな。」

結婚成立の条件…婚姻要件には、それぞれの年齢や、重婚の可否、
お互いの『血の近さ』などがある。

「結婚できる年齢…『婚姻適齢』は、国によって様々ですよね。
   日本では、男性18歳、女性16歳ですが…」
「白雪姫はドイツの童話ですが、ドイツは男女ともに18歳です。」
「アメリカでは、州によっても違うそうですね。」

女性の婚姻適齢が低い所では、メキシコの14歳や、イランの13歳があり、
また、婚姻適齢の規制のない国や州も存在している。

「国際結婚の相手が、その国の法律でちゃんと『結婚できる』かどうか…
   それをその国に証明してもらう『婚姻要件具備証明書』がないと、
   国際結婚は認められないんだ。日本人なら『戸籍謄本』だな。」

婚姻要件具備証明書は、相手国の大使館や領事館で発行される。
国際結婚は、生活上の困難も多々あるが、法律上の手続も煩雑である。

「白雪姫と、王子様の隣国に、婚姻適齢の規制がなかった時は…?」
「その時は、国際的な慣習や慣行によるが、ざっくり言うと、
   生物学的に認められた『最低ライン』で…男性14歳、女性12歳だ。」
「王子様はともかく…やっぱり『10歳』はマズいよね。」

法的には、白雪姫が『目覚めてすぐ』に王子と結婚することは、
難しいと言わざるを得ないが…『王族』は例外かもしれない。
これ以上の法的考察は、無意味だろう。


誰もが敢えて触れようとしない『本質的な大問題』…
熱いカルヴァドスを喉に流し込むと、黒尾は意を決して切り出した。

「『死体でもいいから譲ってくれ』『白雪姫は10歳』
   隣国の王子様との結婚…倫理的にどうなんだ?」

あまりに美しい白雪姫の死体。
譲り受けた王子は、片時も白雪姫から離れようとせず、
行く先々に白雪姫のガラスの棺を、従者達に運ばせていた。
それに嫌気がさした従者が、棺をどついた衝撃で…白雪姫は蘇生した。

「もしかすると…王子様は、ネクロフィリア…死体愛好家?」

山口の震えた声に、月島が小さく頷いた。
「その可能性についても、言及されているみたいだね。
   ネクロフィリアは、太古から存在する性的倒錯だからね。」

「死体に欲情してしまうネクロフィリアでないのならば、
   美しい白雪姫を、『オブジェ』として愛した…かもしれませんね。」
実に精巧に作られた、まるで生きているかのような…フィギュアだ。
王子様は、『2.5次元』を愛する人物の可能性もある。

「そして、『目が覚めた』後は、少女趣味…ロリコンだな。」
「ロリコンなら、まだマシかもしれませんね。
   王子様が、『生きているもの』に興味がなかったら…」
折角『蘇生』しても、白雪姫は王子様の愛を受けられなくなってしまう。

「いずれにせよ、こんな王子様に嫁いで…大丈夫なのかな?」
「物語に関する『その他』について、僕達がアレコレ推理しても、
   王子様の『心の謎』だけは…解けそうにないですよね。」

王子様の抱える心の謎は…あまりにも毒々しい。


「心の、謎…か。」

かなり濃い目に作られたお湯割りを、ジュースのように飲み続ける山口。
王子様の心の深淵を表すかのような、漆黒の森に視線を送ると、
赤い炭火を映した瞳で、静かに言葉を紡いだ。

「歌舞伎に、『心謎解色糸(こころのなぞ とけたいろいと)』という、
   四世鶴屋南北らが作った世話物があるんですが…
   この話は、実際に起きた屍姦事件を元に書かれたそうです。」

錯綜した糸のように、心の謎は解ける…のだろうか。

「白雪姫の『今後』が、心の底から心配です。」

温かい飲み物でも拭えない『寒気』に、4人は身を震わせた。



「…またちょっと、冷えてきましたね。
   もっとガツンと熱くなる『もう1本』…ご用意しましょう。」

赤葦は冷気を払拭するかのように、
温かい微笑みを湛えながら、鞄から小さめの瓶を取り出した。

「アダムとイヴに、禁断の果実を食べさせたのは…ヘビです。
   猛毒を持つヘビの酒…『ハブ酒』です。」

本当は、大きな瓶の中に、ハブが漬かっている泡盛なんですが、
既に工芸品の域に達っしている瓶ごと購入するのは、資金的問題が…
と、赤葦は心底残念そうに釈明した。

「瓶にハブがまるごと…まさか、その中で育てた…?」
「それも残念ですが、違います。ですが、内臓や臭腺を抜いたり、
   ハーブエキスと共に10年寝かせたり…大変な手間がかかってます。」

蓋を取ると、ハーブと共に、明らかに『強そう』な酒の香りがした。

「先程の説明では、『毒腺』はそのまま…みたいですね。
   飲んでも大丈夫…なんですか?」
「ハブの毒は、アルコールに漬けると無毒化するそうですよ。」

お湯で割ると、さらに特徴的な香りが立ち上る。
それだけで、赤葦などはクラクラしてしまいそうだった。


「ハブ酒には、12種類の必須アミノ酸やカルシウム、さらには
   リノール酸やリノレン酸も、吸収されやすい形で入っています。」
「栄養学的なモノよりも、ハブ酒の効能と言ったらやっぱり…
   滋養強壮に効く、『精力剤』ってことだろうな。」

そのイメージからか、瓶の中に2匹のハブ…
まさに『偕老同穴』な『夫婦酒』として、作られているものもある。

「こういう『精力剤』的なお酒…効果はあるんですか?」
興味津々に尋ねる山口に、赤葦はハブ酒のお湯割りを渡した。

「それは、今から自分で試してみればいいだけです。
   これならば…大蛇・山口君でも『酔える』かもしれませんよ?」

カップを受け取り、山口は大蛇よろしく一気にそれをあおった。
「クセは強めですけど…芯から温もる感じはしますね。」

ケロリとする山口を、呆れ顔で見ながら、
黒尾もほんの一口だけ飲み、ハブに関する雑学を披露した。


「ハブが精力剤に選ばれたのは、その生態に理由がある。
   ハブのオスには…アレが4本もあるらしいぜ。」

4本…4人は何となく、全員の『下の方』に視線を這わせた。

「しかも…24時間連続でナニが可能。恐れ入るぜ。」

4人だと、一人当たり6時間…いや、二人ずつ3時間×8セット…
1セット毎に交代し、1組あたり4セットが…可能なラインか。
ハードさで言えば、あの『夏合宿』に匹敵する、耐久レースかもしれない。

4人ともが同じ『計算』を脳内で皮算用し、誰もが目を逸らした。


「ま、そんなわけだから、風邪気味のツッキーと大蛇様に、
   あったかい『車中泊』を譲ってやるよ。」

この寒さの中、くしゃみ連発の月島をテント泊させるわけにはいかない。
そもそも、借りた2~3人用テントには、長身4人はとても入りきらない。

「そのお気遣い…今回ばかりは、素直に感謝します。」
「黒尾サンの紳士っぷり…ちゃんと『メモ』に書いとけよ?」

綺麗にウィンクをしながら、黒尾は毛布を多めにテントへ運び入れた。
まだ火の残っていたグリルにお湯を掛けると、
赤葦は思い出したかのように、月島と山口に言い添えた。


「今日のシメは『ハブ酒』でしたが…その『ハブ』にちなんで、
   『車輪の中心』で『接続』は…ほどほどにしてくださいね?」
「そう言えば、『ファっクしよぅっ!』も…くしゃみっぽいよな。」

お腹『等』を出したまま寝るのは、気を付た方がいいぞ?
車中と同じセリフと、毒々しい笑顔で、黒尾はこの場を閉めた。





***************





「どうして『白雪姫』の物語の鍵が『りんご』なのか…
   俺、何となくわかったかも。」

ファミリー向けの大型ワゴン車は、後部座席を倒すと、
そこそこの広さを確保でき、手足を伸ばせはしないものの、
月島と山口が『いつものように』寝るには、十分だった。

敷布団代わりに1枚、掛布団として1枚毛布を使うと、
密閉された車内は、そこそこ温かく、居住性も悪くない。

今回はノンアルコールで通したが、風邪気味だった月島は、
毛布と互いの体温で、少し眠くなりはじめていた。


「何となくというよりは、『りんご』が一番相応しい、かな。」

いつものように、漬かるように飲んだはずの山口は、
すっかり頭も眼も冴え渡り、楽しそうに話してる。

「りんごは、禁断の果実。『不道徳』のメタファ…暗喩だね。」
「有害な快楽、耽溺を表す…白雪姫の『王子様』にピッタリ。」

白雪姫の『毒りんご』とは、もしかすると、
『王子様』そのもの…なのかもしれない。


珍しく自分から抱き着いてきた山口。
アルコールの作用か、その高めの体温が…心地良い。

「ねぇツッキー…『ほどほどに』って…どのくらい?」
先程の、赤葦の言葉である。

「お腹『等』を、ちゃんとしまえばいい…くらいかな。」
黒尾の注意喚起は、『出したままにするな』という意味だ。

抱き着きながら、腿を擦りよせ、脚を絡めてくる。
1匹目の『ハブ』は、既に『接続』を望んでいるようだった。


「あまり動きすぎると、車も揺れるし…声でバレちゃう、かな?」
「親兄弟もいる家で、声も動きも殺しつつ…慣れたもんでしょ?」

2匹目の『ハブ』も、『車輪の中心』で鎌首をもたげ始めていた。


月島は、ごくごく小さな…『くしゃみ』をした。

「それでは…『ァクションっ!!』」



*****



「大丈夫か?寒くねぇか?」
「何とか…許容範囲です。」

テントの中は、尋常ではない冷えっぷりだった。
断熱用のアルミマット、その上に毛布を2枚。
体の上にも、4枚重ねで毛布を掛けるも…じわじわと冷えてくる。

熱効率と空間利用を考慮し、お互いで暖を取るように、
身を寄せ合い…できるだけ密着していても、まだ寒い。

「やっぱり…アルコールが入ってない俺は、冷えてきますね。」
「俺の方は、最後の一口のおかげか…ちょっと熱いぐらいだ。」

口を開くと、カタカタと歯が鳴る。
少しでも俺の体温を上げようと、黒尾さんは更に近づいてきた。


「お前の『酒セレクト』は、毎度ながら…見事なまでのドンピシャだな。」
「自分で飲めないのは痛恨の極みですが……お褒めに与り、光栄の至り。」

両腕ですっぽりと俺を包みながら、手放しで褒めてくれた。
暖を取っているだけなのだが、体温を上げるために背を撫でられ、
しかも、練りに練ったネタを称賛され…少々、くすぐったい気分になった。

「赤葦には、俺のせいで寒い思いをさせて…ホントに悪かったな。」
「俺の方こそ『助手席』に相応しくない…準備不足ですみません。」

この人は、いつもそうだ。
どんな時でも、周りに気を配り、自ら率先して手を差し伸べる。
自分に非がなくとも、頭を下げることができる…まさに『長』の器だ。

以前、山口が「黒尾さんのエスコートは完璧です!」と絶賛していたが、
黒尾のような『上に立つ資質』を持つ者の下で働けたら…
その『部下』や『参謀』になれる者達は、どんなに幸せだろうか。

「黒尾さんは、白雪姫の『王子様』より、ずっと…」
「王子様に相応しい…だろ?俺も自分でそう思う。」

「あの『ド変態』よりは…幾分かマシでしょうね。」
「確かに…あれよりかは、大抵の男はマトモだな。」

クスクスと笑い合う。その振動が、実に心地好い。


「そんな『王子様』から、ちょっと頼みがあるんだが…」

背を撫でたまま、黒尾さんは気まずそうに言い始めた。
「『白雪姫』は、何があっても…目を覚まさないでもらえるか?」

そう言うと、くるりと向こう側を向き、俺に背を向けた。
全身を包んでいた温もりが去り、俺は気温差以上の寒気を感じた。

「どういう、こと…ですか?」

腹の底が、キンキンと冷える感覚。
それを悟られないように、わざとこちらからも少し距離を取る。

「本当は、黙って外に出るべきなんだろうけど…この寒さだからな。
   それに、お前が本当に寝るまで…耐えるのは無理そうなんだわ。」

    お前の『ハブ酒』…すっげぇ効き目だ。

囁くようなため息に、冷えていた体が、一気に熱くなった。

暴れる自分の『ハブ』を抑えるから、白雪姫は寝ていてくれ…
『王子様』は、そう言っているのだ。


「おやすみなさい…王子様。」
「あぁ。良い夢を…お姫様。」

俺はギュっと目を瞑り、できるだけ息を殺した。
一瞬でも早く、寝てしまおう…それが、『白雪姫』の務めだ。



だが、童話と違い、現実は…そんなに甘くない。
体が触れていなくとも、『ハブ』の動く振動が、毛布を伝ってくる。
寝よう寝ようと意識を集中するほど、微かな息遣いが思考を支配する。

他のことを考えて、意識を逸らせよう。
このテントの外は、深く冷たい森。そこには…

    (すぐ傍に、車。その中には…『ハブ』が、2匹…っ!)

ハブ酒のごとく、仲良く暖かい瓶の中で、絡み合う姿…
それをリアルに想像してしまい、体中に熱が走る。

更には、その想像と熱を煽り立てるかのような、
規則的に揺れ動く、3匹目のハブ…

    (寝られるわけ…ないじゃないですか!)


熱を発し、目を覚ます…4匹目。

赤葦は静かに反転し、驚いてビクつく黒尾の背中に、額を付けた。



「『助手席』に相応しく…『手助け』致しましょうか?」



- 完 -



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※ハブ(HUB)→①クサリヘビ科ハブ属の毒蛇。②車輪の中心と車軸を繋ぐ構造。
   ③USB等、複数のネットワーク機器を接続する装置。
※井の頭公園で… →『他言無用

※崩壊する童話5題『2.白雪姫はりんごアレルギー』


2016/05/19(P)  :  2016/09/17 加筆修正

 

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