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午前5時35分。
いつも通りの時間に目覚め、念の為6時にセットしているアラームを止める。
半分程カーテンを開けたままにしている東側の窓から、朝日を浴びながら、
体温計を口に加え検温…36.50度。本日もピッタリ平熱、至って『お元気』だ。
…ここまでの作業及び計測結果は、長年機械的に続けてきたルーティンだ。
だがここから先の作業が日課となったのは、割と最近…いわゆる『新習慣』だ。
ゴクリ…
緊張の唾を飲み込みながら、息を殺して真横を向く。
キングサイズのベッドに見えるが、シングルをピッタリ並べているだけだから、
コチラが多少動いても、別のマットレスに乗るアチラには振動が伝わりにくい。
それでも、最低限の動きだけで、そろりそろりと腕をアチラ側へ伸ばし…
まずは、コチラ側のクッションを押さえる手首に、そっと触れる。
あったかくて…硬直も出ていない。
おそらく生きているか、もしくは死後間もない状態だろう。
今度は肘で上半身を支え、クッションと枕の間にある谷間へ、指先を滑らせる。
肩から鎖骨へ…そして頸筋へ。
そこで指をとめて、目を閉じて60秒…脈拍数65、こちらも平均値だ。
(よかった…ちゃんと、生きてた。)
こんな新習慣ができたのは、隣に寝る人が極めて特殊な寝相をしているせいだ。
うつ伏せ寝だって苦しいだろうに、両側からクッションと枕で頭部を挟み込み…
初めて共に朝を迎えた日、昨夜イき過ぎてホントに逝ってしまったのか!?と、
大パニックで叩き起こし…もう少しで救急車(とパトカー)を呼ぶところだった。
この人騒がせな寝相が、珍妙な髪型の原因だということは、すぐに納得したが、
「こうして寝ると落ち着く。」という言葉に、俺は別の寒気を覚えてしまった。
外界をシャットアウトすべく、両耳を塞がないと落ち着いて寝られないなんて…
まるで『何か』の声や存在に怯え、それらから隠れているみたいじゃないか!
そんなまさか!馬鹿馬鹿しい…と、冷静に妄想を切り捨てたい気満々なのだが、
この人が俺には検知不能な『何か』を見聞きしている可能性も、ゼロではない。
どんなに優秀な機械でも『無』の証明は不可能だし、何と言っても…神職だし。
飛んでも跳ねても重力に逆らい続けるあの髪だって、神がかり的じゃないか。
とにかく俺は、毎朝起きてすぐに、この人の無事を確認せずにはいられない…
特にゴクラクを味わった翌朝は、念入りに『お元気チェック』をしてしまう。
「毎朝毎朝、ヒヤヒヤさせないでくださいよ…」
俺の呟きも、きっと聞こえていない。
それどころか、いびきや歯ぎしりをしても、恥かしい寝言を叫んだとしても、
真横で眠るこの人には届かない…添寝相手としては、気を使わなくて助かるが、
余計なヒヤヒヤを味わったり、添寝の特権を享受できないのは、至極残念だ。
窓からの光に、重い瞼を上げる。
ぼんやりした視界にまず映ったのは、
朝の光の様に穏やかな…寝顔。
完全に猫を脱ぎ、安心しきった顔に、
自然と頬が緩み…幸福感に包まれる。
この寝顔を知っているのは…
この人の腕の中で目を覚ますのは、
世界で唯一、俺だけだ。
全身を満たす、じんわりとした熱。
その温もりに促されるかのように、
寝顔が見えない至近距離まで近づき…
俺は再び、瞼を下ろした。
…な~んていう、定番の『共寝の翌朝』特典が貰えないのは…切なすぎる!
べっ、別に、王子様みたいな『目覚めのキス』を寄越せとまでは言わないけど、
せめてせめてっ、『腕枕でおはよう』ぐらいは…望んでもいいじゃないか!
そういえば、当学園イチのキラキラ王子様系イケメンの、超素敵な及川さん…
あの人も、俺と似たようなことを嘆いていらっしゃった。
執事の岩泉さんが、あまりにも完璧すぎて…寝顔を見た記憶がほぼないそうだ。
及川さんより先に起きて出勤、寝た後に帰宅…主人関白を徹底しているため、
部屋の対極側にある、冷たく整った岩泉さんのベッドしか知らない…らしい。
鎌倉時代から『主人及川&執事岩泉』のカンケーが、代々続いているのに、
あまりにも塩分過多な、岩泉さんのご対応…及川さんがおいたわし過ぎる。
ところで、一口に『執事』と言っても、その系統は大きく分けて2種類ある。
一つは、律令時代の大別当から派生した役職…摂関家の家政を掌握していたり、
室町時代には将軍に次ぐ『ナンバー2』として、幕政を統括していた者達だ。
及川家の家政を延々担ってきたのが、岩泉家…800年も『阿吽』のカンケーだ。
あのぞんざいな扱いは、輪廻を数回繰り返した挙句の照れ隠しとしか思えない!
阿吽コンビは、もう前世からの因縁だと割り切って、色々諦めて貰うしかない。
そして、もう一つが、イギリスの『バトラー』の流れを持つ執事だ。
家事使用人の最上級職…主人に給仕するだけでなく、財産管理等も行っており、
『執事』という名称からごく一般的に想像するのが、こちらのタイプだろう。
どちらの執事にも共通する重要な職務…それは、『酒の管理』である。
洋の東西を問わず、酒は権力の証…政や祭には絶対に欠かせないアイテムで、
特にバトラーは、酒造や貯蔵庫管理も行う、ソムリエ的存在…酒のプロなのだ。
発酵・醸造界のドンと言われる当学園の創立者も、元々は酒のプロ…
現在の『発酵食品』ブームで、酒よりも菌活のイメージが強い大企業だ。
大企業に成長したが故に、その子息達は御曹司…『主人』に相応しいのだが、
一族の歴史を紐解くと、根本は紛れもなく『執事』の家系だ。
そのため、学園創立時は執事学科のみ…執事養成のための専門学校だった。
執事を大切にする学園の校是や、執事学科の超優遇措置の理由は、ここにある。
どのくらい執事優遇かと言うと、1年間主人に尽くせば、FA権を取得でき、
年度末の契約更改時には、執事の方に主人選択権が与えられるぐらいだ。
そのため、優秀な執事に絶縁されないように、主人は執事に忠誠を誓うのだ。
「岩泉さんともあろうお方が、毎年FA権を行使しない理由…
御本人に聞いた瞬間、殺されかけましたが…推して図るべし、ですよね。」
当学園の創立者一族には、当然ながら利酒…味覚に特化した者が多いのだが、
極度に下戸な代わりに、香りの嗅ぎ分けが得意な、嗅覚が優れた者も存在する。
酒造には嗅ぎ分け能力が不可欠…彼らは香りのプロとして一族を支えている。
そんな絶望的下戸の調香師が…赤葦家。
傍系とは言え、俺は間違いなく創立者の血脈を継ぐ…大企業のボンボン様だ。
この学園にも、何の迷いもなく『主人』の立場として入学し、帝王学を修める…
…はずだったのだ。
それが、入学後にある人と出逢った瞬間に、元々の『執事』の血が大沸騰…
「この人にお仕えしたい!」という、遺伝子レベルの使命感?運命?に従って、
学園側に執事学科への転籍を申請し、ありとあらゆる策を弄し…認めさせた。
とにかく、前例のない事態だったから、学園の事務方は大パニックに陥ったが、
AIも驚く緻密なロジックと秘密なアレコレで、不許可という逃げ道を抹消。
逆に、最終決定権を持つ経営陣…理事達はほとんどがウチの親族だから、
「それが『執事』の血だ。」と、大いに納得…心から祝福してくれた。
しかし、最大の難関は、一方的に主人に選ばれてしまった…黒尾本人だった。
神職という特殊な身分よりも、その頑固で無愛想で腹黒で地味な性格から、
執事を持つことを断固拒否…熱烈アピールを、受け入れようとしなかったのだ。
絶対に執事として認めさせる…!
何故か闘争心に火が付いた俺は猛勉強…すぐに執事学科主席にまで上り詰めた。
その情熱に心を打たれた執事一同は、全力で『赤葦徹底サポート』を推進し、
学園中に黒尾陥落作戦(色仕掛け)の、二次被害者を大量生産しながら、
契約期限ギリギリで…遂に黒尾鉄朗の首を縦に振らせることに成功した。
なお、執事学科全員からの猛攻を、一年間も耐え抜いた黒尾の羽織袴一式は、
『家内安全(ハニートラップ除け)』の御守にリメイクされ、空前の大ヒット。
一方、御成約時に俺が着ていた制服は、『恋愛成就』の御守に…即時完売だ。
「ふふふ…実にボロい儲けでしたね♪」
あぁ、思い返してみれば、我ながら寒気のする深い策謀と、熱烈な…アレだ。
生まれる前から、ずっとこの人の傍にお仕えしてきたような気がしていたが、
実際にはまだ一年と少々…あの頃の熱が下がる程、時間は経っていないのだ。
朝起きて、同じ布団の中で目覚める…
俺の想いが届いたのは、夢じゃなかったんだと実感できる、幸せな時間だ。
「ずっと、貴方のお傍に…」
6時まで…あと5分。
そろそろお腹等が空いてきたから、俺を満たして欲しいと…起こしにかかろう。
俺は最後の『お元気チェック』のため、黒尾さんの腰の下へ、強引に手をツッ…
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「…ソコはチェック、いらねぇよっ!」
「痛ぁ~っ!凄いツッコミ、キタっ!」
「誰が勝手に、可愛い山口(他1名)に、嘘八百を教えていいと言ったっ!?
どう考えても、赤葦じゃねぇ奴の主観が入ったミニシアターだろうがっ!」
「いいじゃんちょっとぐらい。それに岩ちゃんも、すっごい気になるでしょ?
あの寝相だと、朝の『お元気♪』が、めっちゃ痛そう…大丈夫かなぁって。」
「そ、それは、そうだが…そこは、あああっ、赤葦が上手いコト、その…」
「だから俺は、その『上手いコト』具合を、これから教えてあげようと…」
「正直に教えればいいってもんでもねぇよっ!こっち来い…説教だっ!」
「待ってよ岩ちゃぁぁぁ~ん!あ、それじゃあまたね、お二人さん♪」
リード…じゃなかった、ネクタイをグイグイ引っ張られながらも、
バイバ~イ♪と、こちらに手を振る及川さんに、呆然と手を振り返す。
阿吽コンビの姿が、校舎裏の茂みの中に消えるのを見届けてから、
俺とツッキーはようやくバイバイの手を止め…顔を見合わせた。
「相変わらずの…夫婦漫才だね。」
「うん…安定のドツキっぷりだよね~」
及川さんに「赤葦さんが執事になった経緯を教えて下さい!」と頼んだら、
「モッチロン、いいよ~♪」と快諾…ちょうど通りがかったツッキーと一緒に、
徹お兄さんプレゼンツ『ドッキドキ!京治のラブラブ大作戦』を聞いていたら、
ココから!というところで、岩泉さんが絶妙なタイミングでツッコミ…流石だ。
「『高性能執事AI』とまで絶賛される、淡々としたあの赤葦さんが、
桃色片想いの果てに、やっとのことで愛を実らせていたなんて…ビックリ!」
「ただ立ってるだけでもエロい人の、猛烈な求愛を一年も耐え続けた…
むしろ、黒尾さんの『ムッツリ』ぶりの方が…神がかり的かもね。」
人は見た目によらないというか…一年遅く生まれたことが、心から悔やまれる。
真偽はともかく、赤葦さんが黒尾さんを追いかけ回す姿…見てみたかった!!
それにしても…だ。
『主人&執事』と一括りに言っても、その内実はそれぞれかなり違う。
800年の歴史を持つ、由緒正しい阿吽コンビが、ただのドツキ漫才だったり、
はすに構える冷静なクロ赤コンビが、想像のナナメ上をイくイロモノだとか…
見た目からは全くわからないが、ツッコミ所満載なカンケーを築いているのだ。
「見た目では、想像もつかない…」
「俺とツッキーも、そうかもね〜」
おしゃべりしながら歩いているうちに、寮の最上階にある、俺達の部屋に到着。
鍵を開け、一足先に中へ入ったツッキーは、三歩だけ前進し…クルリと回れ右。
流れるような仕種で左手を腹部に当て、ため息が出るほど美しい御辞儀をした。
「お帰りなさいませ…忠様。」
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【く】に続く -
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※FA権 →フリーエージェント。プロ野球では、どのチームとも自由に契約できる権利。
2018/10/05
(2018/06/17分 Twitter投稿)