接続模写






「もーちょい、近付いて…」
「え、まだまだ、ですか?」
「ち、近っ、すぎねぇか?」


宇内天満、職業・漫画家。
今日も今日とて、ドツボにハマってさぁ大変。
涙の池からは、ドジョウもネタも出てくるわけがなく、
毒しか出てこないクチを持つ担当編集者様の、淡々とした叱咤激励に…溺れそうだ。

「毎度言いますけど、展開が雑です。」

展開については先週と先々週の『指摘』を、脳内コピペしてエンドレス再生をお願いします。
本日新たに追加する項目は、構図の杜撰さ…ワンパターンで響かないんですよね、全っっ然。
どんなに俺達が筆舌を尽くしても、文字数が多いというだけでスルーされる…
「絵をバーン!」という漫画の方が、タイパ重視の若者にはウケがイイんですから。

「た、タイパ?たいやき・パーティ???」
「タイムイズマネー・パーっと散財するとかマジで草www、の略ですね。」

「せめて、タイ○ズ・パーキングぐらいに…」
「今のは、タイミング・パーフェクトです…」

とにかく、流れてくるものをポチポチするだけで、容量超過な世の中です。
いいねやブクマ等、『見る価値』がたくさんついたものだけを大まかに取捨選択することが、
時間効率の良いスマートな生き方…趣味に属するものほど、時間対効果を求められます。

「文章を読解する膨大な努力と技術が必要な小説は、特殊な趣味と化しつつありますよ。」
「漫画ですら、文字数が多いと脱落者続出…ラクをすることが、賢いってことなんだね。」

というわけですので、細かな状況設定や心理描写を頑張っても、悔しいけど報われません。
忸怩たる思いではありますが、パっと見の訴求力…『絵力』の強さが、どうしても必要です。

「だから…『構図』が重要?」
「人目を惹く絵を…バーン!と。」

誰に見られなくても、認められなくても、自由に遊べる趣味…同人作家とは違って、
『宇内天満』は万人にウケて売れるモノを、生産し続けなければならない、商業作家。
需要に応じた供給をすることが、俺達の『お仕事』なんです。

「宇内さんが描きたいものを、描きたい様に描かせてあげられなくて…本当にすみません。」
「赤葦さん…っ」

「人目を惹く絵がド下手なことは、俺が一番わかってますから。精進あるのみ。」
「り、理解者がいて…涙がとまんないです。」


そんなこんなで、この『そんなこんな』を省いた方が、絶対読者が増えるよな~と思いつつ、
今回の『バーン!』な部分…キャラ同士がカチ合う場面の構図をうわの空してみたけれど、
全くこれっぽっちも想像できないし、キャラとキャラの絡み?が、よくわからない。
せめて、カラダとカラダのバランス…『構図』のモデルでもあれば、助かるんだけど。

「赤葦さん…壁に背を付けて、立ってみてもらえますか?」
「俺にモデルをしろ、と?それは…宇内さんにしては大変素晴らしいご発案ですね。」

はい、出た。満面ならぬ…能面の笑み。
無表情よりはるかに怖くて、感情が全く読めない、赤葦さんの『仮面』だ。
俺は内心の震えを何とか抑えながら、赤葦さんの前に立って壁に手を付き、精一杯睨み付け…

「踏み台、持って来てはいかがですか?」
「うっ…うっさい!だだだっ、黙ってろっ!」

シーンを再現するように、赤葦さんを押さえてガンを飛ばしてみたけれど、
いかんせん、この身長差&体格差。そして何よりも、猛禽類のような冷徹な視線…っ

   (こっ、怖っ!!!)


本能的な恐怖のあまり、身動きの取れなくなった所に、その名の通り朗らかな声…
だが、鉄のように冷え切った視線が、リビングの入口から刺し込んできた。

「相変わらず、仲良しだな〜お邪魔するぜ。」

「くっ、くくくっ、黒尾さんっ!?おおおっ、お出迎えもせず、申し訳ございません…っ」
「いや、俺の方がちぃと早く来ちまっただけ…熱烈抱擁の邪魔して、ホント悪かったな〜」
「お邪魔だなんて、とんでもない!それに、これはただ、宇内さんが…あっ、ちょっと!」


ほぼ毎週金曜日に『打合せ(直帰)』にやって来る、協会事業推進なんちゃら?の、黒尾さん。
いつもよりほんのちょっとだけ早い…タイミング・パーフェクトな登場の機に乗り、
ボディにも意識にもスキが生まれた、赤葦さんの捕縛からスルリと抜け出し、
俺は『世界一安全な場所』こと、黒尾さんの背中に引っ付き、赤葦さんを躱した(一時的に)。

「宇内さん。そんなにピッタリ張り付いて…黒尾さんにご迷惑ですよ?」
「あの…ご迷惑、でしたか?」
「いや、迷惑ってことはねぇけど…」

「潤んだ目で見上げるとは、卑怯な手を…っ」
「秘技・美少女顔身長差ビ〜ムっ♪」
「ぶっ!それ、自分で言うのかよ!」

よっしゃ!渾身の自虐ネタがウケた♪…じゃなくて。
赤葦さんが唯一強く出られない存在を、このまま盾?壁?にし続けるわけにもいかない。
でも、黒尾さん越しに放たれる笑顔が怖すぎて、とてもじゃないけど直視できない。
あぁぁぁぁ〜、黒尾壁向こうの温度が、ぐんぐん下がっていくぅぅぅ〜俺、どうすれば…


「んで?今日は一体、何の『仲良し』して遊んでたんだ?」

冗談抜きでうるうるし始めた俺に、救いの猫手を貸してくれたのは、やっぱり黒尾さんんん♪
右手で赤葦さんの頭をヨシヨシ、後ろに回した左手で俺の背中も同時にポンポン…
仲良しでもないし、遊んでもいません!と、ご丁寧な訂正が飛んで来るよりも先に、
俺は咄嗟に黒尾さんを赤葦さんの方へグイグイ押しながら、おでこを背につけて頼み込んだ。

「そのまま、ストップで!」
「え?」
「赤葦さんと、『仲良し』の反対を…遊びじゃなくて、仕事としてお願いします!」

渾身の力で黒尾さんをもうひと押し。
その反動を利用してソファ向こうへ飛び退り、スケッチブックの盾とペンの剣を構え、
俺は『仕事頑張りますから!!』と、二人の構図をガリガリとデッサンし始めた。



*****



「えーっと、要するに…モデルをしろ、と。」
「すすすっ、すみません!お察し下されば…」

「お安いご用だ。このポーズは…壁ドンか?」
「はい。そうなんですが…ちょっ、タイム!」

モデル開始直後、赤葦さんがやや慌てた様子でタイムアウトを要求。
自分を壁に閉じ込めようと突っ張る黒尾さんの腕を、遠慮がちにツンツン引っ張った。

「あの、宜しければ、スーツは脱いだ方が…」
「成程。身体がよく見えた方が…いいよな。」

さっすが、黒尾さん。気付かなかった!
赤葦さんは、単に長丁場(遅筆)を予想して、暑苦しいから脱げと言いたかったんだろうけど、
デキる男の優しく賢い提案に、赤葦さんも思わず素直に尊敬の眼差し…
俺も微力ながらお手伝いしますね、とばかりに手を伸ばし、黒尾さんのネクタイを緩めた。

『アナタ、お帰りなさい♪お疲れ様です♪』
『おう、ただいま♪イイ子にしてたか~?』

「へっっっ!?」
「うううっ、宇内さん!妙なアテレコ入れて遊んでないで…さっさと仕事!!!」

はいはい、わかりましたよー
仕事すりゃいいんでしょ、はいはいーって、ちょっとタンマ!

「黒尾さぁーん。なんで赤葦さんを…イイ子イイ子♪してんですか?」
「寝癖?で、髪がはねてたから…つーか、壁ドンで『仲良し』を表現って、難易度高ぇな。」

   『ほんの数刻ほど…うたた寝してました。』
   『遅くなっちまって…待たせて悪かった。』
   『アナタを待つのも、幸せのうちですよ?』
   『ウソだな。凄ぇ寂しかったって顔だぞ?』
   『わかっていらっしゃるなら、この腕を…』
   『素直に白状するまで…離してやらねぇ。』


「悪かった。俺の誤解…『仲良し』の反対の方の『壁ドン』なんだな。
   …赤葦、笑顔のままキレるのはヤメロ。先生は迅速に仕事開始だ。」
「今回は、主人公チームではないものの、主要なライバルチーム同士…
   地味で冷静な『じゃない方』キャラがカチ合う、布石的シーンで…」

自分の非(誤解)を認めた上で、即時軌道修正。
んでもって、赤葦さんと俺の両方を窘め、上手く操縦…この人、ホントに『将』の器だ。
この3人でチームを組んで『3対3』したら、実は最強かもしれない。

   (いつか、そんな話を描…いや、仕事仕事!)


黒尾さんの指示に従い、赤葦さんも瞬時に仕事モードに復旧し、詳細を説明。
激怒の笑みを消すと、ニュートラルな淡々とした無表情で、黒尾さんを視線で突き刺した。
すると、今度は黒尾さんの方が口元にうっすらと笑みを浮かべ、赤葦さんを射貫き返した。

「…っ!!!!!」

   無表情なのに、多くを語る…冷徹な瞳。
   笑顔のはずが、何も語らない…暗い眼。
   音も声もなく、微動だにしてないのに、
   腕と壁に閉ざされた、二人だけの空間が、
   漆黒と鮮血に染まり、破滅への扉を開く…

「いやいやいや、怖すぎるんですけどっ!!?爽やか系スポ根漫画の世界観、壊しすぎっ!!
   アンタらホントに体育会系出身なの!?黒赤コンビにモデル頼んだ俺が馬鹿でしたぁっ!」

冗談抜きで本能的な恐怖に怯みまくった俺は、思わず絶叫&号泣。
腕をピンと張り過ぎちゃうと、後戻り(仲直り)できない一触即発さが強すぎるから、
もうちょっとだけ近付いて、二人の空間と関係性に『緩み・ゆとり』を持たせて下さい!と、
珍しく仕事モードで二人に時折指示を出し、グズりながらデッサンに精を出した。


「もーちょい、近付いて…」
「え、まだまだ、ですか?」
「ち、近っ、すぎねぇか?」

魔王vs鬼神や新婚さんではない、スポ根ライバルチーム(の影が薄い方)同士の関係性を、
『壁ドン』の腕の距離感で表現…なかなか適度な具合が掴めない。
俺の「もーちょい」に合わせて、黒尾さんはごく僅かずつ腕を曲げ、赤葦さんに近付き…
う~ん、すっごい難しい。。。

「おーぃ。この体勢…地味にキツいんだが。」
「持続的壁腕立て伏せ…本当にすみません。」

「先生、できるだけ早く…閃いてくれよ~」
「難しいとは思いますが…お願いします。」
「ゴメン!なんか閃く、いい方法は…っ」

閃きで『バーン!』な構図が出来上がるなら、漫画家も編集者も要らないじゃん。
黙って突っ立ってるだけじゃなくて、担当編集者様方も、閃くためのヒント出してよ~
…って、ソレだ!!!


「ねぇねぇ!リアルに地味で冷静な『じゃない方』で、しかもライバルチームだったよね!?
   二人の高校時代の思い出話とか、暇つぶしがてらしてみてよ!ヒントになるかも♪」

「リアルに地味…しっ、失敬なっ!!」
「『じゃない方』で…悪かったな!!」

あ、ゴメンゴメ~ン!実は気にしてた?
お小言もお説教も、〆切修羅場明けたらちゃんと聞き流すからさ、今は保留でおなしゃす!

高校バレー界で知らない者はない、名門・梟谷学園主催の互助会?グループ。
栄えある梟谷グループの中でも、歴代最強と謳われているのが、木兎世代。
その時代の(影の)立役者だった腹黒猫&狡猾梟の二人が、今は魔王&鬼神…じゃなかった、
日本バレー界を(裏から)支える、やっぱり目立たないけど重要な『布石的』存在じゃん?
まさに、今回の『バーン!』なシーンにピッタリのモデル!バレーの神様ありがとうっ!!


「は〜い!おしゃべりタイム・スタ~ト♪」
「とんでもねぇ無茶振り…お前は木兎か!」
「急に、思い出話だなんて…無理ですよ!」



**********




ドツボな原稿を進めるため、『壁ドン』のモデルをすることになった、黒尾と赤葦。
だが、それもなかなか上手くいかず…早々に両手を上げた宇内は、
閃きを感じるため、モデルの暇つぶしがてら、高校時代の思い出話をしろと言い出した。


「そんなもん、いきなり言われても…なぁ?」
「お互い多忙で、これといって…ですよね?」

「木兎との自主練、その後の片付け、残業…」
「ご一緒する時間は、割とありましたけど…」

「赤葦のキツそうな顔しか、出て来ねぇぞ?」
「黒尾さんのため息の音は、覚えてますよ?」

「お前が残したトマトを、食ってやったり。」
「お夜食のおにぎりを、半分差し上げたり。」

「風呂で三字熟語しりとり、してるうちに…」
「寝落ちしてしまい、二人共のぼせました…」

じわり、じわり、腕と壁の距離を縮めながら、ひとつ、ひとつ、思い出してみる。
やっぱ大して面白くねぇな〜特筆すべきことも皆無ですね〜と、のほほん苦笑いしていたが、
宇内の「もうちょっと!もっと!」が続き、肘が壁に引っ付くまでになってくると、
間近に迫るお互いの顔から、そろりそろりと視線を外し…必死に記憶を探り出した。

   (そろそろ、何か閃かせねぇと…っ)
   (『壁ドン』じゃあ、すまない…っ)


「あっ!際限のないもっと!と、言えば…!」
「今と似たようなこと、ありましたよね…!」



*****




「…な?頼むよ!くろお~~~!!!」
「や~~~なこった!」


合同合宿の自主練後、合宿所へ戻ると、何故だか妙な静寂に包まれていた。
まるで、誰も居なくなったかのような、不気味な静けさと…息詰まる緊張感。
全員が既に寝てしまった?いや、そんなわけはない。むしろこれからフィーバータイム。
それに、たとえ爆睡していたとしても、起きているのと大差ない、賑やかな連中ばかりだ。

   (何だ?どういうこと…だ?)

何となく息を殺しながら、そろりそろりと廊下を歩いてみても、誰にも出会わない。
そうだ、ついさっきまで一緒に残業していた、赤葦なら…食堂か風呂にいるかもしれない。
そちらの方へ足を向けると、バタバタと何処かへ遠のく足音が聞こえた。
慌てて追いかけてみると、食堂を越えた先の角から、木兎が猛然と飛び出してきた。

「うおっ!!?」
「うおわぁっ!!?ビビビックリした~っ!!あ、黒尾発見!お前でもいいや!!!」

静寂を突き破る喧騒に、心臓が跳ねる反面、ほんの少しだけ安堵…それが油断に繋がった。
木兎は突然、見たこともないようなマジモードの顔で立ち止まり、深呼吸。
そして俺の手を取り、澄み切った真っ直ぐの瞳で、静かに(!?)言葉を紡ぎ始めた。


「黒尾。お前に…頼みがあるんだ。」
「なっ、何、だ…?」

   俺、ありのままのお前が…大好きだぞ。
   ずっと、一生、俺らは最高のダチだよな!
   でも、もーちょい、お前に近付きたいから…

真っ直ぐの木兎から、ストレートな…言葉。
嘘も偽りもない、太陽の光のような存在から、直球で好意を告げられて、
心動かされ、惹き込まれない奴なんて、この世に居ないんじゃないだろうか。
思わず『いいぜ』と言いそうになる寸前、焦れた木兎が『いつも通り』に戻った。

「夏休みの宿題、手伝ってくれよ~っ!!!」
「…は?」


宿題っつっても、別に割り算教えろとか、読書感想文用の絵本を読み聞かせてくれ~とか、
そういうメンドクセェことで、御猫様のおててを借りようってわけじゃねぇぞ?
お前はただ、ありのままの姿で、ちょっとだけそこにゴロンと座ってればいいだけだからさ!

「美術の宿題…大好きな友達の絵を描こう!」

気取ったり、着飾ったり、猫被ったり…
そういうんじゃなくて、いつも通りのダチの、ありのままの姿を描きましょうって。
フクロウもネコも、バレー仲間は全員俺の大好きなダチ…だから、みんなに声かけたんだ。
でも、ナゼか、みんなに断られて、逃げられ…どっかに隠れちまったんだよ~~~っ!

「つーわけで、黒尾!ありのままのお前を…
   猫被ってねぇ、生まれたままの姿で、絵のモデルしてくれよ!な?な?いいだろっ!!?」
「いいわけねぇだろ!つーか、『ありのまま』って、そういう意味じゃねぇよっ!!」

どういう意味かを説明するのは、無駄だ。
木兎のダチ共は、それが痛い程わかっているから、全員が脱兎の如く逃走し、
『見つかったらヌードモデル』な、『かくれんぼ大会』の真っ只中、というわけだろう。

   (絶対に…捕まってたまるか!)


正直なところ、毎週のように合同練習や合宿をしているんだから、
猫も梟も、お互いの全裸だって、何度も大浴場で(見ようともなく)見ている。
練習の合間に、シャツを脱いで汗を拭ったり、その場で着替えたりなんて、数え切れない。
だがそれらと、ヌードモデルをやるのは、全く話が違う。

もし引き受けてしまったら、木兎以外の全員が面白がって見学に来て、いい晒し者だ。
逆に、密室で木兎と二人きりってのも、ダチだからこそ、何か…なぁ!?
なによりも、既に『かくれんぼ大会』という、負けられない戦いが始まっているのだ。
隠れた後で一番最初に見つかってしまったら、潔く猫を脱ぎ捨ててやるが、
勝負なら、全力でかかっていくのが、ホンモノのダチの『あるべき姿』じゃないか。

「黒尾は俺のマブダチだからな!正々堂々…10だけ数えてやるぞ!」
「フェア上等!それでこそ、俺の惚れ込んだ男だ…あばよっ!」


じゅ~~~うっ、きゅ~~~うっ…
木兎のカウントダウン開始と共に、俺は全力で回れ右。
合宿所を抜け(合宿所内だけが競技範囲だとは、誰も言ってねぇだろ)、元いた場所へ…
さっきまで自主練をしていた真っ暗な体育館、その奥の用具室へと駆け戻った。

   (木兎が絶対寄り付かねぇ…片付け残業所!)

畳んだネットの下に上履きを隠し、モップハンガーを少しだけずらして導線を塞ぐ。
これならきっと、一番最初に見つかることはないはず…ちょっとだけ安堵の一息を吐き、
倉庫入口からは見えない柱型の奥にある、大型スチールロッカーの扉を静かに開いた。


「ひぃっっっ!!!?」
「んっっっっ!!!?」

自分が見つからないよう、行動していたのに。
自分以外の誰も居ないと思っていた場所に、自分以外の誰かを発見してしまった時。
隠れていた方は、こっちの気配を察して身構えていただろうが、俺はそうじゃない…
立て続けのビックリに、声よりも先に五臓六腑の全てが飛び出しそうになった。

思わずよろめいた俺を、ロッカーから伸びてきた手がギュっと掴み、中へ…
ジャージが外にはみ出さないよう慎重に引き込み、内側から器用にロッカーの扉を閉めた。

「どうか、お静かに…」
「っ、あ、赤葦…か。」

標準サイズの大人が二人入れる大型のスチールロッカーは、前回の合宿時にはなかった。
職員室あたりのお古らしい、頑丈さだけが取り柄の移設間もないロッカーの中には、
まだ隅に段ボールが二箱だけ…赤葦はそこに腰を預け、180cm弱の天井を上手く躱していた。

だが、標準とは言い難いサイズの二人が入ってしまうと、向かい合わせでもさすがに狭い。
特に俺は、段ボールもない分かなり頭を屈める必要があり、体勢を維持するのがキツかった。
それを察した赤葦は、首を少し横に倒して背後(ロッカー側面)にスペースを作り、
こちらに御手をどうぞ…と、視線を流して促した。


「さんきゅ。凄ぇ…助かったぜ。」
「お互い様…似た者同士ですね。」

緊急避難場所として、真っ先に用具室を選ぶあたり、俺も黒尾さんも安直…と見せかけて、
まさか物で溢れかえる用具室内に、ほぼ空っぽのロッカーがあるなんて、普通誰も思わない。
二重三重の盲点に隠された、俺達しか知り得ないここが、一番最初に見つかる可能性は低い。
木兎さんのキョーミがシンシン続くのは、最大30分。それまで隠れ通せば、俺達の勝利です。

人生最初(多分)かつ、最長(予定)の『壁ドン』体験会になりますが、
残り25分程の間、黙って見つめ合うだけなのは勿体無いような気もするので…

「何か好奇心をそそられる話、はいどうぞ。」
「おいおい。木兎級の無茶振りじゃねぇか。」


そう言いながらも、思わず頬を緩めていた。
いつもよりずっと近い場所から俺をじっと見上げる、いつも通りの無表情。
その真っ直ぐな瞳の中に、あからさまな程に赤葦の『本心』が見えたからだ。

   この状況、どう対処すればいいのか…
   俺には全く、お手上げ状態なんです。
   お願いします、どうか…良い知恵を。

周りから見れば、この無表情から何を考えているのかを読み取るのは、至難の業だろうが、
俺には時折、それが手に取るようにわかることがある。
きっと、思考パターンや感覚が近い、似た者同士ってやつだからだろう。

例えば合宿中、一緒に自主練残業している時。
普段通りに淡々(飄々)と片付けながら、他愛ない会話を、ほんのひと言ふた言だけ。
でも、お互いに『本心』を極力出さない同類だからこそ、お互いのことが逆によくわかって、
業務終了後、お疲れさん!と別れ際に、アメとチョコを同時に差し出し合っていたり。

   (気脈が通じ合う、って…こんなカンジか?)


   ロッカー上部に空いた、4本のスリット穴。
   そこから差し込む、非常灯の仄かな明りが、
   4つの瞳が放つ視線と、真っ直ぐに交差し、
   暗闇の中に、『何か』を浮かび上がらせる。

   (このままだと…見えて、しまう。)


「何で、笑ってるんですか?」
「いつも通りの俺、だろう?」

「えぇ。いつも通り…虚無の笑顔ですよね。」
「雄弁な無表情…本質的には、同じかもな。」

「全くもって、面白くない話です。」
「好奇心はそそられる話、だろう?」

「虚無に隠れた…動揺?は好奇の対象です。」
「動揺?の理由…知りたくねぇって顔だぞ。」

「こんなに『目』を見たのは、初めてです。」
「自分の目も、鏡でこんなには見ねぇよな。」

「見てるのは、本当に…俺の目、ですか?」
「お前こそ、俺の何を…見ようとしてる?」


あぁ、これは…マズいやつだ。
暗闇で他の情報は遮断され、スリット穴からの光が、赤葦の目だけをフォーカスする。
俺すら知り得ない、俺の中まで全部…この視線に晒され、暴かれていく錯覚に陥っていく。

   (その瞳に、惹き込まれる…)

いっそ、目を閉じた方がいい気もする。
だが、互いの瞼が下りると同時に、今度は別の何かに導かれて惹き合い、
視線じゃないものが、交わってしまいそうな…それが必然だと感じる『何か』が、
腕と壁に閉ざされた、二人だけの空間に漂っている。

「絶対、目…開けといてくれ。」
「もし、閉じてしまったら…?」

「目と同じぐらい饒舌な方も…閉じるぞ?」
「閉じる?塞ぐ…の方が、正確ですよね?」

「この場の雰囲気には、ピッタリだよな~」
「暗闇、密室、壁ドン。ない方が不自然?」

「壁ドンしてる俺がしたら、犯罪っぽいだろ?
   だから仕掛ける時は…お前の方から頼む。」
「密室&壁ドンに誘ったのは、俺の方ですよ?
   何されても不可抗力と…言い訳可能です。」

「うるせぇ、この…ムッツリ参謀め。」
「お互い様ですね…腹黒ヘタレさん。」

ついさっきまで、このロッカーの外…用具室でも交わしていた、いつもの他愛ないダベり。
言葉としては、今のもそれと大差ないはずなのに、やっぱり『何か』が違う。
狭い密室の中で密着しているだけでは、この妙な緊張感?危機感?切迫感?は、ないはずだ。
互いに迫っているのに、腕の分だけ…視点を結ぶ距離はあることが、大きく違うのだろう。

   (他愛ない、ただの冗談なのか?)
   (それとも、別の何かが見えて?)


「壁ドンって、不思議ですね。
   目を合わせすぎても、逸らせても…」
「行きつく先は、同じ結末だ。
   何かが深まって…深みに嵌るだけ。」

する方も、される方も。
近くとも接続しない距離に、惑ってしまう。
それが、壁ドンの持つ『何か』かもしれない。


半ば陶然と瞳に魅入っていたら、ツンツン…赤葦が俺のジャージの裾と意識を引いてくれた。
そして、コテンと首を横へ大きく倒し、『現状打開策』を提示した。

「腕、疲れてきたでしょう?」
「さすが、よくおわかりで。」

「小刻みに震えて…頬、くすぐったいです。」
「それじゃ、エンリョなく…肩、借りるぜ。」

このまま壁ドンを続けてどん詰まるより、もう少し密着し、視線も危機?も躱した方が得策。
そう判断した賢い参謀殿は、できるだけ楽なポーズをどうぞと、
俺が肩に顎を乗せると、腕を伸ばして俺の背を抱き寄せ、全身を支えてくれた。

「赤葦って、実は物凄ぇ…優しい奴だよな~」
「俺が優しいのは、いつものこと…ですよ?」

「まだ、風呂入ってねぇはずなのに…柑橘系?の、いい匂いがする。本当に体育会系か?」
「先程、残業終わりに用具室で一緒に使った、汗拭きシート…あなたも同じ匂いですよ?」

「黒尾さん、見た目以上に逞しくて、ステキ…ぐらい、リップサービスをくれてもいいぞ。」
「赤葦の腿、ムッチリして凄ぇキモチイイな…とか言ったら、セクハラで訴えますからね。」

「馬鹿野郎…無駄に意識させんなよ。」
「そっちこそ…笑わせないで下さい。」


本当に、壁ドンは不思議だ。
密着度としては、今の方がはるかに高いのに、すっかりいつも通りの俺達に戻りつつある。
腕の中に閉じ籠めるなら、距離なんてない方がいい、ということかもしれない。

壁に付いていた手を降ろし、どん詰まりを回避した参謀を、ギュッと抱擁…健闘を称える。
その温もりに冷静さを取り戻した俺は、余興として『将来打開策』を提案することにした。

「なぁ赤葦。お前は…笑った方が良いぞ。」
「はい?京治君は笑った方が可愛い…と?」

「悪ぃ。それは、予測も想定も範疇外だな。」
「実に正直かつ失礼極まりない謝罪ですね。」

ギリギリと抱き絞める力を強めながら、その真意は?と赤葦は先を促した。
他意はねぇからな?と伝えるように、俺は力を抜き、一転…真面目な声で語りかけた。


「今のお前の『無表情』は、危険だ。」

パッと見は無表情だが、よくよく見れば隠し切れない『本心』が、透けてくる。
特に、お前と似た思考を持つ相手や、経験豊富な年長者、観察力の秀でた奴にしてみれば、
無表情ほど読みやすいものはない…都合良く解釈(誤解)できるって利点まで与えちまう。

「饒舌な無表情…無愛想は、リスクが高ぇ。」

自分を守る『仮面』として使えるのは、無表情なんかよりも…『笑顔』だよ。
たとえ表面上であっても、社会に出たら『人あたりの良さ』は必要不可欠なツール兼マナー。
『笑顔仮面』を常時被る訓練をしておけば、とりあえず無駄な軋轢を生まなくて済むし、
付き合いの長くなる『わかってる相手』には、それが強力な牽制にもなるからな。

「笑顔は、使える。コスパ&タイパも抜群。」

俺ほどイヤらしく、胡散臭く笑えとまでは言わない。
適度に俺を見習い、テクを盗めば…お前なら俺よりずっと、上手く使いこなせるはずだ。

「俺の言ってること、わかるよな?」
「はい。説得力が、ケタ違いです。」

「期待より『そそられる話』だっただろ?」
「むしろ『そそのかされる話』でしたね。」


ふぅ〜っと大きく息を吐き、全身の力を抜いた赤葦は、
俺を絞め上げていた腕も緩め、ぽんぽんと背を撫でてくれた。

「正直、驚きました。」

俺にだけ笑ってくれとか、俺がお前を笑顔にしてやるとか、そういうお色気話をし始めたら、
ロッカーから蹴り出してやろうと、8割方本気で考えていたんですけど…
この場の雰囲気に全くそぐわない、ためになる大真面目な『そそられる話』でした。
かくれんぼから、かくしごとを教わるなんて…思わぬ大収穫です。

「俺のことを、真の意味で想って下さり…
   本当にありがとうございます。」

すぐには上手くできないですし、黒尾さんほど上手くやりすぎるのも大問題ですから、
反面教師とまではいかないものの、黒尾さんを適切に真似て、『笑顔仮面』を習得しますね。

「あなたを想いながら…微笑んでみます。」


顔なんて、見えやしない。
でも、嘘偽りない『本心』の言葉と、頬をくすぐる頬の動きで、
赤葦が今、予測と想定を超越する『かおかたち』をしていることが、ダイレクトに伝わり…
触れ合う全ての場所から、今まで感じたことのない『何か』が溢れ、全身を貫いた。


「前言、撤回…だ。」

適切とか適度じゃなくて、イヤらしくて胡散臭いとこも全部、忠実に俺を模写するつもりで、
それはそれは淡泊で、無表情より冷淡な、究極の『笑顔仮面』を、できるだけ被っててくれ。
何なら、俺の前だけでもいいから…俺の心臓のために、頼む。

あと、それから、もう一つ…


「ちょっとだけ、目…閉じててくれないか?」



**********




「…な~んていう『思い出話』が出てきたら、
   すっっっっごい筆が捗るんですけどね~♪」

無表情代表だった赤葦京治が、更に感情の読めない『能面の笑み』を被り始めた理由は!?
その裏に隠された、学生時代の知られざるエピソードとはっ!!?
タイトル『かくれんぼ、かくしごと。』…前中後編(全3話)ぐらいで、イケそうなカンジ♪

あ、でも…自分で構想(妄想)しといて、こう言うのもアレなんですけど、
『壁ドン』って最高のシチュ使ってんのに、黒赤コンビでやると、色気が消え失せますよね〜

「ねぇ、何でだと思います?…って、
   何で二人して、真っ赤っか???」

「し、知らねぇよ!知らねぇはず…だろ!?」
「宇内さんこそ、かくしごと…描く仕事っ!」


一瞬にして『壁ドン』を解除した黒尾は、宇内を軽々と抱え上げ仕事部屋の椅子へ強制着席。
赤葦はスケッチブックを取り上げ、机の上に原稿を広げペンを握らせ、部屋の扉を閉めた。

「全くもって、甚だしい才能の無駄遣い!」
「さっさと終わらせろ!飯、おいてくぞ!」
「えーっ!待って!無茶言わないでよっ!」

背にした扉の向こうから、ズビズビすする泣きべそと…軽快に筆が走る音。
それを並んで聞き流しながら、お互いから目を背けたまま、ごくごく小さく呟いた。


「俺、上手く笑えるように…なりましたか?」
「かくしごとだけは、上手くなった…だろ?」




- 終 -




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2023/06/08

 

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