「ただいま帰りまし…っと。」
買物から帰宅し、居間に入ってくると、昼下がりの穏やかな陽射しの当たる絨毯の上に、
くるりと丸まった、大きな背中…ウチの御主人様こと『黒猫』が、寝息を立てていた。
お気に入りの毛布を、ムギュっとお腹に抱き込んで横寝…これでは、背中側が冷えてしまう。
足音を立てないように、襖を開けて和室へ。
俺専用のお昼寝毛布(色違い)を出し、ぽかぽか温まった猫背にふわりと掛けてから、
俺はその背中から少し離れた場所に腰掛け、ペットボトルのお茶を傾けた。
「気持ち良さそう…ですね。」
黒尾さんの幸せそうな寝姿を見ているだけで、こちらまで頬が緩んでくる。
でもそれは、ほっこり…ではなく、強張った緊張が解け、お腹の奥にキュっとくるカンジで、
ホッと一安心というか、安堵のため息が知らず知らずの内に漏れてくるタイプのものだ。
少し前まで、黒尾さんの背中が…怖かった。
音駒を背負い、「凛!」と音がしそうなほど真っ直ぐ立った背中は、物凄く頼もしく見えた。
別のチームながら、その逞しい背中に思わず寄り掛かってしまいたくなるような『強さ』で、
その威風堂々とした後姿に、強靭な意志と絶対的安心感を覚え…密かに憧憬を抱いていた。
だがそれと同時に、その『強すぎる』背中に、全く隙のない頑なな『拒絶』を感じ取り、
その背中から目が離せないのに、どうしても近付き難くて…心の底で畏怖していた。
背中の『真っ直ぐ』が、なくなった時。
この人の全てが…壊れるんじゃないか?
周りの色んなものを抱え、包み込む包容力。
一切合切を抱え、内に積もったものを溢さないように、背中をピンと張り続けている…
背中が強ければ強い程、俺はそこから聞こえる「凛!」の音が、怖くてたまらなくなった。
いつ、この「凛!」を、緩めるのだろうか。
その背中を預け、力を抜いてくれる人は…?
きっと『俺』だったから、黒尾さんの背中に潜む危うさに気付き、恐怖を感じたんだと思う。
何故俺が気付けたか?それは、鏡に映った『自分』の後姿に…とてもよく似ていたからだ。
より正確に言えば、黒尾さんの背中を見て、自分が同じような危うい状態だったと自覚した。
(俺達…似た者同士ですね。)
その一言がきっかけだったかどうかは、よく覚えていないけれども、
いつしか惹かれ合い、背中を曝し、同じ家の同じ布団に背中を並べて寝るようになってから、
徐々に「凛!」の音が小さくなり…ようやく黒尾さんの『猫背』を、目にすることができた。
背中、まぁるくなれて…
真っ直ぐが壊れなくて、本当に良かった。
黒尾さんの猫背は、俺にとって幸せの象徴。
緩み切ったまぁるい背中を、安心して曝し合える…そんな『我が家』こそ、和みの極致だ。
「ちょっとだけ…お邪魔しますね。」
黒尾さんが抱え込む毛布を、横から思い切り引っ張って取り上げる。
空っぽになった両手が、何かを求めて宙を彷徨い…その空いた隙に、身体を滑り込ませた。
しがみ付くものを見つけた両腕は、無意識の内に俺を全身でしっかりと抱き込むと、
大きく温かい手で、俺の背中をゆっくり撫で続け…『眠気』という安らぎを分けてくれた。
「本当に、気持ち良い…です、ね。」
まぁるい背中の柔らかさを、この両腕いっぱいに抱きしめてから、
俺はようやく、心からほっこり…あったかい胸に顔を埋め、静かに瞳を閉じた。
- 終 -
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ドリーマーへ30題 『09.背中』
お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。
2020/04/11 (2020/04/09分 MEMO小咄移設)