堅実逃避






「んじゃ、オツカレ!!おさき~っ!!」
「おつかれっしたー!!ダ~ッシュ!!」


梟谷グループ合同合宿、二日目の晩。
今回は、音駒高校で二泊三日という、いつもぐらいのスケジュールだったが、
先週も先々週も、同じメンツ・同じ日程で合宿続き…三週間分の疲れが溜まっていた。

「毎度毎度、俺達に全部押し付けて…」
「逃げやがった…クソッタレ共がっ!」

特に疲労の色が濃いのが、連勤続きの中間管理職・黒尾と赤葦の二人。
先週までは、自主練後のお片付け中に逃走されても、「しょうがねぇな~」と苦笑い。
だが、昨日は無言。遂に今日、腹の底から怨嗟を吐き捨てた。


黒尾も赤葦も、普段からおクチが優しいタイプではなく、むしろ平然と毒を吐いているが、
決して『辛い』『苦しい』といった、内心を晒すことはない。
そんな二人が、苛立ちと疲れを隠し切れず、ついぶちまけてしまったことに、
お互いに驚いた顔を見合わせ、重い重いため息を零し…会話もないまま、黙々と片付け完了。

用具倉庫へモップを収納しに戻ったが、あまりにも深く沈んだ空気に堪え切れず、
黒々とした背中に向けて、赤葦は『社交辞令』を投げやりに呟いた。

「いつもいつもっ、ウチの、ぼ…」
「お前が謝る必要は…ないだろ。」

「とは言っても、一応…ウチの人ですから。」
「お前が梟谷丸ごと、負う必要…ねぇだろ!」

バタン!と、スチールロッカーを乱暴に自分が閉めた音と、自分が吐いたドス黒い声に、
黒尾は自分で驚き…そして、ゴン!と自分からロッカーに額をぶつけ、ズルズル座り込んだ。


「あー、何か…悪ぃ。」
「いえ、俺の方こそ…」

平然と答えたつもりだったが、らしくない黒尾の挙動に、
赤葦の声は動揺を隠し切れず、微かに震えていた。
聡い黒尾がそれに気付かないわけもなく、ごく小さな声で「悪かった。」と再度謝り、一転…
ニカっと笑いながら座ったまま振り向き、赤葦にペットボトルを投げ渡した。


「やめだやめだ!我慢、やめちまおうぜ!」

俺らだって、疲れるっつーの!イライラが爆発する時もあるっつーの!
何でもかんでも、俺らがいつも『おんぶにだっこ』してくれると思ってんじゃねぇぞ!!

「俺らは猫梟の『我慢係』なんかじゃねぇ!」

よぉ~し、今だけ…
鬱憤を全部、ココに思いっきりぶちまけて、スッキリしてやろうぜ!
ココには、全く同じ状況の、俺とお前しかいねぇ…他には誰も、聞いてねぇぞ!
だから、普段はグッと我慢してるけど、やってみたいことを…お互いに叫んで帰ろうぜ!!

「黒尾サンのカッコ悪ぃとこ…黙っといてくれるよな?」


パチクリと不器用にウィンクし、苦笑いを誤魔化した黒尾。
ウィンク以上に不器用な優しさに、赤葦は息をグッと詰めると、
勢いよく立ち上がってロッカーのドアを開け、仕舞ったばかりのモップを取り出すと、
体育館側から入れないように、倉庫入口の鉄扉にその柄でつっかえ棒をした。

そして、首にかけていたタオルをマイク代わりに握り締めると、
息を大きく吸い、「普段できないけど、やってみたいこと…発表致します!」と声を張った。

「人目も憚らず、思う存分…
   恋人とイチャつきたいですっ!!!」


「…は?」
「何ですか、そのマヌケ面は。」

俺だって、自由奔放な梟…ごくフツーの健康優良な男子高校生(しかも超体育会系)ですよ?
アレもコレもソレとかも、ヤりたい放題ヤってみたいに決まってるじゃないですか。
職務を離れた時ぐらい、羽を伸ばして…自分の欲に溺れてもいいですよね。

あーあー、わかってますよ、言いたいことは。
普段のムッスリした顔の下には、ムッツリな心を隠してたのか!?って。
それこそ『おまゆう』というやつですけどね、鏡…お貸ししましょうか~?

あぁ、ついでに言わせて貰うなら…
普段は周りの面倒を見る係なんで、イチャつく時はその真逆に、
ベッタベタに可愛がって頂く係なんてのも、悪くないかもしれませんね。

「以上、赤葦京治(花の17歳)の野望…
   御清聴、ありがとうございましたっ!!!」


何かご質問は!!?と、ヤケクソ気味にマイクを突き付けられた黒尾は、タジタジ…
だが、マイクを持つ手が先程とは違う意味で震えていることに気付くと、
羞恥に染まる赤葦の顔にそのタオルを被せ、ぽんぽんと頭を撫でてから、
声色にわざとらしい神妙さを纏わせ、こそこそと問うた。

「お前…恋人、いたのか?」
「この生活、この性格で…いると思います?」

「絶対、無理だな。」
「失礼極まりない断言…正当な評価です。」

「ちなみに、アレとかコレとかソレ…『イチャイチャ』の、具体的な内容は?」
「!?それは、えーっと…俺が逆に、おんぶにだっこ等…して貰う側、です!」


もういいでしょ…次、黒尾さんの番です!と、赤葦はタオルに顔を埋めながら呟いた。
重く沈んでいたこの場を和ませるため、先陣切ってらしくないネタに走ってくれた優しさに、
黒尾は再度赤葦の頭に手を乗せ、ありったけの感謝を込めて、わしゃわしゃ掻き回した。

「普段は我慢してできねぇけど、やってみたいこと…」

普段?我慢?そう表現するのが正しいかどうかわかんねぇけど、もしできるのなら…

「主将を…バレー部、やめてぇな。」


「っ!!!?」

全く予想だにしなかった黒尾の『やってみたいこと』に、
赤葦は驚愕で顔を上げたが、声は全く出せなかった。
パクパクと口を開閉する赤葦の面前に、黒尾はポケットから一枚の紙を取り出し、ピラピラ…
指の隙間から、『退部届』の文字が見えた。

「俺らだって…辛けりゃ逃げていいだろ。」

役職付だからって、その役職に雁字搦めに縛りつけられ続ける必要はねぇよ。
ツラくてたまんねぇ時には、そこから逃げ出したっていい…我慢せず、やめてもいいんだ。

俺がいなくなったら困る?いや…実はそうでもねぇさ。
自分が誰かの役に立ってるってのは、おこがましい思い込み…ただの傲慢なんだろうな。

「我慢しても、自分にできることなんて…
   たかがしれてるんだよ。」

ってなわけで、俺はこの用具倉庫を出た瞬間、主将もバレー部もやめるよ。
何もかも、ぜ~んぶ投げ出して、面倒なことから逃げてやる。

「黒尾鉄朗(オトナ一歩手前の18歳)…
   フツーの男の子に、戻りますっ!!!」


「ちょっ、待っ…!!!」

清々しい笑顔で、退部届を持った手をバイバ~イと振る黒尾に、
赤葦は思わず飛び付き、その手から退部届をもぎ取った。
そして、奪い取った紙を後ろ手に隠し、何も言えないままプルプルと頭を横に振り続けた。

先程までとはまた違う色に染まる、赤葦の頬。今までとは全く別のものを我慢し、潤む目元。
初めて見るその表情に、黒尾はこれまで感じたことのない熱を帯びた息を飲み込むと、
赤葦をギュッと抱き締めて紙を取り返し、今度はそれを大きく広げて赤葦に見せた。


「見ろ。ただの『退部届』じゃねぇ…だろ?」
「『仮』退部、届…?」

「『仮入部』があるんだから、『仮退部』があったっていいだろ。」
「そ、んな…っ!」

黙って職務から逃げたりしねぇ。でも、職務から逃げられねぇ現状にも、黙ってねぇよ。
正々堂々と、逃げさせて貰うだけ…いつもしねぇことを、今日だけはしてやるさ。

「きゅっ、休暇届じゃ、ダメなんですか…?」
「休暇中にも事務連絡が来る…休めねぇよ。」

「こんなの、受理して貰えるわけ…」
「出してみなきゃ、わかんねぇよ。」

仮退部の期限は、明日朝9時まで。
合宿所に戻らず、今晩だけ帰宅して、のんびり休ませてくれっていうだけの話だ。
この程度のSOSを聞いてくれねぇような、心と視野の狭い監督達じゃねぇ…そうだよな?
今から俺は、この届を提出して、ウチに帰る。ただ、独りで帰るのは寂しいから…

「共犯者、募集中だ。」


黒尾はポケットからボールペンを取り出し、届出人の欄に自署すると、
届出先の『猫又監督』の横に、『闇路監督』と併記して、赤葦にペンを渡した。

「おんぶにだっこ…して下さるんですよね?」

赤葦は黒尾の返事を待たず、『黒尾鉄朗』の横に『赤葦京治』と書き足すと、
ついでに『朝9時まで』を『正午まで』に書き換え、満面の笑みで紙とペンを黒尾に返した。


「それでは共に…逃げましょう!」
「オツカレさん…ダ~ッシュ!!」




- 終 -




**************************************************


2022/03/06

 

NOVELS