初心表明






「俺が主将になった、あかつきには…」


梟谷学園合宿所。
今日も最後まで自主練に付き合い、お片付けや諸々の雑事をこなした副主将兼事務総長は、
閉店に近付き閑散とした食堂へ早足で駆け込むと、同じ勢いで晩御飯(カレー)を掻き込み、
綺麗に空いた御膳を返却口に戻してから、テーブルの上に書類を広げた。

あと、もうひと踏ん張り。
来週の合同合宿の要綱(案)を仕上げたら、やっと寝られる…はず。
食堂を使わせて貰える、あと15分の間に何とか終えて、今度は風呂にダッシュしなければ。

   (わかっては、いるんだんけど…)

蓄積疲労と、たった今酷使した胃袋に血液を回しているせいで、脳が一向に回らない。
消化とやる気を促すため、深呼吸…したつもりが、ただの『はぁ~』という重いため息に。
ぼんやり書類を眺めていると、バタバタと大きな足音が響いてきた。


「スンマセン!遅くなりました…っ!!」

ぜぇぜぇと息を切らせて食堂に飛び込み、肩と頭を上下させてスタッフさんに詫びたのは、
自分と同じく…いや、自分よりもずっと遅く、最後の最後まで雑務に追われている人。
いつも通り、彼が一番最後の到着だと熟知し、待ち構えていたスタッフさん達は、
大盛カレーにオマケのデザート&お夜食まで渡し、山盛りの笑顔で盛大に彼を労っていた。

   (凄い…大サービス。)

ココの生徒じゃないのに、すっかりウチのスタッフさん達と仲良しになり、
そのスタッフさん達にも、誠心誠意を込めお礼と労わりの言葉を返す姿に、
知らず知らずのうちに頬が綻び、『ふわ〜』と抜けた息が零れていた。

   (あぁいう人が、『将』たる器…)

書類の隅に、思い浮かんだイメージを、走り書き。
これを『言葉』にして伝えるには、どう表現すればいいだろうか…
軽く目を閉じて思考を浮遊させていると、静かな足音が徐々に近付き、斜め前で止まった。


「遅くまで、お疲れさん!赤葦。」
「黒尾さんこそ、お疲れ様です。」

テーブルを挟んではす向かいに座った黒尾さんは、いただきますを言う前に、
熱いお茶の入った湯呑を御膳から下ろし、俺の前に置いてくれた。

「あっ…ありがとう、ございます。」
「ちょっとだけ…茶に付き合えよ。」

ほら、デザートも…フォーク、2本あるぜ。
食べ終わったら、仕事手伝うから…寂しい『独り飯』の間、話し相手になってくれねぇか?

「疲労困憊な俺を…介護するつもりで。」
「お夜食のおにぎり…半分下さるなら。」

お安いご用だ!お前は優しいよな~
それだけ言うと、黒尾さんは黙々とカレーを食べ始めた。
話し相手なんてのは、ただの方便。要は俺に休憩しろという…紛うことなき優しさだ。
こういうことを、スっとやってのけられるからこそ、この人は…

「やっぱり…『将』ですよね。」
「ん?『将』って…何の話だ?」


俺の呟きが聴こえたのか、はたまた走り書きが見えたのか。
黒尾さんはサラダにちょびっとだけお醤油を垂らしながら、俺に先を促した。
話し相手になれとは言われたが、こんな話をしても全然面白くないな…と思いつつも、
他に気の利いた話題もないし、年寄りの茶飲み話ぐらいのつもりで、俺は口を開いた。

「俺が主将になった、あかつきには…」


梟谷バレー部は、次期主将を部員全員による投票で決める習わしなんです。
候補が数人いる場合には選任選挙として、一人だった場合でも信任投票が行われます。

「来年は…赤葦京治一択だろうな。」
「現状ですと、恐らくそうですが…」

いずれにせよ、選ばれた時には御挨拶…所信表明演説をしなければいけません。
自分はどんな主将となり、どのようなチームを作っていきたいのか…全員に示します。

「参考までに聞かせてもらうが、昨年は…?」
「あの木兎さんだって、しましたよ…一応。」

まぁ木兎さんの場合、アイドルのエース選抜選挙?だと、完全に勘違いしてたんですけどね。
俺がセンターだ!んでもって、選挙公約?は…『恋愛禁止ルールやめます!』だぞっ!と。

「木兎らしいっつーか…誰も敵わねぇよな。」
「えぇ。満場一致で…トップアイドルです。」

   ホント、アイツには絶対、敵わねぇよ…


黒尾さんはそう小さく零すと、何かを飲み込むように、ぬるくなったお茶をあおった。
その飲み込んだ『何か』が、どんな味をしているのか…俺も、よく知っている。
そして、それをなかなか自分では吐き出せないことも、熟知している。

だから、その『味』がすんなり自分の口から出てきたことに、
話を続けた俺自身が、一番驚いていた。


「本当に、木兎さんには絶対、敵わない…」

木兎さんから主将を引継ぐと思われる俺は、部員達の前で、一体何を語るべきなのか?
事務方トップ…参謀としての適性はあれど、俺は『将』たる器ではありません。
これといったアピールポイントも、個性的な趣味や、際立った特技もあるわけではない。
頂へ到る道を作ることはできても、その道を燦々と照らし、皆を率いていくなんて…

「自分がどんな『将』になるべきなのか、全く想像できないんです。」

所信表明演説で訴えようと考えている公約(案)も、何だかパッとしません。
というよりも、今のところ思い付いたものと言えば、
①ウチの1stユニフォームと2ndユニフォームを入れ替えます、もしくは…
②ジャージの色を白ではなく、黒や紺等の濃い色のものに変更します、ぐらいです。

「せめて、音駒さんみたいな赤だったら…っ」



「ちょいタンマ。何でそんな、色に…拘る?」

黙って赤葦の話を聞いていたが、全く予想だにしなかった公約に、思わず『待った』を…
手にしていたスプーンを、ぽとりと落としてしまった。

「それですよ、それっ!」
「えっ!?な、何だ!?」

俺の粗相に、赤葦は大きな声を上げて立ち上がると、
スミマセン!おしぼり…もう1回、貸して下さいっ!!と、スタッフさんの所へ猛ダッシュ。
怒涛の勢いで戻ってくると、俺の背後に回り赤ジャージを思い切り引っ張った。

「脱いで下さいっ!!」
「は?え、ここで!?」

「そうですっ!ここで今すぐ、早くっ!!」
「ぅわっ!?ちょっ、やめっ、脱がすなっ」

赤葦らしからぬ突然の御無体に、さすがの俺も驚いて逃げ腰になってしまった。
その一瞬の隙に、赤葦は俺のジャージを剥ぎ取ると、首に掛けていたタオルを下に敷き、
濡れたおしぼりでジャージをトントン…忙しなく手と口を動かし始めた。


「これが、公約の、理由…ですっ」

揚げ物にソース、焼魚に醤油、サラダのドレッシングに、極めつけはカレー!
食べ盛りの体育会系男子高校生に、白い服を着せることが、そもそも間違ってますよ!
特に合宿所のガッツリ系ご飯のおかずには、濃い色の調味料が抜群に合う…
合宿中、ほぼ毎食のように、俺は白いジャージについたシミを、トントンしてるんです!
つい小一時間前も、食堂入口手前ですれ違った木兎さんの、白ジャージについたカレーを、
お腹をグーグー鳴らしながら、トントンしまくったばかりですからねっ!

「ウチのユニフォーム&ジャージを白にした先輩方を、恨んでも恨み切れません!」

だから俺は、これ以上ムダかつ手間のかかる仕事を増やさないですむように、
ジャージやユニフォームは、シミが目立たない色にしましょう、と…

「シミ抜きぐらいしか特技がない主将なんて、皆が安心してついてきてくれるわけ、ない…」


元々目立たない赤ジャージからは、しっかりシミが抜け切ったが、
赤葦の声からも、トントンからも勢いがなくなり、すっかり沈み込んでしまった。

俺は逆に、その姿に胸の内を激しく殴打され…
トントンしてもらった分を全部お返しするように、赤葦の背を力強くドンドン撫で叩いた。


「お前はホントに、優しいよな~っ!!!!」

次の事務方トップだか副主将だか、はたまた各家庭のお母さん方だか、
どこかの誰かが、シミ抜きというプラスアルファの重労働をしなくてすむように…
『誰かが少しでも助かるように』ってのが、お前の公約の『真意』だよな。
そんな小さなことにまで、気を配ってくれる主将だなんて、正直、梟谷さんが羨ましいぜ。

「そういう『将』を、俺は心底…尊敬する。」

だが、そういう『将』だからこそ、心配なことがある。
梟谷を『間近な外』から見ている俺には、お前の気持ちもよ~っくわかるが、
同時に、お前以外の部員達の思いも、案外よく見えてたりするんだよな。

だから、赤葦の所信表明演説…
こう伝えたら、いいんじゃないかな~?と、俺は思うんだ。

   『俺は絶対、木兎さんを…目指しません。』


「…っ!!?」

俺の提案に、赤葦は声も出ないほど驚愕。
それだけは絶対有り得ない…むしろ真逆ですよと反論するように、首を激しく横に振った。
その動揺を静めるように、赤葦の頬を両手で包んで止めると、
自分の中でずっと蠢いていた『何か』も鎮めるように、ゆっくりと断言した。

「木兎には、絶対に敵わねぇ。俺も、お前も…誰も彼も。」


俺とお前が惚れ込んでいるアイツ…強く惹かれるからこそ、劣等感からも逃れられない。
どんなに努力して、アイツと同じようにしようとしたって、絶対に敵わないんだ。

「俺もお前も、木兎光太郎には、なれない。」

アイツと『同じ』を目指すのは、苦しいだけ。
だが、あの光りが眩しすぎて、その残光を目指して歩いてしまうのも、仕方ないこと…
誰も彼もが、強烈な残光に目が霞み、自分や周りが見え辛くなることも、わかってるんだ。

「頭ではわかってても…自分が暗く、感じてしまうんだがな。」

木兎が去った後、残された梟谷部員の全員が、同じ『光の重み』に苛まれること…
『将』を引継ぐ真面目な赤葦が、最も苦しむだろうことを、皆が予感しているはずだ。
そんな中、赤葦自らが『木兎の光を追わない』ことを、所信表明したとすれば…

「これ以上、『安心』できる言葉はねぇと、俺は思うんだが…んなっ!?」


呆然と黒尾の言葉を聞いていた赤葦だったが、しつこく溜まった『何か』を押し出すように、
黒尾の胸に額を当て、背に腕を回し、トン、トン…声を震わせてしがみ付いた。

「やっぱり、あなたこそ『将』…です、ね。」

目を逸らしたいはずの劣等感を認め、自らの弱さを曝け出すことで、俺を助けてくれた…
こんなにも安らかな心を下さるあなたを、俺も心底…敬愛、致します。

「黒尾さんのような『将』を、俺は…目指します。」



「今の言葉、絶対に…他の奴の前では、言うなよ?」

ぽそり…と、掠れた声が降って来た。
驚いた赤葦が顔を上げると、そこには真っ赤に染まって固まる、黒尾の顔…

「っ!!?え、何…で?」
「何でも…ねぇ、よっ。」

何でもないと言いつつも、黒尾は「あぁ~っ」とか「うぅ~っ」と赤面しながら独り悶絶。
そして、自らを宥めるように、赤葦を再度ギュっと抱き締めて、背中を優しく…ポンポン。

   お前に見限られねぇよう
   俺も頑張らねぇとなー!っていう…
   所信…『初心』表明みてぇなもんだよ。

「…ありがとな、赤葦。」
「っ!!!?は、ぃ…っ」


思いがけない黒尾の言葉と笑顔に、今度は赤葦が言葉を失って大赤面。
へろへろと膝から崩れ落ち、再び黒尾の胸に頬を着地させた。

そして、暫くそのまま、二人でガチガチに固まり合ってから、
赤葦は二人分の熱が染み込んだ黒尾のTシャツの裾を、指先でそっと引いた。


「鼻水等のシミも…ちゃんと、ぬかないと。」
「それ等も含め、もう全部…ぬかれそうだ。」




- 終 -




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2021/12/03   

 

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