※梟谷が春高優勝、その翌朝。



    朝朗治定







「…寒っ」


始発電車もまだ動いていない、真っ暗闇に包まれたままの早朝。
朝練に出る前、自宅から30分ほどの場所にある、大規模都市公園までランニングし、
公園内の池のほとりで、休憩がてら朝食のおにぎりを食べ、学校へ向かう…これが俺の日課。
梟谷学園に入学し、同日バレー部に入部した翌朝から、特段の事情がない限り続けている。

「寒い寒い寒い…っ」

いつもより呆然とした頭。力の入らない足。
惰性だけで通常ルーティンをこなし、無理矢理『通常』に身を置こうとしているだけでは、
体も温まらず、芯から冷え切ったまま…血の気のない手で、凍て付く鉄製の手すりを掴んだ。

「…冷たっ」

走って来たはずなのに、上がらない息。
その代わり、カタカタと歯が震え…手すりを掴んでいないと、膝から崩れそうになる。

「寒い、冷たい、だから…っ」


本当は、この震えが寒さや冷えからくるものだけではないと、はっきり自覚している。
いくら『通常』をこなしても、芯からくるこの震えが治まらないことは…わかっている。

   (わかっていても…どうしようも、ない。)


昨日、春高が閉幕した。
結果は、我らが梟谷学園の優勝…全国制覇の悲願を達成した。
誰よりも強くありたい。スターを一番高い所で輝かせたい。仲間達と、頂の景色を眺めたい。
一秒でも長く一緒にバレーをしたい一心で羽ばたき続け、ようやくそこへ辿り着いたのだ。

試合中も、優勝後も、ずっと夢見心地。
何が起こったのか、自分でもよくわからないぐらい…ひたすら無我夢中だった。
きっと、自分の声も聞き取れないほど、我を忘れて絶叫し、歓喜に咽ぶったんだろう。
周りのみんなが何を言っていたかも、全然わからない…きっと、意味ある言葉はなかったし、
そんなものは必要なく、いつまでもその余韻に浸り続けていたかった。


まるで、虚空を飛んでいるような状態のまま、後片付けや祝勝会を終えた後、
ふっ…と、疲労と眠気を思い出し、ようやく地に足を付けて一息ついた…その瞬間。
久々に誰かの『意味ある言葉』が耳に届き、俺の意識は真っ逆さまに堕ちて行った。

   これぞ文字通り、有終の美だよなっ!
   エースに相応しい、エンディングだ!
   心置きなく、笑顔で羽ばたけるぞ~!

「お前がいるから、俺らも安心して行ける。
   次も任せたぞ…『新主将』!!」


   (…あぁ、そうか。)

負けたら、そこで…終わり。
3年生は引退し、『今のチーム』は解散。だから、一試合でも長く一緒にプレイしたいと…
そればかりに気を取られ、俺は『当たり前のこと』をすっかり失念していたのだ。

   (結局は、同じ…)

最後まで負けなくても、終わりは来る。
3年生が引退し、『今のチーム』が解散するフィナーレは、どのチームも全く同じだ。
大エースだけでなく、支えてくれたみんなが、いなくなってしまう…
『新主将』という名と共に、俺を置いていってしまう事実は、優勝しても変えられないのだ。

   (重、い…)


役職が格上げされたからといって、俺の抱える実務量が今までと変わることはない。
責任の重さだって、今までも副主将にしては重すぎたから、大して増量したとも思えない。
同期で常時スタメンだった者もおらず、今と同じように、次のチームも俺が回すのが…適役。

だが、『適役』と『適任』は全く違う。
俺は根っからの参謀タイプ…『光』に『陰』から寄り添うことで、時折光って見えるだけで、
自らが表で光るわけじゃない…光を放つ恒星ではなく、光を受ける惑星でしかない。
星は星でも、ホンモノのスターだった木兎さんと俺とは、全く異質の存在だ。

   (俺は、『輝く星』には…なれない。)

主将に実務調整能力だけが必要ならば、俺以上の適役はいないだろう。
しかし、主将として周りを照らすには不適格…周りを惹き付けるような引力も、ない。

「俺には、重すぎる…」


自らが光りを放ち、周りを引き寄せる星にならなければいけない『重さ』に加え、
『全国制覇』という目映い『栄光』が、俺の中に暗く重い陰を落とし…芯が震えるのだ。

   (『光』が、怖い…っ)

新しく主将の任を与えられた全ての者達が、俺と同じような『重さ』を抱える命運だが、
その重量?光量?は、高い場所に登る程に増していく…つまり、俺が『全国一』の重さだ。
更に、先に輝いていた星が眩しいほど、残像が目に焼き付いた者達から見た『次の星』は、
余計に暗く鈍く、霞んで見える…とてもじゃないが、『期待の星』には見えないはずだ。


   (怖い…怖い…っ)

カタカタを超え、ガクガクと全身が戦慄く。
上手く呼吸ができず、吐き気が湧き上がってくるのに、胸が痞えて乾いた喘ぎだけが漏れる。
明るみ始めた東の空を見ないように、歯を食い縛って目を固く閉じ、手すりに縋りつく。

   (いやだ…かえりたく、ない…)

俺の震えが伝わったジャージのチャックが、冷たい鋼鉄の手すりに触れて甲高い音を立て、
それに驚いた越冬中の渡り鳥達が、ばさばさと抗議しながら池から飛び立って行った。

「俺も、一緒に、どこかへ、連れてって…っ」


「確かに。寒ぃし疲れたし…旅も良いよな~」



*****



突然闇夜を切り開いた、朗々たる声。
いや、実際は『朗々』とは真逆な、眠気をたっぷり含んだ大あくび&寝惚け眼だったが、
驚きのあまり手すりを離し、ずり落ちそうになった俺の腕を強引に掴んで引き上げると、
冷え切った手のひらの上に、ほかほかと湯気を立てる包み…肉まんをそっと置いた。

「うぅぅぅぅ~~~寒ぃ!風の当たらねぇ、あっちの裏に行こうぜ!」

つーか、昨日やっと春高が終わって、全国制覇したばっかりだってのに、
今日も通常通り極寒夜明前のランニングとは、さすが全国一の参謀…いや、新主将様だな!

「お前、間違いなく…ドMだろ。」
「失礼な…否定できませんけど。」


突然の登場に驚きはしたが、この人がここに居ることに関しては、大して驚かなかった。
今まで何度も…合宿中の早朝自主練の時や、深夜残業の時にも、こうして突然現れては、
俺におやつや飲み物等と共に、ふわっと息を抜く時間をくれた…黒尾さん。

   (来てくれるんじゃないかと、俺は…)

自然と頭に浮かんできた言葉を、俺は鼻水とともに啜り上げ、
クシャミと一緒に、いつも通りの淡々とした言葉を吐き出した。


「このクソ寒い未明に、何しにこんな所へ?」
「その言葉、そっくりそのままリターンだ。」

ほら、ちょっと俺の肉まんも持っててくれ…よし、とりあえずこれ被っとけ!
あとは、後ろ向いてジャージとシャツ捲って…腰にホッカイロ貼ってやるから。

「うっわっ!耳…冷たっ!真っ赤だぞ!?」
「それは真っ赤な嘘…見えてませんよね?」

自分がしていたネックウォーマーを外し、俺の頭からスポっと被せた後で、
ふわふわの手袋で俺の両耳と頬を包み、揚げ足をとるなよ~と、柔らかく微笑んでいた。
(…ように、見えた。)

両手に乗った肉まんと、腰に貼られたカイロ。そして、柔らかくてあったかい手の感触に、
凍て付いていた芯が、少しずつ解され…いつの間にか、カタカタも治まっていた。


「あくびがうつって…眠たく、なってきまし…た…っ」
「そうか…それなら、ちょっとだけ目ぇ閉じてろよ。」

頬から手を外すと、右手でぽんぽんと軽く背をたたき、左手で頭をよしよしと撫でてくれた。
徐々に強くなるその力に、俺は抗わず…大あくびをしながら、温かい胸に額を付けた。

   (今、これをやられてしまうと…っ)


   あくびで、滲む視界。
   寒暖差で、揺れる喉。

やりきった後の達成感。結局終わってしまった虚無感。これから背負う過重への恐怖。
これらが全て熱に溶かされ、込み上げてくるものにも、俺は抗うことができなかった。

「肉まんで、両手が、塞がってる、から…っ」
「俺に暖房扱いされても…拒否れねぇよな~」

「急に、俺のことを、あっためる、から…っ」
「凍ってた鼻水等が、溶けちまった…だろ?」

「俺っ、泣いてなんか、いません、から…っ」
「何か言ったか?それに、暗くて見えねぇ…」


この人は、いつもそうだった。
合宿中のしんどい時も、それには全く気付かないフリをして、ぽんぽん&よしよし。
何も聞かず、何も見ずに、ただただ傍に居て…ツラい時には、いつの間にか居てくれた。

   (そんな黒尾さんのことを、俺は…)

昨日までは、ライバルチームの主将&副主将という、お互いの相容れない立場もあり、
自分の弱さを曝け出すことも、その優しさに応えることからも、ずっと逃げ続けていた。

   (でも、今は、もう…)


「離して、下さい…肉まん、食べたいです。」
「お前なぁ…素敵ムードぶち壊しやがって。」

「両手が塞がってて…抱き返せませんから。」
「そっちを先に言え…って、両方食うなよ!」

「黒尾さん、お茶を…勿論、ありますよね?」
「コノヤロウ…ジャスミン茶でいいよな!?」

「なんやかんや零れたんで…拭いて下さい。」
「ハンカチねぇから…俺のジャージで拭け。」

そう言うと、黒尾さんは再度俺の頭を強く引き寄せ、背中もすっぽり覆ってくれた。
俺は胸に顔を埋めて『なんやかんや』を全部預けるため、空いた両腕を背中に回した。

   (やっと、息が…つける。)

胸いっぱいに黒尾さんの温もりを吸い込み、全身の力と心の閂を抜く。
隅々まで解かすように、背を撫でるテンポに合わせて、大きく深呼吸してから…
緩んだ隙間から、胸の奥底で凍っていたものを、少しずつ溶かし出していった。


「俺は、自分では輝けない星…惑星、です。」
「俺は、星ですらなかった…知ってるだろ?」

自らは光らない。だが、周りの光を引き寄せ、爆発させることで、大きく光って見えるだけ。
しかしその内部は、重さで押し潰された、ただの真っ暗闇。それが、俺…ブラックホールだ。
自分で光を放たなくても、光を反射したり、光を集めたり…方法はいろいろあるんだよ。

「適任かどうかを決めるのは、お前じゃない。光ってる星を眺めるのと、全く同じく…な。」

どちらも、第三者の目…他人の評価だ。お前が気にすることじゃない。
お前なら大丈夫だと任せてくれたパイセンと…チームメイトの目を信じてればいいんだ。
あと、『期待の星』ってのも、観測者側の勝手な妄想…そんな名前の星なんて、存在しねぇ。

「選んだ方にだって責任はある。妄想の責任を取るのも、自分自身…そうだと思わねぇか?」
「じゃあ俺は、目を閉じたまま…期待をブラックホールにぶち込む道を、選びましょうか。」


全てを吸い込み、俺をすっぽり包み込んでくれる、朗らかな…真っ黒。
この中でなら、俺は頑張って光る必要はない…穏やかに目を閉じて、眠ってもいいのだ。

   (すごい、落ち着く…)

わずかに開いていただけの隙間が、今やすっかり緩み…あくびと共に、微笑みが溢れてくる。
俺が落ち着けるこの温かい場所に、ずっと居たいという想いも、自然と湧き出てきた。


「黒尾さん、肉まんの御礼…何がいいです?」
「愛車に乗って…二人でどっか行かねぇか?」

…ん?始発前にココに居るってことは…
まさかこの人、極寒の夜明け前に、チャリでこんなとこまで来たというのか。

「引退直後に、わざわざ早朝からナンパ…いやはや御苦労様ですね。ドM確定ですよね?」
「引退したんだ。もう、誰の目も…気にする必要もねぇんだからな。ドMは未だ推定だ。」

「俺が弱っている時につけ込むとは…全くもって、恐ろしいほどの腹黒ですよね。」
「お前が弱ってることに気付いたのが、俺だけだという事実は…全宇宙より重い。」


黒尾さんの愛車・流星号の荷台に跨り、後ろからギュっとしがみ付く。
どこか遠くへ…俺を連れてって下さいとの願いを込めて、背中にそっと額を付ける。

「…重っ!赤葦っ、途中で交代しろよっ!?」
「何か言いましたか?前が見えないもので…」

「テメェ…このまま俺んちに、連れ込むぞ?」
「それか、我が家の方へ…来ちゃいますか?」

「そっ、それは…お前のチャリを取りに…?」
「どちらでも構いませんが…お任せします。」

「まっ、任せるって…なんつー無責任なっ!」
「責任は黒尾さんが取って下さる…でしょ?」


ほんのりと色づき始めた、朝朗(あさぼらけ)。
光を受けて赤く染まった顔と、触れた背中から伝え合う、そわそわ?ドキドキ?な震えを、
お互いにまだ気付かないフリをしながら…眩しい太陽に向かって、ゆっくり走り出す。


「黒尾さん…ありがとう、ございました。」
「告白なら…聞こえるように言ってくれ。」





- 終 -




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※朝朗(あさぼらけ) →夜明け前。
   治定(じじょう) →決定すること。落ち着くこと。


『梟谷全国制覇の翌日早朝、
   2人で会って静かに語らう…みたいな(笑)』
…yuiさん、リクエストありがとうございました!


2020/03/18  

 

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