甘露之願







日中は、まだまだ半袖で十分だけど、朝夕は冷えるようになってきた。

部活帰りに寄ったコンビニでも、アイスではなく肉まんを買うようになったし、
レジを待つ間、あたたかい湯気をあげるお出汁の香りに抗えなくなり…
冷えたお茶の代わりに、おでんの大根(つゆ多め)を追加で買ってしまった。

独りで残業を終えた、帰り道。
寒いとまでは言えないけれど、風はそこそこ冷たくて。
そんなにお腹は空いていなかったけど、あったかいものに触れたくなったから。

   (そういう…季節、だから。)


玄関だけに灯りが点いた、自宅。
両親は『人肌恋しい季節だから♪』と…どこぞへお泊まりすると言っていた。
ブレザーの上着を脱ぎ、手洗いうがい。自動お湯はりボタンを押して居間へ。
お風呂の準備が整う間に、お夜食の肉まんとおでんで、暖を取る。

「ソーセージも…買えばよかった。」

音のない空間が、何だか居心地悪くて、ポソリと呟いてみたけれど、
いつもより広く感じる居間の中に、冷たい秋風が吹いてきたように感じ…
クッションを抱いてソファに寝転がり、自分以外の音を求め、TVをつけた。


   『今日は、二十四節気の寒露です。』

寒露は、24のうち17番目。
ひとつ前が『秋分』だから、暦の上ではまた一歩、冬に近付いたことになる。
皮膚感覚としても、字面的にも、新しい何かが訪れて来ているような気がする。

確か、寒露の期間の七十二候のうち、初候は『鴻雁来(こうがんきたる)』だし、
雁と言えば、遠くから訪れるものの代名詞…『遠つ人』が枕詞だったはずだ。

   今朝の朝明(あさけ) 秋風寒し
   遠つ人 雁が来鳴かん 時近みかも
   (大伴家持・万葉集 巻17-3947)

冬の寒さは嫌だけど、遠くからやって来る人が居て…その声も、何だか恋しい。
万葉の世でも、やっぱり寒露は『そういう季節』だったんだろう。
これはただの偶然だが、この和歌は寒露と同じ…万葉集の巻『17』にある。

「雁が、恋しい…」


いつの間にか、TVは雁ではなく鷹と鷲の話…切ないプロ野球ニュースに。
恋(鯉)しい気持ちを振り払うべく、チャンネルを切り替えると…今度は龍だ。

ツンツン黒髪の少年が、七つの珠を集めて龍を呼び出し、願いを叶えて貰う…
遠くに逝った人を想う懐かしいアニメのシーンにすら、郷愁を感じてしまった。

   (そう言えば、あの人…)

不意に頭に浮かんだのは、遠くに居る、ツンツン黒髪の…
もしもあの腹黒な人が七つの珠を集めたら、神の龍に何を願うのだろうか。
きっと『つかもうぜ!』と、自分の努力だけで得られるものは、望まないはず…
願われた龍が困るようなことを敢えて願い、まずは龍の力量を図ると思われる。

「『や…ムチャ、言うな。』とか、龍に言わせたいだけかも…」

しょーもないオヤジギャグを聞くまで、俺の願い事は教えてやんねぇよ!と、
『がん』として譲らない姿を想像し…思わず頬が緩んでしまった。

あぁ、凄い…気になる。
どうしても、あのツンツン腹黒猫から直接、答えを聞きたい…今、すぐに。


   『もしもし。今日もおつかれさん。』

脳内再生していた声が、突然、耳元に飛び込んで来た。
驚きのあまり、いつの間にか握っていたスマホを落とし、おでんの器を倒した。

「あつっ!?おでん…おつゆがっ!」
『っ!?お、おい、大丈夫かっ!?』

台所へ走り、布巾で拭いて、器を片付けて、手を洗って…お茶を入れ直して。
ふぅ~っとソファで一息ついたタイミングで、スマホに着信。
俺が粗相したのを察し、片付けが終わった頃を見計らって掛け直す…さすがだ。


「もしもし!先程は失礼致しました…」
『それより、やけどとか…大丈夫か?』

「もう冷えてましたから…ところで、どういった御用件でしょうか?」
『いや、それはこっちのセリフだ。珍しくお前から電話が掛かって…』

「…は?えっ、俺から…ですか?そっ、それは、すすすっすみません!」
『いや、俺は全然構わねぇが…赤葦、仕事し過ぎで、寝惚けてんのか?』

「俺らしくないのは認めますけど…あなたほど無駄な超過勤務はしてません。」
『無駄言うな。せめて贅沢って言うか…お前なら同病相哀れんでくれるよな?』

「心から同情を込め…お疲れ様です。」
『赤葦の方も…心中お察しまくりだ。』


軽妙なやりとりに、自然と笑みが零れ…少しあったかくなってきた。
黒尾さんの言う通り、疲れ?で茫然としていた俺は、頭で思ったことを実行し、
無意識の内に、黒尾さんの答えを聞くために、電話を掛けていたようだった。

   (答え…えーっと、何の話だっけ?)

いや、今は…何の話でもいい。
何でもいいから、もうちょっと…黒尾さんと話をしていたかった。

   (そういう、季節。だから…)


「そう言えば黒尾さん。今日は…寒露だそうですよ。」
『かんろ?甘美な露…それで、おでん食ってたのか?』

「違います。寒くて…おつゆが恋しい季節、です。鴻雁来。」
『あぁ、そっちか!おつゆの染みた…がんもどきも良いな。』

雁…万葉集に、こういうのがあったな。

   葦辺なる 荻の葉さやぎ 秋風の
   吹き来るなへに 雁鳴き渡る
   (作者不詳・万葉集 巻10-2134)

もう一つ、思い出したのは…

   葦辺行く 雁の翼を 見るごとに
   君が帯ばしし 投矢し思ほゆ
    (防人妻・万葉集 巻13-3345)

『雁は…待つ、の枕詞でもあったな。』


黒尾さんが『思い出した』雁の歌。そのどちらもが『葦』で、『待つ』…
遠く恋しい人を待つ秋の歌を聞いた瞬間、俺は自分の中の『熱』を自覚した。

   (…の声が、恋しかった、から…っ!)


雁の声…雁音(かりがね)という銘茶。そして、お出汁のきいたおでん。
二つ共、遠くへ逝った恋しい人の居る、神龍坐す黄泉の国…出雲の名産品だ。

   (答えが、聞き…たい。)

葦を待つ歌を詠んでから、聞こえなくなってきた声に向けて、俺は問い掛けた。


「もしも七つの龍珠を集めたら…黒尾さんは神龍に、何をお願いしますか?」
『自分独りでは叶えられないものを…恋愛成就を『がん』掛けしとくかな。』

「そんな恋しい人が…居たんですね。」
『あぁ、そうらしい…今、気付いた。』

「奇遇です。俺も、今しがた…えっ?」
『そうか。それは、よかった…なっ?』

鴻雁来…厚顔来る。
自分の気持ちに気付き、その直後、お互いの気持ちも知り…秋波来る。
真赤に染まる頬が緩むまま、照れ隠しに笑い合い、冗談交じりの本音をポロリ。


『熱くなっちまったから…散歩がてら、おでんでも買いに行こうかな~っと。』
「それなら、ついでに…ソーセージも買って来て下さると、嬉しいな~っと。」

『えっ!?つつつっ、つまり、葦辺に、こうがん来る…しても、いいのか?』
「それは、ソーセージとセットのこうがん…雁首揃えて、いただきますか?」

雅な暦の話や、寂寞とした秋の歌は、どこへ行ってしまったのだろう。
熱しか感じない、しょーもない秋波を送り合い、お互いの声に心を躍らせる。

   (恋しくて、たまらない…季節っ!)


電話越しに聞こえた、階段を駆け下りる音と…『コンビニ行ってくる!』の声。
俺は『最寄りのコンビニ』の場所を、遠くから来る恋しい人に伝えてから、
とっくに沸き上がっていた風呂へ入り…熱さを冷ますべく、外へ飛び出した。


「本日の葦辺は親鳥不在…羽毛無しで寒し、なんですよ。」
『安心しろ。明日の朝明は、猫毛在りで温し…だからな。』





- 終 -




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2019/10/22   (2019/10/08分 MEMO小咄移設)

 

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