陽炎之夢







   (暑っ…)


梟谷グループ合同合宿。
本日の正規日程は終了し、少し休憩や雑事を挟んだ後、各々が自主練に励む。
今はちょうどその『狭間』の時間…俺が唯一、業務から解放される『寸暇』だ。

とは言え、手足を思い切り伸ばせるわけじゃない。
チームや喧騒から離れ、独りで悠々と歩いて向かう先は、第三体育館…
この後の自主練のために、鍵や窓を開ける等、事前準備をしなければならない。

灼熱の太陽は既に傾いているけれど、締め切っていた体育館の中はサウナ状態。
入口扉を大きく開け放っても、屋外よりも熱く籠った空気は、外へ出てこない。
意を決して中へ突入し、窓という窓を全て開け、すぐさま外へ退避すると、
ようやく中から少しずつ、熱気が漏れ出してきた。

   (まだ、とても…入れないな。)

正規の練習後に、汗は粗方拭いていたのに、今の苦行でまた汗だくになった。
唯一の寸暇…空気の入れ替わりを待つ間に、ザッとこの汗を流しておこう。


茜色に染まる体育館入口から離れ、夕闇に浸食され始めた脇へと避難する。
そこにあるコンクリート流しの蛇口を回し、手を洗い二の腕まで水に当てるが、
先程まで夕焼けに当たっていた場所だから、しばらくは熱水しか出てこない。
ようやく冷たさを感じるようになって、顔を洗い…蛇口の下に頭ごと潜らせる。

   (気持ち、イイ…)

後頭部から額へ通り抜け、頬を濡らして喉元へ伝い落ちていく間に、
使い込んだ脳と共に、内に籠ったストレスや疲れも、冷水に流されていく。
大きく深呼吸すると、その動きでシャツの胸元にも溢れていくが…それも良い。

   まだ熱気を保つ、真夏の空気。
   肌と頭を落ちつける、水道水。
   夕焼と宵闇、蝉時雨と虫の声。

それらが濃厚に混じり合い、陽炎のように辺りを包み…現実感が薄れていく。
この感覚こそ、俺が求めていたもの…微睡みの中に揺蕩う『寸暇』の刻だ。


「きょうも、おつかれさん。」
「ありがとう、ございます。」

蝉時雨と流水音の中に、宵風を思わせるような、柔らかい声が交じった。
蛇口を止めて頭を起こす途中、ふわりとタオルを被せてくれた人に…お礼。

水気を拭いながら顔を上げると、目の前に冷えた麦茶のペットボトル。
いただきますと小声で謝辞を述べ、ゴクゴク音を立てて喉を潤している間に、
ひとつ間を空けた蛇口で、俺と同じように頭から水を浴び始めた…黒尾さん。

自主練の準備として、一日置きに『鍵&窓開け係』と『お茶係』を交互に分担。
別に話し合って決めたわけじゃないが、いつの頃からか自然とそうなっていた。
最初の挨拶とお礼以外、とりたてて会話をすることもないけれど、
貴重な寸暇を、ただ同じ場所で過ごすだけ…それが不思議と、心地良いのだ。


キュ、キュ…キュッ。
蛇口を軋ませながら締める音に合わせ、俺もボトルのキャップを閉める。
長めの髪を軽く絞る仕種を確認して、用意されていたタオルを…ふわり。

さんきゅーという謝辞が、髪を拭くリズミカルなガシガシ音の隙間から聞こえ、
湿り気を帯びたタオルを頭に掛けたまま、露わな喉を麦茶で上下させた。

   その姿も全て、まるで…陽炎だ。
   本当に存在するのか…あやふや。
   現か幻か。もしくは、俺の…夢?


熱気に浮かされたのか、はたまた、冷水に頭が痺れてしまったのか。
それとも、蝉達の焦燥に背を押されたのだろうか…

俺は茫然と黒尾さんを眺めながら、顔を隠すタオルの端に、手を伸ばしていた。
すると、俺と同じ蕩けた目で、黒尾さんもタオルごと俺の頭を引き寄せていた。

   頬を掠める熱い吐息に、瞼を下ろす。
   冷たく柔らかい潤いが、唇に触れる。
   響き渡るのは、蝉か…互いの鼓動か。


「これは…現?」
「夢…なのか?」

何もかもあやふやで…わからない。
唯一わかるのは、唇に残る『現実感』が、『俺の夢』だったということ…

それを確かめるように、俺達はもう一度タオルを惹き寄せ合い、瞳を閉じた。




- 終 -




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2019/08/22    (2019/08/19分 Pixivより移設)

 

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