早春之終







   (あ…美味し、そう。)

そろそろ梅も満開。白木蓮や辛夷も青空に向けて柔らかく微笑み、
足元の鈴蘭水仙が、緑の水玉で飾った白いスカートを風に揺らす…
早春に慎ましく光を齎す花々と共に、気温も気分も上向きになってくる季節。

もうすぐ、この清楚な白に代わり、春を代表する艶やかな色が、溢れ出す。
緋桜の濃い紅色、淡いピンクの桜、そして目映い黄色の…菜の花だ。

   (…残念なことに。)


上は空の青、真ん中は桜の薄桃色、下は一面菜の花畑…春爛漫な、美しい景色。
一枚の写真に(電車なんかと一緒に)おさめると、さぞかし春らしいだろうけど…
俺は美しさ以上に、その風景の中に寂しさを感じてしまうのだ。

ほどなく散り逝く桜に、諸行無常や人生の儚さを感じる…なんてことはない。
ただただ、『満開の菜の花』に、『春の終わり』を痛感してしまうだけだ。

   (もうすぐ…俺の春が、終わる。)

勿論これは、俺自身が枯れてしまうという意味でもない(まだまだこれから!)。
俺にとって春とは、即ち『菜の花のからし和え』…時季的には未だ早春であり、
世間の春…『満開の菜の花』は、『もう食べられなくなったもの』でしかない。
黄色い花なんて、その後干からびて菜種になるための『前段階』であり、
来年『菜の花とあさりのかき揚げ』を作るための、原材料にしか見えない。

   (もう一度ぐらい、食べたかった…)

そんなこんなで、俺の春は『大好物をじっくり頂く』もの…食欲全開だった。
だが、俺自身に『人生の春♪』が到来してからは、一年中常春状態…ではなく、
菜の花の終焉までもが、食欲以外の春を満たす、オイシイ契機へと変革した。

「えーっと、醤油大さじ3…いや、今回は、倍近く必要なんだよな。」

いつもより一回り大きなボウルに、きっちり計量した調味料を合わせていく。
『料理は化学』だと割り切る理数系の我が家は、失敗知らず(アレンジ知らず)。
お味噌専用の計量マドラーで、今晩&明日朝の4杯分を掬って溶く俺…の横で、
既に暗記していても、念のため逐一レシピを確認しながら調合する…旦那様。

「確か具材が倍だったとしても、調味料は2倍だと濃いんですよね?」


昨年12月はじめ…偶然にも俺の誕生日に、店頭に並び始めた菜の花は、
旬が近付くにつれ徐々に値段が下がったものの、二週間前から再び上昇に転じ、
今週は先週より100円も値上がりし、新たな入荷も止まってしまったようだ。

残りわずかとなった高価な花束?を、今シーズン最後だと思って、2束購入。
傷んでしまう前に、それを一気にからし和えに調理し、小分けにして冷凍保存。
その超重要な作業を、先程から旦那様…黒尾さんが担ってくれているところだ。

「冷凍するから、いつもより15秒短めに湯がいたが…大丈夫そうだな。」

冷水にさらした菜の花を、大きな手で優しく包み込んで、丁寧に水気を切る。
俺の大好物を、宝物のように大切に扱ってくれる仕種と、真剣な表情…
それを横目に見ているだけで、痺れに似た『じわじわ感』がせり上がってくる。


「味は…」

調味料と和えた菜の花を、ひとつまみだけ手のひらの上にそっと乗せる。
そのままパクリ…ではなく、わざわざ菜箸をボウルの縁に置いてから、
長い指で手のひらから摘み上げ、舌でじっくり味わいながら、静かに咀嚼する。

武骨という程でもないけれど、均整の取れたカラダの持主とは思えない繊細さ…
そのギャップに、くすぐったさを加えた『じわじわ感』を抑えきれなくなり、
俺は半歩真横に動き、逞しい二の腕にすり寄り…肩にピトリとおでこを乗せた。


「ん?お前も、味見が…してぇのか?」
「それが美味しいのは…知ってます。」

「まぁ、今日もレシピ通りで…変わり映えのしねぇ味だからな。」
「その『いつも通り』さ…安定性こそ、求めてやまない味です。」

「地味で平凡そのもの…なんだがな。」
「穏やかで、滋味溢れる日常…です。」

なんて…満ち足りているんだろう。
大好物の冷凍保存は、『春の終わり』を表す寂しいものだったはずなのに、
一緒に台所に並んで立ち、俺のために丁寧に作ってくれる姿を見ているだけで、
大好物を口にした時…いや、それ以上に満たされた気分になってくる。

   (これが…幸せ、なんだろうな。)

特別なものなど何もない、ごくごく平凡な味と、日々の生活。
だが、『なんでもない日常』こそが、とても貴重なものだと…今なら、わかる。
大好きな人と一緒に、大好きなものを食べて過ごす毎日が、幸せでたまらない。


「台所は…料理してる最中に引っ付いたら、危ねぇぞ?」
「火は止めましたし…刃物やお箸も、持ってないです。」

屁理屈だな…と言いつつも、クスクス微笑むだけで、俺を退けようとはしない。
それどころか、菜箸をシンクに下ろし、肩に乗せた俺の頭の方へと、首を傾け…
今度は指で菜の花を摘んで口に入れ、やっぱ美味ぇな~と、照れ隠しの味見。

「…いる、か?」
「えぇ…是非。」

肩からおでこを離し、ここにお願いします…と、目と唇を閉じて顎を上げる。
触れた指先の冷たさに驚いて目を開けると、いたずらっ子のような明るい笑顔。
ちょっとだけ尖らせた唇を、その指でふにふに…直後、温かい感触に包まれた。
指先よりもしっかり味のついた場所で、『いつもの味』を確かめ合う。


「終わりゆく春の味…御馳走様です。」

少し背伸びして、こちらからも『お礼』のキスをお返しする。
そして、これ見よがしに炊飯器へ視線を流し…ご飯が炊けるまで、あと35分。
こっちの御味見もいかがですか?と、今度はお誘いのキスを…指先に。

お味噌汁のお鍋に蓋をして、ボウルにラップをかけて冷蔵庫に入れる。
それから、一緒に手を擦り合わせてしっかり洗い…流し元の電気を消した。


「始まりつつある春の味…頂きます。」






- 終 -





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2019/03/19    (2019/03/11分 MEMO小咄より移設)

 

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