※黒尾2年、赤葦1年。進級少し前、年度末の話。(『黒魔術でもいいから』補足)




    駆落物語







春高も終わり、代替わり。どのチームも構成員たる選手が様変わりし、
中にはチームカラーそのものが変わってしまいそうなチームすらある。

そんな中でも、『強豪』と言われる所は、主力選手がガラリと入れ替わっても、
その『チーム』としての生命は受け継がれ、やはり『強豪』のままだ。
いや、選手が代わってもチームカラーが変わらないという点が、
『強豪』であり続ける一つの必要条件かもしれない。

俺の所属する音駒高校排球部も、トップを取るには厳しい状態だが、
そこそこの『強豪校』と言われるチームであり、
その音駒をこれから率いていくのが、新主将たる俺の役目だ。

この大役を、俺なんかに担えるのか?という不安は拭えないままだが、
最低限『強豪』の血を絶やさぬよう、この一年踏ん張るしかない。
とりあえず、『悠々自適の猫生活』は、しばらくオアズケだろう。

ごくごく一部の例外を除き、どのチームでも『頭』となった奴は不安を抱える中、
都内の強豪校のうち、数校が集まってのプレ大会…練習試合が行われた。
仲の良いグループ内では、何度か合同練習を行いながら、
新チームの『様子見』をしていたが、グループを越えての練習試合は滅多にない。
実質的には『公式戦・準決勝以上』といった顔ぶれ…本当に貴重な機会だった。

何もかもが足りない。やる気が空回りし、焦るばかり。
自らの力不足をまざまざと見せ付けられ…重いため息ばかりが出てくる。
新チーム構築のためには、避けて通れないものだとはわかっているが、
湧き上がる悔しさと遣る瀬無さは、なかなか抑えることができない。

全てが上手くいかない。自分への怒りと嫌悪が、腹の中で渦巻いている。
新しい『頭』の、こんな情けない姿を、部員達に見せるわけにはいかない…


…少し、頭を冷やそう。
俺は「飲み物買ってくる。」と、撤収作業をする皆から離れ、
すぐ傍ではなく、わざと体育館の裏にある自販機へと足を運んだ。

期待通り、裏には人影もなく、表の喧騒も届かない。
俺はあえて温かい緑茶を購入し、近くの花壇に腰掛けて、深呼吸した。
あぁ…渋い茶が、体中に染み渡る…
少し落ち着いてきたところで、またさっきの『悶々』が、じわじわ襲い来る。

(地味で平凡な俺なんかじゃ…無理かもな。)

同じ『梟谷グループ』の中からは、盟主たる梟谷も参加していた。
ここも当然代替わりし…まさかの木兎がその『頭』についていた。
どう考えたって、お前に『頭』は無理…と、会ったら笑ってやろうと思っていた。
だけど、新生梟谷を見て…その言葉を俺は飲み込むしかなかった。

自分が『頭』で大丈夫だろうか?という不安とは、全くの無縁…
ごくごく一部の例外が、木兎だった。
不安など微塵も感じさせることなく、伸び伸びと…実に楽しそうだった。
そんな木兎に、梟谷の面々は絶対的な信頼を置き、木兎を中心に纏まっていた。
目映い『光』で周りを引っ張る存在…まさに名は体を表す、最高の『頭』だった。

(圧倒的な実力と、カリスマ性…俺にはないものばかりだ。)

木兎を見ていると、本当に自分が小さく感じてしまう。
これでもかというぐらい、コンプレックスを刺激されてしまうのだ。
俺自身も、木兎の明るさと芯の太さに惹かれ、最高に楽しい『友達』だ。
本当にイイ奴なのに…俺は一方的に引け目を感じ、嫉妬と羨望に駆られてしまう。

ただでさえ『天性のもの』があるのに、それ以上に、木兎は誰よりも努力家なのだ。
あれだけの奴が、底無しの練習量…本当に凄ぇなと、心から尊敬している。

(それに、木兎には…アイツだってついている。)

木兎自身の管理能力は皆無だとしても、それを支える奴が、傍に控えているのだ。
天から授かった才能も、努力し続ける胆力も、そして…管理能力に長けた参謀も。
俺には無いものを、木兎は全て持っているのだ。
何をどうやったって、俺なんかが…敵う相手じゃない。

自分の力不足を省みる前に、他人を羨んでしまう自分が、本当に嫌になる。
しかも、それが大事な友達が相手だとは…つくづく俺は、小っせぇ男だ。
わかってはいても、このドス黒い感情は、なかなか収まってくれない。

才能も、努力も及ばないのなら、せめて…


「俺も、木兎みたいになれれば…」
「それは…タチの悪い冗談です。」
「うわぁっ!!!?って…赤葦っ!?」
「今日もお疲れさまです…黒尾さん。」

まさに今、頭の中に思い描いていた奴が、いきなり背後から登場し、
しかも…一番聞かれたくない種類の『独り言』を、聞かれてしまった。
本当は心臓が飛び出し、肝がキンキンに冷えていたが、何とかそれを抑え付け、
隣に腰掛けた赤葦に、「お疲れさん。」と労いを返した。


俺の内心の焦りを知ってか知らずか…(いや、恐らくある程度察している)
赤葦も熱いお茶を飲むと、ふぅ~っと溜息を吐き、こちらに笑いかけた。

「黒尾さんまで木兎さんみたいになったら…考えるだけでゾッとします。」
今日一日の疲れとストレスが溜まっているのに、大量の残務は全部俺に押し付け、
どこぞへ飛び立って遊び呆け…それの『捕獲』って仕事まで増やすんですよ?
これでもし、『超マブダチ』な黒尾さんまで木兎さんと『同類』だったら…
一緒に盛り上がって、俺なんかじゃ到底『操縦不能』になってしまいます。

「お願いですから、黒尾さんはそのまま…『面倒引き受け側』で居て下さい。」
木兎さんには、俺と黒尾さんの『二人がかり』で丁度いいくらいですから。
だから、ちょっと一服したら、木兎さんの『捕獲』…手伝って下さいね?

そう頭を下げながら、赤葦は俺の手を取って掌を上へ向けると、
そこに柔らかく丸いもの…草餅を乗せ、「前払いです。」と微笑んだ。


「熱くて渋い茶には、和菓子だよな!わかってるねぇ~♪」
「よもぎの香りとあんこの甘さが、たまりませんよね~♪」
二人並んで、甘味と渋茶…ほっこり癒しの時間だ。
たったこれだけのことなのに、さっきまでのイライラが溶けていく。

触れられたくない『独り言』を、見事に『笑い事』に転換させた上で、
苛立ちを増幅させるだけだった時間を、リフレッシュタイムに変えてしまう…
『赤葦の登場』だけで、俺の中のモヤモヤが、全て消し飛んでしまった。

「サンキューな、赤葦。」
お前がここに来てくれて…ホントに助かったよ。
「こちらこそ、ですよ。」
一緒にサボって下さり…こちらも助かってます。

場に、ほんわかとした温かい空気が満ちてくる。
合宿中等に、これまでも赤葦とは何度かこうして二人で話す機会があった。
何となく居心地が良く…気の合う相手だなぁとは思っていた。

チームの代替わりによって、二人ともが似たような役職に付き、
似たような状況に置かれたことで、『同病相憐れむ』といった雰囲気…
『仲間意識』が芽生え、二人でこっそり『慰労会』を楽しむようになっていた。

今日だって、もしかしたら…?という淡い期待があったからこそ、
喧騒から離れた体育館裏の自販機を、わざわざ選んだのだ。


「俺の傍に、ずっとお前が居てくれたらな…」

ポロリと零れ落ちた、何気ない一言。
だがその言葉に赤葦は目を見開いて固まり…その表情を見て、俺も固まった。

「え、それは…どういう意味…?」
「あ、いや、その…深い意味は…」

な、何だ…妙に、鼓動が早い。
別に変なことを言ったつもりはない…むしろ、無意識に出てきただけ…

今の言葉に、どういう意味があるのか?
それを考えようとした瞬間、またもや背後から…凍り付くような声。


「久しぶり。」
「………。」

いきなりの第三者登場に、俺は腰を浮かせて驚き、
赤葦は瞬時に『警戒モード』…場に冷たい空気が張り詰めた。




***************





「聞こえてないの?久しぶり、って言ったんだけど。」
「………。」

「無視する気?」
「………。」

「相変わらず、腹黒そうなツラ。」
「お前にだけは言われたくない。」

いきなり割り込んで来たのは、俺の腹の中よりもずっと漆黒…
背筋がゾワゾワするような、どんよりとした空気を纏った奴だった。

(井闥山の…佐久早、聖臣っ!?)

都内どころか、全国大会でも優勝候補筆頭…井闥山。
ここといつ当たるか…トーナメントの『別の山』に入れるかどうかによって、
全国に行けるかどうかが決まると言っても、過言ではない。
音駒より格上の梟谷…よりも、更に格上の強豪校…
佐久早は、そこのエース。実力としては、木兎よりも…上だ。

梟谷と井闥山は、公式戦で何度も戦い、梟谷はその都度、苦い思いをしている。
今日の練習試合でも、音駒は『足元にも及ばない』大惨敗、
梟谷ですら、『腰に触れるかどうか』という…圧倒的なレベル差だった。
ゲームメイクをする赤葦にとっては、本日溜まった鬱憤の大部分は、
井闥山との試合に関するものだろう。

それにしても、だ。
同い歳ということもあるのか、どうやら『そりが合わない』ようだが、
とりあえず礼儀正しい赤葦が、佐久早を相手にガン無視とは。


「おい赤葦、いくら何でもシカトはマズいだろ。」
「黒尾さん、アレを視界に入れてはいけません。」

赤葦は感情を失った顔で俺の手を引き、その場から立ち去ろうとする。
だがそれを佐久早が許すわけもなく…掛けられた言葉に、俺の足が止まった。

「本当に、昔から可愛くないね…京治は。」
「…名前で呼ぶなって、言っただろ。」

「京治?昔から…?」
気になる言葉を鸚鵡返しに問い返すと、赤葦は急に焦った表情を見せ、
俺の手を強引に引っ張り、「行きましょう!」と逃走を図った。
その『らしくない』赤葦に、俺の足は動きを完全に止めてしまった。

「昔も昔、京治とは長~~~い付き合い。切っても切れない縁。」
「それ以上、言うな。」
「それこそ、一時は一緒に生活…同衾もした『裸の付き合い』だよな?」
「なっ!!?」

佐久早の爆弾発言に、俺は思わず大声を上げてしまった。
冗談だろ、おい…?と赤葦の顔を凝視すると、グっと唇を噛み締めていた。

「おい、まさか…今の話、本当…なのか?」
「文言は間違ってませんが、意味するところは大間違いですっ!」

赤葦は怒気を含んだ視線で佐久早を睨みつけ、吐き捨てた。
「一緒に暮らしたのは、盆暮れ正月の数日間だけ!」
「でもその間に、同衾…裸の付き合いもした。」
「同じ布団で寝て、一緒に風呂入っただけだろっ!」
「な、間違ってないだろ?えっと…音駒の、誰だっけ?」

衝撃的な話の内容に、俺は名乗るのも忘れ…赤葦に視線を送った。
意識はしてなかったが、恐らくそれは厳しいもの…
赤葦はビクリと身を震わせ、畏怖を滲ませた目を逸らせながら、
ごく小さな声で、「違います…」とだけ呟いた。


これは一体、どういうことだろうか。
誰がどう聞いても、『都内ライバル校の同級生』というだけの関係ではない。
赤葦の「違います」という言葉を信じたい気持ち…勿論それが大前提だが、
その一方で、俺は赤葦のことを何も知らないという事実を前にして、
目の前が真っ暗になるような…どこか深い所へ堕ちそうな感覚を覚えた。

言葉も思考も失ったまま、ただ立ち竦む。
そんな俺に、赤葦は絶望交じりの声で、もう一度「違います…」と言った。

重く冷たい沈黙。
それを打ち破ったのは、場にそぐわない程、楽しそうな声だった。


「ふーーーーん。コレが今の京治の『お気に入り』か。ナルホドね。」
「っっ…!!う、煩いっ!お前には関係ないっ!」

赤葦と俺の様子を見ていた佐久早は、含み笑いをしながら俺に近づいて来た。
それに赤葦は激昂…俺を自分の背に隠すように立ち塞がった。

「こっちに来るなっ!ここから消えろ!」
「酷い物言いじゃん。この俺に対して…なぁ京治?」

だが佐久早はそんな赤葦に構わず、四方八方から俺をじろじろ観察…
品定めするようなその視線に、俺は全く身動きが取れなかった。

「なかなか…悪くないじゃん?」
「どっ、どういう意味だっ!?」
さぁ~?どういう意味…だろうね?それじゃあ…またね。
佐久早は意味ありげに笑い、悠然とどこかへ去って行った。



「い…今のは、何だったんだ…?」
しばらく呆然…動けるようになった頃には、佐久早の姿は見えなくなっていた。
同じように呪縛から解放された赤葦は、俺の肩やら背中やらを手で払い、
辺りに『清めの塩』を撒き散らす振りまでする始末。
余程、あの佐久早が苦手…というよりも、毛嫌いしているようだった。

悪霊退散!!と柏手を打った赤葦は、ふぅっと大きく息を吐くと、
チラリと俺を見て…努めて冷静な声を出した。

「お見苦しい所を…すみません。」
俺は小さく頷き、黙って『先』を促した。
赤葦は意を決したように再度深呼吸し、声を振り絞った。

「あいつとは、どんなに足掻いても、切れない縁…」
ずっと昔から…物心つく前どころか、生まれる前からの縁なんです。
大げさでも何でもなく、遺伝子レベルでの繋がりがあります。

「俺の母親の旧姓が…『佐久早』なんです。」
「ってことは、お前とあいつは…従兄弟!?」

幼い頃は、盆暮れ正月の『帰省』の度に、同じ家で数日間過ごしました。
同い年だから、一緒に風呂、一緒に寝る…当たり前の話です。
それを、あんな…誤解を招くような言い方っ!!
全然、あの文言が含む『深い意味』なんてありませんから。

「焦った…そういうこと、だったのか。」
「驚かせて…申し訳ありませんでした。」

聞いてみれば、何ということはない…
俺は心底安堵し、大きく息を吐きながらその場にヘタリと座り込んだ。

よかった…赤葦と佐久早が、いわゆる『そういうカンケー』でなくて。
もしそうなら、俺に勝ち目なんて…

(…ちょっと待て。『勝ち目』って…俺は何を言ってんだ。)

佐久早の登場から、何だか今日はおかしい気がする。
いや、それ以前から腹の中で蠢ていた何かが、佐久早の闇に触れ、
ゾワゾワと増幅するような…妙な感覚だ。

(止めよう。これ以上は…考えない方がいい。)


ふと真横の赤葦を見ると、余程腹に据えかねているのだろうか、
ペットボトルを握り潰しながら、声を絞り出していた。

昔から、あいつはいつもいつも俺を振り回し、俺は酷い目に遭ってきました。
本当は違うのに、親族は皆、俺達が『仲良し従兄弟』だと完全に誤解しています。
小さい頃から、俺が嫌がることをしては、俺が泣くのを見て楽しんで…
大事にしていた俺の『お気に入り』だって、全部あいつが…っ!!

そこまで言うと、赤葦は真っ青な顔をして立ち竦み、
焦点の定まらない瞳を虚空に彷徨わせながら、「嫌だ…」と一言だけ呟いた。
すると、次の瞬間、物凄い力で俺の手を引き上げ、猛然と走り出した。

「黒尾さん…今すぐ俺と逃げましょうっ!!」
「はぁっ!!?逃げるって…どこへだよっ?」
「どこか遠い所へ…聖臣の居ない所です!」
「えっ、ちょっ…おいおいマジかよっ!?」

呆気に取られた俺は、その勢いに抵抗できないまま…
赤葦に引き摺られるようにして、体育館から遁走することになった。





***************





「ん…ここ、は?」
「目…覚めたか?」


あれから3時間後。
半ばパニック状態で赤葦は無闇に走り…体力の限界。
足も思考も、気力さえも止まり、大人しくなったのを見計らって、
俺は赤葦を抱えるようにして、この場所にやって来た。

熱いお茶を飲ませ、落ち着かせた所で…赤葦は電池が切れたように倒れ、
そのまま…熟睡してしまった。

「ここは、俺の親戚が管理している…神社の社務所だ。」

社務所と言っても、実態は普通の木造平家建。
小さなお勝手に風呂と便所、社務所用の板間の他には、この和室のみ。
実に小ぢんまりとした、シンプルな住宅である。

俺の親族以外、この場所を知ってる奴は居ないし、
今ここには、俺とお前の他には、誰も居ない。
もし居るとすれば、神社の神様だけだから…
「『悪霊』は絶対に寄り付かない。安全な場所だ。」

俺の説明を聞き終えた赤葦は、黙ったまま数秒間…
その間に、体育館で起きたことを思い出したのだろうか、
ガバ!っと布団から跳ね起きると、そのまま布団に両手を付いて頭を下げた。

「すすすすっすみません!!俺、黒尾さんに、とんでもないご迷惑を…っ!」
あぁ…学校への帰還業務も放り出して、無断で単独行動なんて…
ままま、まずい、今すぐ監督に連絡しないと…
いやその前に、黒尾さんを巻き込んで…音駒さんにも謝罪しなければ…

電話、電話は…!?と、慌てふためく赤葦の肩を、俺はできるだけ優しく抑え、
「とりあえず、落ち着くんだ。」と、強引に湯呑を握らせた。


「心配するな。さっき音駒と梟谷の両監督に連絡して…了解を得たからな。」

赤葦が寝た後、俺はすぐに猫又監督に電話…
大体のことは梟谷の監督から聞いており、音駒の方は心配するな、とのこと。
その上で、ちゃんと梟谷の方に連絡を入れろ…と指示を受けた。
すぐさま教わった番号に電話すると、監督は開口一番…
「世話になっている。」と、俺に謝罪の言葉を告げた。

撤収作業を終え、そろそろ帰還しよう…という段になって、
例によって木兎は行方不明、探しに行ったはずの赤葦も戻らない。
仕方なく全員で二人の捜索をしていると、音駒でも黒尾の姿が見当たらない…と。
両校で一緒に捜索し始めると、木兎がどこぞからひょっこり現れ、
「さっき裏で、佐久早と一緒に居たぞ?」と証言した。

それでピンときた監督は、猫又監督と極秘協議の末、
二人は『所用にて早退』ということにして、それぞれ撤収したそうだ。

「『明日日曜の部活は休め。月曜には戻って来い。』…って、伝言だ。」
そういうわけだから、今日明日はここでゆっくりしていけばいい。
とりあえず…お前も風呂に入って来いよ。その後、食事にしようぜ?

ポンポンと頭を撫でると、赤葦の腹がグゥ~と返事した。
これなら、もう大丈夫そうだな?と笑うと、赤葦は恥かしそうに頬を染め、
お風呂頂いてきます…と、走って部屋から出て行った。



「それにしても…何だかホッとする、いい場所ですね。」
「だろ?ガキの頃から、ここは俺の…秘密基地なんだ。」

風呂で汗も流し、お腹も満たし。
6畳の和室に布団を並べて敷き、二人はゴロゴロしながら話を始めた。
なかなか聞き辛いことを聞かねばならないし、話さなきゃいけないこともある…
だが、神社の境内という特殊な場所のせいか、重苦しい雰囲気はまるでなく、
今日の出来事と…その他諸々について、二人は冷静に話せる気がした。

「嫌なことがあった時とか、一人になりたい時、ここに来るんだ。」
実際は、『来る』というよりは…『逃げ込む』の方が近いかもな。
ここなら、誰にも邪魔されず、むしろ守って貰えるような…

「そんな大事な場所に、俺がお邪魔してしまっても…よかったんですか?」
「いや、お前のことがなくても、今日はここに…来たい気分だったんだ。」
それに、赤葦なら邪魔どころか…いつでも大歓迎だぞ?
この場所と同じくらい、赤葦と居ると…何だか落ち着くからな。

俺の言葉に、赤葦は目を見開いて驚き…布団を目深に被り、隠れてしまった。
何か俺、変なことでも言ったか?と、赤葦の布団を覗き込もうとしたら、
「俺の話…聞いて貰えますか?」と、布団の中から躊躇いがちな声がした。

俺で良ければ…と言う返事の代わりに、部屋の灯りを消した。
こうした方が、きっと話しやすいはず…
すると、もぞもぞと赤葦が布団から這い出す音と、
意を決したかのような、深呼吸の音がした。


「小さい頃からずっと、何をやっても俺は…聖臣には勝てませんでした。」

同い年の従兄弟同士で、何をやるにも一緒。そして、何をやっても比べられる。
本当に幼い頃は、仲の良い従兄弟だったかもしれないが(記憶が定かではない)、
物心つき、特に一緒に運動して遊ぶようになってからは、徐々に差が顕著に…
一部は『同じ原材料』で製造されているとはとても思えない程、
聖臣の運動神経はずば抜けていて…俺にはこれっぽっちも勝ち目がありませんでした。

「一緒にバレーをやっても、俺はあいつに、延々ボールを上げてやる係…」
そして、あいつはそれを受けて、気持ち良~くスパイクする係。
綺麗なボールを上げないと、ボロクソに言われ、また泣かされるから、
俺は必死に練習して、聖臣にボールを上げ続けました。

本当は、俺だってバレーで一番気持ち良さそうな、スパイク打ちたいのに。
バレーだけでなく、どんなスポーツも遊びも、俺は聖臣の『お膳立て』ばかり。
名前だけ見れば、『京(みやこ)を治める者』と、『聖(きよ)い臣下』で、
俺の方が『頭』をとってもいいはずなのに…
「二人は名前と役割が逆転してるね」と…そう言われて育ちました。

「いつも俺は、聖臣の次…『二番手』でした。」
もうこいつに振り回され、泣かされるのは嫌だったし、
俺だって『ボール上げる係』から卒業したい…セッター以外がやりたかった。
でも、聖臣との練習のせいで、俺に来るのは『セッター』としての推薦ばかり…

本当は、聖臣の『おまけ』として、俺も井闥山に入る予定でした。
それがどうしても嫌になり、せめて聖臣とは違うところでバレーがしたい…
そう思っていたら、梟谷の監督から、「佐久早を一緒に倒そう。」と誘われ、
俺は周りに一切相談することなく、こっそり梟谷入学を決めてしまいました。

突然の俺の反乱に、聖臣は当然ながら激怒。
俺はやっと自由になった!と、物凄く喜んでいたんですが、
現実は…「やっぱり聖臣には勝てない」と、余計に痛感させられるばかり。
いくら頑張っても、『佐久早聖臣の井闥山』には手が届かないと、
試合の度に思い知らされ続けているんです。

しかも、俺の『計算外』はもう一つ。
せっかく聖臣から逃げたはずなのに、梟谷にも『とんでもない人』が…
まぁ、身に沁みついた『二番手』根性があったおかげで、
木兎さんの無茶振りにも動じず、上手くやっていけているんですけどね。


幼い頃から、俺の泣き顔を見るのが趣味か!?というぐらい、
聖臣は俺をつつき回し、俺の『お気に入り』を取り上げたり。
高校入学後…俺の『反乱』後は、それが更にエスカレートしてきました。

公式戦の直前や、合宿終了後でヘロヘロになっている時に限って、
「決勝まで絶対来いよ?そこで…完膚なきまで打ち砕いてあげるから。」
「勝つのは井闥山。梟谷なんかに構ってるヒマは、俺にはないからね。」
…と、わざわざウチに来たり、夜中遅く電話掛けてきて、
早く全国行って、若利君がどうたらこうたら…わけのわからない話を延々と。

「若利君に比べたら、お前なんか勝ち目ないよ?」
「若利君は、凄いカッコイイんだからな!」
直接的な面識はありませんが、聖臣すら認める『若利君』とやらにも、
俺は間接的にコンプレックスを刺激されてしまっています。

でも俺は、梟谷に入って、本当に良かったと思っています。
同じ『とんでもない人』シリーズでも、木兎さんはまさに『光』の存在…
俺はやっと、バレーが楽しい…セッターが楽しいと思えるようになりました。
それに、梟谷『グループ』で、音駒と…黒尾さんとも出会えました。

黒尾さんも十分、俺から見ると『とんでもない人』枠に入るんですが、
そんな『凄い人』なのに、俺を『二番手』とするわけでもなく、
一緒に居て劣等感を抱くことがない…唯一『落ち着ける』存在なんです。
あぁ勿論、それは「俺の方が勝てる」と思っているわけではなくて、
そういう『序列』『勝敗』等とは無縁…『素』で居られるという意味です。


今日だって、久々に聖臣と対戦し、こてんぱんに打ちのめされ…
悔しさとやり場のない怒りに、イライラを抑えきれない状態だったんです。
それなのに、黒尾さんにお会いして、少し話をしただけで、嘘みたいに氷塊…
欝々としていたものが、スっと消えていったんです。

やっと息がつけた…やっと力が抜けた。そう思った瞬間…まさかの聖臣。
誤解を招くようなことを言って、俺が困るのを見て遊んだ上に、
どんな魔術を使ったんだか、一瞬で黒尾さんが俺の『お気に入り』と見抜き、
いつもの『満面の笑み』で…心底楽しんでいました。

あいつはいつだって、俺の『お気に入り』を奪っていく…
もし聖臣が、黒尾さんまで…と思った瞬間、俺は衝動的に走り出していました。

今までは、あいつに何を取られても、泣いて諦めるだけでしたが、
ようやく見つけた、俺が心から『落ち着ける場所』…
黒尾さんだけは、絶対に渡したくなかったんです。
それで、結果的に黒尾さんにご迷惑をお掛けしてしまったことは、
本当に申し訳なく思っています。

「その上、こんな情けない話を、長々と…」
でも、聞いて頂けて、何だか物凄く心が軽くなりました。
今日は本当に、何から何まで…ありがとうございます。

赤葦はそう言うと、大きく息を吸い込んで…
腹の中に最後まで残っていた、様々な澱と一緒に、勢いよく吐き出した。


話を聞き終えた俺は、何とも言い難い感情に包まれていた。

何でもそつなくこなす、凄い参謀の赤葦も、俺と同じ無力感を抱いていたこと。
恐らく、梟谷の監督にしか知らせていないだろう、佐久早との関係を話し、
最も他人に知られたくない醜い感情…コンプレックスを曝してくれたこと。
そして何より、一緒に居て落ち着くと…同じ心地良さを感じてくれていたこと。
その全てが、ごちゃ混ぜになり…胸がいっぱいだった。

「俺のこと…あきれてしまわれましたか?」

俺が黙っていたことで、不安を感じたらしい赤葦は、
再び布団を頭まで被りながら、ぼそぼそと問い掛けてきた。

俺は手を伸ばし、布団の上から赤葦の頭を撫で、そんなことはない、と伝えた。

「いや、むしろ…嬉しいって気持ちだよ。」




***************





「言い辛い話を、俺に打ち明けてくれて…ありがとうな。」

嫉妬、羨望、そして劣等感。
誰もが内に秘め、絶対に知られたくない…醜い感情だ。

赤葦のように、幼い頃から抱え込み、トラウマにすらなりそうなレベル…
そんな『奥底』に封印しておきたい感情を、俺にきちんと話してくれたのだ。
事の成り行き上、ある程度の説明をしなければならなかっただろうが、
ここまで正直に、内心を曝してくれたことが、
俺のことを信頼してくれている証であるように思え…嬉しかった。


「それから、佐久早はそんなに…悪い奴じゃないと思う。」
「え…?そう、でしょうか…?」

特にコンプレックスに関しては、それを感じている本人にとっては一大事だが、
冷静な第三者から見ると、そんなに『おおごと』ではないと判ることがある。

ちょっかいを掛けると、本気で返してきて、しかもビービー泣いていたらしい赤葦…
社務所に連れて来た直後から、赤葦はここで寝ていたのだが、
夢を見ながら涙を浮かべ、「いやだ…」と泣きべそをかいていた姿は、
辛そうで可哀想に思う反面、物凄く…可愛かったのだ。
泣き顔が見たいとまでは思わないが、佐久早が赤葦を構い続ける気持ちも、
俺にはちょっとだけ、わかってしまった。
結局のところ…佐久早は赤葦を構いたいだけだ。

また、公式戦前の電話は、佐久早なりの叱咤激励…大分歪んではいるが。
更には、『若利君』とやらの話も、要は新しい友達の自慢か…もしくは惚気だ。
可愛くて仕方がない『京治』の気を引きたいだけ…ただの子どもである。

「佐久早も…意外と可愛いトコあるじゃねぇか。」
「はぁっ!?それは…聞き捨てなりませんっ!!」

赤葦は被っていた布団を跳ね除け、飛び掛からんばかりの勢いで起き上がった。
俺の方へ伸ばされた手…それを俺は掴み、ゆっくりと上体を起こした。


「なぁ、赤葦…」

静かに名前を呼ぶと、赤葦は驚いて身を震わせ、小さな声で返事をした。
手を掴んだまま、俺は赤葦を正面から見つめ、言葉を続けた。

「俺は今日、本当に…嬉しかった。」
佐久早の乱入という『不測の事態』に振り回された結果ではあるが、
沈着冷静なお前が、我を忘れる程のパニック状態になってしまったのは、
赤葦の『お気に入り』を、佐久早に取られたくないから…
『俺だけは絶対に渡したくなかった』からだって、言ったよな?

それだけじゃない。
佐久早の登場は関係なく、俺と『一緒に居ると落ち着く』と…言ってくれた。

「俺は…『期待』しても、いいんだよな?」

掴んだ手をギュっと握り締め、真っ直ぐに目を見て、問い掛ける。
赤葦は顔を真っ赤に染めながら、それでも目を逸らさず、俺に問い返した。


「俺も…『期待』しても、いいんですか?」

体育館裏でお会いした時、俺が『ずっと傍に居れば…』と仰ってました。
聖臣が誤解を招く発言をした時も、黒尾さんは衝撃を受け…絶望的な表情でした。
そして、この場所と同じくらい、俺と居ると落ち着く…と。

黒尾さんは優しい方ですから、俺のことも『放って置けない』から、
今日も手を差し伸べて下さった…その一面があることも、十分わかっています。
ですが、『それだけ』じゃなければいい…そう願っています。

「黒尾さんも、俺と同じ気持ちだと…思ってもいいですか?」

返事をする代わりに、俺は赤葦を引き寄せ…そっと唇を合わせた。


お互いの気持ちを確かめ合うように、
何度もキスをし、目を見つめ合う。

いつの間にか俺は赤葦を横たえ、その上に覆い被さり、
赤葦は俺を引き寄せるように、首に腕を回していた。

真上から覗き込むと、苛立ちや怖れの色は欠片も残っておらず、
心身共にリラックス…トロンとした表情で、見上げてきた。
一緒に居て落ち着く…と言ったばかりだが、背を駆け上がる何かに、心が逸る。

「あいつには…感謝しないとな。」
ぼんやりと『予感』めいたものはあったが、
赤葦への気持ちをはっきりと自覚したのは、佐久早の乱入があったからだ。
そして、その乱入があったからこそ、こうして想いを通わせることができた。

「あの漆黒オーラ…実は『恋愛成就の魔法』なのかもな。」
「どちらかと言えば…『黒魔術』の方が似合いますよね。」

顔を見合わせ、柔らかく微笑み合う。
赤葦は、もう…大丈夫だろう。
時間は多少かかるかもしれないが、俺にとって赤葦が、赤葦にとっては俺が、
何者にも代えがたい、『唯一無二』の存在であることを、
今日明日の二日間と…これからずっと確認し合っていけば、
故なき嫉妬や羨望、そして過度なコンプレックスに苛まれることも、
徐々に少なくなっていくだろう。


「赤葦、俺の『一番』に…なってくれるか?」
「俺を黒尾さんの…『一番』にして下さい。」

同じタイミングで、同じことを願う。
この神社の神様か、黒魔術か…どちらかが叶えてくれそうだ。



- 完 -



**********


月曜。
晴々とした気分で朝練に向かった俺を待ち受けていたのは、
目をキラキラ輝かせた、部員達による怒涛の『質問攻め』だった。

「上手くいったんですか!?」
「それで…赤葦とは、どうなった?」
「どこまで…いったの?」

どどどどっ、どうって?どこまでって…
そりゃまぁ、「いけるとこまで。」…じゃなくて、言えるわけねぇだろっ!
つーか、察しろよそのぐらいっ!

…いや待て。
猫又監督は、俺は『所用で早退』としか言ってないはず。
赤葦とどうこうだとかは、知らないはずである。
落ち着け、俺…自らの墓穴など、掘ってたまるか。

俺は内心の焦りを隠し、眉間に皺を寄せて問い返した。
「一体…何の話だ?」

さも『意味不明』だという顔をしてみせると、皆はキョトンと顔を見合わせ…
あっけらかんと言い放った。

「黒尾と赤葦が、手を取り合って『逃げよう!』って…」
「二人が『駆け落ち』したって…」
「『俺…見ちゃったもんね~!』って言ってたぞ…木兎が。」

あっ…あの、馬鹿野郎っ!全っっっ然、違うだろっ!!
か、『駆け落ち』って文言は大間違いだっ!
…ん?でも、もしかすると、意味するところは…まさかの大正解ってオチかっ!?
最後の最後まで、『とんでもない奴』に振り回され続けんのかよ…

冷や汗を垂らして絶句する俺。
ニヤニヤと笑い、詰め寄る部員達。

俺はクルリと踵を返すと、脱兎の如くそこから逃亡した。


これが、音駒と梟谷の歴史に残る…俺と赤葦の『駆け落ち』物語だ。
めでたし、めでたし…であることを、切に願う。



- 終 -



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※赤葦と佐久早の関係については、完全にフィクションです。
   ご容赦頂けますと幸いです。



2017/02/17    (2017/01/30分MEMO小咄を元に大幅加筆修正)

 

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