奥嫉窺測(10)  ~王姫側室⑤







   あのまま『場の流れ』に従えば…
   そんな淡い期待を抱いたけれども、
   思っていたより、甘くはなかった。


先週末の合宿…二日目の晩。
音駒の旧校舎の植栽脇で、満ちる寸前の月を眺めながら、4人で語り合った。

記憶を失っていた山口君と、世界を失いかけていた月島君の助けになれば…
という建前で、自分では取り戻せない記憶を引き寄せようとしていた黒尾さん。
それを絶対に阻止したいという本音で、超絶お節介のフリをして参加した…俺。

本来の目的…山口君達を手助けすることに関しては、ほぼ達成できたはずだ。
大見栄を切って(ハッタリかまして)、月島君の『世界を壊す』と言ったが、
結局は山口君自身が全てを破壊し尽し…新たに創造してしまうカタチだった。


きっとあの二人は、もう…大丈夫。
合宿最終日、烏野のバスを皆で見送っていた時に、
山口君は笑顔で手を振りつつ『ありがとうございました~♪』と口を動かし、
月島君はごくわずかに『お世話になりました。』と…頭を下げた。

月島君が早々に車窓から目を逸らすと、山口君が俺に強い視線を投げて来た。
自分の体で隠しながら、親指をグっと立て…次に人差し指をそっと唇に当てた。

   (全部思い出した!けど…内緒!?)

たった2指の仕種で、俺の中の『月島君&山口君』像が、ガラリと転換した。
4人での『お姫様談義』と破壊行為で、何となくその予兆はあったが、
『ワガママなかぐや姫&忠実な下僕』という『外面』にしか見えない二人だが…
その『内面』は、『強靭な王子&しおらしいかぐや姫』なのかもしれない。

   (何て強くて…羨ましい。)

月島かぐや姫は、間違いなく幸せにして貰える…山口王子の、掌の上で。
俺は『お幸せに♪』の意を込めて、山口君に向かって小指を立てて振った。


あれから…3日。
いや、二人を見送った直後から、俺は普段通りの超多忙な生活に戻っていた。
音駒での合宿片付けに、梟谷への帰還。合宿中のデータ整理に、猛獣飼育業務…
先週分の残務処理が今ようやく終わり、これから来週末合宿の行程表案作成だ。

「仕事…多すぎだろ。」
少し休憩しようと、胡坐を崩して四肢をグっと伸ばし、ゴロリと寝転がる。

   独りで残業中の、薄暗い梟谷の部室。
   満月から3夜経ち、欠け続ける…月。
   その月に掌を翳し…親指を握り込む。

自分の親指に刻み込まれた痕跡…新しい『カラダの記憶』が、ここにある。
あの晩、山口君の強烈な『破壊と創造』に巻き込まれながら、
二人に見えない所で、強欲な親指姫はもっと強欲な黒猫王子に捕獲されていた。

『場の雰囲気』と、王子の行動の意味を素直に受け止めるならば、
元々『何もなかった』間柄にも、新しい関係の萌芽があった…そう解釈できる。
でも、それを確かめる間もなく、親指姫と王子は『元の世界』に強制送還され、
『新しい世界』を選り好みする機会すらない…何もしないまま、3日が過ぎた。


余計なことを考える暇がない間は、特に問題はなかった。
だが仕事が一段落し、次の仕事へ取り掛かる前の、ようやく訪れた休憩時間…
それを待ち構えていたかのように、『カラダの記憶』が内側から滲んできた。

   (始まりは…この場所、だった。)

季節外れの熱中症でダウンした黒尾さんを、『マニュアル通り』に介抱した。
あの時唇に残った『カラダの記憶』は、大好きなドリンクを封印したり、
黒尾さんを徹底的に避けることで、現状を壊すまいと…抑え込んでいた。

   (必死に抵抗していたのに…っ)


自分を取り巻く環境が変わったのは、他でもない…自分のせいだ。
本当はあの人の傍にいるアイツのせいにしたいけど、それはそれで面白くない。
自分の内に眠るドス黒い感情が、抑え続けていた欲を遂に暴発させてしまった。

先週の合宿一日目の晩。
『場の雰囲気』に流された挙句、封印していた『カラダの記憶』を上書き…
記憶喪失になっても忘れられないぐらい鮮明な感触を、唇が覚えてしまった。
その上、翌二日目の晩には、親指姫の親指にまで、ぬくもりを残していった。

   あれもこれもなんて、欲張らない。
   何もいらない、ただあの人だけが…
   あの熱に、触れたくてたまらない。


その願いはすぐに叶いそうに見えていたけど…そんなに甘くはなかった。
月島君達と違い、俺達には元々『何もなかった』というだけではなく、
会いたい時に会えない…どうしても遠い『物理的距離』があったのだ。

同じ都内在住だが、稼ぎのない高校生には、実測以上の『金銭的距離』があり、
また、高校生にしては度を超した多忙さが、『時間的距離』として加算され…
それらの現実と、自覚した想いとの乖離が、胸を苦しく締め続けていた。

「何で『遠い人』なんか、好きになっちゃったんだろ…」

合理的な説明もできず、理由も曖昧…それでも、あの人じゃなきゃ意味がない。
理由はないけど、とにかく好き…理性なんかでは、どうしようもないのだ。


「早くツバメが…親指姫を迎えに来てくれればいいのに。」

ポロリと落ちた言葉に、自己嫌悪に陥ってしまう。
結局俺は『元の俺』のまま…『何もしない』で待つばかりじゃないか。
そもそも、ツバメを助けていない俺に、迎えなんて来るわけもないのに。

「俺は、親指姫にすら…なれない。」


   駄目だ…雑念で全く仕事にならない。
   今日はもう、早々に帰ってしまおう。

『始まりの場所』に鍵を掛け、月光から逃げながら、やや早足で自宅へ向かう。
思った以上に寒い夜の空気に耐え、痛いほど爪を立て親指を手の中に隠し込む。

   すれ違う冷たい風が胸と目に沁みる。
   不意に零れた一粒の涙が、足を止め…
   このままは嫌だと、心が絶叫を放つ。


「やっぱり駄目だ…今すぐ会いたいっ」

俺を迎えに来てくれるツバメも居ない。梟としての職務…会う口実もない。
それでも王子の所へ飛んで行き、その熱を感じ、繋がっていたいと願うのなら…


「強欲なハエの羽で…行くしかない。」

月光に背を押されるようにくるりと踵を返し、自宅とは逆方向へ…
俺は駅へ向かって、飛ぶように走り出していた。




********************




「『山口、無事に記憶戻ったって!黒尾さんにヨロシク伝えてくれってさ~』
   …って、翔陽から伝言の伝言。じゃあ俺らは先に帰るから。」
「そうか…そりゃ良かった。お大事に…いや、『お幸せに』って伝えてくれ。
   もう遅いから、お前らも気を付けて帰れよ…」


黒尾は部室の窓から欠けた月を眺めたまま、研磨に気のない返事を返した。
一月ほど前の風邪から、『心ここに在らず』な様子を時折見せていたが、
先週末の合宿後からは、それが特に顕著に…鬱陶しいことこの上なかった。

「この…ヘタレ1号。」
「ん?何か言ったか?」

「別に。さっさと…片付けなよ。」
「あぁ。行程表ができたら…な。」

それじゃない…と呟いて部室の外に出た研磨は、そこでピタリと歩みを止めた。
研磨に続いて最後に出ようとしていたリエーフは、危うくぶつかりそうになり…
「あっ!!」と声を上げて部室外へ飛び出し、すぐに顔だけ中へ戻した。

「黒尾さ~ん!伝言と言えば、伝えるのをスッカリ忘れてましたけど…
   『寝たらヒャッホ~♪待ったナシ!』って、木兎さんが言ってました!」
「は?何だそりゃ…」

「悩むぐらいなら、1回寝てスッキリ♪しちまえ!!…これが真理ですっ!」
「だから、何なんだそれは…リエーフ、あんま木兎に影響されすぎんなよ?」


もういいから、さっさと帰れ。
二人を追い払うように、黒尾は書類に目を落として手をヒラヒラ…した瞬間、
バン!!とリエーフが扉を大きく開き、ドン!!と研磨が何かを突き飛ばした。

「ぅ、わぁっ!!!?」
「なっ、何だっ!!?」

叫びながら転がり込んできたものを、黒尾は咄嗟に両腕で受け止めて、尻餅…
その正体を確かめる前に部室の電気が消され、爆音と共に扉が閉められた。


「痛ぇ…おい、大丈夫かっ!?」
「何とか…無事、みたいです。」

安否確認に対して戻って来た声は、この場に居るはずのない相手…
それに驚くより先に、黒尾は無意識の内に受け止めた存在を抱き締めていた。

「っ!?く、黒尾、さん…!?」

突然の固い抱擁に動揺しながらも、赤葦は腕の中で一切抵抗しなかった。
数日前、旧校舎の中でやむなく密着し、その後『場の雰囲気』に流されて…
二人で抱き合った『カラダの記憶』通りの、温かい感触を確かめるように、
しばらくの間、黒尾は夢中で赤葦をただただ抱き締め続けた。

最初は緊張と驚愕で強張っていた赤葦だったが、徐々にその力を抜き始め、
完全にカラダを預けてから、おずおずと両腕を黒尾の背に回した。
抱擁に赤葦が応えてくれたことで、黒尾は安堵したように抱く力を少し緩め、
肩口に軽く顎を乗せたまま、ようやくポツポツと言葉を紡いだ。


「赤葦、どうして、ここに…?」

特に用事もないのに、お前がこんなとこにわざわざ来るわけねえよな。
もしかして、来週末合宿の行程表が、もうできちまったか…監督のおつかいか?
どっちにしても、俺がここでお前を引き止めるのは、良くなさそうだな…

名残惜しそうにもう一度だけ強く抱いてから、黒尾は赤葦を離そうとした。
だが赤葦は慌てたように黒尾にしがみ付き、「違います…」と囁いた。

「用件は、あると言えばあるような…」

えーっと、そうですね…
くくっ、黒尾さんにお渡しするのを、ずっと忘れてたもの…持って来ました。
せせっ、先日は俺の大好物を御馳走して下さり、ありがとうございました。
お礼と…おつりをお返しするのが遅くなって、申し訳ありませんでした…はぃ…

「はぁっ?そのために、わざわざ…?」

赤葦らしいと言えば赤葦らしい律儀さではあるが、これは明らかに…違う。
咄嗟に思い付いた言い訳の酷さを自覚しているらしく、語尾が消え入りそうだ。

困惑気味の黒尾の問い掛けに、赤葦はピクっと背を小さく震わせ、沈黙…
黒尾はこの場を何とか和ませようと、冗談交じりに明るい声を出した。

「本当はただ俺に会いに来てくれた…とかだったら、凄ぇ嬉しいんだけどな?」


その言葉に、赤葦はビクリッ!!と盛大に全身を震わせた。
予想以上の反応に驚いた黒尾は、肩から顎を離して赤葦の顔を覗き込んだ。

夜目にもはっきりわかる程、真っ赤に頬を染めた赤葦は、
黒尾の視線からその顔を隠そうと、黒尾の背を強く抱き、胸の中に顔を埋めた。

「…そう、です。」
「…っーーー!!」

胸に直接響き渡った、赤葦の声。
それはまるで落雷のように、黒尾の中を突き抜け…
抑え込んでいたものを覆い隠していた殻を射貫き、粉々に破壊してしまった。

   カラダの奥底から湧き上がる…欲。
   その情動に『世界』が支配される。
   抑えることなど、もう…できない。


黒尾は赤葦の背に腕を回すと、そのまま赤葦の後ろ側に向かって体重を掛けた。
赤葦に衝撃を与えないような、緩やかな動き…だが、有無を言わせぬ強引さ。
静かにカラダの下に組み敷くと、親指で優しく赤葦の唇をなぞり始めた。

下唇の左端から、ゆっくりと真ん中へ…
親指が右端に着くより先に、赤葦は黒尾の首に腕を回し、唇に引き寄せた。
自分は強欲だ…互いにそう言っていたのを証明するかのように、
狂おしい程に強く抱き締め、激しく舌を絡ませ、ひたすら唇を貪り合う。

   欲の激流に飲み込まれるキスは、
   思っていたほど…甘くなかった。
   『世界』全てが、痺れてしまう…

「『たった一人』の赤葦が…欲しい。」
「俺も、黒尾さんだけを…選びます。」


ようやく曝け出した、互いの本心。
二人は自らを覆い隠していた『外』を脱ぎ捨て、『内』から強く繋ぎ合った。




********************




カラダからは全てが抜けきったのに、ココロは余すところなく満たされる…
そんな不思議な感覚に、ぼんやりと意識を揺蕩わせている間に、
黒尾さんは掌で温めた汗ふきシートで、俺の全身を丁寧に拭いてくれた。


「寒くねぇか…?」
「大丈夫、です…」

赤外線ヒーターをギリギリまで近付け、見慣れた赤いジャージを掛けてくれる。
あられもない姿の俺が、冷えてしまわないように…実に細やかな気配りだ。

黒尾さんの優しさに頬を緩めていると、俺はあることを思い出し…冷や汗。
慌てて起き上がろうとするも、まるで力が入らず、そのままの格好で謝罪した。

「黒尾さんっ!先日、俺…風邪を引かせてしまい、申し訳ありませんでした!」

あの時は熱を下げることに必死で、ほぼ全裸にひん剥いた上でひんやりシート、
そして冷房の風をガンガンに当て続けてしまった…俺の『処置』が原因である。
不慣れで焦っていたとはいえ、常識的に考えれば明らかにやり過ぎ…
復帰後の合宿では、まだ声も掠れていたから、結構キツい風邪だったはずだ。

すみません…と瞼を伏せると、黒尾さんは柔らかく微笑んで首を横に振った。


「何言ってんだ。赤葦が謝ることなんて何一つない…あの時は、ありがとな。」

お前の適切な処置のおかげで、俺は大事に至らずに済んだんだ。
軽い記憶障害と単なる風邪だけ…医者も「御見事!」って感心しきりだったぞ。
俺の方こそ、直接お礼を言うのが随分遅くなっちまって…ゴメンな。

「あの時、お前が俺の傍に居てくれて…本当に良かった。」

蕩けそうな程の甘い視線と声、そして黒尾さんに褒めて貰えたことが嬉しくて、
俺の頬は一気にヒートアップ…赤いジャージを引っ張り上げ、顔を隠した。

照れ臭さと頬の緩みを誤魔化すために、俺はずっと気になっていたこと…
気になってはいたが、目を逸らし続けていたことを、思い切って聞いてみた。


「あの、どうして黒尾さんは、俺がしたもう一つの『処置』のことを…?」

熱中症になった時の主な対処法は、汗を拭き体温を下げ、水分を取らせること。
意識が朦朧とし、自分では水分補給できなかった黒尾さんを介助するため、
俺は自らの口にスポーツドリンクを含んで…補給させた。

熱中症に伴う一時的な記憶障害の場合、障害中に起こった事柄については、
一切覚えていないはず…と、俺は高を括って(ほんの少し)好き放題したのだが、
記憶できないのはエピソード記憶で、感覚記憶は別…という落とし穴があった。

黒尾さんはあの時口にした微かな味と香り、そして唇の感触から、
何が起こったのか…俺が黒尾さんに何をしたのかを推理したようなのだが、
ごく僅かな感覚記憶から、何故そこまで推察できたのか、ずっと謎だったのだ。

俺の質問に、黒尾さんは「あー、それはだな…」と苦笑いし、
脇に置いてあった『超お気に入り』のボトルを軽く振りながら話し始めた。

「昔、研磨に怒られたことがあって…」


研磨はあの通りのゲーマーで、俺も横で色んなゲームを見てきたんだが…
特にRPGなんかで、キャラのHPが0になって『戦闘不能』に陥った時に、
『フェニックスの尾』とか『せいかいじゅのは』とか『ライフボトル』とか、
身動きの取れない仲間を回復させるっていう、便利な薬系アイテムがあるんだ。

仲間にそれを使うと、キラキラに包まれて復活し、戦闘に復帰できるんだが…
死んだり身動き取れねぇ相手に、どうやって服用させるんだろうな~って。
『尾』とか『葉』なら、天に振りかざすと効果がありそうだが、
明らかに液体が入ってる『ボトル』の場合には、内服させるのが一番だろ?
貴重な薬なら、体に振りかけるよりも、飲ませた方が効果が高いはずだしな。

あぁ、そうか…ゲームと言えども、やはりそこは『救急救命措置』だよな。
味方がちゃんと『飲ませてくれる』から生き返る…それしか考えられねぇ!!
…って、俺が大マジで考察したら、研磨にぶん殴られたんだよ。

「『そういう無駄な考察は、二次創作ぐらいにしか使えないから』…だとよ。」
「その手痛い経験が、奇しくも今回生かされた…というわけだったんですね。」


自分から聞いておいてアレだが、俺にとってはこれっぽっちも面白くない話だ。
無意識のうちに膨らませていた頬を、黒尾さんは笑いながらフニフニ…
そして、手にしていたボトルに口を付けると、『復活』の処置をしてくれた。
たったこれだけで、俺の機嫌も気分も見事に完全回復…効果バツグンだ。

この『処置』が実は物凄く恥かしいと、実践してようやくわかった黒尾さんは、
ドリンクと同じような桃赤色に頬を染めながら、上擦った声で話題を変えた。

「お、俺も赤葦に聞きたいことが…」

この『ももあし』ドリンク、このままストレートだとちょっとキツいよな?
あの時の絶妙な味…赤葦の『特製配合』の割り方を、俺にも教えてくれねぇか?


『ももあし』ドリンク…それ、一体何の略ですか?という問いの答えは、
俺のカラダをそわそわと割り込む黒尾さんの手が、ストレートに表していた。

俺は『ももあし』でその手をムッチリ捕まえて、黒尾さんをグッと引き寄せた。
そして、門外不出の『極秘配合』を、耳元にこっそり囁いた。

「俺は、1500mlずつ作るんですが…」

ドリンク900mlを、水600mlで割る…合計1500mlです。
合理的な理由なんてありませんが、俺が好きで好きで堪らない味は…


「『9:6』…『黒』ですよ。」




- 王姫側室・完 -




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※赤葦→黒尾のテーマソング
   矢井田瞳 『Over The Distance』


それは甘い20題 『15.痕跡』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。


2017/12/05   

 

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