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「『山口、無事に記憶戻ったって!黒尾さんにヨロシク伝えてくれってさ~』
…って、翔陽から伝言の伝言。じゃあ俺らは先に帰るから。」
「そうか…そりゃ良かった。お大事に…いや、『お幸せに』って伝えてくれ。
もう遅いから、お前らも気を付けて帰れよ…」
黒尾は部室の窓から欠けた月を眺めたまま、研磨に気のない返事を返した。
一月ほど前の風邪から、『心ここに在らず』な様子を時折見せていたが、
先週末の合宿後からは、それが特に顕著に…鬱陶しいことこの上なかった。
「この…ヘタレ1号。」
「ん?何か言ったか?」
「別に。さっさと…片付けなよ。」
「あぁ。行程表ができたら…な。」
それじゃない…と呟いて部室の外に出た研磨は、そこでピタリと歩みを止めた。
研磨に続いて最後に出ようとしていたリエーフは、危うくぶつかりそうになり…
「あっ!!」と声を上げて部室外へ飛び出し、すぐに顔だけ中へ戻した。
「黒尾さ~ん!伝言と言えば、伝えるのをスッカリ忘れてましたけど…
『寝たらヒャッホ~♪待ったナシ!』って、木兎さんが言ってました!」
「は?何だそりゃ…」
「悩むぐらいなら、1回寝てスッキリ♪しちまえ!!…これが真理ですっ!」
「だから、何なんだそれは…リエーフ、あんま木兎に影響されすぎんなよ?」
もういいから、さっさと帰れ。
二人を追い払うように、黒尾は書類に目を落として手をヒラヒラ…した瞬間、
バン!!とリエーフが扉を大きく開き、ドン!!と研磨が何かを突き飛ばした。
「ぅ、わぁっ!!!?」
「なっ、何だっ!!?」
叫びながら転がり込んできたものを、黒尾は咄嗟に両腕で受け止めて、尻餅…
その正体を確かめる前に部室の電気が消され、爆音と共に扉が閉められた。
「痛ぇ…おい、大丈夫かっ!?」
「何とか…無事、みたいです。」
安否確認に対して戻って来た声は、この場に居るはずのない相手…
それに驚くより先に、黒尾は無意識の内に受け止めた存在を抱き締めていた。
「っ!?く、黒尾、さん…!?」
突然の固い抱擁に動揺しながらも、赤葦は腕の中で一切抵抗しなかった。
数日前、旧校舎の中でやむなく密着し、その後『場の雰囲気』に流されて…
二人で抱き合った『カラダの記憶』通りの、温かい感触を確かめるように、
しばらくの間、黒尾は夢中で赤葦をただただ抱き締め続けた。
最初は緊張と驚愕で強張っていた赤葦だったが、徐々にその力を抜き始め、
完全にカラダを預けてから、おずおずと両腕を黒尾の背に回した。
抱擁に赤葦が応えてくれたことで、黒尾は安堵したように抱く力を少し緩め、
肩口に軽く顎を乗せたまま、ようやくポツポツと言葉を紡いだ。
「赤葦、どうして、ここに…?」
特に用事もないのに、お前がこんなとこにわざわざ来るわけねえよな。
もしかして、来週末合宿の行程表が、もうできちまったか…監督のおつかいか?
どっちにしても、俺がここでお前を引き止めるのは、良くなさそうだな…
名残惜しそうにもう一度だけ強く抱いてから、黒尾は赤葦を離そうとした。
だが赤葦は慌てたように黒尾にしがみ付き、「違います…」と囁いた。
「用件は、あると言えばあるような…」
えーっと、そうですね…
くくっ、黒尾さんにお渡しするのを、ずっと忘れてたもの…持って来ました。
せせっ、先日は俺の大好物を御馳走して下さり、ありがとうございました。
お礼と…おつりをお返しするのが遅くなって、申し訳ありませんでした…はぃ…
「はぁっ?そのために、わざわざ…?」
赤葦らしいと言えば赤葦らしい律儀さではあるが、これは明らかに…違う。
咄嗟に思い付いた言い訳の酷さを自覚しているらしく、語尾が消え入りそうだ。
困惑気味の黒尾の問い掛けに、赤葦はピクっと背を小さく震わせ、沈黙…
黒尾はこの場を何とか和ませようと、冗談交じりに明るい声を出した。
「本当はただ俺に会いに来てくれた…とかだったら、凄ぇ嬉しいんだけどな?」
その言葉に、赤葦はビクリッ!!と盛大に全身を震わせた。
予想以上の反応に驚いた黒尾は、肩から顎を離して赤葦の顔を覗き込んだ。
夜目にもはっきりわかる程、真っ赤に頬を染めた赤葦は、
黒尾の視線からその顔を隠そうと、黒尾の背を強く抱き、胸の中に顔を埋めた。
「…そう、です。」
「…っーーー!!」
胸に直接響き渡った、赤葦の声。
それはまるで落雷のように、黒尾の中を突き抜け…
抑え込んでいたものを覆い隠していた殻を射貫き、粉々に破壊してしまった。
カラダの奥底から湧き上がる…欲。
その情動に『世界』が支配される。
抑えることなど、もう…できない。
黒尾は赤葦の背に腕を回すと、そのまま赤葦の後ろ側に向かって体重を掛けた。
赤葦に衝撃を与えないような、緩やかな動き…だが、有無を言わせぬ強引さ。
静かにカラダの下に組み敷くと、親指で優しく赤葦の唇をなぞり始めた。
下唇の左端から、ゆっくりと真ん中へ…
親指が右端に着くより先に、赤葦は黒尾の首に腕を回し、唇に引き寄せた。
自分は強欲だ…互いにそう言っていたのを証明するかのように、
狂おしい程に強く抱き締め、激しく舌を絡ませ、ひたすら唇を貪り合う。
欲の激流に飲み込まれるキスは、
思っていたほど…甘くなかった。
『世界』全てが、痺れてしまう…
「『たった一人』の赤葦が…欲しい。」
「俺も、黒尾さんだけを…選びます。」
ようやく曝け出した、互いの本心。
二人は自らを覆い隠していた『外』を脱ぎ捨て、『内』から強く繋ぎ合った。
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カラダからは全てが抜けきったのに、ココロは余すところなく満たされる…
そんな不思議な感覚に、ぼんやりと意識を揺蕩わせている間に、
黒尾さんは掌で温めた汗ふきシートで、俺の全身を丁寧に拭いてくれた。
「寒くねぇか…?」
「大丈夫、です…」
赤外線ヒーターをギリギリまで近付け、見慣れた赤いジャージを掛けてくれる。
あられもない姿の俺が、冷えてしまわないように…実に細やかな気配りだ。
黒尾さんの優しさに頬を緩めていると、俺はあることを思い出し…冷や汗。
慌てて起き上がろうとするも、まるで力が入らず、そのままの格好で謝罪した。
「黒尾さんっ!先日、俺…風邪を引かせてしまい、申し訳ありませんでした!」
あの時は熱を下げることに必死で、ほぼ全裸にひん剥いた上でひんやりシート、
そして冷房の風をガンガンに当て続けてしまった…俺の『処置』が原因である。
不慣れで焦っていたとはいえ、常識的に考えれば明らかにやり過ぎ…
復帰後の合宿では、まだ声も掠れていたから、結構キツい風邪だったはずだ。
すみません…と瞼を伏せると、黒尾さんは柔らかく微笑んで首を横に振った。
「何言ってんだ。赤葦が謝ることなんて何一つない…あの時は、ありがとな。」
お前の適切な処置のおかげで、俺は大事に至らずに済んだんだ。
軽い記憶障害と単なる風邪だけ…医者も「御見事!」って感心しきりだったぞ。
俺の方こそ、直接お礼を言うのが随分遅くなっちまって…ゴメンな。
「あの時、お前が俺の傍に居てくれて…本当に良かった。」
蕩けそうな程の甘い視線と声、そして黒尾さんに褒めて貰えたことが嬉しくて、
俺の頬は一気にヒートアップ…赤いジャージを引っ張り上げ、顔を隠した。
照れ臭さと頬の緩みを誤魔化すために、俺はずっと気になっていたこと…
気になってはいたが、目を逸らし続けていたことを、思い切って聞いてみた。
「あの、どうして黒尾さんは、俺がしたもう一つの『処置』のことを…?」
熱中症になった時の主な対処法は、汗を拭き体温を下げ、水分を取らせること。
意識が朦朧とし、自分では水分補給できなかった黒尾さんを介助するため、
俺は自らの口にスポーツドリンクを含んで…補給させた。
熱中症に伴う一時的な記憶障害の場合、障害中に起こった事柄については、
一切覚えていないはず…と、俺は高を括って(ほんの少し)好き放題したのだが、
記憶できないのはエピソード記憶で、感覚記憶は別…という落とし穴があった。
黒尾さんはあの時口にした微かな味と香り、そして唇の感触から、
何が起こったのか…俺が黒尾さんに何をしたのかを推理したようなのだが、
ごく僅かな感覚記憶から、何故そこまで推察できたのか、ずっと謎だったのだ。
俺の質問に、黒尾さんは「あー、それはだな…」と苦笑いし、
脇に置いてあった『超お気に入り』のボトルを軽く振りながら話し始めた。
「昔、研磨に怒られたことがあって…」
研磨はあの通りのゲーマーで、俺も横で色んなゲームを見てきたんだが…
特にRPGなんかで、キャラのHPが0になって『戦闘不能』に陥った時に、
『フェニックスの尾』とか『せいかいじゅのは』とか『ライフボトル』とか、
身動きの取れない仲間を回復させるっていう、便利な薬系アイテムがあるんだ。
仲間にそれを使うと、キラキラに包まれて復活し、戦闘に復帰できるんだが…
死んだり身動き取れねぇ相手に、どうやって服用させるんだろうな~って。
『尾』とか『葉』なら、天に振りかざすと効果がありそうだが、
明らかに液体が入ってる『ボトル』の場合には、内服させるのが一番だろ?
貴重な薬なら、体に振りかけるよりも、飲ませた方が効果が高いはずだしな。
あぁ、そうか…ゲームと言えども、やはりそこは『救急救命措置』だよな。
味方がちゃんと『飲ませてくれる』から生き返る…それしか考えられねぇ!!
…って、俺が大マジで考察したら、研磨にぶん殴られたんだよ。
「『そういう無駄な考察は、二次創作ぐらいにしか使えないから』…だとよ。」
「その手痛い経験が、奇しくも今回生かされた…というわけだったんですね。」
自分から聞いておいてアレだが、俺にとってはこれっぽっちも面白くない話だ。
無意識のうちに膨らませていた頬を、黒尾さんは笑いながらフニフニ…
そして、手にしていたボトルに口を付けると、『復活』の処置をしてくれた。
たったこれだけで、俺の機嫌も気分も見事に完全回復…効果バツグンだ。
この『処置』が実は物凄く恥かしいと、実践してようやくわかった黒尾さんは、
ドリンクと同じような桃赤色に頬を染めながら、上擦った声で話題を変えた。
「お、俺も赤葦に聞きたいことが…」
この『ももあし』ドリンク、このままストレートだとちょっとキツいよな?
あの時の絶妙な味…赤葦の『特製配合』の割り方を、俺にも教えてくれねぇか?
『ももあし』ドリンク…それ、一体何の略ですか?という問いの答えは、
俺のカラダをそわそわと割り込む黒尾さんの手が、ストレートに表していた。
俺は『ももあし』でその手をムッチリ捕まえて、黒尾さんをグッと引き寄せた。
そして、門外不出の『極秘配合』を、耳元にこっそり囁いた。
「俺は、1500mlずつ作るんですが…」
ドリンク900mlを、水600mlで割る…合計1500mlです。
合理的な理由なんてありませんが、俺が好きで好きで堪らない味は…
「『9:6』…『黒』ですよ。」
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王姫側室・完 -
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※赤葦→黒尾のテーマソング
矢井田瞳 『Over The Distance』
それは甘い20題 『15.痕跡』
お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。
2017/12/05