奥嫉窺測(9)  ~月王子息⑤







「綺麗なお月様~今日は満月だって。」
「知ってる。ちょっと…静かにして。」


東京での遠征合宿を終え、烏野へ戻って来た頃には、夜空には煌々と輝く満月。
帰還する車中で晩御飯のお弁当を食べた後は、疲れと記憶整理の時間…
山口はずっと僕の肩に頭を乗せたまま、昏々と深い睡眠に落ちていた。

学校には兄が自主的に迎えに来てくれていて(僕は頼んだ覚えはない)、
うつらうつら船を漕ぐ山口と共に、僕は後部座席に乗り込んだ。
座った途端、今度はコテンと僕のひざに頭を乗せ、山口は夢の国へと出航した。

僕は脇に畳んであったブランケットを山口に掛け(用意がいい…悔しいことに)、
寝入る山口と車窓の月、そしてバックミラー内の兄からも視線を逸らすように、
ブランケットに描かれた幾何学模様を、漫然と目で辿っていた。


「忠、大分疲れちゃったみたいだね。東京の人達のことは…?」
「合宿一日目の晩…二日目の朝起きた時には、思い出してたよ。」

一度会ったら一生忘れられない程、強烈で過激極まりない個性の集団だから、
ガツン!とくるインパクトも大きいし…大爆睡してガッツリ取り戻してた。

「ってことは、そっちに脳ミソがフル回転しちゃったんだね~」

言葉にはっきり出さずとも、『ラスト一人』という山口の現状を、兄は察知…
「あとほんの少し寝れば、色々スッキリ『覚める』だろうね~」と呟き、
そこから話を逸らせるつもりだったのだろうが、「綺麗な満月だね~」と、
僕があえて目を逸らしていた、月の話を振ってきた。あぁ、もぅ…うるさい。

ホント、気の使い方がいちいち癪に障るし、大体空回り…どころか、逆効果。
我が兄ながら、優しさの無駄遣いをしていることが、少々気の毒になった。


『静かにしろ』と言ったのは僕だけど、兄が口を閉ざした車内の静寂と、
『ひざまくら』で眠る山口の寝息が、あまりに静かすぎることに耐えきれず、
僕の方から兄に無駄話を振るという、『らしくない大暴挙』に出てしまった。

「あのさ、『竹取物語』に関する話なんだけど…
   どうして月の住人達は、かぐや姫から地上での記憶を奪ったんだと思う?」


かぐや姫は月で犯した罪を償うため、地上へ流され…『人らしさ』を知った。
その結果、贖罪は済んだとみなされ…羽衣を纏い月へと還って行く際に、
地上での記憶や、『人らしい』感情の全ても、同時に消されてしまった。

僕と山口と、黒尾さんと赤葦さん。
何となくわらわらと集まり、何となくそういう話で盛り上がった時に、
罪も償いも忘れてしまったら、『贖罪』とは言えないのではないのか?
また、記憶すら失うのは『罰』としても重すぎるのではないか…と語り合った。

何故そこまで残酷なことをする必要があったのか…ずっと気になっていた。
兄がこれについてどう考えているのか、僕はふと聞きたくなってしまった。
自分の『ふと』に驚いていると、「う~ん、そうだね…」と兄は少し考え、
僕が全く予想もしなかった意見を、穏やかなトーンで口にした。

「月の住人達は純粋に善かれと思って、そうしてあげたんじゃないかな?」


「え…っ、どういう、こと?」
「悪意はなかった、ってことだよ。」

かぐや姫は罪を償うために、『汚らわしい地上』へ流されていたんだよね?
地上を『不浄の地』だと思っている、月の住人達の『フツーの感覚』だと、
地上での生活は『罰』そのもの…一刻も早く忘れたい『ツラい記憶』なんだ。
だから贖罪を終えたかぐや姫が、必要以上に『ツラい記憶』に苛まれないよう、
羽衣で穢れを祓うのと同時に、ツラいはずの記憶も消してあげた…

「かぐや姫の『未来』のために、親切心からそうしたんじゃないかな。」

彼らには、残酷なことをしたという意識はない…そういう感情がないんだから。
それでも、不浄の地までわざわざ迎えに来るぐらい、かぐや姫は大切な存在…
本心からかぐや姫を想ったが故の、記憶喪失という『ケア』なんじゃないかな。

「心から善かれと思ってしたことが、逆に残酷な結果を生んでしまった…」
「かぐや姫の想いを、月の住人達が理解できなかった…皮肉な結末だね。」


超絶お節介は、ありがた迷惑な場合もある…兄ちゃんが言うと説得力があるね。
それに、似たようなことをやりかねない人達も、あと2名程心当たりが…

兄の話から受けた衝撃を誤魔化そうと、僕は『減らず口』を叩こうとしたが、
その言葉は口から外には出て来ず…その隙に、兄が先に言葉を続けた。


「忠が記憶喪失になったことは、蛍にとって本当にツラい出来事だったよね?」

お互いが居ないと『世界』が成立しないほどに共依存し合っている、蛍と忠。
二人が『ずっと一緒』を、どれだけ幸せに思ってるか、熟知している俺達家族…
月島家も山口家も、忘れられた蛍が可哀想で、見てて本当にツラかったよ。

どんな手を使っても、忠に蛍のことを思い出させてあげたい…
一秒でも早く、蛍を忠の居ない『絶望の世界』から、解放してあげたかった。
だから…

「『忠が記憶喪失中』という、蛍にとっては拷問でしかない『ツラい記憶』…
   無事に忠が記憶を取り戻したら、それを蛍の中から消してあげようか?」


いくら蛍がナノレベルの可愛げしかなくて、忠を蔑ろにしてきたとしても、
忠からすっぽり丸ごと蛍を消しちゃうなんてのは…罰としては重過ぎるよ。

蛍は蛍なりに、忠のお世話を精一杯頑張ったのに、その結果は『かぐや姫』…
周りからは『キャラ崩壊!』って、好意的だけどありがた迷惑な高評価じゃん?
もし俺が『月の宮殿』から、羽衣を持って蛍を迎えに来ていたとしたら…

「蛍は、ツラかった贖罪期間の記憶を、消したいと思う?」


兄の質問に、僕はすぐに答えなかった。

これがもし東京遠征前だったら、「やれるならホントにやってよ。」と即答…
関係者全員分の羽衣を用意して、記憶抹消の旅に行ってよね!と言っただろう。
せっかく築き上げてきた『クールで近寄り難い月島蛍』という便利な仮面を、
是非とも取り戻したい…他人に干渉されない生活に戻りたいと願ったはずだ。

だが、山口がそれを聞いたら…どう思うだろうか?
僕の『外面』のために…山口を僕一人が独占し続けたいためだけに、
『元の僕』に戻りたいと、勝手に羽衣を纏ったとしたら…

「僕は…」


安心しきった様子で、僕の太腿にピッタリと頬を乗せて眠る山口。
あ…何かシットリしてる。ヨダレをかいて爆睡だなんて、緩み過ぎでしょ。
目蓋にかかる前髪を指先に絡め、クルクル回しながらおでこをくすぐっても、
まるで気付く様子もない…警戒心のカケラすらない。

こんなに穏やかな気持ちで、寝ている山口を観察したことなんて、
記憶にほとんどない…ずっと傍に居たけど、この温かさはカラダに覚えがない。

「贖罪期間の記憶…消したくないな。」


山口が記憶喪失にならなければ、『世界』を失う恐怖に怯えることもなく、
『実はデレ甘』という本性を晒さずにすみ、ネタ扱いされることもなかった。
だけど、山口が記憶を失ったことで、僕自身はやっと山口の大切さを理解でき、
穏やかで温かい気持ちに胸が包まれる…(おそらく)愛情を知ることができた。

それに、『僕の世界』には山口だけじゃなくて、家族やその他の人達も居て、
実は結構気が合う他校の先輩達が居たことも、この遠征でわかったのだ。
あの超絶お節介な二人と語り合った時間も、僕を大きく変えたと思う。
あの時間を経たからこそ、贖罪期間の記憶を失いたくないと…素直に思えた。

多少は恥ずかしい思いはしたけど、僕が笑われることなんて、実に些細な話だ。
記憶を失ってもなお、山口は僕の傍に居てくれた…それが全てだ。

「周りから笑われたり、色々と言われても、山口と一緒なら…それでいい。」


期せずして、兄の質問にまともに答えるカタチになっていた。
何となく照れ臭くなり、目を閉じて寝たふりをしようとしたら、
またしても先を越されてしまい…車内に明るく軽やかな兄の声が響いた。

「蛍は…優しい子だね。」

申し訳ないけど、ウチの『月の宮殿』にはそんな都合の良い羽衣はないから、
もし『失くせ』と言われてたら、ゴメンね〜って笑うしかなかったんだけど…
蛍が優しい子で、俺達家族はすっごい嬉しいし、そんな蛍を誇りに思うよ。

「俺達『月の宮殿』の住人は、無理矢理『かぐや姫』を連れて帰ったりしない。
   ウチの大切な姫が望むなら、『帰らない』選択肢だって…アリだから。」


そう言うと、兄は静かに車を停めてエンジンを切った。
そこは我が家…『月の宮殿』ではなく、明かりのない山口家の前だった。




********************




山口夫妻は、明日の晩に10日間の海外出張から帰ってくる予定だ。
記憶喪失以降、両親の不在もあり、山口は月島家でほとんど生活していたから、
山口家に来るのは久しぶり…ひと気のない空気に、懐かしさを感じてしまった。

カーテンを開けると、先程よりもずっと大きな月が、迫って来るように見えた。
一瞬だけ『消えてしまう恐怖』がフラッシュバックしかけたけど、
はちみつが滴り落ちてきそうな蜜色の月から、僕は目を逸らさなかった。

   今晩、山口が記憶を取り戻しても。
   ずっと取り戻さなかったとしても。

「どうなっても…僕は、受け入れる。」

まるで『心中立て』をするように、月に向かって小指を立てていると、
カチャリと部屋の扉が開く音…山口が風呂から出てきた。


「お待たせ!あ、お布団ありがと~♪」
「髪…まだ濡れてる。お茶も飲んで。」

山口の首に掛かったタオルを手に取り、わしゃわしゃと濡羽色の髪を拭く。
いつの間にか、僕はこんなにも『世話焼き』が板についてしまった…
最近、周りに『超絶お節介』が増えたこともあり、僕はまだ可愛いレベルだが、
それでも『元の僕』に比べたら、天地の差…激変と言って差し支えない。

「あ~ぁ、こんな風にお世話焼いて貰えるのも…今夜限りかな?」

ふわふわのタオルの下から、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
緊張感のないセリフに、僕も頬を緩め…ふわふわ揺れる触角?を持ち上げた。

「僕が山口に『御奉仕』した分だけ、きっちり返して貰うからね?」
「とりあえず、『ひざまくらでヨダレ』は、ガマンしなきゃダメ?」

「僕にそんな醜態を晒せと?」
「イケメンが台無しだよね~」


タオルを取って額と額をピッタリ引っ付け、クスクスと笑い合う。
髪を手櫛で整えながら、啄むようにキスを続け…その間も微笑みを絶やさない。

「ホントに…眩しい程イケメンだね~」
「僕の顔に…焦点合ってないでしょ。」

『元々』も『今』も、俺達はこういう距離感だった…
お互いの視線がわからない程の、至近距離なカンケーだったんだよね。

「どんな『外面』を被ってても、お互いに『内面』しか見えてなかった。
   今までも、これからも…それだけは絶対に変わらないよ。」


山口の言葉に、最後に残っていた『元の僕』のカケラが、パリンと音を立てた。

山口から僕はどう見えているのか…?
それを知るのが怖くて、僕は山口の視線から目を逸らし続け、
できるだけ『見目良く』映るように、ずっと無理をし続けていたのに。
山口には、『外面』は通用しない…いつだって『内面』を見てくれていたのだ。

記憶を失ってもなお、ちゃんと『僕自身』を見つめ、傍に居てくれた山口…
変わらないでいてくれたことに、『僕の世界』が温かいもので満たされた。

   (もう…怖くない。)


山口の頬を両手で包み、真正面からその瞳を覗き込む。
恭しく捧げるようにそっとキス…それから、しっかり視線を絡めて向き合った。

「今日は、山口の好きにしていいよ。」

山口の中に残る『カラダの記憶』…それに身を委ねてみようよ。
満月の光を浴びて一晩寝たら…二人で一回寝れば、きっと全部思い出すから。

「っーーー!?う、うんっ!!」

僕の言葉に、山口は「ぱぁぁぁぁぁ♪」と頬を染め、瞳をキラキラ輝かせた。
お互いに固く抱き合いながら、『二人で寝る』ためのキスを続けていると、
「ありがと…すっごい嬉しいよ。」という、熱っぽい囁きが耳元を掠め…

「じゃ、エンリョなく…かぐや姫様♪」


   ドサ!っと頭が枕に着地する音。
   腹上に跨り、僕を見下ろす山口。
   手にした『はちみつ』のボトル。
   それらを全て照らす、満月の光。

まるで記憶にない状況に、『元の世界』が完全に消滅するのがわかった。



「…って、ちょっ、ちょっと待って!まさか山口、かぐや姫を…」
「『カラダの記憶』のオミチビキ通り、美味しく頂くつもりだけど?」

「はぁっ!?そんな記憶…有り得ない!間違いなく『気のせい』だよっ!!
   あああっ、安易に『カラダの記憶』に左右されるのは、やっぱり止め…」
「どっかの強情な親指姫と違って、俺は自分の感情を素直に信じられるもん♪
   それに、場の流れ的にはこうなるのが自然…『月の引力』みたいじゃない?」

慣れた手つきで『はちみつ』のキャップを外し、中身を『ごく適量』手に取り、
「そうそう、この感触…すっごいお馴染みだよね~♪」と、ウットリする山口。
はちみつが付いていない方の手で、僕のズボンを引き下ろして脚を持ち上げ…

必死の抵抗を試みるも、山口は微動だにしない…こんなに力、強かったっけ?
いや、お互いに『抵抗』なんてしたことが、今までに一度もなかったから、
山口の力の強さを、僕のカラダが全く記憶していなかっただけだ。


「ココが『新しい世界』の扉…あ、もともとの『通用口』だね~」
「違うっ!そこはまだ未開の地…『開かずの間』の扉だから!!」

「『どうなっても僕は…受け入れる』って、さっきお月様に誓ってたよね?」
「そういう意味じゃないよっ!さすがにココまで『新しい世界』は…っ!」

僕の人生初めて…カラダにもアタマにも記憶にない、本気のパニックに陥った。
『クールでカッコいいツンデレ』っていう『仮面』もいらないし、
恥かしくて堪らない『実はデレ甘イケメン』のままでもいいから…っ!!

「これだけは…ココだけは『ワガママなかぐや姫』でいさせてよっ!!」


月へ還りたくないと泣き喚いたかぐや姫の如く、ぎゃんぎゃん大騒ぎする僕を、
山口はきゃらきゃらと心底楽しそうに笑いながら、背をポンポン撫でた。

「ごめんごめん!軽い冗談だってば♪
   俺だって『しおらしいかぐや姫』なんて…そこまでの激変は望んでないし。」

   大丈夫だから、もう泣かないで…ね?
   ちょっとからかい過ぎちゃっただけ。
   っていうか、こんな可愛いらしい姿…
   長~い付き合いの中で初めて見たよ♪


「ゴメンね…『ツッキー』?」


耳に残る…カラダに残る記憶を呼び覚ます、待ち焦がれ続けた…僕を呼ぶ声。
僕達の『新しい世界』の始まりを告げる音は、僕自身の涙声だった。




- 月王子息・完 -




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それは甘い20題 『10.ひざまくら』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。


2017/12/03   

 

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