「ツッキー、ほらよ。」
「え?あ…ありがとう、ございます。」
我らが黒尾法務事務所では、週に一度、業務上必要な備品(消耗品)をネット注文している。
といっても、それがどの程度『業務用』なのかは、税務署サマでも証明不可能だし、
個人事業主では、『家庭用』と『仕事用』の区別をつけるのも、現実的に難しい。
ウチの参謀殿なんて、『俺の仕事の能率を著しく向上させる必要不可欠な文具』とか言って、
最推しかつ最愛のHQクリアファイル等を、粛々と『必要経費』で落としている。
コラボTシャツは『作業着』だし、缶バッチにはクリップとか磁石を貼付けて文具化するし、
アクスタはクリアケースとかに挟んで、文書管理ボックスだとか…いいのかな?ホントに。
そんな参謀殿のムチャ振りを黙って許す経理担当は、さらにヤリ手だ。
トイレットペーパーも箱ティッシュも、洗剤もハンドソープも、『業務用』の大容量を購入…
そのうち『チョロっとずつ』を、二家族が『小分け』にして頂くカタチを取っているし、
御客様にお出しする茶菓子等の一部を、事務所内での打合せ時に『毒味』している。
(何で毎回、昼寝起きに届くんだろうね~?)
届いたアレコレをさばくのは、経理のお仕事。
今日もあくびを噛み殺しながら、ツッキーは納戸や棚の定位置に備品を収納してから、
それぞれが追加注文したものを、各々のデスクに配達し始めた。
「写真立て?は…赤葦さんですか?」
「業務連絡用付箋メモボード(特典ポストカードも挟める仕様)です。お間違えなきよう。」
「クレイジーソルト…山口でしょ、コレ。」
「ポテト好きな御客様が来た時のために、味変用として常備…あ!ちゃんと味見しなきゃ♪」
「それから、これは…爪やすり?」
「『(ネイル)ファイル』…文具名だよな?」
さすが、口(言葉)で勝負する本職・法律家だ。
「御見事です。」と、ツッキーは頬の端を緩めながら、黒尾さんに爪ファイルを配達。
すると、黒尾さんは細長いビニールをすぐに破り、2本入のうち1本をツッキーに手渡した。
「ツッキー、ほらよ。」
「え?あ…ありがとう、ございます。」
*****
「昔からの…『意味不明な言い伝え』だな。」
「それ、僕も…ちょっと気になってました。」
赤葦の『そういえば』に、事務所でネイルトークをしていた黒尾と月島も即時反応。
おやつ缶を抱えた山口も、コクコクと頷きながら応接ソファーに座ると、
四人はお煎餅片手に『本日の打合せ』こと、雑学考察を開始した。
「夜に爪を切るな。切ると…親の死に目にあえない、だったっけ?」
「一般的な理由としては…危ないから?」
「昔は安全な爪切りも、明るい電灯もなかったからね。」
現在最も普及しているのは、上下の刃で爪を挟みテコの原理で切る、クリッパー型のもの。
この折畳み式爪切りが日本に入って来たのは、大正時代になってからで、
それまでは『舌切り雀』に出てくるような、和ばさみで切っていたそうだ。
「まぁ、その和ばさみだって、庶民にとっちゃ相当な高級品…せいぜい江戸時代からだろ。」
「不器用な俺は、ギラギラな照明を点けていても…指ごとザックリ、いっちゃいそうです。」
古い時代の遺跡からは、爪を整えるための道具らしきものは、今のところ出土していない。
だが、平安時代には、小刀や爪磨(つまと)…孤爪研磨の略称っぽい名の砥石で研いでいたと、
『延喜式』に記述が残っており、その頃には爪をお手入れする習慣は、既にあったらしい。
「危険な夜に爪を切ると、ケガをしてそこから化膿しちゃったり…痛っ!怖っ!!」
「冗談抜きで、死に至るおそれも…『夜・爪』は『世詰め』に繋がるんだよ。」
「『世詰め』とは、子孫が絶えること…お家断絶を意味しますね。」
「親より子が先に死ぬ…だから『親の死に目にあえない』んだな。」
紀貫之の『土佐日記』にも、貴族達は爪を切る日を決められていた…
『子(ね)の日』を避けていた、と書かれているそうだ。
おそらくその理由は、『子(こ)』を切ることを忌んだからではないだろうか。
「…というのが、『ごく一般的な』説だね。」
「僕も今まで、疑問には…思ってなかった。」
「多分、それは『騙り』…後付けだろうな。」
「今ここで話していて…俺も気付きました。」
バリバリとお煎餅を割り砕きながら、四人は神妙な?悲し気な?表情を見合わせた。
『意味不明』な風習や言い伝えは、『そういうもんだから』と思考停止してしまいがちだが、
『意味』を考察すると、不明どころか自明…見えてきた『理由』に愕然としてしまう。
(これもまた、ここに、繋がるのか…っ)
四人での酒屋談義を続けているうちに、この感覚には大分慣れてきたはずだが、
『あぁ、やっぱりか。』な結末に、胸が絞めつけられる痛みが、減ることは…ない。
山口は天へ手を伸ばして照明を遮り、ギュっと拳を握り締めた。
心の内に滞る思いをグッと堪えるかのように、爪を隠し…意を決して掌を大きく開いた。
それを合図に、四人はあえて淡々と、いつもの結論に向けて言葉を繋いだ。
「『夜・爪』…平安時代の人々は、このワードから、ある強烈なイメージを抱いたはずだ。」
「『昼』の象徴たる天照大神。対を成す兄弟…『夜』を支配するのは、素戔嗚尊ですよね。」
「素戔嗚尊は、髪と『爪を抜かれて』高天原から追放…髪も爪も、魂が宿るものだったね。」
「八岐大蛇の元生贄こと、素戔嗚尊の妻・櫛名田比売が姿を変えたのも、湯津『爪』櫛だ。」
『夜・爪』は、素戔嗚尊にまっすぐ繋がる。
素戔嗚尊は、平安時代以降に『この国』を治めてきた権力者達が、
ありとあらゆる手段を使って、永久に封じておきたかった、『元々いた神』の代表…
だから、この『意味不明』な『もう一つの言い伝え』が、残っているのではないだろうか?
「夜、爪を切るな。切ると…」
「『蛇』が、出る…っ」
元々いた神は、『蛇』と呼ばれていた。
それが、こんなに身近な習慣の中に、こんなにもダイレクトなカタチで残っていたなんて。
なぜそんな言い伝えが残っているのか、その理由をちゃんと考えれば、すぐわかるのに…
「どうして今まで、気付かなかったのか…っ」
「ホンットーに、毎度毎度…情けねぇよな。」
念には念を入れ、『夜爪』に『世詰め』…『蛇の子孫を断絶』というイメージまで上書きし、
『意味不明な言い伝え』として、延々残していく執念?邪念?怨念に、震えを感じてしまう。
「意味不明なんかじゃ…なかった。」
「意味不明にしちゃ…ダメなんだ。」
あぁ、やっぱり俺…
爪切りなんて、大嫌いだ。
山口はそう呟くと、掌中に爪をそっと隠した。
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「ねぇ、山口君。俺、実は…」
じゃんけんに負けた(ついそのままグーを出しちゃった…)俺が、給湯室で片付けをしていると、
おやつのおかわりを取りに来た赤葦さんが、コッソリ囁いた。
「爪切り…嫌いじゃ、ありません。」
「…えっ?」
驚いたのは、その言葉の内容よりも、言葉が纏う…赤い色。
流しの水を止めて振り向くと、赤葦さんはこちらに背を向けながら、おやつをバリバリ…
その音に隠すように、さっきの言葉の『意味』をぽそぽそ零し始めた。
「より正確に言えば、黒尾さんが『爪のお手入れをすること』が…です。」
俺じゃない誰か…可愛い弟子とお揃いの、可愛い幼馴染っぽい名前のモノを使って、
御猫様にとって大切なネイルを整える姿を見るのは、爪の先ぐらいイラッとしちゃいますが、
言い伝えに背き、寝入る前にネイルを整える理由を、ちゃんと考えれば…わかったんです。
「もう、現役ではない…ブロッカーとして、お手入れする必要なんて、ないですよね?」
「御客様に書類をお出しする仕事…多少は整えても、あそこまでは必要ないですよっ!」
では、『堅いブロックを築く』ためではないのならば、
一体何のために、あの頑固で融通の利かない鈍感ツンデレな、合理性重視の師弟コンビが、
不必要に見えるクソ面倒な習慣を、いまだに延々と続けているのか?その理由は…
「『柔らかくブロックを解す』ため…ですっ」
「ブロックを、解す…???」
爪を護るために、ネイルをお手入れするのではなくて、
『寝入る』ために…時間をかけてじ~っくり念入りに、お手入れして下さってるんですよ。
(特に、一番使用頻度の高い中指と人差し指を、重点的に…ごくごく丁寧に、ですっ)
「俺達を護り…解すために。」
「…?…あぁっ!…っ!!!」
ちゃんと理由が見えて以降、『爪をお手入れする姿』を…見ていられなくなりました。
あの、キレイに爪が整えられた、長くて熱い指が、この後『ブロック』のナカに…と思うと、
その…っ、『じわじわ』胸が焦げる音とか、ムラッと…が、相手に聞こえてしまいそうで…っ
『ヤキモチ』なんかよりも、『ヤキモキ』するように、なっちゃったんです…っ。。。
「爪切りのイメージ…上書きされましたか?」
「は、ぃ…っ、ありがとう、ございます…っ」
- 終
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※グッズ等を経費計上しているのは、黒尾法務事務所の経理担当であって、ウチではありません…多分。
2021/06/11