以鏡知吾







    (何…見てるんだろ?)


黒尾さんと私的にお会いする時は、二人の家のちょうど真ん中…
乗換ターミナル駅の最寄出口から徒歩5分の、大きな本屋さんで待ち合わせだ。

ビル一棟が丸々本屋さんで品揃えも豊富なため、以前から行きつけだったが、
何と黒尾さんの行きつけでもあり…部活帰りや休日に寄っていたにも関わらず、
今まで一度も本屋さん内で遭遇したことがなかったことに、お互い驚いた。

   (ご縁があったのか、なかったのか…)

今日の待ち合わせのフロアは、6階。毎回違うフロアで集合している。
未知の分野の本棚…並ぶタイトルを眺めるだけで、新たな発見があって面白い。
こんな本があったぞ!と、興味深いものを見つけては、お互いに見せあいこし、
パラパラと頁を捲っては、他愛ない考察をしたり、感嘆しつつ愉しんでいる。

その後は、お互いに一冊ずつ好きな本を購入して(大抵は推理小説)、
駅から少し離れた公園へ向かい、そこで軽く食べながら本の話の続きをし、
最後に、前回買った本を交換し合い…駅へのんびり歩いて向かい、改札で解散。

たったこれだけ?…そう、これだけ。
学校や部活から離れ(極力それらの話題は避けている)、ただのんびり過ごす。
この何でもない『これだけ』の時間が、数少ないリラックスの機会なのだ。

   (日常から遠い…癒しの時間。)


遠いと言えば、ここで会う黒尾さんも、俺の知っていた姿からは、かなり遠い。
初めてバッタリ遭遇した時は、一瞬誰だかわからなかったぐらい…
見慣れない私服姿もそうだが、部活絡みの時と纏う空気が全っっっ然違うのだ。

それまで俺が抱いていた黒尾さんの印象は、顔は笑って肚で笑ってない…
無表情で押し通す俺とは逆に、飄々とした笑顔で躱し続ける策士、だった。
最も敵にしたくないタイプ…肚の内が読めない、Sランクの要注意人物だ。

心の中でコッソリ『腹黒尾さん』と、最大限の敬意を込めて呼んでいた人が、
役職の重責や、様々な計算…しがらみから解放されたニュートラルな状態で、
ただただのんびり、穏やかに本を眺めているなんて…正直、我が目を疑った。

まぁ、どうやらそれは、合わせ鏡の如く『お互い様』状態だったようで。
黒尾さんの方も、俺をじっくり見たまま数秒…「もしかして、赤葦…か?」と、
思いっきり半信半疑な『?』付で、ご丁寧に首まで横に傾げて下さった。

その時、お互いの手に持っていたのが、同じ作者の同じシリーズだったことで、
一瞬で意気投合…夕陽が沈むまでの数時間、ミステリ談義に花を咲かせ続けた。

   (何という…奇跡的なご縁!)

日常からは遠い黒尾さんと、距離が近づく場所…それが、本屋さんだ。
未知の分野、未知の事柄、未知の黒尾さんを知ることができるこの場所が、
肩の力をホッと抜くことができる、お手軽な癒しスポット…
週1ペースで、黒尾さんと一緒にここで息抜きするのが、最近のお気に入りだ。


   (今日は…美術系のフロア、か。)

申し訳ないが、俺にはアートな知識や才能やセンス、そして絵心は一滴もない。
一滴と言えば…水に溶ける水彩絵具がポタリと垂れたら『一滴』だけど、
ボッタリした油絵具の場合は、雫にならないから…どう表現するんだろうか?
岩絵具…鉱物の粉が色を出す顔料?顔料は絵具とは違う?じゃあ、染料って何?

そんな初歩的な疑問を探るべく、岩絵具図鑑なるものを広げて眺めていると、
視界の隅…柱の陰(正確には柱に貼られた鏡の中)に、待ち人の姿を発見した。

俺と同じように、ちょっと目を惹いたもの…これから二人で話す肴を探すべく、
待ち合わせ時間よりも30分早く来て、手近な本を眺めているようだ。
黒尾さんが手にしている本は、ここからはよく見えないけれど…

   (えっ!?わ、笑った…?)


あの棚は…写真集?
何かを見ながら、ふわり…と、黒尾さんは穏やかに微笑んでいたのだ。
本屋さんで会うようになって、色んな表情を見るようにはなっていたけど、
こんなに穏やかで、柔らかくて、温かい笑顔なんて…勿論、初めて見た。

   (一体何を、見てるんだろう…?)

もしや、『肌色多め』のステキな写真集を、堂々と立ち読みしながらムフフ?
だとしたら、あの人は勇者だが、そういう種類の笑顔とは、少し違う気がする。

そんなことより…あんなに優しい表情をすることがあるなんて、心底驚いた。
何を見ているのか気になって仕方ない反面、秘密を覗き見した罪悪感?もあり、
見なかったことにしなきゃ…と思いつつも、そこから目が離せなくなっていた。

   (何だか、俺まで…和んでくる。)

いつの間にか、俺もつられて…ふわり。
すると、黒尾さんも俺につられたかのように、更に優しく笑いかけてきたのだ。
そう、まるで、俺に対して…俺の顔を見ながら、顔を明るく染めるように。

   (っ!?なんか…見ていられないっ!)

よくわからない焦り?みたいなものが、ぶわっと…ほっぺに緩みと熱を感じ、
俺は慌てて手に持った図鑑を閉じて置くと、同時に黒尾さんも本を置いた。
そのドンピシャなタイミングに、ドキっと心臓が異音を発てて跳ね上がり、
それに急かされるようにして、俺はわたわたと黒尾さんの元へ駆け寄った。


「くくっ黒尾さん!あのっ、その…っ」

えーっと、何見てたんですか?じゃなくて、お待たせしてすみません!…かな?
何を言うべきか、咄嗟に出てこなかった俺に、黒尾さんはさっきの笑顔のまま、
俺が言おうとしたのと、全く同じセリフを口にした。

「赤葦…お前一体、何を見てたんだ?」

お前が居たのって、日本画?のコーナーだっけ?
それを見ながら、珍しく笑ったかと思えば、今度は急に赤面したり…
俺としては、赤葦のすっげぇレアな表情を、思いがけず見れたから、
何とも言えねぇ…ラッキー?ハッピー?そんな浮かれた気分になれたんだが…

「日本画の代表は、浮世絵…?まさか、春画を立ち読みしてた、とか?
   あまりに嬉しそうに笑うから、こっちまで何か…って、おい、どうした?」


柱を…柱に貼られた鏡を指差しながら、心から楽しそうに語る黒尾さん。
それを聞きながら、俺はヘロヘロと崩れ落ち…染まった顔を覆うしかなかった。

アッチの柱の鏡越しに見えるということは、コッチの柱も状況は全く同じはず。
ということは、黒尾さんが優しい微笑みを湛えつつ、鏡越しに見ていたものは…

   (それって、つまり…っ!!!)

大丈夫か?立てるか?と、心配そうに縮こまる俺の背を支えてくれる黒尾さん。
差し出された温かい手を握りながら、俺はごくごく小さな声で言葉を返した。


「顔を、染める、原料…
   それが、俺がずっと、魅入っていたもの…です。」





- 終 -




**************************************************

※顔料 →着色に用いる粉末で、水や油に溶けないもの。溶けるものを染料という。
※絵具 →顕色剤(顔料等の発色成分)と、展色材(固着剤や溶剤)を混ぜて彩色する材料。
※岩絵具 →鉱物の粉末を顔料とし、膠でのばして着色する、日本画で用いられる絵具。



2019/06/27    (2019/06/26分 MEMO小咄より移設)

 

NOVELS