※滴るほどの↓方向な話です。ご注意下さいませ。



    冷熱乾絞







「熱っ…!!」
「ツッキー、大丈夫!!?」


月末〆納品修羅場の、黒尾法務事務所。
今年は夏からずっと、年度末が続いているような状態…今月末もかなりキツい。

あと少しで修羅場の出口(今月分)が見える…といったこの時期が一番、
蓄積疲労もストレスもピークで、集中力も散漫になりがち…ミスが出てくる。
手元が疎かになってペンを落とし、それを拾おうとして身を屈めたはいいが、
今度は机の天板に頭をぶつけ、その衝撃で書類が雪崩を起こしてしまったり…
どこにもやり場がない怒りと痛みで、さらにグッタリしてしまうのだ。

そんな中、気分転換に…と、塩豆大福を食べながら作業をしていた月島は、
目測と手元を狂わせ、熱い番茶が入った湯呑を倒してしまった。


隣の席で意識を半分飛ばしていた山口だったが、緊急事態に飛び起き、
机の上の書類をバサ!と跳ね飛ばし、お茶で濡れるのを見事に防いだ。
その間に、黒尾は倒れた湯呑を起こし、半分ぐらいは零さずにすんだし、
赤葦はキーボードとマウスを持ち上げて脇に避け、浸水被害を免れた。

どこにこの瞬発力と敏捷性が残っていたのか…そしてこの美しいチームワーク。
見事な連携プレーに嬉しくなり、4人は無邪気にハイタッチして喜んだ。


「イェ~イ!!…じゃなくて。ツッキー火傷してない?」
「大丈夫だよ。指先にちょっとかかっただけだからね。」
「念のために、冷やした方がいいぞ?あと、机も拭いとかねぇとな…」
「山口君、つめしぼ1つと、かわしぼ2つ…取って来て貰えますか?」

赤葦は両手の爪を擦り合わせ、手が空いていた山口にそう依頼したのだが、
言われた山口はキョトン顔…月島も同じような表情で、首を傾げて固まった。

赤葦の方は、二人が『??』を飛ばすことに『?』と返し、首を傾げ…
その様子を見ていた黒尾一人だけが、ぷっ!と吹き出して笑った。

「赤葦、それは…業界用語だ。」


黒尾は湯呑を持って給湯室へ行き、赤葦が指定したものを握って帰ってきた。

「『つめしぼ』は冷たいおしぼり、『かわしぼ』は乾いたおしぼりだよ。」
「『あつしぼ』というのもありますが、これは『熱いおしぼり』ですよ。」

黒尾はつめしぼを月島の指に巻いて冷やし、山口はかわしぼで机を拭いた。
跳ね飛ばされた書類等も、きれいに片付け終わったタイミングで、
赤葦が「休憩しましょう♪」と、応接テーブルに熱いお茶と煎餅を並べ、
ソファに座った面々に、あつしぼをふんわり開いて手渡した。


「ふぅぅぅぅぅ~~~気持ちイイ~~」
「おしぼりで顔を拭く…黒尾さんも随分オッサンになりましたね。」
「疲れた時のあつしぼって、ホッとしますよね~俺も拭いちゃお♪」

仕事の合間の休憩時や、外出先から戻って来た時等に、
夏はつめしぼ、冬はあつしぼを、赤葦はさりげなく出してくれる。
この細やかな心配りは、さすが参謀…頭が下がる一方だ。

三人から「サンキュー」と「凄いっ!」という眼差しを浴びながら、
赤葦は使い終わったおしぼりを器用に三角形に畳み、テーブルの端に置いた。
こういう『ちょっとした所作』が、赤葦の『タダモノじゃない感』…
言い換えれば、上質な『色気』のようなものを漂わせるのだ。


キラキラとした目で、ちょこんと立つ三角形のおしぼりを見ていた月島達。
見よう見まねで同じものを作ろうとした山口の手を、黒尾は笑いながら止めた。

「山口、それは覚えなくていいぞ。これも…業界専門テクだからな。」
そう言うと黒尾は、両手でぎゅっとおしぼりを絞る仕種をしてみせた。

「通常の『おしぼり下さい。』はコレ。赤葦が爪と爪を擦り合わせてたのが…」
「おしぼりの中でも、『つめしぼをお願いします。』のハンドサインですよ。」

こうした『おしぼりマナー』は、基本中の基本…これ一つで『程度』が判る。
いえ、できないとお話にならない…指名を頂くには、必須の知識ですよ。

「『つめしぼ』って隠語も、ハンドサインも…キャバクラ業界基礎知識だ。」
「『つめしぼ』『あつしぼ』は、雀荘でも使ってます…風俗一般用語です。」


はぁ…そうなんですか。
っていうか、何でそんなに詳しいんですか?とストレートに聞こうとしたが、
何となく雰囲気に流された山口は、しどろもどろに赤葦に尋ねた。

「あの、あかあ…おケイさんは、この店に来る前は、どちらに居たんですか?」
「嬢に『前歴』を聞くのはタブー…それじゃあ、おケイは落とせねぇぞ?」
「あと、山口。その『源氏名』もタブーだよ…僕とかぶっちゃうでしょ。」
「ふふふ、可愛いお客さん達ですね。私このお店に来て…良かったです♪」

こうなってしまうと、もう完全に赤葦のペース…
ついうっかり、山口はフルーツ盛り合わせも追加注文してしまった。


「実際に俺が扱った事件なんだが…」

奥さんがおしぼりのことを『あつしぼ』と、うっかり言ってしまったことで、
「お前、元キャバ嬢かっ!?」と、旦那さんに飲食店勤務経験を疑われ、
奥さんは「何でその隠語をアンタが知ってんの!?」と見事に切り返し、
キャバクラ通いがバレて大喧嘩…結局離婚してしまったケースがある。

「それと似たような話、俺も聞いたことあるよ~」

純情で恥ずかしがりや…身持ちが硬い彼女の家に、妊娠検査薬が!!?
俺とはヤってねぇのに、なんでこんなモンがあるんだっ!って激怒…以下同文。


「惚れた相手の前歴とか、元恋人がどんな人だとか、気にする人も多いけど、
   そんなことよりも、『今が幸せかどうか?』の方が、ずっと大事だよな…」

世の中、知らなくていいことだってたくさんある…オトナなら尚更な。
特に『変えられない過去』については、触れない方が喧嘩にならねぇしな。

俺なんか、法律家って言やぁ聞こえはいいんだが、離婚専門ってバレたら…
普通は物凄い警戒されて、結婚なんてできなかったはずだしな。

「俺が合コン全敗…全っ然モテなかったのも、恐らくそれが原因だな。」

そう言って苦笑いする黒尾に、
「全敗は職業じゃなくて、超鈍感のせいです。」と、言わないでおいた部下達…
そのうち一人が、超ご機嫌♪な笑顔で、円筒状のおしぼりをキュ♪っと握った。

「この『おしぼり』で、俺も大失敗した経験があるんですが…」


詳細は割愛しますが、ピンサロでお仕事をしてた時の話です。
バックヤードの隅に、使用後のおしぼりを入れておく、業者さんのケースが…
そこについうっかり、俺の『お道具』を落としちゃったんですよ。
それを俺が拾おうとすると、見ていた先輩方が、「こっち来んなっ!」って…
その日中、俺を「えんがちょー!」とバイキン扱い…玩ばれちゃったんです。

当時の俺は、ピンサロで『あつしぼ』がナニに使うモノなのか、知らなかった…
白い布に白いモノが付いても、全然わからないですからね。

そうそう、トイレには『帰る前には必ずビデをしましょう!』という貼紙とか、
超デカい業務用イソジンがあったり…実に面白いトコでしたよ。

「ちなみに、その店に入ってたレンタルおしぼり屋さんの名前が、白○姫…
   アッパレなネーミングですけど、それ以来俺は、その名を見る度に…ふふっ」


レンタルおしぼりは、平均25回リサイクルされるそうです。
勿論、厳しい衛生管理基準がありますから、安全と言えば安全ですけど、
「このおしぼりの『前歴』は、どのお店だったんだろう?」と妄想しちゃって…

「俺、おしぼりで顔を拭くのを、躊躇うようになりました。」

あ、ウチのコレは安全ですよ?
そのスっとした匂いも…先日ハイターで漂白しただけですから。


艶っぽく微笑みながら「昔の話です。」と話し終えた赤葦は、
山口君のご注文も頂きましたし、俺は梨を剥いて来ますね、と立ち上がった。

「ちょっ、ちょっと待ってくれっ!」

咄嗟に赤葦の手を掴んだものの、ついさっき「過去より今が大事。」と、
カッコつけてしまった黒尾は、聞くに聞けず…月島達に視線を送った。
『貸し借り』の話は何となく避けたかった二人は、無償でヘルプに入った。

「こっ、今回ばかりは、その…『割愛』の部分を説明して下さい!!」
「『何の』仕事中に、『どんなお道具』を落としたのか…ぜひ聞きたいです!」

必死の形相でしがみつく、現同僚達。
赤葦は「世の中、知らない方がいいこともありますよ?」と言いつつも、
ニッコリ笑って明確に答えてくれた。


「再開発事業に伴う建物調査…その中にピンサロがあったんです。」

立ち退き料算定のために、どんな建物や内装、設備があるかという現況調査で、
俺は設備専門として同行…そこで、俺はコンベ(メジャー)を落としたんです。
物件調査なんで、女子トイレにも更衣室にも、当然入りますからね。

「念のために申し添えておきますが、その『お道具』は…新調しましたから。」

ほら、『割愛』を聞くと、面白味もアレもキレイに拭き取られてしまった…
真っ白いベールに包まれていた方がイイこともたくさんある…の、例ですね。
夢を壊してしまい、申し訳ありませんでした。

「それじゃあ、フルーツをご用意してきますね。」

赤葦は全員分のおしぼりを集め、こちらも新しいモノに交換しますね…と、
膝を合わせて綺麗にお辞儀をし、バックヤードに去って行った。



場に流れる、重い…沈黙。
結局赤葦は、『ゲスト』や『キャスト』としてピンサロに行ったかどうか等、
その『前歴』について、全く明かさなかった…白いベールに包まれたままだ。

そして、なぜ業界用語に詳しく、『所作の基本』が身に付いているのかも…
『赤葦の謎』だけが、拭い去れないままキレイに残ってしまった。


「おケイさん…ミステリアスですね。」
「僕には落とせない…高嶺の花です。」
「知りたいけど、知りたくない…こうやって『常連客』ができあがるんだな。」




- 終 -




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※コンベ →コンベックス。建築用のゴツいメジャーのこと。

※10/29 おしぼりの日
   →10本の指を拭く(29)

2017/11/01    (2017/10/29分 MEMO小咄より移設)

 

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