初恋終了







「なっ何だ、今の音は…ツッキー、大丈夫かっ!?」
「まだ15分も残ってるのに…覚悟はできてますね?」

やっと二人きりになり、用具室で残り少ない時間を可能な限り楽しもうと…
『タイムトライアル』を開始した直後に、外から何かしらの爆発音と、叫び声。
驚いた黒尾と赤葦は、慌てて用具室から飛び出し、体育館の扉を開けた。

そこには、呆然と立ち竦む月島。
そして、植栽の中から上半身だけ出し、仰向けに寝る山口。
その山口の上に圧し掛かるように抱き付く…木兎の姿。

「こっ、これは、一体…どういう、ことだ?」
状況が全く理解できない黒尾は、困惑100%の表情で月島に問い掛けるが、
答えどころか、反応すら全くなかった。


「木兎さん。そこで…何やってるんですか?」
気を取り直した赤葦が、ごくごく冷静に木兎に質問すると、
場にそぐわないぐらい『いつも通り』の声が返ってきた。

「何って、見りゃわかんだろ。俺はここで、山口と…」
そこまで言うと、木兎は言葉を止め、じっと真下の山口の顔を凝視し、
「詳しいことは…『シュヒギム』があるから言えねぇ。」と、
何故か『キリっ!』とした表情…いわゆる『ドヤ顔』で言い放った。

「守秘義務ですって…?そんな難しい言葉、よく知っていましたね。」
「要は『秘密』…俺らには言えねぇようなコトをしてたってわけか。」

あーっ!お前ら今、俺のこと…ちょっとだけバカにしただろ?
俺だって、シュヒギムぐらいわかるからな!漢字は…書けねぇけど。
これは俺と山口だけの秘密だから…詳しいことは教えられねぇな。
ま、ごくごくカンタンに言うんだったら…

「俺と山口は、ココで…『スッキリ♪』してただけだ!」
ヤマシイことなんか、何一つない…だよな、山口?

バシバシと木兎は山口の肩を叩いて笑う。
山口が小声で「痛っ…」と呟くと、木兎は「悪ぃ悪ぃ!」と、今度は優しく撫でた。


上気した頬。滴る汗。絡み合う腕…いや、恐らく…カラダ全て。
そして、『スッキリ♪』としか形容できない、『ヒミツ』の行為。

この状況と、木兎の説明を聞く限りでは…
ココでナニが行われていたのか?について『想像』できることは…ごくごくカンタン。
だが、念のために…と、赤葦は山口にも確認を取った。

「山口君。ココで木兎さんと…ナニしてたんですか?」

鋭い視線に委縮してしまった山口は、無意識の内に木兎の腕にしがみつきながら、
それでも何とか状況を説明しなければ…と、必死に言葉を探した。
だが、適当な言葉は見つからない…結局、正直に話すしかなかった。

「えっと…木兎さんに、『人生相談』…してました。」

山口はこの状況について、『正直に』暴露したつもりだった。
『悶々』とイロイロな悩みを抱えていたことを、皆に知られてしまった…
それが情けなくもあり、恥かしくもあり…木兎の下に顔を隠す。

この『とんでもなく凄い』人達には、俺の悩みなんてあまりに小さくて、
呆れられ…馬鹿にされてしまうかも。
そう思って縮こまっていると、違う種類の『呆れ声』が降ってきた。

「山口君…嘘をつくなら、もっと『マトモ』な嘘にして下さい。」
「木兎に人生相談…それは『終了のお知らせ。』ってことだぞ?」

もし本当に人生相談したいぐらいお悩みでしたら…俺か黒尾さんを頼って下さい。
俺達で良ければ、力になる…木兎に相談なんて、そんな『自暴自棄』はやめろよ?


「とりあえず、そのままの格好はマズいだろ…」
さっさと起きろ、と黒尾が言うと、木兎は「それもそうだな!」と、上体を起こした。

ぽたぽたと垂れる水滴。そのシャツは、やや白濁した液体に濡れ…
「うっわ、ベタベタする!」と言いながら、ペロリと二の腕を舐める木兎。
同じく起き上がろうとした山口は、「こ、腰が、まだ…」と、掠れ声。

赤葦はそんな二人から目を逸らし、持っていたタオルを黒尾に手渡すと、
黒尾はそれを持って二人の元へ小走りに近づいた。

「…ん?」
タオルで二人を拭こうとした黒尾は、あることに気付いてその手を止め、
振り返って赤葦に視線を送ったところで…冷たい声が響いた。


「馬鹿馬鹿しい。」

蔑むような目。吐き捨てるような声。
黒々とした怒気を迸らせながら、今まで黙っていた月島が口を開いた。

「想像力養成演習…凄い効果ですね。」

黒尾さん達に言われた通り、ここで『想像』してましたけど、
本当にそれ通り…大半は『ドンピシャ』だったってわけですからね。
二人きりで、アレしたりナニしたり…ただそれが、『用具室の中』だけじゃなくて、
『体育館の外』でも、似たようなことをヤってたってことだったんだ。

僕が間違えたのは、赤葦さんが『難問』だと言っていた方…
昨日も今日も、山口はココに来たけど…『僕を迎えに』来たんじゃなかった。
『ココロ休まる時間』を過ごすため…その相手も、僕じゃなかった。

「真面目に言い付けを守って、想像した結果が…これなんてね。」
黒尾さんの言う通り、僕に『想像力』が欠如していること…ようやく自覚しましたよ。
全然的外れの結論を導き出して、一人で勝手に悶々…本当に、馬鹿みたいだ。


最近、山口が僕と『距離』を置いたのも、誰かと…木兎さんと過ごすため、でしょ?
自分は先に『オトナ』になったから、まだ『コドモ』の僕に檄を飛ばしたり、
あんなに僕が嫌がっても、僕宛の手紙をしつこく預かって来てたのは…
早く相手を見つけて『お前もオトナになれ』っていう、メッセージだったんだね。

「良かったじゃん。『スッキリ♪』を楽しめる相手ができて。」
「えっ…ち、違う…っ!」

月島の言葉を、山口は当初、困惑の表情で聞いていたが、
徐々に月島が言っていることの意味を理解し…真っ青な顔で否定の言葉を絞り出した。

「ツッキー、違うっ…俺は、そんな…」
「でも、木兎さんと『スッキリ♪』したんでしょ?」
「それはっ、そう…だけど…」
「ほら、間違ってないじゃん。」

厳しい視線で山口を見下ろす月島。
その視線にビクリと身を震わせ、畏怖を滲ませた目を見せながら、
山口はごくごく小さな声で、再度「違う…」と呟いた。


このやり取りに割って入ったのは、月島の真横にいた…赤葦だった。
何故かその赤葦も、山口と同じような、辛そうな表情をしながら、
「山口君は、違うって…言ってます!」と、震える声で月島に進言した。
どうか、話を聞いてあげて下さい…と、微かな声で訴える。

「何が違うんです?山口本人だって『スッキリ♪』したって、認めましたし。」
「『文言』は間違ってなくても、『意味』するとことは…大間違いかもしれません!」
「ツッキー、赤葦の言う通りだ。木兎と山口は…違う。」

だから、もうちょっと、山口の話を…
赤葦と黒尾が月島を止めようとするが、月島は全く意に介さず、歪に笑ってみせた。

「木兎さん…ね。なかなか…悪くないんじゃない?」


「待てツッキー。そりゃ…どういう意味だ?」

さっきから大人しく聞いてりゃあ、好き放題言いやがって…
確かに俺は、黒尾や赤葦に比べたら、とんでもない馬鹿だし、頼りねぇよ。
俺を馬鹿にすんのは全然構わねぇけど、だからって俺を頼った山口まで馬鹿扱いすんな!
こんなんでも、俺はちゃんと山口を『スッキリ♪』させてやったんだぞっ!

「俺の大事な『一番』を…馬鹿にすんじゃねぇ。」
これ以上、山口を苦しめるようなことを言ったら…俺が赦さねぇ。

山口を庇うように両手を広げ、仁王立ちする木兎。
そして、何故か赤葦も同じ格好をして、月島の前に立ちはだかった。

「駄目です!月島君…それ以上、言っては…」
「無関係な赤葦さんは、口を挟まないで下さい。」
「そうだそうだ!赤葦は黙ってろ!!」

赤葦の悲痛な叫びは、ヒートアップした月島と木兎の双方から掻き消されてしまう。
月島は赤葦を押し退け、木兎の後ろに隠れる山口に向かって、声を張り上げた。

「さっさと僕なんか置いて、何処へでも飛んでい…痛ったたたたたっ!!!?」


月島の怒号は、途中から悲鳴に変わった。
赤葦がその口の端…頬を思いっきり抓り上げていたのだ。

「それ以上言うなって…言いましたよね?」
「いっ、痛っ、はっ、離し…っ!!」
「うっわぁぁぁ~~!赤葦のそれ…超痛いやつだっ!」
「木兎さんも…『お口、チャック!!』ですっ!!」
「はっ、はぃぃぃぃっ!!」

赤葦の号令に、木兎は両手で口を塞ぎ、コクコクと頭を上下して黙った。
それを確認した黒尾は、赤葦と視線を交わして頷くと、
力なく座り込む山口を抱え上げ、体育館の中へ連れて行った。


バタン…と、扉が大きな音を立てて閉まる。
その音が完全に消えてから、赤葦は月島の頬を解放し…木兎と月島に笑顔で告げた。


「二人とも…そこに正座。」




***************





「木兎さん。俺は何度も言ったはずですよね…?」

人に何かを説明する時は、『主語』『述語』『目的語』をはっきりすること…
『誰が』『どこで』『何を』『どのように』『どうした』…覚えてますよね?

両手で口を抑えたまま正座した木兎は、素直に首を振る。
木兎の隣に並んで正座させられた月島も、何で僕まで…という表情は崩さず、
それでも赤葦の気迫に圧され、口を閉ざして座っていた。

「では木兎さん。もう一度聞きます。ココでナニしてたんですか?」
赤葦は口元のチャックをチチチチチ…と開ける仕種をし、
木兎に『喋って良し。』と許可を与えた。

「俺は、ココで…山口と…次は何だっけ?」
「何を、どのように、どうした。」
「人生という道に迷ってた山口を、スッキリ♪に、してやったり?」

何か、国語の授業みたいで…難しいな。
要はさ、山口が悶々と悩んでる風だったから、スッキリ♪させてやろうと思って、
俺があいつの『人生相談』に乗ってやったんだよっ!!

俺だって…お前や黒尾みたいに、他校の下級生に頼られたいし。
困ってる奴を助けてやりたい…その気持ちには、嘘はない!

「それで…具体的にはどういった悩みで、どんな助言をしたんですか?」
「だーかーらっ、それは『シュヒギム』があるから言えねぇっつーの!」

こういう相談を受ける人ってのは、その内容を誰かに喋っちゃダメなんだろ?
これはシンライに関わる問題だから…俺は絶対、顧客の個人情報は明かさないぞ!
っていうよりも、俺…山口が何を悩んでんのか、全然知らねぇし。


あっけらかんと言ってのける木兎に、赤葦は盛大にため息をついた。
「何を悩んでいるのかも知らないのに、人生相談を受けた…?意味不明です。」
「でも実際、話してるうちに山口はいつの間にか『スッキリ♪』してたんだ!」

だって、山口と話した内容だって…
あ、これは別にあいつの個人情報じゃねぇから、言ってもいいよな…?
「俺はただ、黒尾と赤葦の『駆落事件』について、教えてやっただけだし!」
「はぁっ!!?かかかっ、駆け落ち…っ!!?」

突然出てきた『とんでもない』言葉に、月島が素っ頓狂な声を上げた。
赤葦は二人をギロリと見据えて『お口、チャック!』…再度黙らせた。
「その件については、発言を許可しません。質問も認めません。」
目映い程の笑顔でキッパリ告げると、赤葦は表情を真顔に戻した。

今の木兎さんの話から想像できるシナリオは…恐らくこうです。
赤葦は「間違っていた場合には、挙手。」と言い、『想像力』をフル稼働した。

・山口君はいつも通り、第三体育館に『お迎え』に来ていた。
・だが、何らかの事情により、ココで悶々とし…顔を出せなかった。
・そこにたまたま木兎さんが現れ、勝手に『人生相談』とやらを始めた。
・『他愛ない世間話』をしているうちに、山口君はスッキリ♪…悩み解消。

「その白濁液による『ずぶ濡れ』は…あぁ、それですか。」
木兎は黙って植栽の脇に転がっていたペットボトルを指差し、理由を示した。

・喉が渇いていた木兎さんは、ペットボトルを開けた。
・それは炭酸入りの乳酸菌飲料…それが、ボン!と暴発した。
・驚いて転がり出たところに、月島君…そして、俺と黒尾さんが出て来た。


「…以上で、間違ってませんね?」
「赤葦、お前すげぇな!そうなんだよ、いきなりブシューーー!!って…」

はい…チャック。余計なことは言わなくていいです。
俺の質問にだけ、粛々と答えて下さい。

「木兎さんが仰ってた…俺の『一番』とは、どういう意味ですか?」
「決まってんだろ。山口は、俺の大事な大事な『一番』…
  『木兎人生相談所』の顧客第一号…メンバーズカードの『一番』だっ!!」

俺もやっと、黒尾や赤葦みたいに…初めて『人生相談』できたんだ。
よくわかんねぇけど、俺のすっげぇ神通力で、パパ~っと解決!!
記念すべき第一号の山口には、『0001』のプレミアムナンバーを進呈したんだ。
俺…超カッコイイ!!まさに『頼れる兄貴』だろっ!?なっ?なっ??

踏ん反り返って嬉しそうに『俺、カッコイイ!』を叫ぶ木兎。
赤葦は頭を抱えて「やっぱり…」と脱力し、月島はポカンと口を開けたまま茫然…
そして、ガクリと肩を落とし、大きく大きくため息をついた。

「何だ、そんなこと…だったのか…」
「真相は、本当にくっだらない…ちゃんと話を聞いて、良かったでしょう?」

木兎さんの話は、伝えるべき大事なポイントがごっそり抜けてるんです。
だからいつも、聞いている側は勝手にそれを補完して…誤解が誤解を招くんですよ。

恐らく山口君も、わけがわからないうちに木兎さんに振り回され…
ちょっと好奇心をくすぐられる『世間話』をしていただけだと思いますよ。
そのうちに、黒魔術的なナニかで、山口君が勝手に『スッキリ♪』した…

「失礼だな!そんな妙チクリンなもん…俺は使ってねぇ!ちゃんと助言した!」
「はいはいわかりました。念のために伺いますが…何とアドバイスを?」

赤葦の質問に、木兎は「待ってました!」とばかりに立ち上がり、
ビシっ!!とポーズをキメて叫んだ。

『好きなもんは好き!それでいいじゃねぇか!だって…好きなんだし。』

妄想が止めらんねぇのと一緒で、『好き』って気持ちも止めらんねぇ…
だから俺は、好きなように『用具室での黒尾&赤葦』を妄想して良し!
『好き』って気持ちも抑えなくて良し!って…バッチリ言ってやったぜ。

「そんなの抑えたら、黒尾と赤葦みたいな『事件』起こ…」
「それは言わなくて良し!」

赤葦はまるで『しつけ』のように、「そこにお座りなさい。」を指示し、
二人が『良い子』になったところで、ゆっくりと説明を始めた。


いいですか、木兎さんに…月島君も。
『想像』と『妄想』は、どちらも『頭に思い描くこと』ですが…
ある一点で、大きく違うんです。

「『想像』と『妄想』の違い…それは『根拠』の有無です。」
ちゃんとした根拠があった上での、確度の高い推量…これが『想像』で、
根拠のない誤った判断で作られた、ありもしないこと…これが『妄想』です。
ですから、『恐らく』といった接頭語が付くのも、『想像』の方だけです。

「じゃあ、『用具室での黒尾&赤葦』ってのは…『想像』なのか?」
「そっ、それは…『ご想像』にお任せ致します。」

「では、僕が思い描いた『体育館外での木兎さん&山口』は…」
「先程の説明通り、そちらは間違いなく『妄想』ですよ。」
ちなみに、木兎さんがチラチラと小出しにしている『事件』ですが…
こちらも大半が『妄想』ですから、本気にしないように。

「大半…ってことは、合ってる部分もあるってことですよね?」
「ソレに関する質問及び想像・妄想は…受け付けません。」

指先で頬を抓る仕種をしてみせると、木兎と月島は一瞬で大人しくなった。
『しつけ』が行き届いたことに満足した赤葦は、表情を緩め…静かに語った。


「嫉妬、羨望、それに劣等感…こうしたものの多くが、『妄想』の産物です。」
これらの『妄想』が、何らかの事情で双方の誤解を生み、
取り返しのつかない事態に陥ってしまう…その契機となるのが、『言葉』です。

今日の出来事だって、木兎さんは『言葉』が著しく足りなかった。
月島君は、『言葉』が多すぎることで、山口君を傷付けてしまった。
過ぎたるは及ばざるが如し…多いのも少ないのも、誤解の原因になります。

それに、同じ言葉でも…その『文言』と『意味』が違うことも多々あります。
『スッキリ♪』や『一番』の意味を、それぞれが勝手に妄想して、解釈した結果、
とんでもない誤解を生んでしまった…それが、今日の『全て』です。

「そうか…何か俺、ツッキーにも悪いことしちゃったな。ゴメンな?」
「いえ、こちらこそ…木兎さんに失礼なことを…すみませんでした。」
お互い素直に謝る姿を見て、赤葦はこっそり胸を撫で下ろした。


「木兎さん、月島君。」
呼ばれた二人は、ピシっと背筋を伸ばし、赤葦に注目した。

お二人の実生活にはほぼ無関係…『用具室での黒尾&赤葦』については、
もうアレやらコレやら、お好きなように想像や妄想…して下さって構いません。
是非とも『素敵タイム』をご自由に思い描いて、俺達のキモチをじっくり考え…
今後は決して『用具室』には近寄らない・自主練後は即時退去!…いいですね?

赤葦の念押しに、木兎は「念のために…」と発言を求めた。
「もし近寄ったり、ズルズル体育館に居座った時は…どうなる?」
「これは俺の勝手な『想像』ですが…黒尾さんが(以下略)…でしょうか。」
ちなみに俺は、黒尾さんほど…(中略)ですので、恐らく…
『きっちり落とし前を付けて頂く』程度で済むと思いますよ?

赤葦の柔らかい微笑みに、木兎と月島はぶるりと全身を震わせ…
「絶対に邪魔しませんっ!!」と、全力で頭を縦に振った。


「では、今日の『お説教』はこの辺で…木兎さん。」
「はいぃっ!!」
「あなたは迅速に入浴・晩御飯。その後は部屋で…『妄想』をお楽しみ下さい。」
「わっ、わかった!赤葦は外泊します…だな!?」
「『デキるエース』を持って、俺は本当に幸せ者ですね。では…GO!!」

赤葦の号令に、木兎は敬礼…そして、猛ダッシュで去って行った。
残された月島は、固唾を飲んで『お呼び』が掛かるのをじっと待った。


「それでは月島君…行きましょうか。」
「い、行くって…どこ、へ?」

そんなの、ごくごくカンタンな『想像』で…わかるでしょう?
「『きっちり落とし前』…付けて頂きます。」

ヒィっ!!と喉をヒクつかせた月島。
その腕を赤葦は引き上げ…体育館の中へと引き摺り込んだ。





***************





半ば抱き上げながら、黒尾は山口を用具室の中へと連れて行った。
濡れた顔をタオルで拭いてやっても、山口は魂が抜けきったような顔のまま…
しばらくすると、「違う、のに…」と小さく呟き、
一度は乾いた頬を、今度は涙が濡らし始めた。

「大丈夫だ。赤葦がちゃんと、誤解を解いてくれている。」
黒尾は何度も何度もそう言い聞かせ、山口が落ち着くまで背を撫で続けた。

用具室の奥に、赤葦が隠しておいた鞄の中から、お茶やお菓子を取り出すと、
黒尾はゆっくりとそれらを山口に食べさせた。
お腹が満たされると共に、徐々に落ち着いてきた山口は、
ぽつりぽつり…今日の出来事と、昨日からのこと、
そして数日前からの自身の変化について、黒尾に洗いざらいぶちまけた。


羽ばたこうとするツッキーを、自分なんかが留めておいてはいけないこと。
それは十分わかってはいるけれども、どうしても一緒に居たくて…
成長を拒み、二の足を踏むツッキーを、心の底で喜んでしまっていること。

二人の『心休まる時間』のために、自分の想いを必死に押入に封印し続け…
それが苦しくてたまらず、本末転倒な状況になっていること。

「そんな中、黒尾さんと赤葦さんの『アレ』を見てしまって…」
ずっとずっと抑え込んでいた気持ちが、暴発しそうになった。
幸せそうな二人が、本当に羨ましくて…

『俺も、ツッキーと…』

一瞬だけ、そう思いかけたけれど、それは絶対にダメだから…
『用具室での黒尾さん&赤葦さん』をひたすら『悶々~♪』と妄想することで、
『これは他人事だ』と…俺には関係ない話だと、言い聞かせていました。

ですが、やっぱり『知っている人』のことをリアルに妄想するのは、
刺激が強すぎるというか…申し訳なさが勝ってしまい、自己嫌悪に陥ってしまう…
そんな『悶々ループ』を、体育館の外で繰り返してたんです。


「そこに現れたのが…木兎ってわけか。」
黒尾は静かに尋ねると、山口は黙って頷いた。

「木兎さんは、とんでもなく不思議な人…ですよね。」
『人生相談』してやる!って言われた時には、「あ、俺…終わったかも。」って…
でも実際は、何も相談していないのに、木兎さんの一方的な話を聞いてるだけで、
いつの間にかここ数日の『悶々』がスー…っと消えて行ったんです。

「『好き』も『妄想』も、抑えなくていい…あぁ、俺は救われた、と思いました。」
別に、ツッキーとどうこうしたい…とかいうのは別にして、
ツッキーのことを好きでもいいんだ…って、気持ちが楽になったんです。


そう思った直後に…あの騒ぎ、というわけだ。
せっかく『スッキリ♪』したというのに、『文言』と『意味』の取り違えによって、
誤解が誤解を生んでしまい…月島の言葉に、山口は深く傷ついてしまった。

だが、黒尾は単純に、月島の『言い過ぎ』を非難できなかった。
もし自分が月島の立場で、あんな場面を見せつけられ、際どい言葉で煽られたら、
恐らく自分も、湧き上がる黒い感情に飲み込まれ…

(あの時だって、俺自身があいつを傷付ける可能性も…あったんだ。)

今日の状況は、あの時に…俺と赤葦が『駆け落ち事件』を起こした時に、似ていた。
だからこそ、赤葦は必死に月島を止めようとしていたのだ。
月島の誤解も、元々は自分達の『ちょっとした悪戯』が原因であり、
何としてでも『決定打』を放つ前に、事態を収拾したかった。

(それなのに、俺は結局何もできず…山口に、辛い思いをさせてしまった。)

木兎は、本人の与り知らぬ形ではあるが、山口を救った。
それに比べ、俺は状況を把握していたのに、傷付けてしまった。

申し訳ない気持ちと、情けない気持ち。
そして、やっぱり俺は、木兎には…


「山口、悪かっ…」
「黒尾さん、今日は本当にありがとうございました。」

黒尾が謝ろうとした瞬間、山口から思いもよらない『お礼』の言葉。
全く予想しなかった言葉に、黒尾は困惑よりも驚きで、声を失った。
山口はそんな黒尾の様子に気付かず、何故か晴れやかな表情…

「黒尾さんに話を聞いて頂けて、心が軽くなりました。」

そんなに親しい間柄でもないのに、俺なんかの情けない話を長々と…
黒尾さんは黙っているだけ…でも、何だか絶対的安心感?とでも言いますか、
あぁ、この人には曝しても大丈夫だ…って、勝手に思ってしまったんです。

木兎さんも仰ってまっしたが、黒尾さんが周りから頼られ、
『人生相談』をたくさん受ける理由…俺にもよくわかりました。
木兎さんは『好き放題喋る』だけ、黒尾さんは『黙って聞く』だけ…
方法は正反対ですけど、お二人とも不思議な力で、俺を救ってくれました。

「だから、黒尾さん…ありがとうございました。」

今回のことで、ツッキーが『もっと上へ』羽ばたいていくこと…
ようやく俺も踏ん切りが付きました。
木兎さんのおかげで、ツッキーへの想いを封印し続ける苦しみから解放され、
ツッキーのことが好きだった自分を、認めることができました。
そして、黒尾さんに話したことで、『悶々』とするだけだった思考を止められ、
心から『スッキリ♪』…気持ちの整理ができました。

「これでやっと、俺の呪縛から…ツッキーを解放できます。」

俺の『初恋』は、これで終わっちゃいましたけど、
次に誰かを好きになった時は、俺はそんな『自分』も否定せずに、
相手も自分も、今よりもっと…好きになれそう、です。


曇りのない、本当に穏やかで…柔らかい微笑み。
その頬を静かに伝って落ちる…温かい涙。

先程までの苦しみの嗚咽とは、全く種類が違う涙だったが、
黒尾はこの温かい涙の方に、心を強く揺さぶられた。

思わず山口を引き寄せ、ギュっと強く抱き締める。
そして、すぐに力を緩めて山口を離すと、ポンポンと頭を撫でた。

「こっちこそ…お前に、すっげぇ救われた…サンキューな。」
「…え?」

黒尾の言葉の意味が全く理解できず、キョトンとした顔…涙も止まったようだ。
そんな山口に、「いや、こっちの話だ…気にすんな。」と、
黒尾も実に晴れやかな表情で、優しく微笑んだ。


『木兎には、俺は絶対に敵わない。』
『木兎みたいには、絶対なれない。』

あの事件の後も、自分で作った呪縛からは、抜け出せないままだった。
勿論、赤葦と想いを通わせることができたのは、これ以上ないくらい幸せで、
こんな俺でも、好いてくれる人がいた…と、自分のことも、少し好きになれた。

だけど、心に燻っていた一方的な嫉妬や羨望、コンプレックスは、
そう簡単に消えるものではなく…何かの折に、表に顔を覗かせていた。
さっき体育館の外で、木兎の『人生相談』の話が出た時も、
腹の奥底から、ジワリ…と、黒々としたものが滲み出てくるのを、自覚していた。

だが、山口の言葉で、それがスー…と消えて行った。
木兎とは違う方法でいい。俺は『俺のまま』でもいい…そう言われた気がした。
ようやく俺も、解放された…山口に、救われたんだ。

だから俺は、山口を本当の意味で助けてやりたい。
俺にできることがあるなら、何でもしてやりたい。
スッキリはしたかもしれないが、こんな『初恋』の終わり方は…辛すぎる。


「なぁ山口。お前が長年押入に溜め続けたモノ…俺が消してやるよ。」
「押入の…?え、どういう、意味…?」

黒尾は雑多なものが詰め込まれた赤葦の鞄から、メモとペンを取り出し、
そこにある場所の住所を書くと、そのページを破って山口に握らせた。

「仙台に帰ったら、イロイロ詰め込んだダンボール…ここに送るんだ。」
「この住所は…神社さん宛、ですか?」

木兎とはちょっと違うが、実は俺にも…『不思議な力』があるらしい。
黒尾家に伝わる秘儀…『黒』尾だけに、『黒魔術的』な何かだとでも思ってくれ。

溜め込んだソレが、妙な『怨念』に変わらないよう、丁重にお祓いした上で、
俺が責任持って、全部きれいさっぱり…消してやる。
お前自身の鬱積した想いも、上手くいかなかった『初恋』も…全部入れて送るんだ。

「それは正直、本当に助かりますけど…」
ご迷惑じゃないですか?って、そもそも、黒尾さんが黒魔術なんて…
いやこの際、黒魔術でも何でもいいです。ぜひ…お願いします!!


山口が頭を下げたのと同時に、体育館の入口が開く音がした。
どうやら赤葦の方も…何とか収拾がついたようだ。

頬に残った最後の雫を拭うと、黒尾は立ち上がって用具室の扉に手を掛けた。
そして、クルリと振り返り…小さな声で山口に告げた。

「これで、お前の辛い『初恋』は…終わりだ。」
そして、これは俺の勝手な『想像』なんだが、
次の恋は…意外とすぐ、やって来るかもしれないぜ?

「『二番目』の相手が、『一番目』と同じ可能性も…ゼロじゃねぇ。」


黒尾が用具室から出ると、入れ違いに…月島が入って来た。
そして…『ガチャリ』と南京錠のかかる音が、用具室内に響き渡った。





***************





『落とし前を付けろ』と言われ、引き摺られた先は、例の用具室だった。
赤葦さんが開ける前に、扉が内側から開き、中から黒尾さんが出てきた。
するとその直後、背を押され、用具室の中に入った途端…ガチャリ。

「今の音…まさか、鍵をっ!?」
「えぇ。『ガチャリ』ってしました。」
扉の向こうから、赤葦さんの声。
つまり、僕は…僕と山口は、ここに閉じ込められてしまった…?

「何で、そんなこと…」
「理由ですか?その方が…面白いからですよ。」
な、何言ってんだ、この人は。
驚くというよりは、どういう顔をしていいのか戸惑っている…
そんな表情で山口は扉に手を付き、ガタガタ揺するが…開けてくれそうにない。

「ご安心を。そこの鞄に、ありとあらゆるモノが入ってます。」
ちょっとしたおやつに飲み物、ティッシュから汗ふきシート、そしてアレまで…
俺と黒尾さんがココで…のために必要なモノが、ガッツリ入ってます。

どうぞご自由にお使い下さいませ。
そして、そこで一晩反省してなさい。

…と言いたいとこですが、世の中そんなに甘くないです。
こんな美味しい場所、そう簡単には譲ってあげませんから。

「一時間後…いえ、15分返して頂きますので…45分後に迎えに来ます。」
その間に、二人でしっかり話し合って下さい。いいですね?

いい…わけがない。
この場所で、山口と二人きりで閉じ込められるなんて…
少し前なら、大歓迎だったけども、今となっては…気まずいだけだ。
山口だって同じ気持ち…困惑を全面に押し出した顔で、茫然としている。

返事をせずに黙っていると、今度は黒尾さんの声がした。


「扉の傍に、ストップウォッチが落ちてるの…わかるか?」
「ストップウォッチ…?あぁ、これが何か?」
何の変哲もない、ただのストップウォッチが、時を刻んでいる。

「実はそれ…黒尾家に代々伝わる秘術が施されていて、
  『目には見えない力』で動いているんだ。」
「は…?」
「それが動いている間、半径5m以内に居る者は…嘘がつけなくるんだ。」
いや、むしろ…本音が出てくる、不思議な力を秘めている。

「そんな、馬鹿な…」
「俺は今、それの力で…嘘は言えない状態なんだ。」
ま、信じるかどうかは、お前ら次第…
だが、何故かこの場所で、洗いざらい喋ってしまった…そうだろ、山口?

「あっ!確かに、それは…黒尾家の、黒魔術…?」
山口はコクコクと首を振り、その通りだと僕に伝えた。

「月島君だって、心当たりがあるんじゃないですか?」
昨日のアレ以降、何故だか俺達の言うことを、素直に聞いてしまう…
何か『特別な力』が作用している気が…しませんか?

試しに、そのストップウォッチ…押してみて下さい。
月島君にも、山口君にも…全く動かせないはずですから。

言われた通り、山口と共に色々なスイッチを押してみるが、全く反応せず…
ただ延々と、時を刻み続ける。

まさか本当に、これは…?
いやそんな、馬鹿なこと…

「そのストップウォッチ…あとどのくらい動くか、わかんねぇんだ。」
「動いている間に…その力を借りて、『落とし前』をつけて下さい。」


もし本当に、そんな力があるとしたら…今はそれに、頼ってしまいたい気もする。
そうでもないと、この気まずい雰囲気を打開できないだろうし、
僕は山口に…ちゃんと『落とし前』をつけられないだろう。

山口もきっと、同じことを考えていたのだろう。
ストップウォッチを握り締め、じっとこちらを見ていた。

しばらく黙っていると、扉の向こうから、二人の会話が聞こえてきた。


「赤葦…こっち、来い。」
「何でしょう…んっ!?」

どん、と扉に何かがぶつかる音。
そして、服と服が擦れ合う音と、鼻にかかった荒い吐息…
文字にすると、「ちゅ…」としか書けないような、何かが触れ合う音。

「あ、黒尾、さん…っ」
「よく…我慢したな。」

なななっ、何だっ!?
この扉の向こうで、一体、ナニが…

僕と山口は目を見開き、息を押し殺しながら…ピタっと扉に耳を貼り付けた。
鋼鉄製の重い扉だが、向こうの息遣いも…しっかり響いてくる。


「さっき外で…『あの事件』のこと、思い出してたんだろ?」
奇しくも似たような状況…本当は、すっげぇ辛かっただろ?よく耐えたな。

「俺は、何とか。俺よりもむしろ、黒尾さんの方が、よく…」
足が震える程の冷気で…いつ黒尾さんが暴発してしまうか、ヒヤヒヤしてました。
本当に、よく…耐えて下さいましたね。

クスクスと笑う声。
聞いていた僕と山口は…真っ青な顔を見合わせる。


「赤葦…怒ってんのか?」
「怒るなんて…まさか。」

俺達の貴重な時間を、15分もパーにされたこととか、
『幼馴染』という『特別なポジション』に安穏として、余裕ぶっかましてるとことか、
いつでも一緒に居るのが当たり前だと思ってるとことか…
それが恵まれた状況だと気付かず、相手の気持ちも鑑みないなんて、
ふざけるのも…甘ったれるのも大概にしてほしいですよね。

「『怒る』じゃなく…『激怒』です。」
おや、ストップウォッチの影響でしょうか…ポロリと本音が。

「お~怖っ!ま、俺も…同感だがな。」
こっちは次、いつ逢えるかもわかんねぇ…イラっとするよな。

「カンタンに『一番』なんて言ったのも…俺は正直、我慢ならねぇよ。」
「大事な『お気に入り』だって、いつ誰に取られるか…わかりません。」


扉の向こうの『本音トーク』に、僕と山口は震え上がった。
揃って扉の向こうに頭を下げ…すみませんでした!と心の中で叫んだ。
絶対に素直に話し合いますから、勘弁して下さい!!

そんな僕達に構うことなく、黒尾さん達は明け透けに語り合いを続ける。

「黒尾さん、俺、もう…これ以上は、我慢できません。」
さっきだって、いいトコで…ナニの途中でぶち切られてしまいましたし。
「いつものアレ…『続き』を、お願いします。」

い…いつもの、アレって!?
ナニって…ナニの『続き』って…何!?

ゴクリ…と、唾を飲み込む音が、二つ。
山口も顔を真っ赤に染めながら、それでも扉から耳を離さず…固まっている。
これから二人は、この扉を隔てたすぐ傍で、一体ナニをするつもりなんだ…?

息をするのも忘れ、全神経を耳に集中させる。
しばらくすると、黒尾さんのゆっくりした声が響いてきた。


「目…閉じろ。」
言われた通りに、僕と山口も目を閉じる。

大きく息を吸って…吐いて。
すぐ傍の山口からも、深呼吸する音。
なんだか『ほわほわ』と…昨日のアレの時に、似た空気が…

「ここは、あのストップウォッチの、効果が及ぶ範囲内…」
自分の気持ちに、嘘がつけない…そうだったよな?
今…どんな気分だ?
「今は…『ふわふわ』…気持ちイイ…」

赤葦さんの言う通り、微睡むような、気持ち良さ…
あぁ…このカンジ、昨日と同じ…
もう、何も…考えられない…

「今…赤葦が一番『したいこと』は?」
「黒尾さんと、キス…したい、です。」

俺も、そう…思ってる。
さあ…目を開けるんだ。

言われた通り、ゆっくりと目を開ける。
目の前に、ぼんやりとした…山口の顔。

「ほら、お前の『したいこと』…していいぜ?」

促されるまま、山口の頬に手を添える。
すると山口は、静かに瞳を閉じた。


今、一番『したい』と思ったこと…
僕は山口に、そっとキスをした。




- 続 -






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黒魔術のひと5題
『4.理由ですか? その方が面白いからです。』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。


2017/03/01

 

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