あんなこと…言わなきゃよかったな。
最近、ツッキーが少しずつ変わりつつあったこと…俺は気付いていた。
多分ツッキー本人よりも、ずっと前から俺が気付いていたと思う。
『たかが部活』なんて言いながら、ほとんど惰性で続けていたバレー…
上手くなろうとか、全国狙おうだなんて気持ちは微塵もないのに、
『それなりに』やっているだけで、人並み以上にできてしまうのは、
恵まれた体格に加え、センスと才能までも完備しているからだろう。
文武両道、才色兼備…さすがツッキー、としか言いようがない。
身長とツッキーの毒舌耐性以外は、全てが『ザ・平均』…
人よりもずっと狭い範囲のことを、人の倍以上努力し続けたとしても、
ようやく『人並み』程度にしか到達できない俺からすると、
全てを兼ね備えているのに、それを無駄に遊ばせているツッキーが、
物凄く勿体無いというか…歯痒く感じることすらある。
ツッキーなら、もっともっと上へ行けるのに。
こんなとこで、留まっていい人じゃないのに。
もっと上へ。もっと高みへ。
そうやって成長を願うのは、きっと本能的なものだと思う。
成長と言えば聞こえは良いけれど、要は『もっと』という…欲望だ。
いくら冷めた態度を取っていても、その欲求に逆らうことはできない。
溢れんばかりの才能が、『もっと』と内側から叫んでいるのに、
ツッキーはずっと、それを聞こえない振りし続け…拒み続けていた。
悪い意味で『現状維持』を堅持するようになった原因は…明光君だ。
敬愛してやまなかった兄が、挫折するのを目の当たりにしてしまった。
『ほぼ弟』として可愛がってもらった俺でさえ、目の前が真っ暗に…
『実の弟』にとっては、世界の崩壊とも言える出来事だったと思う。
目指すべき偶像が崩れ去った時、ツッキーが選択した道は、
兄の『二の轍』を踏まないこと…『ザ・次男坊』のサバイバル術だった。
下の兄弟は、上の兄弟の失敗を、最大限利用するものだ。
これをすると、兄ちゃんは親から怒らた…だから、やめておこう。
兄ちゃんですら、できなかったんだから…僕には、無理なんだな。
そうやって賢く学んで、上手く世渡りをする…それが、下の兄弟だ。
ツッキーもその例に漏れず、明光君の失敗から『大いに学んだ』のだ。
そんな明光君とツッキーを間近で見て育った、『ほぼ弟』の俺は…
俺よりずっと凄いツッキーよりも、更に凄い明光君が駄目だった。
じゃあ、俺なんて到底無理…なら、バレーは『楽しもう』と悟った。
ツッキーもそれは同じで、中学までは二人で『楽しいバレー』をした。
古豪と言われる烏野に入ったけれど、まさか本気で全国を狙うだなんて…
ツッキーと俺からすると、本当に想定外の流れであった。
そんな俺達も今、あの時の明光君と同じぐらいの歳まで成長した。
あの頃よりは、周囲や物事を見ることができるようになったことと、
明光君とは実の兄弟ではなかった俺だからこそ、見えてきたことがある。
それは…きっと『明光君よりもツッキーの方がデキる』という事実だ。
二人の性格が随分違うから、単純な比較はできないけれども、
純粋に『バレーの才能』という面を見れば、恐らく間違いないと思う。
明光君にはできなかったことも、ツッキーにはできるかもしれないのだ。
ツッキーと明光君は、違う人間なんだから。
ツッキーはツッキーの道を進んでいいのに。
もし自分が『もっと』の声に従って、上を目指してしまったら。
終わりのない挑戦を続けて…いつか兄のように壊れてしまうんじゃないか。
ツッキーはそう言って、前に進むことを拒絶しようとした。
それも、紛れもなくツッキーの本心。でも、それが全てじゃない。
もし上を目指した結果、自分が兄を越えてしまったら…
崩れたことを未だに認められず、奥底にしまったままの『偶像の欠片』を、
自らの手で、塵芥にしてしまうかもしれない…それを、恐れているのだ。
兄弟という、身近で大切な存在だからこそ、
ツッキーは明光君を『僕の凄い兄ちゃん』のまま、壊したくないのだ。
これは、ツッキーの一方的な…弟の我儘だ。
明光君もそれがわかっていたから、『弟の期待』という呪縛に囚われ、
長く苦しみ続け、そして…『偶像』を壊してしまった。
明光君自身は、呪縛から逃れることができ、今は本当に楽しそうだ。
でも、ツッキーの方がまだそこから抜け出せないまま…
早くそこから抜け出せと、明光君だって望んでいる。
いつまでも『凄い兄ちゃん』の脱殻に隠れ…甘ったれてんじゃない、と。
明光君とツッキー、両方の気持ちを知っていたから、俺はツッキーに、
『もう出て来い!』と…前へ進めと言えた。
いや、あれは『俺』が言ったんじゃない。
俺はツッキーに、明光君の気持ちを伝えた…代弁しただけ。
だって、俺が…俺なんかが、ツッキーに言えるわけ、ないじゃないか。
未だに『凄いツッキー』という、俺の一方的な期待…
その中にツッキーを捕らえ続け、呪縛しているのは…俺なんだから。
その証拠に、俺は今、後悔している。
ツッキーを『殻』から出すようなことなんて、言わなきゃよかった…と。
殻から出た途端、ツッキーは前に進み…俺の前から飛び立とうとしている。
胸倉を掴み、怒号を飛ばした俺を置いて、『もっと上』へ羽ばたくために、
木兎さんや黒尾さん、赤葦さんといった『高み』に居る人達の元へ…
ツッキーは、もっと上へ行ける。
俺とツッキーは、違うんだから。
そんなことは、十分わかっている。ずっとわかっていた。
変わろうとするツッキーを、ただの惰性でズルズル一緒に居るだけ…
ただの幼馴染でしかない俺が、留めておくことなんて、できやしない。
俺の呪縛から、早くツッキーを解放してあげなきゃ。
今こそ、その良い機会…わかってる。けど…苦しくて、たまらない。
ツッキーの巣立ちを快く送り出せない自分が、本当に情けない。
「ツッキーごめん…ツッキーの翼を抑え付けてるのは…俺だよね。」
わかっているはずのに、俺は今日もまた、ツッキーの居る場所へ、
ズルズルと惰性で…足を向けてしまうのだ。
***************
「はい、ツッキー。これ…今日の分ね。それから、えっと…」
「いらない。その他の報告も、聞きたくない。」
部活が終わって、二人での帰り道。
いつもの公園…月島家と山口家の丁度真ん中にある『秘密基地』で、
ほぼ毎日のように行われる『業務報告』があった。
「いらないって…あのね、ツッキー。毎回言うけど…」
「もう貰って来ないでって…僕も毎回言ってる。」
ツッキー宛のラブレター。ツッキーへの言付けを記したメモ。
『黙ってれば文武両道の長身イケメン』であるツッキーは、
こっちが呆れ返る程、本当に良くモテる。老若男女から幅広く。
少し前までは、『但し、口を開かない場合に限る』という限定付だったが、
今やツッキー自身が(必要に駆られない限り)あまり口を開かないし、
むしろ冷たい態度こそがツボだとか、まだ反抗期?可愛い~♪だとか…
周りにそれを受け入れるツワモノ…『オトナ』が増えてしまった。
その結果、本人の嫌がりようと反比例して、可愛がられてしまうという、
若干気の毒なぐらい(いや、やっぱり羨ましい)…モテモテなのだ。
他人様の趣味嗜好にアレコレ言う資格は、俺にはないだろうけど、
世の中には、奇特な人も結構な割合でいるもんだなぁって思う。
あのツンケンしたトコがイイとか…ドMですか!?って、俺は怯んじゃう。
ツッキーの本性は、実は無茶苦茶優しい…そこまで深読みした上で、かな?
参考までに言っておくと、俺はまだ『無茶苦茶優しいツッキー』には、
知り合ってこの方…お会いした記憶がないんだけどね。
ツッキーの良さは、その両極端じゃなくて、ニュートラルな部分…
『普通のツッキー』で、十分イイトコがたくさんあると、俺は思う。
皆には、もうちょっとそういう部分を見て欲しいような…
「貰って来るなって言われても、渡されちゃうんだもん。」
それに、『言付け』の方は、耳を塞げとでも言うのだろうか。
俺としても、『お渡ししました・お伝えしました』という事実がなければ、
俺の方が『嫌な奴』扱いされちゃって…モテない人生まっしぐらだ。
口には出さず、『いつのも言い分』を顔に出すと、ツッキーはため息…
俺の手から『預かり物』をひったくると、すぐに俺の鞄に突っ込んだ。
「はい、ゴクロウサマ。じゃあ、いつも通りヨロシク~」
「はいはい…ウケタマワリマシタ~」
一旦『受け取った』体裁を取り、即刻俺に『処分』の依頼である。
ツッキーも俺も、最低限のノルマは達成したことにはなる…?だろうけど、
処分しろと言われ、『は~い♪』とゴミ箱に捨てられるわけもない。
ツッキーには内緒にしているが、俺の部屋の押入の奥には、
『ツッキーへの愛』が詰め込まれたダンボール(2箱)が、眠っているのだ。
長年溜め続けて、もう熟成発酵しているんじゃないかと…内心恐れている。
「山口も、本当に度を越したお人好しと言うか…嫌じゃないの?」
自分宛でも面倒なのに、他人の僕宛のを、いちいち預かってくるなんて。
僕が仮に逆の立場…『山口宛』のを渡されたら、その場で破り捨てるよ?
「だ、ダメっ!!そ、そこは絶対、俺に届けてよっ!」
「他人の手を煩わせるような相手だよ?それでもいいの?」
「俺、貰ったことないんだから…是非とも欲しいよっ!!」
「ふ~ん。妙な『怨念』とか、籠ってるかもよ?」
押入のダンボールが頭をチラつき、グっと喉を詰まらせてしまう。
もしそうなら、俺に内緒でコッソリ処分…いやいやいや、違うでしょ!
『怨念』じゃなくて、しっかりとした『愛』が籠っているなら…
…と言い掛けて、俺はその言葉を飲み込んだ。
届かなかった『しっかりした愛』が、『怨念』に変わる可能性…
洋の東西を問わず、古典からライトノベルに到るまで、『よくある話』だ。
それどころか、俺の部屋にだって…
ツッキーには内緒にしていて、俺が内心恐れていることが、もう一つある。
俺は、ツッキー宛のラブレターを、一度だけ読んでしまったのだ。
偶然封が開いていたものが落ちて…見えたのだ。
見るつもりなんて、全然なかった。
偶発的な事故で…しかも、処分を任されたとは言え、他人宛の手紙。
それを読んでしまったのは、人としてサイテーな行為だ。
送り主に恨まれても仕方ないし、ツッキーから軽蔑されて当然だ。
そして、あの手紙たちを恐れている理由は、それだけではない。
『月島君が好きです。』
『ずっと、月島君を見てました。』
手紙に込められた、愛の言葉。
それを見た瞬間、自分の気持ちにも…気付いてしまった。
これは『ラブレター』だから、こういうコトが書かれていて、当たり前。
でも、それを実際に目の当たりにしてしまうと、その衝撃は生半可ではない。
『自筆の文字』という明確なカタチが持つ威力は、想像を遥かに超えていた。
それは、今まで曖昧だった自分の気持ちを、自覚させるには…十分だった。
ツッキーなら、もっと羽ばたける。
俺がツッキーを、留めてはダメだ。
理性ではそうわかっていても、ツッキーが離れていくことに恐怖を覚え、
本心では、成長を拒むツッキーを、喜んでいた。
もっと言えば、誰かからの想いにツッキーが目を向けようとしないこと…
その手紙を押入に封印することにも、俺は密かに悦びを感じていたと思う。
こんな感情を抱くのは、つまり…こういうことじゃないか。
『俺もツッキーが好きです。』
『俺もずっとツッキーを見てました。』
あの押入の手紙と、全く同じだ。
俺の想いも…ツッキーには、届かない。届けては、いけない。
そして今日も俺は、手紙と一緒に自分の想いも、押入に封じ込める。
絶対に出してはいけない…それが、ツッキーのためだから。
**********
「ん…?ここ、は…?」
さっきまで、ツッキーと公園に居て、押入に『封印』してたはず…?
ぼんやりとした視界。
押入の中と同じように暗いが、広々としている。
後ろから照らすのは、部屋の蛍光灯ではなく…
(…体育館?)
うつらうつらと、また降りて来る瞼。
俺は、ここで何を…?
(あぁ、そうだ。今は合宿中で…)
全体練習後、それぞれが思い思いの場所で自主練…
その後、ツッキーの居る第三体育館に来たところだった。
まだもう少しかかりそうだったから、俺は体育館の外に座り込んで…
どうやら、うたた寝をしてたみたいだ。
体育館の中からは、まだ話し声が聞こえる。
はっきりとは聞き取れないが、ゆっくりとした微睡むような口調。
何だろう…眠いわけじゃないのに、また瞼が下がってくる。
「心休まる人と、穏やかな時間を過ごしたい…」
「誰だってそう願ってる…」
頭の中に、直接響いてきたかのような言葉。
その通りだ。俺も、そう願ってる。
ツッキーと一緒に、他愛ないお喋りをして、笑い合う時間を過ごしたい。
だからこそ、その妨げになりそうな『想い』を、封印し続けている。
本当は、俺はツッキーの傍に居ない方が良い…
『高み』へ導いてくれる人達と、ツッキーは一緒に居るべきなんだ。
わかってはいるけれども、ツッキーとの『穏やかな時間』が心地好すぎて、
できるだけ長く…傍に居たいと願ってしまうのだ。
「僕はここで、山口を待っているんです。」
不意に降ってきた言葉に、パッチリと目を開き、覚醒する。
ツッキーが、俺を待ってくれている…その言葉に、全身が歓喜に震える。
うたた寝が見せた夢かもしれないけれど、それでも嬉しくてたまらない。
ほんの僅かな時間でもいい。もう残りは少ないかもしれない。
ツッキーとの『穏やかな時間』を過ごすために、俺は…封印してみせる。
絶対にこの『想い』は、ツッキーに知られてはならない。
ツッキーが、待っている。そろそろ行こう。
意を決した俺は、立ち上がって体育館の入口へ向かい…
(…え?)
目に飛び込んできた情景に、脳内が真っ白になった。
次に気が付いた時は、もう翌日の朝だった。
どうやって合宿部屋に戻った?風呂は?晩御飯は?それに…ツッキーは?
何かの魔術に掛かっていたかのように、俺の記憶は全く残っていなかった。
***************
「邪魔。」
「帰れ。」
翌日、自主練後。
またしても木兎一味に逃げられた…風を装い、快く彼らを追い出した。
そして、嬉々としてお片付けを始めたのに…まだ残っている奴が居た。
黒尾と赤葦は、体育館の入口付近で所在無げに佇む月島に歩み寄ると、
もう遠慮は一切不要とばかりに、ごく端的に用件を述べた。
遠慮どころか、温かみも微塵も感じさせない言いっぷりに、
月島は一瞬怯んだが…気を取り直して二人に向き直った。
「嫌です。僕はここに居ます。」
あ…体感温度が、5度は下がった。
ぶるりと身震い…いや、武者震いしながら、何とか言葉を絞り出す。
「ここに居ないと、すれ違ってしまいますから。」
昨日だって、何だかよくわからないうちに、ふらふらと…
山口ともすれ違ってしまって、全然会ってないんですよ…恐らく。
らしくなく曖昧な物言いに、黒尾と赤葦は顔を見合わせ、首を捻った。
同じように、月島も首を捻り…はっきりしない表情をしている。
「『恐らく』って、どういう意味ですか?」
「『確度の高い推量』を表す言葉です。」
誰もそんな『辞書的な意味』なんて聞いてませんから。
最低限、このぐらいのニュアンスは読み取りなさい…と、赤葦は嘆息し、
どうして『推量』なんかで答えたんですか?と、丁寧に聞き直した。
「よく…覚えてないんですよ。昨日の自主練後から、今朝までのこと。」
お二人に優しく恐喝されて…それから、記憶が曖昧なんです。
ふわふわと微睡むような、靄のかかったような…
気が付いたら、もう今朝だった…という感じなんですよ。
「もしかして、昨日…お二人は僕に何かしましたか?」
まぁ、黒尾さんと赤葦さんなら、黒魔術的な何かを使えたとしても、
僕は全く驚かないというか…むしろ異常なまでの人心掌握術の正体見たりと、
是非とも弟子入りして、その極意を伝授して頂きたいぐらいですけどね。
「お二人の『アレ』は…人を惑わすには十分な威力でしたし。」
さすがの僕でも、あの淫靡な空気は…参りました。
僕だからよかったものの、常人にアレを見せたら、卒倒しますよ。
今後は絶対に、他所様には見せないよう、お気を付けください。
散々な物言いに、黒尾と赤葦は左右から同時に頭を叩いた。
「失礼な人ですね。俺達を『猥褻物』みたいな言い方…」
「それは赤葦だけだ。俺はそんなに卑猥じゃな…痛っ!」
黒尾のちょっとした『ボケ』に、赤葦は強烈な『ツッコミ』…
月島が『夫婦漫才』にポカンとしていると、赤葦は咳払いして話を戻した。
「月島君が『夢うつつ』だったのは、別にどうでもいいとして…」
「山口がまだ迎えに来ねぇってのが、ちょっと気にはなるよな…」
「まだあっちの自主練が終わってないだけじゃ…」
もうちょっと待ってれば、そのうち来るはずですから。
そう言って、暢気に構える月島だったが、黒尾と赤葦は眉を顰めた。
「それは有り得ません。木兎さんより自主練する人なんて、居ません。」
「梟谷グループん中じゃあ、木兎が居たココが一番遅いのは、確定だ。」
山口の方はとっくに終わっている…だからこそ、毎日迎えに来ていたのだ。
昨日は月島の記憶が不明瞭のため、はっきりしたことは言えないが、
今日この時点で山口がココに来ていないことは、少し奇妙に感じる。
「もしかして、山口君に何かあったんでしょうか…?」
「とは言え、そんなに親しくねぇ俺らは…っておい!」
元々の『世話焼き』が発動し、山口を心配する黒尾達…だったが、
月島は特に何も気にした様子もなく、のんびりお茶を飲んでいた。
そのあまりに『普通』さに、黒尾は若干カチンときた。
「ツッキーよ、お前さん…山口が心配じゃねぇのか?」
「いくら他校でも、この歳で迷子になったりしないでしょう?」
「そうではなくて、別の『道』に迷ってる可能性も…」
「別の『道』って…意味がわかりませんが?」
あっけらかんとした受け答えに、赤葦は盛大にカチンときてしまった。
月島の胸倉を掴むと、そのまま引っ張って体育館から放り出し、
バタン!と入口扉を閉めてしまった。
「ちょっ、急に何を…っ!?」
驚きに満ちた声が、扉の向こうから響いてくる。
だが赤葦も黒尾も扉を開けようとはせず、静かな声で語り掛けた。
「今の月島君には、何を言っても無駄…山口君が可哀想なだけです。」
「ツッキーは鈍感なんじゃねぇ。絶対的に欠如してんだ…想像力が。」
想像力とは、つまり…『相手の気持ちを考える』ことだ。
今から30分やるから、その間に少しは『想像』してみろよ。
・昨日、山口はココに迎えに来なかったのか?
・最近、山口に何か変わったことはなかったか?
・今日、山口が未だに来ていないのは何故か?
そちらは難しい問題かもしれませんから…ヒントを差し上げましょう。
こちらは『ごくごくカンタン』ですから、月島君でも想像できるはずです。
・昨日、『アレ』の後…黒尾&赤葦はナニをしたか?
・今日、黒尾&赤葦はナニをするために、『二人きり』になろうとしたか?
・これから30分、用具室の中で…黒尾&赤葦は一体ナニをするつもりか?
「もし30分の間に、山口が迎えに来れば…それで良し。」
「来なかったら…30分後、『考えて』行動して下さい。」
扉から二人が離れる気配と…奥の用具室の扉が閉まる音。
わけが判らないまま、月島は呆然と立ち竦み…ズルズルとその場に座り込んだ。
***************
用具室の扉が閉まり、数秒…こちらも立ち竦んでいた黒尾と赤葦は、
先程までの冷静さはどこへやら、真っ青な顔でわたわたし始めた。
「どっ、どどどどっどうしましょうっ!!?」
「まっ、ままままっまさか、山口がっ!!?」
昨日、様々な偶然が重なって引き起こされた『催眠状態』…
アレ以降の記憶が曖昧だという証言から、奇跡的に催眠効果が発動したことは、
ほぼ間違いない…ということになる。
恐らく、昨日も自主練が終わった山口は、いつも通り月島を迎えに来て、
邪魔をしないように…と、外で大人しく待っていたのだろう。
だが、溜まった疲れから、うつらうつらと…『うたた寝』をしてしまった。
「『うたた寝』はまさに、『催眠状態』だな…」
「そこで無意識の内に、俺達の話を耳に入れ…」
山口が最近、月島とのことで何かしら悩んでいるようだったのは、
その微妙に開いた距離感から、傍目にも見て取れた。
そして、催眠状態の中、『何か』が山口に作用してしまった…
「『山口を待っている』っていう…ツッキーの言葉か?」
「可能性は、高いでしょうね。ただ、それで山口君は…」
催眠状態のまま、黒尾と赤葦の『アレ』を目撃してしまったのではないか?
月島とは違い、『普通』の感覚と想像力を持っているであろう山口。
衝撃的な場面を目撃し、色々と『想像』したとすれば…?
「自主練も終わって、やっと一息ついた今頃…」
「そろそろ『アレ』が効いてくる頃…ですね。」
だとしたら、今日ココに…来れるわけがない。
『普通』の人であれば、黒尾と赤葦が居るココには…足を運び辛いはずだ。
それどころか、思考のループ…人生という『道』に迷っているかもしれない。
いや恐らく…確度の高い推量として、間違ってないだろう。
「参りましたね…まさか、山口君にまで『効果』が出てしまうとは。」
「偶然か神の悪戯かは不明だが…俺達にも、デカい責任があるよな。」
・もしこのまま、山口が『迷ったまま』だったとしたら?
・月島の心ない一言や行動で、山口が傷ついてしまったら?
・これをきっかけに、二人の間に修復不可能な亀裂が生じたら?
想像しうる『最悪のケース』に、黒尾と赤葦は再度身を震わせた。
自分達の軽率な行為が、月島と山口に与える影響は、甚大だ。
今のままだと、取り返しのつかない事態になるかもしれない…恐らくは。
「このまま二人を放置なんて…人として、問題大アリです。」
「俺達が、事態収拾に尽力するのが…筋ってもんだろうな。」
30分後…俺達も『行動開始』だ。
黒尾の力強い言葉に、赤葦もしっかりと頷いた。
「ところで黒尾さん。『30分後』まで…あと20分あります。」
・黒尾&赤葦が、毎度の『お片付け』で楽しみにしていることは?
・その『お楽しみ』のうち、20分以内にできることは『ナニ』か?
・黒尾は赤葦の醸す『淫靡な空気』に、耐えることはできるのか?
『想像力』を駆使して…1分以内に回答及び『行動開始』して下さい。
赤葦が発した『ごくごくカンタン』な問いと『淫靡な空気』に、
黒尾は1分を待たずして、即時『行動開始』した。
赤葦の腕を掴むと、グっと引き寄せ、胸の中に閉じ込める。
そのまま顎をクイっと上げ、激しく口付けた。
「んっ…!!」
想像以上に迅速かつ強烈な『行動』に、赤葦は目を見開いて驚いたが、
すぐにその目を閉じ、自分から黒尾の髪に手を差し入れ、引き寄せた。
昨日の『ほわほわ』した、蕩けるようなキスとは違い、
その熱で全てを融かしてしまうような、荒々しいキス。
息継ぎをする間なんて、俺達にはない…
性急に舌を絡め、脚を絡め、熱を擦り寄せあう。
「残り時間が、少ないとは言え…『お早い』反応、ですねっ」
「お前の『淫靡な空気』に曝されて…もう我慢も、限界だっ」
黒尾は赤葦の短パンに触れ、ポケットからストップウォッチを取り出した。
二人でチラリと時間を確認し…今度は互いの短パンに手をしまい込んだ。
キスを続けながら、熱を中から引きずり出していく…
「ちゃんと『最後まで』は…今はまだ、『オアズケ』ですよね。」
「あいつらの件が、上手く片付いてからの…『お楽しみ』だな。」
自分達のせいで、あの二人…月島と山口の関係が、壊れてしまうかもしれない。
それなのに、自分達だけが『お楽しみ』など…さすがに心が痛む。
二人の手の動きと共に、腰から下がったストップウォッチも揺れ動く。
ひたひたと露わな腿に触れるそれが、刻々と過ぎ行く時を無情に告げる。
「どうして、コレで…時間を止められないんでしょうか…」
もしこのストップウォッチに、時を止める力を持たせてくれるなら…
それが黒魔術でも何でも、縋ってしまいたくなる。
赤葦の『叶わぬ想像』を読み取った黒尾は、腰からそれを引き抜き、
二人に見えない所へ…と、これ見よがしに放り投げた。
- 続 -
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黒魔術のひと5題
『2.そろそろアレが効いて来る頃ですね。』
お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。
2017/02/10