「ツッキー、俺…死んじゃうかも。」
日曜の朝、突然やって来た山口は、玄関先でポツリとそう呟いた。
真っ青な顔。今にも涙がこぼれ落ちそうな真っ赤な目。
わけのわからない僕は、とりあえず部屋に連れて行こうと手を引くと、
階段を上っている途中から、山口は鼻をすすり始め、
部屋に入ると、すぐに大粒の涙をこぼして泣き始めてしまった。
「ちょっと、いきなりどうしたの?」
小学校の頃は、山口は割とすぐに泣いていたけど、
中学に上がってからは、さすがにそれはなくなっていた。
どうしたらいいかわからず、僕は山口にティッシュとタオルを渡すと、
山口はむせびながら、ポケットから出した封筒を、僕に手渡した。
「こ、これ…ツッキーに…」
受け取った封筒の表に書かれている文字を見て、
僕は心の底からビックリしてしまった。
「ゆ…ゆいごん書!?」
ゆいごん書…漢字で書くと、『遺言書』だったはずだ。
その漢字を調べて書く余裕もないぐらい、山口は大混乱しているのだろう。
まずは、落ち着かせて、話をきかないといけない。
僕はベッドに山口を座らせると、ダッシュで台所へ行き、
山口の好きなジュースと、ポテトのスナックを持って来た。
「はい、ちょっとこれ飲んで…深呼吸してよ。」
「う…うん…ありがとう、ツッキー。」
まだヒックヒックと言っている背中をなでてあげると、
ちょっとずつ涙はおさまってきた。
スナックを開けて、口に入れたら、もぐもぐと飲み込んだ。
僕は山口の涙が完全に止まるまで、お菓子をあげ続けた。
ようやく少しは落ち着いてきた山口に、僕は「読んでもいい?」と聞き、
返事が返ってくる前に、封筒の中から一枚の紙を取り出した。
その紙は、近くのスーパーのチラシ…『輪切りの豚』のお店のものだった。
バラバラ肉な絵の裏に、遺言書なんて、ちょっとだけゾっとした。
チラシをひっくり返すと、涙のシミの跡と、鉛筆の文字…
ゆいごん書
俺が死んだら、机の一番下の引き出しに入っている宝物は、
全部ツッキーにあげます。
毎日いっしょに遊んでくれて、本当にありがとう。
ツッキーと出会えて、俺の人生はしあわせだったよ。
俺は先に天国へ行くけど、あっちでもまたバレーしようね。
あと、俺の死体は、今後の医学の発展のために利用して下さい。
平成○年○月吉日
山口より
読み終わって、僕はものすごくショックを受けた。
こんなにちゃんとした文章で、僕に最後のあいさつだなんて…
これはとんでもない『一大事』に違いない。
山口に詳しく話を聞かなきゃいけない…
僕は遺言書をていねいに折りたたんで封筒に入れ直すと、
山口の手をギュっと握った。
「どうしてこんな…理由、教えてくれるよね?」
僕の手をしっかりと握り返しながら、山口は小さく頷いた。
「今朝、起きたら…その、おねしょ?を…
でも、普通のおねしょじゃなくて…白くにごってたんだ。」
「白い…?」
「寝る前にちゃんとトイレに行ったし、泳ぐ夢とか見てないし…」
「おねしょじゃない…ってコトだね。」
山口はズボンのポケットから、もう一枚の紙を取り出した。
「俺、怖くなって、ネットで調べてみたんだ。
『尿』『白い』って…そしたら、一番上にこういうのが出てきたんだ。」
わからないことがあったら、自力で調べてみる…
さすが山口だ。大混乱の中でも、ちゃんとがんばっている。
くしゃくしゃになった紙を広げると、医療の大学っぽい名前のサイトで、
中学生には難しい言葉で、いろいろと書いてあった。
白い尿が出る原因…①食事によるもの、②血尿によるもの、そして、
③病気によるもの、とあった。
「えっと…ほうれん草やココア、バナナに含まれるシュウ酸?と、
肉類に含まれる動物性たんぱく質をとりすぎると、シュウ酸カルシウム…?
よくわからないけど、それで尿が濁るって書いてあるね。」
「でも、昨日の晩ごはんは、ご飯と、とうふのおみそ汁、ひじきの煮付に、
メインは野菜コロッケだったんだ。ほうれん草も、お肉もなかったよ。」
①の食事は、まず考えられない…ということになるかな。
②の血尿は、『血』っていうぐらいだから、白じゃないだろう。
だとすると、③しかない…
膀胱炎や、腎盂腎炎、尿道炎や前立腺炎…?ちょっと読み方すらわからないし、
どんな病気かも、僕には全く、見当もつかなかった。
「それぞれネットで調べたけど、読んでもよくわからなかった…
今は普通に戻ったけど、ちょっとアソコも腫れてたような…」
もし自分が起きたとき、そんな状態だったとしたら…
僕はもっとパニックになって、人生に絶望したかもしれない。
大混乱しても、自力でできるだけ調査したり、ちゃんと『ゆいごん書』を書いてきた分、
山口は凄いなぁと、僕は妙に感心してしまった。
「明日、病院…行くんでしょ?きっと、大したことないよ。」
「でも、病気の可能性が一番高いし…だから俺、『いざという時』のために、
ツッキーに…『最後のあいさつ』をしに来たんだ。」
俺、この世のミレンは、ツッキーだけだから…
またじんわりと、涙がにじんで来た。
僕もつられて、ちょっとじんわり来てしまった。
僕だって、まだまだ山口と色んなことをして遊びたいし、
もっともっとバレーだって一緒にやりたい。
たとえ遊べなくなっても、山口が助かる方法があるなら、何だってしたい。
僕は山口の手をもう一度握り締めて引っ張り、
ベッドから立ち上がらせた。
「行こう、山口。」
「え…どこに?」
山口の調査した紙には、『大学』と書いてある。
もしかすると、大学生には…何とかする方法が、わかるかもしれない。
「隣の部屋、だよ。昨日から、兄ちゃんが帰ってるんだ。」
「あ…明光君…?」
一人暮らしをするために、仙台へ行った兄ちゃん。
最近はあまり話をすることもなかったけど、今は一大事だ。
「兄ちゃんに、相談してみようよ。」
***************
久々に帰省し、のんびり惰眠を貪っていたら、
微かに聞こえる控え目なノック…の後に、扉を壊さんばかりの殴打。
驚いて目を開けると、同時に扉が開き…蛍と忠が部屋に入って来た。
「兄ちゃん、起きて。ゆゆしき一大事だから。」
「明光君、おはよう…起こして、ゴメンなさい…」
深刻な表情の蛍に、泣き腫らした目の忠…
『タダゴト』ではない雰囲気に、俺は一気に目が覚めた。
「ど、どうしたんだ…?そんな顔して…」
「山口が…死ぬかもしれないんだ。僕には、どうすることもできないから…
兄ちゃんの力を、貸してほしい。」
忠の手を握りしめ、声を絞り出す蛍。
隠してはいるけども、これは…蛍が泣くのを必死に耐える表情だ。
色々あって没交渉の蛍が、忠の一大事に俺を頼ってくれた…
可愛い弟達のためなら、何だってしてやろう。
俺はちょっとした喜びと使命感に燃え、二人をベッドに座らせた。
「俺にできることなら、何でも協力する。だから…どういうことか、最初から説明してくれ。」
そう言うと、蛍は手にしていた封筒を俺に差し出し、
忠がポツリポツリと、蚊の鳴くような声で話し始めた。
「…なるほどね。よくわかったよ。」
俺はゆっくりと頷き、目を閉じてくるりと後ろを向いた。
(か…可愛いっ!!!!)
純粋無垢な弟達…あまりの可愛さに、にやける頬と震える体。
あぁ…こいつらもついに、ここまで成長したのか…
感激に咽いでいると、それを悪い方に捉えた二人は、
声を震わせながら俺の背中を揺すってきた。
「や、やっぱり、山口は…死んじゃうの?」
「明光君…俺、もうダメなの、かな…」
…いかんいかん。一人で喜んでいる場合じゃなかった。
俺は一旦キュっと表情を引き締め、それから柔らかく微笑みながら、二人の方に向き直った。
「大丈夫。きっと俺の想像通りなら…忠は至って健康だ。
心配することなんて、全~~~~~然っないからな!」
キョトンとした顔のあと、安堵とも困惑ともつかぬ表情…
そんな二人が可愛くてたまらなくなり、俺は二人をムギュ~~っとした。
「言うべきことはいくつかあるんだけど…ちょっと確認。
蛍も忠も、『似たような症状』について、友達に聞いたことは?」
「………ないよ。」
普通は、中学生にでもなれば、『友達』経由で知るはずだが…
この『ない』は、『友達』と『聞いたこと』の両方に、掛かっている。
相変わらず、お互いしか友達がいないのか…ちょっと心配になった。
「それじゃあ、順を追っていろいろ説明するから。…っと、その前に、大事なことを言うね。」
俺は封筒じゃない方の紙を手に取ると、ビリビリと破って見せた。
「わからないことを、自分で一生懸命調べることは、とても大事。
でも、調べたことをそのまま信じるのは危険だし、
そもそも、その『調べ方』だって、実はものすごく大事なんだよ。」
忠は、『尿』『白い』という言葉で検索をかけ、
『一番上』にでてきたサイトで調べた…と言っていた。
「まずは、調べる大前提…検索をかける『言葉』だね。
もしこれが違っていたら、当然出てくる『答え』も違うよね?」
「『尿』と『白い』が…間違ってた?」
「だとしたら…病気じゃない可能性も、あるかもね。」
それだけではない。検索した『後』も重要だ。
「検索して出て来た『一番上』だけを見た…これも不十分だよ。
世の中には、色んな人が、たくさん研究して、様々な意見がある。
たった一つの意見だけを見て、それが全てだと思うのは、危険だよ。」
「違う意見…反対意見とかも、見なきゃダメってこと?」
「色々な意見を見て、どれが正しいかを考える…?」
ネットは便利だ。ごく簡単に、『わかりやすい解説』が出てきて、
概要をザっと触れるだけなら、本当に使い勝手が良い。
だが、本当に『触りだけ』の知識であることも多いし、間違いも多い。
故意に誤りを示していなくとも、『触りだけ』を『わかりやすく』…
つまり、ザックリと詳細を割愛することで、結果的に誤解を生むこともある。
また、学術論文のように、専門家の検証を受けているわけでもないし、
引用や索引がついているものも、まれである。
正しい知識を得るには、やはりきちんとした書籍等に当たることが必要だし、
その場合でも、最低2冊…反対意見のものも、確認すべきだろう。
「ネットは特に、センセーショナル…『人目を引く』文言や内容が多い。
つまりそれは、見ている人をビックリさせたり、不安にさせるもの…
ごく一部の『例外』を、強調していることも多いんだよ。」
「ビックリするような『例外』だから…『ニュース』になりえるんだね。」
「だから、犯罪や災害だらけで、難病奇病重病ばっかりの世の中…
そんな『怖い世の中』だって、感じちゃうんだね。」
ニュースとは、人目を引く『目新しいもの』でなければならない…
世の中に出回る『情報』の、逃れられない『側面』について、
蛍と忠は、きちんと理解してくれたようだった。
「特に健康情報は、一般人には『正しいかどうか』を判断する、知識や経験も乏しいから…
『調べる』ことで、余計に『不安』になることが多々あるよ。
その『不安』の方が、カラダとココロにはよくない場合もあるし。」
「そっか…ネットには、『怖い病気』のネタばっかりが、多いんだ。」
「それが自分に当てはまるかどうか、判断する手段は…僕らには不足してる。」
だから、人々は不安を拭うことができず…薬やサプリ、健康法に飛び付いてしまう。
それを狙っている人も多くいるからこそ、『健康情報』が飛び交っているのだ。
「色々調べるのは大事だし、『考察』はすっごく楽しいよね。でも…
確証のない状態での行き過ぎた考察は、非常に危険でもあるよ。
いつも『これは間違ってるかもしれない』『他の説だってある』こと…
世の中に『唯一』『絶対』なんてありえない…常にそれを忘れないでね。」
はいっ!!と、二人揃っての『良いお返事』。
俺は良く出来た可愛い弟達の頭を、思いっきり『いい子いい子』した。
「じゃあ、『考察』と『調査』の時の『大事な心構え』はOKとして…
ここからは、具体的な話をしよう。」
部屋に来た時の、『この世の終わり』かのような表情はどこへやら。
弟達は、好奇心に目を輝かせて、俺に注目した。
***************
「まずは、そうだね…忠の『ゆいごん書』を見てみようか。
一言で言うと、これは…『無効』だね。」
俺の言葉に、蛍と忠は顔を見合わせた。
「やっぱり…『遺言』って漢字で書いた方が良かった?」
「いや、それ以前に…チラシの裏はマズいんじゃない?」
お、今日は酒類ポイント5倍か…じゃなくて。
俺は本棚から六法全書を取り出し、民法のページを開いた。
「遺言書の内容を、ちゃんと死後に守ってもらう…『有効な』遺言書にするには、
民法に決められたルールに従って、作らなきゃいけないんだ。」
ちなみに、『遺言』は法律用語で『いごん』と読む。
『ゆいごん』は、日常用語である。
「遺言書には、3つの種類があるんだけど、一番身近なのは、
自筆証書遺言…自分の手で書いたもの、だね。」
「だったら、パソコンで作ったり、録音したものは…ダメ?」
「自筆ってことは、『他の人』の手書きもダメなんだね。」
「あと、文末に署名と押印、それにちゃんとした日付も必要。
この『吉日』なんていう、『特定できない日にち』はアウト。」
「あ…俺、『山口忠』って、ちゃんと名前書いてなかった。」
「押印…印鑑もないよね。」
「押印と言えば、封筒を開けっぱなしなのもダメ。『封』をして、そこにも印鑑を押さなきゃね。
改竄…誰かに勝手に書き換えられたり、偽物を作られたりしないように、
鉛筆じゃなくて、ボールペンとかサインペンで書くのも大事。」
逆に、ちゃんとした内容で、簡単には消せないペン等で書いてあるのならば、
別に高級和紙の便せんに書く必要もなく、ノートでもチラシの裏でも良い。
「相続?させる財産も…『宝物』じゃあ、わかんないよね。
ちゃんと明確に、どの財産かを書いておかなきゃ。」
「…山口の『宝物』って、何なの?」
「それは、『秘密』…見てのお楽しみだよ!」
弟達の可愛いやりとりに、笑みが零れる。
わからないなりにも、忠が一生懸命に蛍のことを考えて、
必死に遺言を残そうとした気持ちだけは、十分伝わってきた。
「ま、一番の問題点は…15歳未満は遺言できないんだよね。だから…
もし作るんだったら、『エンディングノート』かな。」
遺産相続で揉める程の財産もない。法的効力が必要となる遺言も不要。
だが、通帳の場所や暗証番号、死亡の連絡をして欲しい人、葬式の内容等、
遺言書に書くほどではないが、『いざという時』のための『覚え書き』程度は、
あらかじめ、少しばかり残しておきたい…
そんな時に利用するのが、『エンディングノート』である。
「蛍と忠は、そもそも遺言って…何のために必要なんだと思う?」
二人は俺の質問に、首を捻って考え…真剣に答えた。
「突然の事態に、家族とかが…困らないようにするため?」
「家族や大事な人が、ケンカしたりしないようにするため?」
その通り。二人とも大正解だ。
「遺言とは、『自分のため』にするもんじゃなくて、
遺されてしまう『大切な人達』のために、書いておくべきものなんだ。」
『いざという時』とは、何も死んだ時に限られることではない。
事故や病気などで、自分の意思を伝えられなくなった時のためにも、
延命措置の希望や、介護してほしい場所、病名や余命告知等、
『こうして欲しい』という願いを、あらかじめ伝えておくと…大変助かるのだ。
「忠の『ゆいごん書』を見てみると…
『俺の死体は、今後の医学の発展のために利用して下さい』ってあるよね?
医学の為に自分の体を提供することを、『献体』っていうんだけど、
これを見て…蛍はどう思った?」
「科学の進歩のために、役に立つ…素晴らしいことだと思う。
僕も、使えるならば…必要な人に、臓器をあげたい、かな。」
「『献体』になったら、長ければ数年は『忠の体』は戻って来ないし、
その間、必要なこととはいえ…学生さん達の『練習台』になるとしても?」
「っ!!?それは…僕はともかく、山口の家族は、辛いかも…」
僕もやっぱり、ちょっと…ためらっちゃうかも。
確かに『死体』かもしれないけど、僕にとっては、大事な…『山口』だから。
少し瞳を潤ませながら、素直な気持ちを語る蛍。
それを聞きながら、忠もまた、目を充血させてきた。
「蛍の言うように、『死体』って書き方もまずかったかもね。
家族や友人にとっては…『遺体』だろうから。」
死体とは、文字通り『死んだ体』だ。
法律用語や警察用語には、『遺体』という言葉はなく、全て『死体』だ。
日常用語では、『動物=死体』、『人間=遺体』と使い分けている。
また、身元不明の人間は『死体』で、身元が判明すると『遺体』と、
ニュースなどでは言い分けている場合もある。
「遺体の『遺』は、遺言と同じ…『遺(のこ)す』だよ。
『魂が去って、遺された体』っていう意味なんだって。」
『死』や『魂』に対する考え方は、宗教や個人によって、随分と違う。
そもそも、『死に対してどう向き合うか』という考え方が、『宗教』だ。
「『本人』がどういう考えを持っていたかも大事だけど、
『残された人達』の気持ちも、同じぐらい大事…だね。」
「献体や臓器提供したい時には、事前に家族と話しておいた方がいいね。」
俺の言いたかったことを、きちんと理解してくれた弟達。
二人に再度『いい子いい子』をしながら、俺は話を続けた。
「『エンディングノート』には、法的な遺言書のような強制力はない。
でも、その分、好きなことを自由に書いておけるって利点もある。
『ツッキーと出会えて、俺の人生はしあわせだったよ。』…これみたいな、
口では言い辛い、誰かへのメッセージなんかも、書いておくといいかもね。」
正式な遺言にも、こうしたメッセージを記す『付記事項』がある。
「こうして自分へのメッセージがあると…蛍も正直、嬉しいでしょ?」
「まぁ…それは、嬉しい、かな。」
遺言書の付記事項に、相続人への感謝の言葉等がたった一言あるだけで、
相続人同士が揉めずに、すんなりと遺産分割が行えるケースも、多々ある。
逆に、一人だけ名前がなかったら、その人が『NO!』を言うことも多い。
感謝の言葉は、できるだけ相続人全員の名前を書いておくこと…
それが、遺言を成功させる、案外簡単なポイントだったりするのだ。
「『お父さんお母さんありがとう』…これも、書き足しておくね!
あ、もちろん、『明光君もありがとう』て、絶対書くからね。」
「た…忠~~~っ!!可愛い奴めっ!!!」
感極まった俺は、忠をまたまたムギュ~~~っと思いっきり抱きしめた。
「俺、思うんだけど…『遺言書』や『エンディングノート』って、
大事な人のために書く…最高の『ラブレター』じゃないかな~って。」
全ては、遺される『大事な人』のために。
人生全てを総括して、愛を語る…『ラブレター』だ。
「人間、いつどこで、どんな『終わり』を迎えるかわからない。
その時のために、『ラブレター』を書いておくことをオススメするよ。」
その内容は、定期的に更新する必要もある。
一定の期日に、周りの人への感謝とともに、『ラブレター』を書くならば…
「俺は、毎年自分の誕生日に、『ラブレター』を書いてるんだ。
ちゃんとした『遺言』は、妻や子供、財産ができた時でいいとしても、
『エンディングノート』だけは、毎年更新し続けてるんだよ。」
蛍と忠は、俺の言葉に「スゴイ!!」と感心してくれた。
「じゃあ俺も、毎年自分の誕生日に『ラブレター』書いて、それをツッキーに渡すことにするね!」
「それなら僕も、誕生日に…山口に渡すことにする。」
何とまあ…恐ろしく可愛い『約束』じゃないか。
俺の財産(蔵書)は、蛍と忠に全部譲ることにしよう。
「ま、そんなわけで、『死んだ時』の話はここまでだ。
これからが今日の本題…『生きている間の天国』の話だ。」
俺は忠を後ろから抱え込むと、ちょこんと胡坐の上に座らせた。
***************
「人間、いつ何が起こるかわからない…
そんな『いざという時』の準備については、十分わかったよね?」
コクコクと頷きながらも、不思議そうな顔で俺を見上げる忠。
蛍は正面から、不満とも警戒とも取れる顔で、俺と忠を凝視している。
「そんな日は確実に来るけど、今すぐ来るわけじゃない。
だから、それまでは…精一杯『生』を楽しまなきゃね!
そんな『せいをたのしむ』技を…これから俺が伝授するから。」
忠、ちょっとだけ腰を浮かせて…
指示通りにしたところで、俺はおもむろにズボンと下着を剥ぎ取った。
「えっ!!?」
「っっ!!?」
いきなりの出来事に、慌ててTシャツの裾を引き、隠そうとする忠。
あまりのことに、声を失って目を引ん剥く蛍に、俺は続けて指示した。
「蛍もほら、同じように…下、脱いで。」
「えっ!?ぼ、僕も…?」
「そう。お前も。二人『一緒に』…奥義伝承するから。」
この二人には、『一緒』という言葉が効果的らしい。
渋々といった態ではあるが、指示通りに下を脱ぐと、
こちらもTシャツで隠しながら、正面に大人しく座った。
「二人は、学校で『二次性徴』について…習ったかな?」
「一応、やったけど…」
「後でちゃんと教科書か、そこの『人体解剖図鑑』で確認してね。
結論から言うと、忠のは病気じゃなくて、その『二次性徴』だよ。」
俺は教科書的な知識を、念のため二人にざっと説明した。
「そうか…山口の『白い』のは、精液…」
「えっと、つまり、俺は…生産過剰になった精液が溜まりすぎて、
夢とか無意識のうちに…精通した、ってコトなの?」
「よくできました。そして…おめでとう、忠。これでお前も、『男』の仲間入りだ!」
おぉっ!!という驚きの声に合わせ、拍手を贈る。
照れながらペコペコ頭を下げる忠…その姿を、蛍は羨望の眼差しで眺める。
「そういうわけだから、これからは今まで以上に女性を大切にすること。
どうしてだかは…ちゃんと習ったよね?」
「うん。後でもう一回…教科書読み返しとくね。」
素直なお返事に、俺は大満足で頷くと、
忠のTシャツを引き上げ、隠していた部分を露わにした。
「おいそれと『誰か』とするわけにはいかない。でも、溜まってしまう。
これは生理現象だから、どうしようもないことだよ。」
「溜まると、また…夢精しちゃうかも?」
「それもある。でも、それ以上に…ココロに良くないんだ。」
「溜めすぎる…我慢はよくない、ってこと?」
真剣な表情で、一生懸命に『考察』する二人。
この二人の熱意に、俺は応えなければいけない。
「だから俺達『男』は、ココロとカラダのために、
定期的に『発散』させる必要がある…それが、『自慰』だ。」
まずは、親指と人差し指で『輪っか』を作って、
他の指で、包み込むように握って…ゆっくりと、上下に動かす。
「あ…っ!!?」
後ろから手を伸ばし、忠に『実践』してみせる。
驚愕と恐怖で逃げようとするが、優しく大丈夫だと諭し、教授する。
「ほら、蛍も…俺がやっているように、真似してごらん。そう…そうやって、ゆっくりね。」
「う…っ。。。」
俺にしがみ付いていた忠の手を取り、自分でやるように促す。
時々手を添え、介助してやりながら、『ポイント』を伝えていく。
「明光君、何これ…変な、カンジが、する…」
「兄ちゃん、なんか…ゾクゾク、する。」
頬を染め、目を潤ませながらも、初めての快感に戸惑いつつ、
それでも本能に従い、手を動かし続ける…
伝授される『技』を身に着けようと、動きをじっと注視する。
「この『ゾクゾク感』が、『気持ちイイ』ってことだよ。
どこをどうすれば気持ちイイか、自分で色々『研究』するんだ。」
これが、兄ちゃんからの『研究課題』だよ。
コクコクと頷きながら、息を荒げていく。もうそろそろ…か。
「これは、自分が気持ちよくなるための技だけど、それだけじゃない。
さっきの『ラブレター』と同じで、ずっと一緒に居たいと思うような…
大切な『誰か』のことを思って、その人のために、使う技だよ。」
自分だけが気持ちよくなっちゃダメ。その人と一緒に、幸せになれるよう…
そんな風に想像しながら、相手のことを想ってするんだ。
大切な人と一緒に、生を…性を謳歌し、楽しむ…凄く素敵だろ?
「一緒にいたい人と…」
「せいを、たのしむ…」
蕩けるような表情で、互いの姿を見つめ、
師匠の教えを復唱する…可愛い弟子達。
きっと二人は、『独りよがり』に走ることなく、
師匠が教えた通りに、素敵な『せい』を送ってくれるはず…
そう願いながら、俺はティッシュをそれぞれに渡し、
技の『締めくくり』と、『その後』について、きっちりと伝えきった。
***************
「…懐かしい、な。」
机の、一番下の引出し。片付けをしていたら、出てきた封筒の束。
毎年11月10日…山口の誕生日に、一つずつ増えていくそれは、
同じように、毎年9月27日に、山口の『宝物コーナー』にも増えていく。
『師匠』に教えられた通り、きちんと『封』と押印がしてあり、
『いざという時』が来るまでは、絶対に開けない約束だ。
あの日、泣きながら山口が持って来た『ゆいごん書』以外は、
そこに何が書いてあるかはわからないが…大切な僕の『宝物』だ。
何が書いてあるかは不明…でも、間違いなくそれは、僕に宛てた『ラブレター』なのだ。
きっと僕が山口に書いたものと、似たような内容…のはずだ。
幸か不幸か、僕は色んな人から、いわゆる『ラブレター』というものを、
一方的に贈られることがある。往々にして…山口が言付かって来る。
だが、そのどれもが、あの日の『ゆいごん書』以上に衝撃的で、
僕の心を揺さぶるものなど、存在しなかった。
それは…当然だ。
死を覚悟し、自分の一生を振り返って、絞り出した『ゆいごん書』…
これよりも想いが籠った手紙があるとすれば、それは、
毎年11月10日に追加される、『遺言書(○歳版)』ぐらいだろう。
何が書いてあるのか、わからない『ラブレター』。
これを読むことができる日が、来ないに越したことはない。
読みたいけど…読みたくない。
少なくとも、確実に言えることは…
「絶対に、山口より先に死ぬわけには、いかないよね。」
一日でも長く『生を謳歌』して、『遺された者の楽しみ』として、
この『ラブレター』を、一つ一つ読んでいくのだろう…泣きながら。
そして、もう一つの『せいをおうか』の方…
こちらも、お互いに『師匠』の教え守り、『課題の研究』を続けてきた。
最初のうちは、教わったことを忠実に再現し、技能習得に努めた。
素直で真面目な自分には驚くばかりだが…想定外のことが起きた。
技を『忠実に再現』するにあたり、どうしても避けて通れないこと…
それは、目に焼き付いた、あの日の『山口の姿』だった。
『師匠』の手解きを受け、快感に身を捩る姿…
それが、『技術』とセットとなり、『研究』する度に、瞼の裏に蘇るのだ。
そして、技術と共に、脳に刻み込まれた、『心得』…
『自分だけが気持ちよくなっちゃダメ。』
『その人と一緒に、幸せになれるよう…』
師匠の言葉もまた、同じように、僕の頭の中に繰り返しリフレインし続ける。
『気持ちイイ』と、『山口の姿』と、『一緒にせいをたのしむ』が、
全て混在して…僕にガッチリと擦り込まれてしまったのだ。
その結果が…山口と僕の『現状』なのだ。
「こうなっちゃった責任の一端は…『師匠』の完璧な教え、かもね。」
隣に眠る、山口の髪を撫でる。
つい数時間前にも、『あの日』と同じ、快感に咽ぶ顔を見たばかりだ。
あの時と違うのは、その表情に『困惑』の色はなく、
ただただ、『気持ちいイイ』…そんな、『凄く素敵』な表情だということだ。
「一緒にいたい人と、せいをたのしむ…『免許皆伝』だね。」
次の誕生日に書く『遺言書』には、ちゃんと『師匠』への感謝も書こうかな。
僕はこっそりそう決めると、『宝物』をそっと引出しにしまい込んだ。
- 完 -
**************************************************
※作中のように、いくつも遺言書が存在する場合には、『日付が最新のもの』が優先されます。
2016/06/14(P)
: 2016/09/08 加筆修正