「月島…お前に折り入って頼みがある。」
部活が終わり、帰宅準備をしていた月島に、後背部下方から声が掛かった。
良く知る人物の、聞いたこともないような真剣な声に、
月島だけでなく、同じく残っていた山口と鍵当番の東峰も、一様に驚いて振り返った。
「僕に?一体何ですか…西谷さん。」
本人の在り様そのままの、あまりに真摯で真っ直ぐな瞳に、
月島は西谷が言う前に、こちらから内容を尋ねてしまった。
「あの、俺たち…席外した方がいいかな?」
やや緊張気味の東峰の申出だったが、西谷は静かに首を横に振った。
東峰と山口は顔を見合わせ、邪魔にならぬようにと、部室の端に並び、息を殺して正座した。
西谷は改めて月島に向き直り、熱誠を込めて請うた。
「俺に、知恵を貸して欲しい。」
まぁ座ってくれよ、と西谷に促され、月島は壁を背に腰を下ろし、片膝を立てて座った。
西谷は同じ姿勢で隣に座り、天井を見上げながら話し始めた。
「こないだ谷地さんが言ってただろ?『死ぬ、もしくは死にそうな場面に出くわしたら…』って。
俺さ、今までそんなの一度も考えたことなかったら、実は結構ショックを受けたんだ…
それで、考えたんだ…俺の最期は、どんなんだろうか?ってな。」
『西谷』という存在から想像もつかないような話に、
月島は声を失って西谷を凝視し、外野の二人も息をのんだ。
「俺はさ、死ぬ瞬間に『俺の人生は最高だった!』って、満足して死ねればいいなぁって…」
それは、誰もが願う理想であろう。
その理想に向けて、日々を生きていると言っても良い。
「願わくば、そう…潔子サンの美しさに浸りながら死ねたら、どんなに幸せだろうか…」
お釈迦様のような穏やかな涅槃顔。
あまりに眩い神々しさに、月島でさえツッコミを入れるタイミングを見失った。
「人生の終着点として、俺は名誉あるキュン死を選ぼうと思う。
俺の死因欄にはこう書いてくれ…『悶絶キュン死』と。」
恍惚とした表情の西谷。
月島がようやく言えたのは、これだけだった。
「その死因では…保険金が出にくいかもしれません…」
危うく揃って昇天しそうだった皆を地上に引き留めたのは、最年長の東峰だった。
「よ、要するに、西谷が月島に頼みたいことって…」
「新作Tシャツに書く四字熟語…キュン死の『キュン』の字を考えて欲しい!!」
「も…もう逝っていいですか。」
月島の嘆願は、地縛霊のような力強い抱擁と、
「まだイかせねぇよ。」という無駄に漢前なセリフにより、敢えなく却下された。
分かりましたから、放して下さい。
絶対に西谷には敵わないと、早々に降参した月島は、
大きく溜め息をついて、娑婆の空気を肺に吸い込んだ。
部室の隅で生前硬直を起こしかけていた東峰と山口も、
復活して二人の傍に座り、四人で車座になった。
「最初に言っておきます。『キュン』と読む漢字はありません。」
「…だよな。」
「…ですよね。」
月島の断言と他2名の同意に、西谷はムッとした。
「いくら俺でも、さすがにそんぐらい分かるわ!そこを何か…どうにかいい方法を考えてくれよ!」
「まだ戒名を考える方が楽な気がする…」
「せめて『キュウ』か…『キャン』なら『侠』があるけど。」
首を捻りながら考える東峰と山口に、月島は「考えても無駄だよ」と言った。
「『キュン』が無理なら、他の手を考えましょう。そうですね…アナグラムを試してみますか。」
「穴蔵…夢?」
「確か、文字の並び替え…だったか?『あなぐらむ』を『あぐらなむ』にして…『胡座南無』とか。」
「あ…東峰先輩、巧いっ!」
「お見事です。」
予想外に秀逸な出来栄えに、月島と山口は東峰に合掌して拝謁した。
「なるほどな。俺にもわかったぜ!
『もんぜつきゅんし』を並び替えて、それを四字熟語にする作戦だな。」
「もちろん、ただ単に漢字を当てはめるだけじゃ駄目です。」
「それじゃあ、ヤンキーの『夜露死苦』だもんね。」
「一見すると、ちゃんと意味ある四字熟語に見えること…月島はそこまで狙ってんだろ?」
東峰の問いに、月島は当然です、と首肯した。
「本来、意味のありそうな『並び』を見つけ出すっていう楽しみもありますが、
今回は時間を節約して…漢字の当てはめからやりましょう。」
月島はアナグラムを自動作成してくれるサイトに、『もんぜつきゅんし』と打ち込み、検索をかけた。
出てきた結果を山口がノートに書き留め、四人の真ん中に広げた。
「結構いっぱいあるけど、四字熟語っぽいのを探すとなると…」
「これがなかなか、難しいんですよ。」
言葉とは裏腹に、月島は実に楽しそうにノートを覗き込んだ。
「『ぜんもんきしゆつ』…これならいけるかな?えーっと、『全問既出』とか、どうでしょう?」
「試験っぽいから却下!」
「じゃあ、『きもんしゆつぜん』で…『鬼門出禅』はどう?」
「旭さんは、そろそろ仏ネタから解脱して下さい!」
山口と東峰が、あぁでもないこぅでもないと、二人で悩みはじめ、
月島は一人黙々とノートの文字を睨み付ける。
暇になった西谷は…月島のスマホを手に取った。
「…何やってんですか。人のモンで。」
「いや、ちょっと気になって…『にしのやゆう』って入れてみたんだ。」
さっきのより結果が少なくてつまんねぇ。
西谷が不貞腐れると、月島はスマホを取り返し、結果画面を見た。
「文字数が少ないから、結果が少なくて当然ですよ。
でも…なかなかいいのがあるじゃないですか。」
月島は目に留まった文字列と、思い付いた四字熟語をノートに書き出した。
「『しゆうにのや』で…『雌雄二矢』なんてどうですか?」
「そう言えば、弓道は2本の矢を射て決着…雌雄を決するらしいね。」
東峰の解説に、山口と西谷は「カッコイイっ!!」と歓声をあげた。
「もっと単純に、『オスとメス』『2本の矢』とすると…」
「キューピッド!!」
「ボッティチェリの『春』だ!」
東峰の受験生的回答に、月島ははっと閃いた。
「『もんぜつきゅんし』を『しゆんぜきんもつ』にして…『春是禁物』なんてどうでしょう?」
「『春是禁物』…春、是(これ)禁物なり…かな。」
「キューピッドのはずの西谷先輩が、『春』…欲を禁じる。物凄い逆説的かつ哲学的だね!」
「ストイックさを装って、その実態は『悶絶キュン死』…お前は最高だ、月島ぁーーーーっ!!」
西谷は感極まって月島に全身ダイブし、
驚いた月島は、なんとか倒れずに西谷を抱き止めた。
「あ、これは…ロダン『接吻(抱擁)』かな。」
「西谷先輩がもうちょっと反ると…同じくロダン『永遠の春』で、テーマ的にも完璧でしたね。」
***************
「やっぱ、『キュン』にピッタリなのはコレだな!」
「確かに、爽やかな甘酸っぱさと懐かしい感がピッタリ。」
今日のお礼に、少しだが奢らせてくれ。
そう言って西谷は、坂ノ下商店でラムネを購入し、近くの河川敷に四人並んで座った。
「先程はツッコミのタイミングを逸してましたが、
そもそも、『キュン』は『ドキッ』とどう違うのか…音から判断するに、キュンは収縮音で、ドキッは拍動?」
「え、まさかとは思うけど、月島もしかして…胸が『キュン』ってなったことない、とか?」
「そりゃ、旭さんほどバリエーション豊かかつ頻繁に、心臓が『どんちゃん騒ぎ』な人もいないですよね!」
「東峰先輩の方が、確実に『ショック死』しそう…」
「酷いな、お前ら…否定できないけどさ。」
死亡診断書の死因欄には、『悶絶キュン死』とは書けない。
せいぜい『心原性ショック死』か、『心不全』だろう。
これでは東峰と…変わらないことになる。
西谷の夢を壊さないように、月島は黙っていることにした。
飲み干したラムネ瓶の中のビー玉が、沈みゆく夕日と川面の光を受け、ゆらゆら光る。
この淡い感じも、きっと『キュン』なんだろうか…
東峰が感傷に浸っていると、今度は山口がスマホを取り出し、何かを入力していた。
「さっきのアナグラム…英語バージョンもあるんですよ。」
俺、苦手な英語を何とかして楽しもうと思って…ツッキーに教えてもらった『遊び』なんですけどね。
出た結果一覧を探していた山口は、「あ!」と声を上げた。
「今、西谷夕…『nishinoyayu』って入れたんですけど…『I shine you any』ってのが出ましたよ!」
「それは…凄いな。細かい文法には目を瞑るとしても、
『俺はお前らをいっぱい輝かせてやる』…西谷にドンピシャだ。」
「英語の方が『意味ある文』を探すのが大変なのに…これは本当に、見事としか言いようがないです!」
皆からの手放しの賛辞に、西谷は更に輝く笑顔を見せた。
「単なる『言葉遊び』なのに、偶然にも『人となり』まで表すなんて…」
「ちなみにですが、東峰旭…『azumaneasahi』だと、『I am sauna haze』になりましたよ。」
「『私はサウナの靄です』…こちらもミラクルですね。」
「『もわっと感』が、めちゃくちゃ旭さんっぽい!!!」
感動しかけた東峰だったが、後輩達の言葉により、ガラスの心は打ち砕かれた。
「ちゃんとした文ができただけでも、まだ良いですよ。
『tsukishimakei』『yamaguchitadashi』…アウトですから。」
「あ、でもねツッキー、蛍&忠…『keiandtadashi』だと、結構面白い文章が出て来たんだよ!!」
月島のフォローを、山口は無邪気に霧消させた。
「うるさい山口」と言いかけた視線は、山口の見せた検索結果に釘付けになった。
「『I said
thank ade』…『エードありがとう、と言った』!」
「エード?何だそりゃ??」
興奮気味の月島を、残る三人は不思議そうに見た。
「エードは、果汁を水で薄めて、甘味を入れた飲み物です。
果汁を水で割らないものが、ジュースなんですが…
レモン果汁に蜂蜜や砂糖で甘みを付けて、冷水で割ったのが…」
「レモン・エード…レモネードか!!」
「そうなんです。で、そのレモネードが訛って…『ラムネ』です。」
月島は、手にした瓶を振り、カラコロと音を立てた。
あまりに巧く出来過ぎた結果に、さすがの四人も絶句した。
追い打ちをかけるかのように、山口が『ade』の文字を指差す。
「あのさ、ここをさらに並び替えると…『AED』だよね。」
「自動体外式除細動器…心停止の際、必要に応じて…」
「電気ショックを与えるもの、だよな。」
「『I said thank AED』…悶絶キュン死しそうな時、『AEDありがとう!!』って…」
まるで心拍のように、繰り返される『奇遇』。
何とかこれを打ち破ろうと、月島は努めて明るい声を出した。
「あ、え、『AED』は、別の略語でもあるんですよ!auto-erotic
death…自己愛性死、なんですけど…」
「やっぱりこれも、『AED』ありがとうコースじゃん!?」
ほとんど涙目で『奇遇』に恐れ戦く東峰に、
月島は「今回の注目点はココです!」と無理矢理主張した。
「自己愛性死とは、簡単に言ってしまえば、『過激に気持ちヨくなりすぎて逝っちゃった』…
代表的なのが、『縛り』過ぎで窒息死、です。」
これなら…下ネタで締めくくってしまえば、何とか『通常』に戻せるはず。
血を吐くような月島の『努力』だったが、『偶然の連発すら当然』な西谷には、微塵も通用しなかった。
「お、月島が珍しく下ネタか!じゃ、俺も一つネタ提供~!
アナ…(略)に、『やまぐちただし』ってイれたら、『したぐちやまだ』で、これを会話チックに変換したら…
『下(の)口…』『ぃや…まだぁっ…!』になるぜ!!」
「なっ…ひ、ひどいっ」
「それは…つまり…過激な『言葉遊び』…かな。」
真っ青になる山口と、真っ赤になる東峰。
その真ん中で、紫色の顔をした月島。
崩れ落ちる山口を慰めるように、西谷はそっと山口の背を抱きしめた。
「安心しろ、山口。…お前の『後ろ』は、俺が守ってやるぜ!」
「それこそ『下世話』です!」
今日一番の反射速度で返した、月島渾身の『ドシャット』は、
月島本人を自縄自縛する結果となった。
「月島は、ソッコーで『ツッコミ』たいお年頃…ってことだな。」
「『締っ…キっつ…、イけ…』の、『つきしまけい』だもんな!」
***************
夕日とともに先輩方が去って行った後。
川面に映る彼岸の灯りを茫然と眺めているうちに、
僕と山口は、漸く此岸に戻ってくることができた。
あまびこの
いつもとは違う帰り道。
暗い河川敷の、更に暗い土手下の遊歩道には、自分達以外には誰もいなかった。
先程までの『大騒ぎ』とは一転、お互いに口を閉ざし、ゆっくりと歩く。
まるで脈拍のように、一定のリズムを刻む足音。
一拍遅れて、鞄に脇に差したラムネ瓶…その中の玉が、同じリズムで反響する。
お互いに言葉を発してはいないのに、こだまの様に響き合う足音とラムネ玉の音が、
まるで会話を楽しんでいるかのように聞こえた。
体内で鳴り響く、心地よい律動。
共鳴し合う互いの音が、『二人だけの世界』にいるかのように錯覚させる。
カラン、コロン…コロン、カラン…
分かれ道まで、あと橋2つ。
徐々に緩やかになってきた『リズム』が、互いの気持ちを響かせる。
カラン……コロン、…コロン……カラン…
ずっと一緒に、二人が同じリズムで、歩き続けて行けるならば。
できるだけ長く、『二人だけの世界』で響き合えるのならば…
最後の橋のたもとに着いた時には、その『リズム』が完全に停止していた。
このまま別れ、別々の音を響かせるのは…嫌だ。
そんな気持ちを表すかのように、二人は立ち止まり、無音の空間に留まった。
しばらく経ってから、カラン…という小さなラムネ玉の音と共に、
山口が僕のシャツの裾を、静かに引いた。
胸に響き渡る『ラムネのような音』…
その音にこだまするかのように、僕は山口を抱き寄せた。
山口にも、僕の『甘ずっぱい音』が、聴こえた…かもしれない。
- 完 -
**************************************************
※あまびこの→『音』にかかる枕詞
※ラブコメ20題『02.きゅんって音がするらしいです』
2016/02/16(P)
: 2016/09/09 加筆修正