「お、今日はちゃんと『二人セット』だな。」
「やっぱり、二人が一緒じゃないと…こっちが落ち着かないよ。」
部活が終わり、部室で他愛ない話をしていると、所用を済ませた澤村と菅原が戻って来た。
今日の鍵当番は僕(と、実質的には山口も)…澤村達が戻るのを待っていた所だった。
「お待たせしちゃってごめんね。」
「いえ、俺達も今着替え終わったとこですから。」
まぁ、着替え後10分ぐらいは、『直後』と言って差し支えない。
「とは言え、待たせたことには変わりないからな。『坂ノ下』でジュースでも奢るよ。」
ちょうど喉が渇いていた。
僕達は澤村の好意を、快く受けることにした。
「前々からずっと気になってたんですが…菅原先輩のソレ、本当に美味しいんですか?」
ぶどうジュースを飲みながら、山口は菅原に問いかけた。
菅原が食べていたのは、激辛がウリのスナック菓子だ。
「結構美味しいよ?一口食べてみる?」
「止めとけ山口。痛い目見るぞ?こいつの味覚…ちょっとおかしいんだ。」
袋に手を伸ばしかけた山口に、澤村がすかさず待ったをかけた。
「澤村さんの言う通り、『痛い』思いをするよ。
『辛み』は味覚じゃなくて…痛覚で感じるものだからね。」
「あ…五基本味の中には、『辛味』ってないね。」
生理学的味覚の五基本味…甘味、塩味、酸味、苦味、そして旨味は、
主に舌の味蕾という受容器を通過し、顔面神経と舌咽神経を介して、
中枢に伝えられ…それぞれの『味』として感知される。
一方辛みは、舌や口腔内にある、味覚受容器とは別のレセプターで、
味ではなく『痛覚』として知覚される。
この受容体は全身に分布しているため、指先でも唐辛子は、ヒリヒリ『痛く』感じることがある。
「成程な。辛いものを食べて、『痛い』って言うのは、実に正確な表現だったわけだな。」
納得顔で頷く澤村。
菅原は涼しい顔で、激辛スナックをバリバリと食べ続ける。
匂いだけで…こっちは目が痛くなってきた。
なおも好奇心の収まらない山口は、お菓子の袋を興味津々と眺めた。
「ハバネロって、超~辛い唐辛子…でしたよね?」
「まあ、普通のよりは、『食べごたえ』があるけど…
そんなに辛いかなぁ?俺にはわかんないや。」
凶悪なイラストの描かれた袋を見つつ、菅原は首を傾げた。
「辛いよ。猛烈にな。俺も以前、一口だけもらってみたが…翌日、ケツが切れたぞ。」
辛いものを食べ過ぎると、痔になるのは…本当らしい。
「カプサイシン…唐辛子の辛み成分の強さを示すものに、
『スコヴィル値』というものがあります。」
スコヴィル値は、どのぐらい砂糖水で薄めると辛みがなくなるか、
という、希釈倍率によって辛さを表す数値だ。
『0(ゼロ)』に該当するのが、甘味唐辛子…ピーマンである。
「タバスコが2000~2500、青唐辛子のハラペーニョが2500~8000。
そのスナックに使われるハバネロは、10万~35万ですから…」
「激烈な刺激性…危険な辛さ、だね。」
冷や汗を流し苦笑いしながら言うと、山口は…
スナックをひょいとつまみ上げ、あろうことか口に投げ入れた。
「か…かっ、辛っ!!?」
「な、何やってんだお前!?み…水飲め、水っ!」
げほげほと咳き込む山口に、澤村は鞄から出したペットボトル…
ミネラルウォーターを飲ませようとした。
僕はそれを押し退け、手にしていたヨーグルトドリンクのストローを、
山口の口に突っ込んだ。
「カプサイシンは、水にはほとんど溶けません。
脂溶性…油やアルコールにはなじみますから、
辛みを抑えるには、脂肪分のある乳製品が最適です。」
インド料理にラッシーというヨーグルトドリンクが出るのも、実に利にかなっているのだ。
ビリビリする舌を出す山口に、もう一度ストローをくわえさせた。
「口の中に、しっかり溜めてから…飲み込んで。」
背中を撫でながら、介抱する。
「乳製品以外なら、苦味のあるコーヒーや、
酸味のあるお酢やジュースがいいそうですよ。」
「あぁ…勉強になった。」
「じゃあ俺は、心ゆくまで辛さを楽しみたいから…
冷たいお水と一緒に食べればいいってことだね~」
それぞれが納得してくれたようで、何よりだ。
僕はそのまま山口にヨーグルトドリンクを渡し、
代わりに山口のぶどうジュースを貰い、程よい甘味を堪能した。
「はぁ~、ホントに痛辛かった…口が…舌が壊れるかと思ったよ。
ツッキー、助けてくれてありがとうね。」
だいぶ落ち着いた山口は、目尻の涙を拭いながら礼を言った。
「いくら口腔内が柔らかい粘膜だとはいえ、過度な刺激は…限界があるに決まってるでしょ。」
「今回はこの程度で済んだが、好奇心が強すぎるってのは、いつかとんでもなく痛い目見るぞ。」
呆れ顔でポンポンと山口の背中を叩きながら、
「お前もだぞ」と、澤村は月島に向かって言った。
「ってことは、辛いもの大好きな俺は…辛いものに対する『弾性限界』が高いってこと?」
「辛みで本当に舌が物理的に変形するわけじゃないでしょうが…」
ある物体(特に個体)に力が加わって変形する場合、
その力が一定よりも弱ければ、力を除くと形が元に戻るが、
力を除いても戻らなくなる力の大きさが、弾性限界だ。
激辛スナックを食べても、舌も口もケロリとしている菅原は、
一般人に比べると、弾性限界が高いと言えるかもしれない。
「だとすると…辛いものに慣れておけば、痛みに対する限界値も高くなる…のか?」
「『舌』はそうかもしれませんが、それで『下』の弾性限界が上がるわけじゃないですからね。」
舌や口が痛みに耐えられても、胃腸等が耐えられるとは限らない。
弾性限界値も、消化器系の部位ごとに違うだろう。
つまり…『下』が切れないとは、限らない。
「『舌』も『下』も、徐々に馴らして…大事にしなきゃね。」
何となく、山口が『別の話』をしているように聞こえ、
澤村と菅原は、幼馴染二人から目を反らした。
「も、もうこんな時間か。お前ら、どうせ今日も月島家なんだろ?
気をつけて帰って…夜更かししすぎるなよ!」」
「明日は部活休みだけど…あんまり無理は『しない・させない』ようにね?」
年長者の『ありがたいお言葉』に、月島達は不思議そうな顔をした。
「今日は…ウチじゃないんですけど。」
「明日は…学校も部活も休みですよね?
無理するようなことも、特にないと思いますけど…」
イロイロと先走って、いらぬことを言ってしまった澤村達は、
乾いた笑いで場を誤魔化しながら、二人を帰らせた。
「何でだろうな…アイツらの言うこと為すこと、
全てが『下方向』に受容器が感知して…認識されてしまうんだが。」
「何の躊躇いもなく、お互いのジュースを交換してたし…
あれ、紛れもなく、か、間接チュウ…だよ、ね…」
しかも、『すこヴる』ホットな…ストローで『チュウ~』だよ。
菅原のしょーもない駄洒落を、澤村は聞かなかったことにした。
***************
「今日は月島家じゃない…んだけど。」
「嘘は言ってないデショ。」
ツッキーと二人、今日は山口家に帰って来た。
着くやいなや、ツッキーはかなりの早足で台所へ向かうと、
ほんのちょっとだけ冷蔵庫の扉を開き、中身を確認した。
ツッキー来訪の主目的は、先日の看病の『報酬』…
顔は見えなかったけど、冷蔵庫に用意されたショートケーキを見て、
きっと満面の笑みを浮かべていた…はずだ。
「ツッキーは、ウチの母さん作のショートケーキが、ホントに大好きだよね~」
「これ以上の報酬は、今の僕には在り得ないね。
この世の中で、最高に美味しいものだと…全力で断言できるよ。」
そんな母と父は、仲の良い友人夫婦と、バス旅行に出掛けている。
勿論、その夫婦とは…月島夫妻だ。
息子同士が同じバレーボールのクラブチームに所属していたため、
練習への送迎や試合引率等で、当然ながら父母達も顔見知りである。
顔を合わせる機会の多い母親同士は、自然と『ママ友』になる。
俺とツッキーは、幼馴染だけど、親同士の付き合いも長い。
俺達が週末ごとにどちらかの家に泊まり込んでいるのも、
長年に渡る『家族ぐるみ』のお付き合いあってこそだ。
本当に…ありがたい、と思う。いろんな意味で。
「お楽しみは最後に取っておくとして、今日の『任務』は…」
食卓の上には、毎度おなじみの『任務』…メモが置いてあった。
・晩御飯は、適宜調理器を使用し、適温にて食すべし。
・ししとうには、大根おろしをかけるべし。
・大根おろしの方法等については、自ら調査研究すべし。
・ケーキはイチゴの配列に沿って6分割し、4切は保管すべし。
・戸締り・ガス栓・給湯器等の点検確認を怠るべからず。
…相変わらずの、ツッキー操縦ぶりだ。
制服も着替えず、スマホで『大根おろし』について調べ始めている。
俺は笑いを噛み殺しながら、自分とツッキーの鞄を携え、自室へと持って上がった。
「山口は、辛い大根おろしと、そうでないもの…どっちがいい?」
着替えて台所へ戻ると、ツッキーが問いかけてきた。
「辛いのは…ちょっと苦手かな。今日は特に。」
「わかった。それじゃあ…味噌汁温めながら待ってて。」
そう言うと、ツッキーは着替えに上がった。
俺は指示通り、小鍋の味噌汁に火を掛け、お玉でかき混ぜる。
煮立たさないように。豆腐を崩さないように。
鍋の縁がもわもわしてきた所で火を消すと、ツッキーが降りて来た。
「唐辛子は『ヒリヒリする辛さ』…カプサイシンの辛さだったけど、
大根おろしは『ツーンとする辛さ』…アリル化合物の作用だよ。」
「独特の清涼感があるから…『冷たさ』を感知する受容体?」
「そうみたいだよ。ワサビ、カラシ、ネギ、ニンニクも同じ種類。
アリル化合物は冷刺激受容体を活性化する、ということは…?」
「辛いのを抑える時には…冷たい水とかはアウト…余計に辛さ増強!」
その通り、とツッキーは満足顔で頷いた。
アリル化合物は揮発するため、熱いお茶などで和らげることができる。
「あ…『みぞれ鍋』とか、大根おろしを加熱したのは辛くないし、
大根の煮物とかも、むしろ『甘味』を感じる食べ物だよね。」
「そもそも、大根には辛み成分は存在しないんだよ。
おろしたり切ったりすることで、細胞が壊れ…化学変化で生成される。」
この辛み成分の元になる物質は、根の先端部分ほど多い。
その差は、葉に近い部分の約10倍である。
ツッキーは冷蔵庫から大根を取り出し、まな板の上に置いた。
「辛くない大根おろしを作るには…
①葉に近い『くび』の部分を使用すること。
②細胞をあまり壊さないよう、輪切りにした側面から、円を描くように優しくすりおろすこと。
③おろして5分後が辛みのピークのため、それ以上置くこと。」
丁寧に丁寧に、静かにすり下ろしていく。
話している内容もそうだが、『料理』というよりは…『実験』だ。
『料理は科学である』という言葉は、ツッキーにこそ当てはまる。
「甘い大根おろしが好きなら…加熱しちゃうのもアリってことだね。」
「そうなんだけど…そこが悩みどころでもあるんだ。
大根に含まれる、消化吸収に有益な成分…アミラーゼ、プロテアーゼ、
リパーゼ等の消化酵素と、ビタミンCは…熱に弱いんだよ。」
ビタミンCに至っては、時間とともに減少していく。
大根をおろしてから置く時間が長いほど、減っていくのだ。
「『おなかにやさしい』の代表なのに、それはちょっと勿体無いね。」
「下手くそな打者とか役者を『大根』と呼ぶのも、
生でも煮ても、何をやっても『当たらない』からなんだけど…」
「少々辛くても、今日は生のままにしようね。」
すり下ろしてから、6分半経過した。
丁度いい頃合いに、ごはんとおかずも準備ができた。
我ながら…完璧なペース配分だ。
「料理…結構楽しいね。」
「全くだ。雑学の宝庫だよ。」
大根をおろしただけなのに、なぜか『晩御飯作った!』ぐらいの、満足感と達成感があった。
ツッキーと食卓を囲み、辛くない大根おろしの成功を喜んだのだが…
「…辛っ!?」
その下の、ししとうが一つだけ辛かった。
「ししとうも、唐辛子の一種だね。先端が獅子の頭に似ているんだ。
ちなみに、『唐』は中国の唐じゃなくて、『外国』って意味。」
そんなことよりも…とりあえず、辛みを抑えるものを…
と思ったら、ツッキーは薬指にマヨネーズを付け、口に入れてくれた。
カプサイシンには、油や酸味…マヨネーズはぴったりだ。
「つ、ツッキーの方には、辛いのなかった?俺だけ『当たり』?」
「ししとうは、単為結果…つまり、受精せずに実を作った時にだけ、辛くなってしまうんだよ。
10本に1本ぐらいの『大当たり』だね。」
「受精してない実ということは…『種なし』だと、辛いんだ。」
ししとうの『大当たり』は、触ればある程度わかりそうだ。
料理は科学…生物学も絡んできて、本当に面白い。
待ちに待った『食後のお楽しみ』タイム。
山口が洗い物をしている間、僕は『報酬』の分割を買って出た。
隊長の指示は、『イチゴの配列に沿って6分割』だが…
そのイチゴは、等間隔には置かれていなかった。
すなわち、『6等分』ではない、ということになる。
見た目は少々イレギュラーだが、最高に面白く見える。
さすがは、我が敬愛する隊長…山口母だ。
「…なるほど。」
6切のうち4切は、明日夕方に帰ってくる…月島山口夫妻の分だ。
僕はまず真ん中で180度半分に切り、片方を4等分…45度ずつ、
もう片方を2等分…90度ずつ切り分けた。
我ながら…完璧なケーキ配分だ。
今日は一日、『辛い』話題が多かった。
こんな日のシメには、『甘い』ものが相応しい。
僕は待ち切れず、山口を手伝おうとシンクへ向かった。
「…切れたよ。そっちはどう?」
「こっちも…切れちゃった。」
苦笑いする山口の手を見ると、左手薬指から、少し血が出ていた。
「すすいでる時に…おろし金で、ちょっとだけ擦っちゃった。
洗う前だったら、辛み成分が傷口に…それよりずっとマシかな。」
辛みは痛覚。痛みを感じる受容体は、全身にある。
想像するだけで…痛し辛しだ。
この辛みと痛みを和らげるには…熱だ。
僕は科学的見地から判断し、山口の薬指を…自分の口に含んだ。
***************
「痛いのと辛いの…和らいだ?」
「う、うん…あ、ありがと。」
痛みも辛みもない。ただ…熱いだけだ。
ツッキーは単純に、俺を介抱してくれただけ。
さっきだって、ツッキーの薬指を、俺は舐めたじゃないか。
それなのに、舐められる側…『逆』はこんなにも、熱い。
こんなにも、ドキドキするのは…
「薬指が、心臓に…繋がってる、から?」
「…?そんなの、当たり前でしょ。血液は循環してるんだから、体中と繋がってるよ。」
ペロリとケーキを平らげたツッキーは、俺の独り言に首を捻った。
生理学的に言えば、ツッキーの発言は正しい。
「そうなんだけど…俺が言ったのは、それじゃないんだ。
左手薬指から心臓にだけ、直結してる静脈があるっていう…神話。」
他の部位と繋がったり合流したりせず、一本道の血管。
心に繋がる薬指…薬指を繋ぎ止めることで、
心も繋ぎ止めておくことができる…という神話である。
「あぁ、それで…結婚指輪をそこにはめるんだね。」
医学用語で薬指のことを『環指(かんし)』というのも、
『指輪をはめる指』という意味から、付けられたそうだ。
指『輪』である理由は、『切れ目のない』『永遠』を表すからだ。
食べ終わったケーキ皿等を、ツッキーはシンクで洗い始めた。
山口はお風呂の準備を任せたよ…と言いながら。
風呂の準備なんて、『ふろ自動』ボタンを押すだけなのに…
薬指を怪我した俺を、さりげなく労わってくれているのだ。
また、薬指が…薬指と心臓が、キュっと痛んだ。
いつものように、一緒に風呂に入る。
月島家のよりも一回り狭い我が家の風呂は、
二人で入るには少々キツいが…それも、もう慣れた。
向かい合わせで座りながら、いつものように『雑学考察』を続ける。
「『薬指』っていうネーミング自体の由来は、知ってる?」
「薬を水に溶かす時に、この指を使ったから…って、
昔、何かの本で読んだことがある気がする。」
手指の中で、一番動きの悪い第4指は、他であまり使わないため、
比較的清潔だから…薬や、口紅を差す時に使っていたらしい。
別名・紅差指というのも、ここからだ。
ツッキーは湯船から右手を上げると、薬指だけを少し曲げた。
「第4指で薬を混ぜるようになったのは、それが薬師の指…
薬師如来の印相に由来するから、なんだって。」
それにしても、薬指だけを単独で動かすのは…難しい。
どうしても隣の指が一緒に動き、ぎこちなくなってしまう。
一生懸命『薬師如来』をしようとする俺を見て、ツッキーは微笑んだ。
山口家の風呂の良いところは、狭いが故に、
ツッキーの裸眼でも、お互いの様子がだいたいわかることだ。
こわばる俺の右手を取り、ツッキーは薬指の付け根を握った。
「薬指だけは、両隣の指の腱と繋がってるからね。
易々と名前が付けられない、神秘的な指…という意味で、
中国では今でも『無名指』って呼んでるらしいよ。」
やっぱり、薬指は…『特別な指』ということだろう。
俺の右手の薬指を、いまだ離さず握り続けるツッキー。
のぼせる前に風呂から上がろうと、その手と共に、立ち上がる。
ツッキーの手を振り払ったように思われないよう、
俺は絆創膏が巻かれた左手の薬指にキスをし、腕を大きく振り上げた。
「よくサッカー選手が、ゴールを決めた時に…こうやって、左手薬指にキスしてるよね?」
「きっとそれは、その指から繋がってる相手へ…ってことだろうね。」
脱衣所に出て、バスタオルで体を拭く。
拭きながら、ツッキーは「そう言えば…」と話を振ってきた。
「キスをする場所によって、意味がかわってくるらしいよ。さしあたり、『手指』周辺なら…」
ツッキーは俺の左手を再度掴むと、顔の前まで引き上げた。
「手の甲は『敬愛』、指先は『賞賛』…」
王子様のような甘い表情で、手の甲と、薬指の先にキスをくれる。
指先は神経の塊…敏感な場所のせいか、妙にドキドキしてきた。
「掌は『懇願』、そして手首は…『欲望』だ。」
肩に掛けていたバスタオルが、パサリと落ちた。
***************
偶発的な事故により、ツッキーとキスをした。
それ以来、たまに『そういう雰囲気』になった時に、
軽く唇を触れ合わせ…キスをするようになった。
『ただの幼馴染』よりは一歩進んだ、『多少仲の良い幼馴染』だ。
でも、今日のキスは…今までとは、違う。
誰も居ない、二人だけの空間。
風呂上がり、何も着ていない。
明日は休日、特に用事もない。
求められた、懇願そして欲望。
否が応でも、ゼロになる距離。
素肌のまま抱き合い、何度も何度も口付けを交わす。
少しずつ、ほんの少しずつ、その口付けが深くなる。
最初は唇で食むように。隙間から漏れる呼気を、吸い込むように。
そして、初めて触れ合う…互いの舌。
何とも言えない、熱く柔らかな感触に、体中から熱が湧き上がる。
きっとこれが…快感、というものなんだろう。
呼吸を塞ぎ、絡み合うキスは、きっと物凄く苦しいんだろうな…と、想像していた。
でも、ツッキーとの深いキスは、息苦しさも窮屈感もなく、
ただただ、幸福感と…気持ちよさだけだった。
「どうやら、僕達は…キスの『相性』は、良さそうだね。」
「うん…息継ぎのタイミングとか、ばっちりみたいだね。」
互いの呼吸が合う…これは、滅多なことではないかもしれない。
一緒に居て、居心地のいい関係だとは思っていたけども、
こんなところで『相性の良さ』を確認するとは、全く思ってもみなかた。
「ドイツの心理学の研究で、毎日キスをする夫婦は、
しない夫婦に比べて…夫の収入が25%も高く、寿命は5年長く、
交通事故率も低い、っていう結果が出たらしいよ。」
これだけの長いセリフの合間にも、何度もキスを交わす。
「濃厚なキスをすると、相手の健康状態や免疫、繁殖能力がわかる…
そういう話も、聞いたことあるよ…」
唾液から、そういった情報を得ているのだろうか。
とりあえず、俺がわかるのは…ツッキーも気持ちよさそう、かな。
「その説…一理あるかもしれない。
唾液を観察することで、排卵日を知る方法があるらしいよ。
排卵日付近には、唾液の中にシダ状の結晶が見えるって…」
唾液から、それらがわかる可能性はあるよね。
とりあえず、僕にわかるのは…山口が発情してる、かな。
似たような発想をするツッキーに、笑みが零れる。
それは『舌』じゃなくても…密着した『下』でわかる、はずだ。
怪我をした薬指には、キスで痛みが抑えられた。
でも、痛みが増す…キスもある。
距離ゼロで抱き合う体。発赤する頬。
熱を発して腫れ、痛みすら感じはじめてきた…あの部分。
「そろそろ…『弾性限界』…みたいだね。」
「それ…『だんせい』の字が、ちょっと違う…?」
ねぇ、山口…
耳元に触れるキスと、囁かれる…『誘惑』。
俺の返事は…
- 完 -
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※カプサイシンには、その発汗作用等から、『燃焼』『ダイエット』といったイメージがありますが、
経口摂取による有効性に関しては、ヒトに関する信頼できるデータは今の所ないそうです。
(国立健康・栄養研究所)
※ラブコメ20題『19.限界になる前に教えてください』
(サブテーマ→指に触れる愛が5題『薬指にくちづけを』)
2016/05/03(P)
: 2016/09/08 加筆修正